始動
エルドラド国王城・パドソールニェチニクの間
エルドラドの武将たちが集まり、会議を行う広間である。
「んふふ。その怪我まだ治らないの? フョードル」
悩ましげに胸を寄せ、紅いドレスに身を包んだ女は可笑しそうに銀髪の青年に尋ねた。青年は舌打ちをしてからかい混じりの女を睨む。
「っせえな。おもしれえとこを邪魔されたんだよ。ほっとけ。一番大事な目標は上手くいったんだから問題ねえだろ」
「部下の作戦が失敗した上にあっちに取られて、幹部殺害もできずに逃げ帰った負け犬がよく吠えるわあ。もう出撃するのやめたら? 評価だけじゃなく部下まで減らされるのは迷惑なのよねえ」
「はっ。安全な国の中でねちねち文句言ってりゃあ満足かよ、クソババア」
「お姉さまと呼びなさい、クソガキが。私はまだあんたと同じ二〇代よ」
「図星だろ? アラサー女。デカ乳さらしてりゃいいってもんじゃねえっつーの!」
二人は激しく火花を散らした。特に青年は苛立ちが収まらないといった様子であからさまに女を挑発する。
「たまには祖国を出て華々しい功を立ててみりゃあいいんじゃねえの? そのお得意の胸さらして何ができるかしんねえけどな! てめえの方がよっぽど目障りで役立たず……」
「プラーミア」
「あっつ!! 何しやがんだ。ババア!!」
突如青年に炎が襲い掛かり、彼の腕を軽く焦がした。女は艶やかな表情で炎を纏い、嘲笑う。
「私の炎に敵わないような坊やに役立たず呼ばわりされる覚えはないのよねぇ。悔しかったら私に攻撃、当ててごらんなさい」
「氷魔法なめんじゃねえぞ、こら! ……上等だ!! 今日こそ俺の足元に転がしてやっから覚悟しろ!! 氷華あっ!!」
「あらあら。相変わらずかわいい初手ねぇ」
広間が炎と氷に包まれ、魔力に圧されて空気が薄くなっていく。どちらも顔を愉悦に歪め、戦意を隠しもしなかった。同じ国の武将同士だとは思えない形相だ。
だが、そこに新たな人物が躍り出る事で事態は一変する。
「……おやめください。ダリアさん、フョードルさん」
その声の主は一陣の風を吹かせ、炎と氷を室外へと吐き出してしまう。顔色も変えずに淡々とそれを行った人物も、やはりエルドラドの武将の一人のようだった。短く整えられた黒髪が、美しい顔立ちに良く映える。漆黒の軍服を纏ったその身体からは、隠せようもない気品がにじんでいた。
「何しやがんだ、てめえ! 俺の邪魔をすんじゃねえよ。チンチクリン!!」
「もう~、トウリちゃんたらあ。強引な子ねえ。大事なところだったのよお? お姉さんの身体に残っちゃったこの熱はどこへ向けたらいいのお?」
「トウリちゃんはいい加減にやめてください。私にも邪魔されては困る仕事があるので押し通らせていただいたまでです。どうせ御二人は私が間に入らなければいつまでも争っていたでしょうから、いつ止めても構わないでしょう」
とつとつと義務的に言葉を紡いでいる様子に興が削がれたのか、青年は不愉快そうに席に着く。
「つれないわねえ。私と好い事しましょうよお、とうりん」
「より不快です。ダリアさんにも関係のある話なので真面目に聞いていただきたいのですが」
「いいわよお。トウリちゃんのお願いだものね」
「……ババアうぜえ」
女は楽しげに微笑み、青年の足をきっちり踏みつけてから席に着いた。再び勃発しかけた争いは、一睨みで沈下する。
「執行部より新たに命令を賜りました。陛下の御印の付いた、追加の、非常に重要な任務です」
途端に重たい空気が広間を支配した。誰も彼もが緊張した面差しで、唯一点を注視する。
エルドラド国唯一無二の存在「魔王」。彼らの結託が固く、忠誠心が厚いことを存外ミールは理解していない。
「さっさと話せ。トウリ」
青年は威圧するかのように唸る。女の方も言葉はないが、待ちかねた様子で一枚の書状を見つめていた。
