その心に抱くものは
恐怖の飲み会の夜は明け、俺の目の前にはすごく分かりやすい光景が広がっていた。昨夜の飲み会参加者なら一瞬で状況を詳しく理解できてしまうくらいに分かりやすい。もっと簡単に言えって言われたら、そうだな。女の子はみんなかわいいって事と同じくらい単純明快って答えるかな。
「………」
「やあ、ユウキ。とても心地良い朝だね」
「思いっきり曇り空ですよ。ジンさん」
姫さんがさっきから俺の服の袖を掴んで離さない。きつく眉根を寄せ、どす黒いオーラをまとってジンさんを睨みつけている。その視線を嬉しそうに受け、あてつけがましく俺の反対の腕を取るジンさんは相当性格に難があるよな。どんだけ姫さんを挑発したいんだこの人は。後で鎮火するのは俺なんだから勘弁してほしいんだけど、駄目そうだなあ。
「天気なんて関係ないさ。僕は勝者として、思う存分愉悦に浸らせてもらっているだけだよ。敗者の屈辱に歪んだ顔程気持ちのいいものはないだろう?」
「……負けてない。あのまま続けていたら勝っていたのは私だったはずよ」
「無様に倒れておいてよく言うね。自分の状態くらい自分で判断できて当然だろうに。本当に君は……くくっ。ああ、失礼」
「……っ」
「痛たたたたたっ!! 姫さん!? あの、痛いです姫さん、マジでっ、いってえ!!」
多分無意識なんだろうけど、魔力の篭った手の圧力は半端じゃなくヤバい。そして手加減も何もないこの攻撃から逃れる術など、俺には存在しないのだ。
「黙って耐えていなさいよ。馬鹿。裏切り者。その鼻っ柱をへし折って私の足下に転がしてやりたい……っ」
「姫さん、マジですみませんでした」
おおよその人間の予想通り、局長の思惑はちっともうまく行かなかった。ちなみにとどめを刺したのは俺だが、誰が何をしようと結果は同じだったはずだ。あんな小規模な飲み会程度で態度を改めるような人間はミールの幹部に一人もいなかったんだから仕方ないだろう。
けど、そんなことは姫さんには関係のない話だ。実際悪いのは俺だから、強く反論することもできやしない。
「謝ってすんだら警務部隊は要らないのよ」
「そうして脅さないとユウキの心を繋ぎとめられないのかな? やはり彼は僕の下の方がふさわしいというわけだ」
「脅してないわよ!」
「ああ、もう! お願いですからそういうのは後にしてくださいよ!!」
ったく、こうなるのが目に見えてたから嫌だったのに。真奈美さんがいなかったら絶対放置してたぞ、俺は。
ちなみに俺がやった事というのは悪酔いする姫さんを強引に眠らせ、ジンさんの不戦勝にさせてもらっただけだ。あのまま勝負を続けていても姫さんが勝っていたとは思えないし、酒を飲ませすぎるのはよくないからな。
「……君達、そろそろ向かわねば帰りが遅くなるが」
「あ、局長。いつ来たんですか? 全く気づきませんでした」
「……最初から、いたとも。頼むから今日だけは喧嘩しないでくれ。頭が割れる」
今にも消え入りそうな声で局長が呻いた。二日酔いで苦しむおっさんがあまりに哀れだったらしい。あの姫さんとジンさんが言い争うのをやめた。
「森川君は……既に他のメンバーや現地の人達との最終調整に入っていると連絡があった。皆、協力して……事にあたってくれ」
弱っている時の方が話を聞いてもらえるなんて、本当にかわいそうだな。局長。
局長の命令に従い、俺達が訪れたのはあの福永だった。町民全員を巻き込んだ大規模な事件だった上、エルドラドの軍幹部が出没、重要参考人たる俺がつい先日まで病院送りになっていた事もあり、未だ後処理が終わっていないのだ。
今回はミールの主要人物が揃ったから、事件の日の再現をしてみるのが目的だ。もしかしたら今まで見逃されてきたものを新たに発見できるかもしれないし、何もなければないで福永の人達の安心に一役買ってくれる。この間小耳に挟んだ情報によれば、戦闘局に巻き込まれてしまった被害者たる真奈美さんが一番働いているらしい。もう真奈美さんも戦闘局の一員になったらいいんじゃないか。あ、でも真奈美さんは戦闘できないしなあ。
