福永の乱・後編
私は、思わず叫びだしそうな感情を根性で抑えていた。自分にはこういう役回りは向いていないと心の中で傍にいないクズに不満をぶつける。そのクズにそうした行動を取らせたのは自分で、気配や爆発音でそれとなくいくら待っても戻ってこない理由は察していたが、そんなものは全く関係のない事だった。
どうして肝心な時に傍にいないのよ、あのバカは。
「カレン様っ! 今この町では何が起きているんですか!?」
「カレン様っ! 私の息子の怪我の具合を診てやってくださいませ!! 酷く泣いて手が付けられないのです」
「うえええええんっ!!」
「ああ、しっかりおし。泣かないで……」
「死ねっ! ミールの手先めっ!! 我らの聖戦を貴様ごときが阻んでいいとでも思っているのか!?」
四方八方から次々にぶつけられる声に苛立ちが募る。とりあえず明らかに私に敵意を持っている声の主は軽く雷を落として屠ってやった。醜い悲鳴が上がり、人々の顔に浮かんだ恐怖と怯えにうんざりする。
「落ち着きなさい。今の貴方達を理由もなく攻撃などしません」
今私の目の前にいるのは、先程まで黒マントを被り、私の手を煩わせた者達。操られていた福永の民だ。私とあのバカの共同作戦が上手く行き、福永の民にかけられた魔法が解除されたのを察知した私は、大幅な魔力の消費を防ぐために一旦彼らの行動を縛る戒めを解除した。多少のパニックは覚悟の上だったけど、非常事態に魔法を使えなくなるよりはマシだと思った。それに、あのアホ面を下げてへらへらと笑うろくでなしは口が上手い。あの程度の雑魚にそうもたつくわけもないし、戻ってきたら後処理は任せよう。
……そう思っていたのに、私の思惑は外れている。
「け、けどお。カレン様。私らには何がなんだか分からんのです。皆、気が付いたらあんな趣味の悪い黒いマントを身に着けて街中に立っておりました。ミールの方がいらっしゃったので救われたのだという事以外、本当にさっぱりなんです」
「本当に、どうしたらいいのか。また知らない間にこんな事が起きたらと思うとっ」
「起きないわ。私達が責任を持って犯人を捕まえ、二度とこの町に手出しができないよう取り計らうと誓いましょう。だから、」
「カレン様あっ!!」
私に纏わりついている暇があったら少しでも安全な場所に各自避難しなさい。と言おうとした言葉は遮られる。期待に満ちた目が私を求めている。皆不安で仕方がないのだ。気が付いたらエルドラドに操られていたなんて、自分ですら信じられないくらい怯えて、唯一信じられる私に、ミールに縋っている。
分かってる。これは当たり前の反応。それに応えるのが私の義務。
「ひいっ! なんだあれ!!」
「悪魔、本物の悪魔の仕業だっ!!」
その言葉に私はわずかに眉根を寄せて魔力の発生源へと視線を向けた。
「あれは……氷魔法? しかもあんなに高度な」
遠目からでもはっきりと分かるくらいたくさんの氷の刃が宙に浮いているのが見えた。魔法自体は珍しくもないはずなのに、すっかり福永の民達は怯えてしまっているようだ。いくらなんでも「悪魔」は言い過ぎではないかしら。確かにちょっとおどろおどろしい魔力を感じるけど、
「っ!?」
いいえ、待って。何よこれ。
「カ、カレンさま?」
目を見開き、驚愕の表情を浮かべる私に驚いた誰かの声がする。だけど、そんなものに構っている余裕はない。無くなった。この魔力は可笑しい。さっきの雑魚の魔力がとうに消えているのは知っていた。別の敵と対峙しているのもなんとなく気が付いていた。だけど、今の今まで私は気が付かなかった。その敵の尋常でない魔力と、その禍々しい気配に。そして、同時に感じたのは弱まる気配。慣れ親しんだ、私の良く知る魔力だ。読み違えるはずがない。一瞬景色が遠のきそうになった。
まさか、あいつが、あのバカが押されているとでもいうの?