「はい、今回新たに課せられた任務は……」
涼やかな清水のように凪いだ声が、厳格に猛者達の胸を打つ。全てを理解した幹部二人は、ほぼ同時に息をついた。
「楽しくなりそうな任務じゃねえか。おい、クソババア! ぬかったら承知しねえかんな! よおく覚えとけ!!」
「クソガキに言われるまでもないわよ。それに、今度こそ確実に全てを上手くいかせる必要があるのはあんたじゃない。トウリちゃんに迷惑かけたら殺すからね」
「うっせえ……。あ、おい。お前万が一しくってもあいつは殺すなよ? あれは俺の獲物だ」
「はいはい。サイトウユウキねえ……。うふふ、カレンの方じゃないのね。ま、考えといてあげるわ」
「絶対だ! 考えとく、じゃねえんだよ。クソがっ!!」
言い合いを続けつつ、二人は直ちに任務へと向かうために広間を出る。そして、最後に唯一人だけが寂しくも残された。誰にも遠慮せずにすむような静寂が辺りを支配する。そんな中、ぽつりと、声が落ちた。
「……勇樹、か」
その言葉は、まるで――。
「お姉さん! もうちょっとだけ俺と一緒におしゃべりしない? お姉さんみたいに素敵な人が傍にいてくれたら、俺あっという間に元気になれそうなんだよね」
「ふふ、嫌だわもう。最近の若い子はお世辞が上手になんだから」
「そんなあ。本気で言ってるのに、お姉さんは俺の言葉を疑うの?」
俺は飢えていた。悲しみに打ちひしがれていた。簡単に状況を整理してみようか。原因は福永の変でのことだ。雑魚くて卑劣なテロの首謀者を捕まえたと思ったら、まさかのエルドラド軍幹部フョードルが現れ、連戦を強いられてしまった。
想像してみて欲しい。一体どこの誰が小ボス戦の後回復もせずに中ボス戦に挑むのかと。覇者か?覇者ならいいのか? 残念ながら俺は平凡な戦闘員だ。
まあ、分かりきってるよな。平凡な戦闘員が戦闘を繰り返した結果なんてさ。答えはそう、病院送りだ。
俺は運がいいとか、本当は死んでたかもしれないんだぞとか散々局長は怒っていたが、ぶっちゃけ死にかけた自覚はあるから軽く終わらせて休ませて欲しかった。一人さびしく出血過多で動けない日々で十分罰は受けたつもりだし。
と、いうわけで、動けるようになった今こそご褒美タイム。素敵なお姉さん(しかもナース)を口説き、枯れたうるおいを取り戻さねばならないのだ。
「お願いします、お姉さん。もっと近くに来て?」
「……仕方ないわね。今日だけよ? わがままな勇樹クン」
「お姉さんが俺を甘やかしてくれるって知っちゃったからだよ。もう癖になりそうだなー」
「っもう! 口ばっかり回るんだから」
お姉さんは怒ったふりをしながらもベットに腰掛け、俺の頭を撫でてくれた。
「う~ん。幸せ……。俺って本当にお姉さんが大好きだなあ」
「またそんな事ばかり言って……。大人をからかうのはあまり褒められた行動じゃないからね? 勘違いしちゃったらどうするの」
「えっ、勘違いって何? お姉さん。俺気になるなあ、今の言葉の意味」
俺がお姉さんを見上げて聞いてみると、頬がわずかに上気して桃色に染まった。思わず手を取ってキスを落とせば、ますます肌が赤く染まって行く。
「お姉さん。顔真っ赤」
「ふ、不意打ちでされたら流石に驚くわよ」
「ふーん。……なら、試してみてもいい?」
お姉さんを抱き寄せ、艶やかな髪の毛をさらってみる。うん。きっちりと整えられた髪からほんの少し垂れる後れ毛がなんとも欲をそそるな。
「しよーよ、お姉さん」
そのまま耳元でささやくと、お姉さんの首元までが赤くなった。慣れたあしらいだったのに、中身はまだまだ初心みたいだ。何それ、ギャップ萌えかよ。
「……だ、駄目よ」
「やった。嫌じゃないんだ。病室を出たら相手してくれるって事だよね」
「それは……」
その瞬間響いた扉の音に、面白いくらいお姉さんの身体が硬直した。