「お、来たね。こっちはもう準備万端だよ。今すぐ始められるくらいだ」
「マジですか? そこまでやらせてすみません。真奈美さん」
「気にするな。私にはこれくらいしかできないからな」
大したことなさそうに言ってるけど、本来しない仕事までやらせてるんだから絶対大変だったはずだ。昨日もあんな遅くから仕事再開してたし、頭上がんないぜ。
「ありがとう、モリカワさん。準備ができているならさっさと始めましょう。時間は限られているんだもの」
「………そうだね」
今の間は流石に空気を読んだのか、ジンさん。真奈美さんが完璧にお膳立てしてくれてるのに無下にはできないもんな。つまり真奈美さんは最強か。すげえよ、真奈美さん。
「んじゃ、まずは一通り散策でもしますか? これは俺と姫さんと真奈美さん、三人も要らないと思うんでジンさんには真奈美さんとペアを組んでもらって俺達と違うルートを見てもらうのはどうですかね?」
「ああ、確かにその方がバランスは取れるかもしれないな。……うん、僕は賛成するよ」
「好きにすればいいわ」
「……私もそれで構わないぞ」
「なら、決まりですね」
真奈美さんから意味深な視線を向けられ、俺はとっさに視線をそらしてしまった。別に、真奈美さんを避けたつもりはない。って、真奈美さんは気にもしてないかもしれないけど。
「行きましょうか、姫さん」
それに、多分今俺が傍にいるべき人は、姫さんだと思うから。
「ええ」
「………」
とは言ったものの。
俺はものすごく困っていた。いや、任務には支障はない。なんなら普段よりもはかどっているんじゃないかと思うくらいに集中してる。
「あのー、姫さん」
「何よ」
だけど、俺の精神は現在進行形でえぐられ中です。そりゃあ姫さんが機嫌が悪いのは今に始まったわけじゃないし、ある意味通常運転なんだけど。
「……大丈夫ですか?」
「意味がわからないわ」
そっけなく言い切られる。いつもなら二、三言くらい罵られるところなのに、それすらない。機嫌が悪い。それなのにある意味、いつもよりまともな態度で仕事に励んでいる。この違和感がどれほどのものか想像して欲しい。犬と猿がある日突然手を取り合って踊っているのを見ているような気分だ。冷たい川の水がある日突然熱湯になっている感じだ。意味不明だ。そのくらい困っているのを誰か察してくれ。
「なんでそんなにジンさんと張り合うんですか?」
色々考えてみたが、俺は諦めた。直球に聞く事にした。それ以外に方法が思いつかなかったとも言う。
「唐突ね。別に張り合ってなんかいないわよ。張り合う理由もないわ」
本当か?俺にはどう見ても張り合っているようにしか見えないぞ。
「でも、もしそうお前の目に映ったんだとしたら……それだけあの男が優秀だからかもしれないわね」
「へ!?」
「ちょっと、何よ。その反応は」
「いや、姫さんがジンさんを褒めるみたいなことを言うと思わなかったんで、つい」
「失礼な奴ね。というか、褒めたつもりもないわよ。事実を述べただけ! 気持ち悪い事を言わないでくれる? お前もオランヌでのあの男を見てみたらすぐに私の言っている事が分かるわよ」
「オランヌでって、まるで姫さんはジンさんがオランヌでどう過ごしているのか知ってるみたいな口ぶりですね」
「ええ、ものすごく不本意だけど、知っているわよ。昔、一度だけあの男と同じ任務にあたった事があるもの」
「マジで!?」
「何よ? 私があいつと知り合う理由なんてそのくらいしかないでしょう」
「……言われてみりゃそうですね」
姫さんとジンさんが二人でいる時って基本喧嘩してるせいで思いつかなかったぞ。少し考えればすぐに思い当たることなのにな。
そうか。再会して早々喧嘩してたし、やっぱりその昔の任務でも今と同じ感じだっただらろうなあ。
「何よその目。気色悪いわね」
「お気遣いなく。ちょっと肩を叩いてやりたい奴に心の中でエールを送っているだけです」
「余計に気色悪いわよ」
姫さんが一歩後ずさり、俺から距離を取った。蹴られるより傷つきますよ、姫さん。