「……まずい!」
「お待ちください、カレン様!! いったい何が起きたのですか!? 我々を見捨てないでくださいっ!!」
「っ道を開けなさい! 今私が行かなければ、貴方達も助からないのよ!!」
「ひいっ! もう操られるのは嫌だ、嫌だあああっ!!」
「お願いです、カレン様!! 置いて行かないで!!」
「っ何をバカな真似を!」
走り出そうとする私の行く手を、次々と福永の住民が塞いでいく。私の邪魔をしないで。私が行かなくて誰があいつを助けてやれるか言ってみなさいよ。
ああ、パニックが止まらない。面倒くさい。ちょっと手荒だけどこいつら全員眠らせようかしら。これ以上私の邪魔をするなら、いくら非力な被害者だからって容赦しないわ。
「ズワールテクラハトゥ」
けれど幸か不幸か、私の強行突破がなされる前に事は済んだ。
「な、何これっ?」
「身体が……重い」
福永の民が戸惑いながら、為すすべもなく地面に膝をつくのを見て、私は無意識に顔を歪めていた。この魔法には見覚えがある。私はあまり使わないけど、ある時期はしょっちゅうこの光景を眺めたものだ。そしてこの魔法を使える人間を私は自分以外に一人しか知らない。
「……随分と手荒な真似をなさるのね。いつも私の事を罵るけど、人の事は言えないんじゃない? オランヌの副官殿?」
「ははは。君には負けるよ。ミス・ノアイユ。僕がこの魔法を使わなかったら君は一体彼らをどうしていたのか、正義の味方としてはあまり想像したくないね」
「ふん。遅れて来たくせに口だけはよく滑る事。口だけの男はこれだから駄目ね」
私は敢えて視界の端に映る申し訳なさそうなモリカワさんにだけ視線を向けながらこの男を詰ったが、にこにこと微笑みながらこいつは私の視界を遮った。ああ、うっとうしい。
「……何かしら」
このエセ爽やか男がオランヌの副官、ジン・トホーフトじゃなければと私は何度考えたか分からない。大嫌いだ。この男の全てが。そしてこいつも、私の全てを憎んでいる。
「いいや? 君は相変わらずミールにふさわしくない人間だと思っただけだよ。少しも変わっていない」
「あらそう。そんな一個人の感情なんてどうでもいいわ。私は急いでいるの。どうせあなたは私にこの場を任せられないと思っているんでしょう? 早く私の前からどきなさい」
モリカワさんには後でお礼を言おう。こんな性格最悪な外面男とはいえ、仕事だけはできる助っ人には違いないもの。こんな事をしている時間がもったいないわ。早くしないとよく分からない強敵にあのバカが殺される。
「……ああ、そうだ。僕は君の全てがミールに所属するのにふさわしくないと思っている。なぜなら」
「うるさい、いいからどきなさい!」
御託なんて要らない。敵を逃したら、うっかりあのろくでなしが死んだらどうしてくれるの。突風を吹かせ、強引に道を切り開く。ほんの僅かに動揺を見せた男を尻目に、空を駆けながら私は宣言した。
「私は私の想いのままに動く。それが私の正義よ。あなたのくだらない正義を押し付けないで!!」
そして私は、猛スピードで空を飛んだ。早く、早くしなくちゃ。こんなつまらないところで死んだりなんかしたら、絶対に許さないんだから。バカ。
「……は、ははっ! お前どんだけバカなんだよ。サイトウユウキィ!!」
血の滴る音も聞こえるくらい静かになって、先にその静けさをぶち壊したのはフョードルだった。だらりと一筋、額から鮮血を流し、息を荒げて吠え立てる。
「俺に魔法解除させるためだけに、お前いくつ俺の技を受けたよ? ああ!?」
「死んでねえ、……ぞ」
「はあ?」