「勇樹、具合はど……な、何をしているんだふしだらな!」
「………あー」
空気読め、局長。どう見てもいいとこだったじゃないか。あんたのせいで俺の必死の努力が台無しだ。
「あ、あのっっ」
局長が顔を真っ赤にしてわめくのに正気に返ったのか、お姉さんは青白い顔で立ち上がった。
「わ、私、まだ仕事がありますのでっ!!」
「お姉さ」
「さよなら!!」
そのままお姉さんは電光石火の勢いで病室を飛び出した。これはしばらく俺に近よってもくれなさそうな感じだ。
「はあ……。局長、ハウス」
俺はがっくりと肩を落とした。
「君が悪いだろう! こんな神聖な場所で女性を口説くとは何事だ。しかも傷がまだふさぎ切っていないだろうに。もっと自分の治癒に労力をかけたらどうなんだ」
「いや、もうその反応が俺の生気を著しく奪い取ってます。なんかつっこみが普通過ぎてつまんないんですよね」
「私は何の駄目出しをされているんだ。……まあ、その様子なら順調に回復していっているようでよかったよ」
局長は人の良い笑みを浮かべた。あの、そういうのやめてください。落ち着かないんで。なんていうか、姫さんに怒られまくってるせいであっさり許されると違和感がありすぎて気持ち悪い。
「心配するだけ無駄よ、局長。こいつが女性にだらしにない猿並みの脳の持ち主だって事は前々から分かっていた事だもの。……一生病室に閉じこもっていた方が世界のためかもしれないわ」
そうそう。こう冷ややかで容赦のない罵倒をされるくらいがいつも通りで落ち着くよな。心が大分痛くなるけど。
「って、ひ、姫さんっ!?」
今、確かに姫さんの声がしたぞ。
俺は慌てて声のした方へと視線を向けた。何度も目をこすり、幻術を解く魔法も念のためにかけてみる。
「こ、今度はどうしたんだ。傷が痛みだしたんなら出直すからゆっくり寝なさい。退院が遅れては気の毒だ」
「……姫さんがいる」
「え? ああ、カレンとは一緒に君のお見舞いに来たからな。……カレン、いつまでも扉の前で立っていないで中へ入ったらどうだ? ずっと勇樹の事を心配していただろう」
「えっ!」
「やめて。そこのバカが意味の分からない勘違いをするでしょう」
そう言って姫さんはゆっくりと病室の中へと入ってきた。仕事帰りのようで、いつもの数倍は眉間に皺を寄せている。機嫌は相変わらず悪そうだ。
「ちょっと、何じろじろ見てるの。そんなに私がお前の仕事まで押し付けられて疲れた事に愉悦を感じているの? 本っ当に悪趣味なクズね」
「確かに愉悦に浸ってますけど、それは姫さんがお見舞いに来てくれた喜びに打ち震えているからです! ありがとうございます!!」
「俺と随分反応が違うな、勇樹」
「勘違いしないでちょうだい。私は別にお前の事なんて心配して来てやったわけじゃないわ。お前に押し付けられた書類についての文句を言いに、わざわざ足を運んであげたのよ。感謝なさい」
「はい! 来てくれてありがとう、姫さん!! 入院中には会えないと思ってたから嬉しいです!!」
「……ふん。安上がりな奴ね」
「だから、俺は……? 俺は要らないのか? 勇樹」
「すみません、局長。流石に姫さんと同等に扱うのは無理です。けど、一応来てくれた事には感謝してます」
一人で落ち込む局長に、俺はそう声をかけた。そう、局長はタイミングが悪い事以外は何も悪くない。俺が女の子を口説くのを邪魔したり、一緒に姫さんとお見舞いに来たりするから存在感が薄くなっているだけだ。
「……全く、あの事件で散々痛めつけられて少しはマシな頭になっているかと思えば、虫けらみたいな思考しか持てなくなっているとはね。まあ、馬鹿は一生治らないと言うし、当然の帰結なのかしら?」
姫さんはいつもの虫けらでも見るような目で俺を見下ろすと、近くにあった備え付けの椅子に優雅に腰を下ろした。どうやらしばらくは帰らないようだ。これはテンションが上がるな。怪我人には優しいなあ、姫さんは。俺が全快してたら三秒でここから出て言っていたに違いない。
