プロローグ そろもん幼稚園の遠藤さん
優しく降り注ぐ木漏れ日の下で、甘えたがりな園児が、ほんのり赤味がかったショートヘアの保母さんの膝の上に腰を落ち着ける。
園児は無邪気に問いかける。その内容に大した意味などない。
ただ、この穏やかな時間がいつまでも変わらずに続いて欲しい。そう願って。
「えんどうせんせーは、どうしてせんせーになったの?」
「ん~? どうしてだろうね~」
小さなメトロノームを体内に宿しているように、一定間隔で刻まれる心地の良い揺れは、膝の上の子を慈しむように愛でるように、どこまでも優しい揺り籠のようだ。
会話のキャッチボールも、そのリズムに合わせるように緩やかに繰り返される。
「こどもがすきなの?」
「それもあるかな~」
「しょた?」
「……」
「……」
「……ち、ちが」
「しょた?」
会話であれなんであれ、キャッチボールとは相手の胸を目掛けて投げ返すことを前提としている。ふんわり山なりボールが続いた中で急にナックルカーブを混ぜたりしてはいけない。危ない。いろいろと危ない。
園児を膝に乗せたまま、遠藤は少しだけ間を置いたものの、表情を崩すことなく答えた。
「……どこで覚えたか知らないけれど、他の人には『ショタ好き?』って聞いちゃ駄目だよ~」
「どうして?」
「う~ん、『どうして先生になったか』だったね、それはね、先生はアロケルちゃんのことが大好きだから、かなぁ~。あっ、もちろんアロケルちゃんだけじゃなくて、この幼稚園の皆のことが大好きなんだk」
「いや、どうして『しょた』っていっちゃだめなの?」
アロケルちゃん、若干喰い気味。それでも遠藤は表情を崩さない。
「……実はね、先生。君達が『そろもん』に来てくれるのを、ずっと待っていたんだよ?」
「うん。それはわかったから。どうして『しょt」
「神様がね、夢の中で教えてくれたんだ! 君達が『そろもん』に来るから導いてあげなさいってね」
「ぼくたち……つまり『しょt』」
「女の子もいるからショタではないかな! ショタではないよ! それと、ショタって言うのは止めようか? ちなみに、先生、ロリコンでも無いし腐女子でもないから。その辺りの守備範囲は、どちらかといえば波留先生の分野だか……あっ」
思わず口を滑らせてしまいそうになった遠藤はハッと口を押さえた。人様の趣味嗜好をとやかく言うべきではないだろう。ましてや『ショタ』だの『ロリ』だのといった類いの言葉は子どもに対する発言としては些か配慮に欠ける。これでも遠藤はプロなのだ。
「……いや、『はるせんせい』っていってましたけど」
「言ってないよ」
「え?」
「……」
「……」
遠藤、大人気ないほどの無言の圧力。
幼稚園にあって、いや、幼稚園だからこそ、なのかもしれないが、子どもの持つ拡散力を侮ってはいけない。
産まれたての、新品を経て適度に使用した後の吸水性に目覚めている乾いたスポンジの如き脳を持つ園児たちは、互いに『知らない情報』をたどたどしいコミュニケーションをもってインプットし合う。インプットされた情報は、園内のみならず、各ご家庭に持ち帰えられることで、親御さんたちへとアウトプットされてしまうのだ。
そんな、お子様共に同僚の生態を洩らすようなことをしてしまえば……
「なるほど、はるせんせいは『しょたずき』『ふじょし』で『しゅびはんい』がひろいのか」
「……既に尾ひれがついているは一体何故?」
膝の上のアロケルちゃんが持つ、悪魔のような拡大解釈に遠藤は恐怖した。果たして、それが本当に悪魔的な解釈なのかと問われれば八割がた自爆であることは誰もが思うところではあるが、遠藤は悪魔の存在を疑わずにはいられなかった。
なにせ、このままでは『そろもん幼稚園随一の常識人』で通っている波留先生の評判が大変なことになってしまう。口が裂けても「私が言っちゃいましたテヘヘッ」なんてことは言えない。もとい『悪魔の仕業になってくれなくては困る』のだから。
ちなみに、この遠藤。こうみえて前世は世界を救った英雄である。面影はない。
悪魔などと揶揄した膝の上の子が、かつて悪行の限りを尽くし、その英雄と激しく争った末に永い眠りについた悪魔の生まれ変わりだったりする。
なお、本人たちは、そんなことを知る由もない。
知っているのは神様だけ。
この物語は、そんな『本人たちは全く知らないけれど、実は因果な関係にある者たちが集まっている』そろもん幼稚園の日常を描いたお話。