「とにかく、その時に分かったの。私とあの男は、根本から違う。絶対に受け入れられないってね。あの男は反吐が出るくらいに嫌いだけど、張り合うつもりはないわよ。そのくらい、私とあの男が掲げる正義は、違うのよ」
「そうですか」
「だから何よ、その反応は! いつからお前は濡れぞうきんになったの!?」
ちょっと調子を取り戻した姫さんは、苛立だしげに俺を睨みつけた。よく分からないけど少しは元に戻ったのならよかった。
にしても、ジンさんって思ってたよりもやり手だな。姫さんが嫌いと公言しながらもその能力は褒めるなんて相当の手練れだ。俺なんか姫さんに褒められたことなんてあったっけ?あんまり覚えがない。
お互いに嫌いあってるみたいだけど、そんだけお互いを意識し合ってるとも言えるし。
「………?」
「……お前、本気で大丈夫なの? 遠い目をしたかと思えば、今度は突然胸を抑えたりして。変態と歩く趣味はないから、そのままでいるつもりなら隣にいないでちょうだい」
「だ、大丈夫ですよ! ていうかなになに姫さん。それってー、いつもの俺は隣を歩いてもいい存在ってこと!?」
「うるさいわね。そのおめでたい思考は入院中に治してもらえなかったの? 馬鹿につける薬はないという事かしら」
「惜しい! 正確には恋の病でっぐえっ!!」
「命拾いしたわね。福永じゃなかったら確実に息の根をしとめていたわよ」
「肘打ちもわりと痛いですよっ、姫さん!」
けど、姫さんがいつのまにか元に戻ってくれただけでもとりあえずはいいか。散策を始めた直後に比べれば、随分穏やかな雰囲気だ。ジンさんと会ってから喧嘩ばかりしている姫さんとこうして会話するのも久しぶりだし、いつも通りでいたいよな。そうしてた方がパフォーマンスも伸びそうだし。
今日はこのまま何事もなく任務を終えられたらいい。そんな事を思いつつ、俺は姫さんと共にいよいよ合流地点に向かった。俺達が黒マントの集団と戦う事になったホームレスの根城、の近くの公園だ。
「二人とも来たね。問題はなかった?」
「はい、特にはありませんでしたよ。ジンさん、真奈美さん。そちらはどうでしたか?」
俺と姫さんが公園に辿り着くと、既に真奈美さんとジンさんの姿があった。集合予定時刻より少し早く着いてしまったのだが、真奈美さん達の方が早く散策が終わっていたようだ。
「こちらも問題なかったよ。復旧作業も順調に進んでいるし、言う事はなさそうだ」
「それは良かった。福永の人々もこの結果を聞けば少しは安心してくれるかもしれませんね」
「ああ。現地の人々の平穏な暮らしが少しでも早く戻るならそれが一番だ」
「……でも、エルドラドに繋がる手がかりが一つもないのは問題なんじゃないかしら。せっかく幹部に出くわしたのに、大した情報も得られずに終わるなんて納得いかないわ」
「姫さん……」
街の平穏を喜ぶ俺達に、その言葉は深く突き刺さった。確かに、姫さんの言う事には一理あった。エルドラドの襲撃を受け、とりあえず撤退はさせた。だけど、それだけだった。何故福永にエルドラドの手先が出没したのか。その逃走経路も不明。焦る気持ちは、姫さんだけじゃなく、俺の中にもあった。
「情けないとは思うが、私はその事に少し安堵しているよ」
「あっ」
俺ははっとした気持ちで真奈美さんの方へと意識を向けた。眉根を寄せ、腕を組むその様子は、恐怖から身を守ろうとしているようにも見える。
「私は、皆のように戦う力はないからかな。何事もなく、こうして任務が終えられるならこれほどありがたい事はないと思ってしまうんだ。反撃とか、そんなものはどうでもいい。それよりも、誰も死ななかった事を感謝したい。……なんて、ミールの一員としては弱腰だな」
「そんな事はないですよ! 真奈美さんは……っ!?」
それはほとんど勘みたいなものだった。ほんの一瞬迸った激流に、俺の身体は否応なく反応する。姫さんが魔法陣を展開した気配がした。
「伏せろ!!」
ジンさんが叫ぶ。それと同時に、俺はとっさに真奈美さんを巻き込んで地面に倒れ込んだ。
「な、何が」
「じっとしてて!!」
直後に響くのは轟くような爆発音。でもこれは、姫さんの魔法じゃない!
