第101話 強襲、お隣の橋本さん家
【三丁目魔界化計画が始まりました】
グレモリ
26の軍団を率いる序列56番目の公爵
ラクダに乗った美しい女性。隠された財宝を見つける。女性を惹き付ける。
インターホンが鳴る。
宅配か、何かのセールスか、あるいは勧誘か? 事前のアポイントの無い来客程に気を遣うものはないのかもしれない。とはいえ最近めっきりと連絡をしてこなくなった娘夫婦と愛しの孫を想えば、この際赤の他人であったとしても構わないから話をしたい。そう考えてしまう橋本ゑい子さん(87)は、そろもん幼稚園のお隣に住む元気な後期高齢者である。
事あるごとに幼稚園で遊ぶ園児たちの姿を見に訪れているだけに子どもたちとも顔なじみである。
「……おやおや、これはまた可愛らしいお客さんだこと」
ドア先に立っていたのは小さな小さな女の子。気の強そうな目をしている女の子は微笑む老婆に対してペコリと一礼し、簡単な挨拶を交わした。
「どうも、はじめまして。グレモリといいます。きょうは、おばあちゃんにおねがいがあってまいりました」
「おやおや随分と丁寧なお嬢さんだこと。さあさ、お入りなさい。お菓子も用意してあげようね。飲み物はジュースでいいかい?」
どうして大人、特に年配になるにつれて子どもに対する警戒心がミジンコ並みになるのであろうか。仮にグレモリちゃんのような身長一メートルちょっとくらいの子が悪事を企んでいるだなんてことを考えないのは超高齢化社会を迎えた現代日本にとって(略)グレモリちゃんは背後で様子をうかがっていた仲間たちにグッと親指を立てて橋本ゑい子さん(87)宅への侵入に成功した。
……
ゑい子お婆ちゃんは可愛らしい来訪者にニコニコしながら話しかける。
「落雁は美味しいかい?」
「あまい」
「そうだねぇ。お婆ちゃんもそう思う」
グレモリちゃんは何かを探すようにキョロキョロと辺りを見回した。そして気づいた。
「どうしてこのおうちには『おと』がないの?」
テレビが点いていないことに。それどころか人が生活しているような音の一切が感じられない。不気味という感覚を未だ持っていないグレモリちゃんにはとても不思議な感覚であった。
「だって、テレビで誰かさんが知らない誰かさんと話しているだけの声なんて、お婆ちゃん、なんだか除け者にされているようで好きじゃないのよ。それよりも、グレモリちゃんたちが、お外でハシャいで笑っている声を聴くことの方が、何倍も楽しいの」
「ふーん。じゃあ、どうしてこのおうちには『はしら』がたくさんあるの?」
一介の幼稚園児にとって、お隣の戸建ての間取りやら内部構造なんてものは勿論知ったことではない。しかし、明らかに生活上不要な柱があちらこちらに、それも取って付けたように設置されているのがどうにも気になる。
お婆ちゃんは一切何も隠す必要がないのであろう、すんなりと答えた。
「ああ、これはね。お婆ちゃんが安心に安全に住み続ける為にはどうしても必要なものなんだって。こんな古い家でもね、お爺ちゃんと一緒に何十年も住んでいると、簡単に手放せないから……親切なお兄さんがね、こんなお婆ちゃんの話に耳を傾けてくれたのよ」
そう語る顔はとても、とても誇らしげであった。
柱だけではない。一人暮らしの老人にとって到底必要とは思えない設備がチラホラとグレモリちゃんの目に入る。
流石に(87)の一人暮らしともなれば目の行き届かない所もあるのであろう。薄らと埃を被っている家具もある。そんな中にあって、粘土で作られたような不細工な写真立てと、その中に収められている家族写真の周りだけは、とても綺麗に整理されていて、ここだけは毎日欠かさずに掃除されているように思えた。
「そう」
「ところで、グレモリちゃんは、お婆ちゃんにお願いがあって来てくれたんでしょう? どう? お婆ちゃんにできることなんてそんなに無いと思うのだけれど、何かしらね」
「このおうちをください」
「……え?」
「おばあちゃんの、だいじな、たいせつなこのおうちをわたしたちにください」
突然の申し出に流石のお婆ちゃんも困惑を隠せないでいた。子どもの悪戯なのだろうとは思うのだけれど、それにしたって何とも度が過ぎる。本人が口にしている意味をわかっているのかさえも曖昧な年齢だというのに。きっと、誰かにこのように言えと教えられてきたのであろう。それが橋本ゑい子(87)にとっては許し難いことであった。
決して表情には出さず、優しく諭すようにして問いかける。
「グレモリちゃんは、そんなことを誰に教えてもらったのかな? この家はね、お婆ちゃんにとって、とっても大事な家なの。折角のお願いなのだけれど、こればかりは」
「まいにちきます」 少しだけ食い気味に答えた。
「……」
「おばあちゃんが、おそうじできないところは、わたしたちがおそうじします」
「どうして?」
「おばあちゃんも、まいにち、ようちえんにあそびにきてください」
「……」
「だから」
「だから?」
「わたしたちのおばあちゃんになってくれませんか?」
「……」
「もう、しらないだれかに、このおうちをすきかってにさせないでください」
「……」
「だから、わたしたちに、おばあちゃんのこのたいせつなおうちをください」
「……どうしてそうなるの?」
「だって、このおうちが、わたしたちのおうちだったら、おばあちゃんも、こわいおにいさんのいいなりにならなくてすむでしょう?」
「……毎日、お婆ちゃんのお話を聞いてくれるかい?」
「たまには、わたしたちのおはなしをきいてほしいかな」
「そうなると明日からは随分と賑やかな毎日になりそうだねぇ」
「このシールをげんかんにはっておいてくれれば、おばあちゃんも、わたしたちといっしょ。そろもんようちえんのなかまなのです」
そう言ってグレモリちゃんは手のひら大の魔法円が描かれたシールをお婆ちゃんに手渡したのであった。
お婆ちゃんは、それまでよりも優しい、どこまでも優しい泣き顔でそれを受け取った。
「そっか……そっか……お婆ちゃん、もう一人じゃないんだね……そうだ。落雁、もっと食べるかい?」
「あますぎるからいらない」
……三丁目魔界化計画、進行状況、5%。
一方その頃、佐多は……
「坪単価五十万? マジですか平林先生!」
「この辺りの相場だとそんなところでしょうね。それよりもどうしたんですか佐多さん。急に『幼稚園の周りの土地相場が知りたい』だなんて」
「ああ、子どもたちと『三丁目魔界化計画』を始めようと思ってまして、正攻法で進めていけばどれくらいの財力が必要なのかなぁと」
「三丁目まかいか? うーん、なにかよくわかりませんが、子どもたちに大人気みたいですね。人気タレントの面目躍如ってところですかね」
「ハハハッ、いやぁお恥ずかしい限りですよ。その人気タレントも今や業界内で干されちゃってるんですからね」
「(全国区であんな仕打ちやったらそらそうだろう)」
「なになに? 佐多、壺買うの? また? 昔も幸運の壺とか言ってクッソ高価な……」
「ヤメテクダサイヨ」
合法的に侵略する方向性で模索していた。