「……ところで勇樹。実は私達は君に」
「素直じゃないな、ミス・ノアイユ。正直に言えばいいじゃないか。君なんかとペアを組める奇特な人物が倒れて、心配していたとね」
おいおい。今度は誰だよ。局長の話を遮ったのは。
全く知らない男が平然と病室に居座っていた事実に、俺は眉をしかめた。白の軍服にミールの紋章を掲げたその出で立ちから、敵ではないという事だけは分かる。分かるけど、釈然としない。姫さんのほかにこの病室に入ってくる気配なんてなかったはずだ。何者だ?
爽やかな笑みを浮かべる甘いマスクの野郎。ただ立っているだけで匂い立つ気品に物腰の良さ。うん。俺の敵だな。隣を歩きたくないタイプのイケメンだ。
しかもこいつは、さっき姫さんに話しかけていた。確か姫さんが俺を心配していたとか訳の分からない事を……。
「っ、姫さん! 俺の事を心配してくれてたってマジですか!?」
「しばらく呆けていたと思えば覚醒した第一声がそれ? 寝言は寝て言いなさい。こんな見るからに怪しい男の言葉なんて信じる価値はないわよ」
「ははは、酷いなあ。僕はれっきとしたミールの一員なのに。少なくとも君よりは正義の味方に向いているはずだよ。……ああ、初めまして。ユウキ。僕はジン・トホーフト。ミールのオランヌ支部で副官を務めているんだ。一応僕も福永では戦っていたんだよ。よろしくね」
ジンさんは演説でもしているかのような晴れやかさで俺に一礼した。芝居がかった感じもするが、その仕草が妙に似合ってもいる。そういえば、福永では真奈美さんがオランヌに応援を呼んでくれたんだったよな。
「斎藤勇樹です。救助要請を引き受けてもらったのに、正式な感謝が遅れていてすみません。ずっとここで引きこもっていましたから」
とりあえず俺も無難に挨拶を返した。姫さんが心底面白くなさそうな顔でジンさんを睨みつけている。なんだか仲が悪いみたいだ。いや、ここでめっちゃ仲良しアピールでもされたら俺の心に甚大なダメージを負うから全く問題ないけどな。
「誰か、私の話を聞いてくれ……」
局長が部屋の隅で落ち込んでいたが、それどころじゃないのでとりあえず無視した。
「ああ、仕方ないよ。弱い人間を助けるのが僕達の役目だ。理性を失くし、獣のように敵へと向かっていった挙句何の成果も挙げられなかったどこかの誰かと君は違うんだから。ゆっくり養生した方がいい」
「ん?」
なんか今、この人爽やかに嫌味を言わなかったか?
「ちょっと、それどういう意味よ」
「君のような女性に惑わされて自分の身を傷つけているユウキへの同情心だけど、何か問題があるのかい? ミス・ノアイユ」
「絶対に今のは違ったわよね? それに私たちがあいつと戦っていなければどれ程の被害が出ていたと思ってるの。あの戦いは戦略的勝利をもたらしたわ!」
「義務を放棄し、負け戦を演じた事への言い訳だけは立派だな」
とても、とても爽やかに、ジンさんは毒を吐いている。多分声だけを聴いていたらまずこの人の顔は浮かばないレベルで爽やかな表情だ。
ていうか何? 姫さんとすっげえ仲が悪い感じなの? なんか知り合いっぽいけど、一体何をどうしたらここまで険悪な空気で会話が出来るのかが分からねえ。
「っ、止められなければ私はきっと止めを刺していたわ!! そうやってぐちぐちと嫌味を言うのだけは立派だけれど、現場には現場の判断ってのがあるのよ。いちいちその場にいもしなかったのに文句を言うのはやめてくれる? 不愉快だわ」
「ああ、止めを刺そうと深追いしなかった事だけは評価していたんだが……やはりミス・ノアイユの判断ではないか。君は状況判断力に長けているんだな、ユウキ」
なんか矛先が突然こっち向いたんだけど!
