「犬も歩けば棒に当たる」
私がまだ幼稚園の時に迎えた、初恋の相手は交通事故で死んだ。
小学生の頃好きだった男の子は白血病にかかり、その次好きになった子の両親は離婚した。その次の子は中体連直前に骨折、その次の子は水難事故。たまたま関西へ家族旅行に行った時、阪神淡路大震災に遭った子もいた。こんな、映画やドラマでなら良く見る話。それなりの思考力を備えるまで、これが普通の恋愛なんだと思ってた。『好きになった人は死んでしまう』。これが一般論なんだと本気で信じてた。
――『藤原美雪は不幸の子。好かれちゃったら呪われる』。確か中学生の時、どこからともなく流行ったフレーズ。別に、そんなオカルト染みた話を妄信する訳でもないけれど、幼心に負った傷は大きかった。
私は何もしていない。なのに、どうやら皆に言わせれば私が異性を好きになる事、最早それ自体が『呪い』であるらしい。ふざけるな、って声を荒げて言いたいけれど、中学校を卒業する頃にはそんな気力も残ってないほど私の心はボロボロだった。
もう、私は恋はしない。「次はもう大丈夫」「こんな事はこれで最後」「こんなの、いつまでも続くはずない」。そんな風に恋を繰り返しては繰り返し、私の汚名は尾ヒレをつけて拡がるばかり。私に人を呪う力は無いけど、どうやら神様にはあるらしい。
恋も友達も捨て私の汚名も届かない島へと引っ越して来た時、私はもう高校生になっていた。
***
「美雪。落ち着いたら部屋の荷物整理してみたら?」
お母さんは笑顔を作っていたが、そこからは明らかな疲労感が滲み出ていた。
「うん、……ありがと」
私に気を遣って疲れを顔に出すまいとする母と同じ空間にいるのは辛くて、私は階段を上った。
とん、とん、と静かに音を立てながら階段を上るとそれは二階に続く。木の香りが芳ばしい一軒屋、今日からここが私達の新しい家であるらしい。
「…………」
都会にいた頃は味わった事の無い香り。それを思い切り肺に取り込む事で、少なからず私の心は救われた。
私は自分の部屋の扉を開いた。荷物の入ったダンボールが乱雑に並んでいる。それら一つ一つには『服』『画材』『教科書』などラベルが貼ってあり、中に何が入っているのか一目で分かる様になっている。
だから、別にそれほど面倒臭い訳でも無かったけど、私はそれらを飛び越えベッドの上に身を投げた。ふかふかのシーツと毛布が心地良い。
両手両足を大きく広げ、目はまっすぐ天井の木目。そうやって暫くしていると、窓の外から何か音が聞こえてきた。
「……?」
私は体を起こし、窓の桟に手を掛けた。
「! ……海……」
穏やかに音を奏でる波、無限へと続く水平線。私は階段を駆け下りた。
「どうしたの? 美雪」
「海、見てきて良い?」
「あら、窓から見えたのね。良いわよ、行ってらっしゃい。気をつけてね」
そう言って母は笑顔を浮かべた。今度のそれは爽やかだった。
「ありがとう。ちゃんとご飯までには帰ってくるから」
私はキョロキョロと不慣れな家の中を見回しながら玄関へと進み、靴を履き外へと出た。
来る時は気がつかなかったのに、外はこんなに良い匂い。空気は澄み渡って、太陽の光が私を照らす。
私の足は自然と、駆け足になっていた。
別に、海を見たって過去が変わる訳じゃないけど。何だか無性に見たくてたまらない。あの無限の青を眺めるだけで、何か良い事が起こる気がした。
けたたましいクラクションと共に、大型のトラックが私を目掛けて突っ込んできた。
……あ、きた。
いつかは来るって思ってた。あれだけ人に迷惑をかけてきたんだもの、遂に私の番がやってきた。そりゃあ、私だけいつまでも生きてちゃ駄目だよね。
それは充分すぎるほど受け入れてるつもりだし、いつかは来るものだって何となく分かってもいたから怖くは無い。
ただ、どうして神様は私を呪ったのか。それだけは知ってから死にたかったのに。まあ、今更そんな事を言っても仕方ないか。私の所為で死んでしまった人達の事を考えれば、私は充分すぎるほど生きました。
……最後に、せめて海は見たかったな……。
誰かが、私の手を引いた。その手の主は力の限り私の体を引き寄せ、寸でのところでトラックとの直撃を回避した。
トラックの不快なブレーキ音が鳴り響く中、私はその手の主に抱き寄せられ、道路の端へと倒れ込んでいた。
「あ、あぶねーっ! 大丈夫か!? 怪我ないか!?」
彼は、屈託の無い笑顔を私に向けた。
「………………」
とりあえず、涙が溢れ出た。
「えっ!? うわっ、ちょ……大丈夫か!?」
私は彼の右手を握り締め、顔を埋めた。
そして望んでも無いのに、これで私はまた――――。