生きてる。俺は生きている。
「ははっ。俺の……っ勝ち、だ」
コンクリートに座り込んで唸る俺は、かなりかっこ悪かった。だけど嘘じゃない。俺の勝ちだ。だってそうだろ? 俺は最初から、自分一人では勝てないって分かってたんだからさ。
そりゃ、できる事ならこんな状況にはしたくなかったけど。
「お前、まさかっ」
俺の言葉に初めて、フョードルは焦りの表情を見せた。
「んだよっ! せっかく面白いところだったのによおおおっ!!」
「私に跪きなさいっ! この下衆があっ!!」
俺とフョードルの間に現われたのは、猛々しいたった一人のお姫様だった。
「てめえはっ……!」
フョードルの表情から余裕が消える。すぐさま張った氷の壁は猛烈な雷に敢え無く沈み、光を帯びて横たわった。俺はそっと息を吐き、こんな事ができる俺の唯一のパートナーを見つめる。
「お前が今回の騒動の黒幕ね。おとなしくした方が身のためよ。……随分とそこの無様なバカをかわいがってくれたみたいだけど、私はそうはいかない」
「姫さん……ありがとう」
「お前があんまりにも遅いからよ。何ぐずぐずと卑しいエルドラドの奴にやられてるの」
背中を見ているだけでどれほど姫さんの感情が昂ぶっているのかすぐに分かった。いつもなら俺のために怒ってくれて嬉しいと喜びを表している場面だが身体が動きそうもない。そして流石にこれ以上のダメージは危険だ。
「ははははっ! マジかよ!? まっさかこんなちんけな作戦如きで本当にお前が釣れるとは思わなかったぜ!! 最上の魔女さんよお!!」
「うるさい。その醜い口をこれ以上開くな」
「は? 知るかよ。何ムカついてんのは自分だって顔してんだ? 俺だってよお」
一瞬で辺り一面が氷塊に覆われた。機嫌よく笑っていたのかと思えばすぐに醜悪な顔で杖が振り下ろされる。
なんだこの魔力は。こんな技使う体力がまだ残ってたのか? 化けもんだろ。あー、ちっとも削れてない体力見せつけられるとか萎えるよな。
「邪魔されてすっげえ、むかついてんだよっ! 死ね!!」
ま、それでも結果は見えてるか。
「はっ!」
姫さんが召喚した炎の壁が氷の激突を阻み、大量の水蒸気で景色を濁った白色へと変えた。フョードルが遠くでやっぱりと納得しているのが聞こえる。姫さんはまるでとても見通しのいい大通りにでもいるかのようなスピードで左の方へ走った。フョードルの四方からの氷の矢を艶やかにかわし切ると跳躍し、数えきれないほどの雷の矢を水蒸気に包まれたこの場に降らす。
「あっ、ぶねえ」
俺は動かない身体に鞭打つようになんとか水蒸気から脱出した。一応俺を助けに来てくれたと思われるのに遠慮のない姫さんの攻撃で余計なダメージを受けそうだとこれまでの経験で悟ったからだ。
雷鳴や水音、風を切る音が幾度となくはじける。お互いものすごいスピードで移動しているようだ。近くにいるだけで肌に殺気が突き刺さる。
すげえ。姫さんについていける奴は久々に見た。マジでここ亜須華国内なんだよな? ミールの防衛力が低いのか敵の力が強いのか判断に困ってしまう。ふがいないよな、本当に。
「ちっ。氷風!」
視界の封じられた中での戦いは姫さんに有利に働いていたらしく、フョードルの魔法で生み出された氷交じりの暴風が水蒸気を吹き飛ばした。暴風を受けた建物がすっぱりと切られ、崩壊したのが視界に映る。姫さんは軽やかに後方へ下がることであっさりと躱してみせたが、俺だったら何発か食らっていたに違いない。視界を開くためだけにその威力はいらないだろ。