「あー……どうも」
めんどくせえ。この人絶対Sだろ。ドSだろ。もうSキャラは姫さんで埋まってるから腹いっぱいなんでご退場願いたい。姫さんとは違う意味でSだよ。局長がMだから駄目なのか? って、うおっ。
「……近くありません?」
いつのまにか目と鼻の先にジンさんの顔があった。俺はドン引きしつつ、そっけなく言葉を放つ。
「先ほどの女性を口説いていた時と同じ距離感なんだが、不満かな?」
「いや、あんた男でしょ」
野郎と至近距離で見つめ合う趣味なんて俺にはないからな。俺の趣味は年上の女の子だ。同い年も可。年下と野郎は対象外だっての。
「だが、口説くのならこれくらい近いほうが意識してもらえるだろう?」
「は?」
「なっ!」
思わず動揺してしまった次の瞬間、突然身体が重くなった。俺は慌てて風を出し、下がりそうな頭を強引に上げさせる。視界の端では異常事態にも気づかずにへこみながら部屋を出て行く局長と、魔法陣を出そうとしている姫さんの姿が映った。多分、俺の周辺にだけ起こっている異常だ。
「っ、随分な口説き方があったもんですね。これじゃあまるで獣を屈服させようとしてる猛獣使いみたいじゃないですか」
「あながち間違っていないと思うよ。僕は、君のように優秀な人材がミス・ノアイユの下で奴隷のように扱われているのが我慢ならないんだ。……見たところ魔力がさして多いわけでも、とびぬけて優れた何かを持ってもいないみたいだね。それなのにこんな破壊魔とペアが続けられる男なんて、滅多にいない」
ジンさんはうっとうしそうにネクタイを緩めつつ、穏やかに言葉を紡いだ。その間も身体がどんどん重くなっていく。
くそっ。魔法だって分かってるのに抜け出せない。なんだこの魔法。
「だからさ、ユウキ」
俺はぎょっとした。いつのまにかジンさんは俺の風をくぐりぬけていたからだ。ざっくりと肌を切り刻むのを気にした様子もなく、朗らかに言葉を続ける。
「俺が君を支配してみせるよ。覚悟しておく事だね」
いや、本当になんなのこの人。いや、マジで。
「何してんのよ。この変態があああっ!!」
未知の生物に出会ったような俺の衝撃は、更なる衝撃に文字通り吹き飛ばされた。鬼のごとき叫び声と雷鳴に、ワンテンポ遅れて姫さんの仕業だと理解する。
「ごふっ!」
そして無残にもベットから転がり落ちた俺に、もはや懐かしくもある感触が駆け抜けた。
「この私の目の前で人の私物を奪おうだなんて良い根性してるじゃない。お前も、ゴミ虫のくせに何をいいようにされているの。私に跪きなさい!!」
「もう頭踏んでますよ、姫さん……」
気配から、俺は姫さんとジンさんが激しく睨み合っているのを感じた。
ああ、まだ福永の変での事は何も解決していないのに。俺はまだまだ傷心中の身の上だっていうのに。
「君は本当に僕の邪魔が好きだな。ミス・ノアイユ」
「気安く呼ばないでくださる? 薄汚い泥棒風情が」
新しい波乱は、どうやら俺が立ち止まるのが許せないらしい。
新たな謎。新しい出会いが、俺達の日常にまた影を落として行く。
それを多分、俺達は「始まり」と呼んでいたんだ。