「ゆーき!?」
視界が砂埃で奪われる中、背後から確かに、俺は魔力を感じた。なじみのない魔力は、ぞくりと俺の背筋を舐める。
「風よっ……う、舞えっ!!」
視界を拓くため、俺は砂を払うように上空へと風を舞い上げた。三、四、いや、六人か。こんなに気づくのが遅れるとはな。
「まだ残党が残っていたとはねっ。丁度いいわ。全員私に跪きなさい! まとめて塵にしてあげる!!」
姫さんは俺達を囲んでいた黒マントを視界に捉えると、一瞬で間合いを詰め、黒マントの一人を蹴り飛ばした。フードが取れ、金色の瞳が中から現れる。
「っあいつは亜須華人じゃねえぞ!! ……真奈美さん、動けますか!? 俺は姫さんに加勢するんで動けそうならどっかに隠れ、て、」
あいつらはエルドラドの手先に違いない。逸る気持ちで真奈美さんへと視線を戻した俺は、たちまち血の気が引いていくのを感じた。
「うっ……」
「真奈美さん! 血が!!」
衣服が破れ、露出した真奈美さんの肌は真っ赤に染まっていた。伏せさせるのが遅かったのか!? 特に太ももから流れる血の量が多い。どう見てもとても動かせない状態だった。
「大丈夫……だ。これくらい、大した事は」
「大したことありますよ! すみません、俺! 自分の血だと思って全然気づかなくて!!」
ちくしょう。悔しくて仕方ねえ。
だけど、そんなのを真奈美さんに見せちゃ駄目だ。今不安でいっぱいいっぱいなのは真奈美さんなんだぞ。俺が動揺してどうする。
落ち着け。
「……ジンさん! あいつらの始末、任せてもいいですか?」
俺は大きく深呼吸をした後、公園の周囲に結界を張っていたジンさんの顔をじっと見つめ、頭を下げた。
「僕が? 君はミス・ノアイユを助けたいんじゃないのかい?」
意外そうなジンさんの言葉が突き刺さる。
「待ちなさい! この私から逃げられると思っているの!?」
ああ、助けに行きたい。今目の前で全力で戦う姫さんを助けてやりたい。ジンさん、あんたになんか本当はその役目を譲りたくないよ。
「……俺よりも、あんたの方が戦力になるでしょう。俺一人のくだらない意地なんかより、こんな戦いは早く終わらせて、真奈美さんの治療をする事の方が先決です。もう結界は張り終わってますよね?」
俺ならもっと時間がかかる。魔法を一つでも見れば、自分より格上かいなかくらい分かるもんだ。
「……ゆー、き」
「真奈美さん、安心してください。俺じゃ頼りないですけど、姫さんとジンさんならすぐにこんな状態解決しちゃいますから」
笑え。とにかく今は、少しでも真奈美さんの安全を確保することを考えるんだ。
「……君は。いや、わかった。すぐに仕留めてくるよ。その間ミス・モリカワの事を頼んだ」
「はい!」
ジンさんは俺の返事を聞くと同時に、迅速に戦闘へと赴いて行った。気づいた黒マントの一人が放った石弾を、ジンさんは軽く弾き飛ばす。
「ぐっ……!」
自分の技を受けた黒マントは呻いた。攻撃がやんだ瞬間を縫い、今度はジンさんが攻勢に転じる。無駄のない、洗練された動きだ。
「………見えますか? 真奈美さん。姫さんは当然ですけど、ジンさんも全く危なげがありません。すぐに帰れますから、後少しだけ頑張ってくださいね」
一応俺達の周囲にも結界をほどこしたが、ジンさんのあの様子ならまず安全だろう。
「ああ、そうみたい、だな」
「ひとまず止血だけは今しちゃいましょう。戦闘が終わったら姫さんも治癒魔法をかけてくれるとは思いますが、ただ待っているだけじゃ状態が悪化するだけですからね。しないよりはマシなはずです」
なんでもないように装って、俺は改めて真奈美さんの傷の様子を診ていった。流石に死に至るような大怪我ではないことにちょっとだけ安堵の息が漏れる。抉れた範囲は広いけど傷口は浅いみたいだ。これなら痕も残らず完治するはずだ。
「……手馴れてるな」
「俺は、姫さんみたいに凄腕の魔法使いじゃあないですから」
爆撃音が少なくなってきた。もう肩がつきそうなのか。助かるな。
「………」
「………大丈夫?」
「大丈夫です! 姫さんは最強ですからね!!」
そんな事を聞いたわけじゃないと言わんばかりの視線が俺を貫くが、それ以上追及されることもなかった。真奈美さんもそれどころじゃないんだろう。
俺は止血を終えると、じっと両の掌を見つめた。真奈美さんの血がべったりとこびりついた、弱々しい、頼りない手だと思った。
もっと俺が強かったら、良かったのに。
もっと俺が強かったなら、この光景を、見る事はなかったんじゃないだろうか。
「姫さん。早く真奈美さんを助けてやってください」
今の俺にできる事は、ただただそうして、祈ることだけだった。自分のふがいなさも、弱さも、知りたくない。もっとできると思いたいのに。
なんで俺は、こんなにもちっぽけな存在でしかないんだろう。