「……全ての属性魔法を扱える天才、ってのはマジだったらしいな。攻撃が当たらねえ当たらねえ。俺は楽しく遊んでただけだってのに、とんだ邪魔が入ったもんだ」
「当たり前じゃない。お前のような卑しい存在に傷をつけられるほど軟な鍛え方はしていないのよ」
「らしいな。お前と遊ぶのはちっとめんどくさそうだ。マジでやるのはあんま好きじゃねえんだよなあ」
その言葉に俺と姫さんは同時に眉を顰めた。はったりか? まるで今まで本気じゃなかったみたいな言い方なんかしやがって。
「はは! そのわけわかんねって顔マジでウケるぜ!! 俺が怖いか? なあ?」
「っそんなわけないでしょう。今すぐ塵にしてやるわ」
わかりやすい挑発にあっさり乗った姫さんは高く飛び上がり魔法の詠唱を始めた。足元で魔法陣が光輝き、おびただしい魔力が集約するのを感じてうすら寒い。
「はあ……。やっぱお前と遊ぶのはめんどくせえよ。カレン」
「お前っ」
フョードルは大げさにため息をつき、にやりと口角を上げて俺を見る。血しぶきで彩られたそいつの姿に、俺は思わず威圧されかけた。
「サイトウユウキ。お前の方が遊ぶのに丁度いい」
なんだ?こいつは。いや、そもそもこいつは何で姫さんが来てから一度も俺を狙って攻撃してこないんだ?
さっきまで確かに、俺を殺そうとしていたはずなのに。
「……ま、せいぜいこれからもガンバってくれよ? 」
「な、」
「吹き飛びなさい! フラム・エクスプロジオンッ!!」
俺が問いただそうとした瞬間、姫さんの生み出した炎がそれを遮った。真っすぐにフョードルへと飛んでいく魔法陣は、同じくフョードルがとっさに発動させたらしい深い青の魔法陣とぶつかり、激しく火花を散らす。が、それも一瞬だ。姫さんがわざわざ詠唱までした魔法陣はそう易々と防げない。あっという間に飲み込まれて、原形を失くしていく。
フョードルがそれを狙ってやったと分かったのは、すぐだった。
「あー、やっべえなあ。おい!! 俺じゃなかったら死んでたんじゃね?」
「っいつのまに!」
大技を放った姫さんの隙をつき、フョードルがひらりと宙を舞っていたからだ。俺がつけた傷以上のものは見当たらない。姫さんの攻撃は全部回避されてる。最初から姫さんとは本気で戦うつもりはなかったって事かよ。始めから逃げるために動いていたなんて、いかにも好戦的そうなフョードルからは想像もしなかった。ぞわりとくるものがある。仮にも幹部。敵地での在り方はちゃんと身に着けてるってわけか。
「また遊ぼうぜ! サイトウユウキ!! 今度はもっと楽しい遊びを期待してるからせいぜい楽しませろよお!?」
「待ちなさい!」
姫さんがすぐにフョードルめがけて雷を落とした。だけど無理だ。完全にこの場を立ち去る気でいるフョードルは分厚い氷塊を盾に物凄いスピードで遠ざかって行く。
「姫さん、深追いはダメだ!!」
「離しなさい! 今追わずにいつあいつを追い詰めるって言うの!? あいつはエルドラドの幹部なのよ!!」
姫さんの腕をつかみ引き寄せると、うっとうしそうに払われた。俺はそれでも諦めずにもう一度姫さんの腕を取る。
「だからこそです! これ以上被害が広がる前に逃亡させられただけで十分なんです!! 深追いしてせっかくこっちに残った実行犯まで奪われたら何の手がかりも得られない!!」
「だけど!!」
姫さんの気持ちはよく分かる。俺なんて散々バカにされてオモチャ扱いだ。これで怒るなって方が無理がある。だけど、俺はそれよりも。
「姫さんを一人であんな頭おかしい奴のところに行かせられないんです!! お願いします!!」
くそっ。さっきフョードルにやられた傷からの出血が止まらねえ。しかもなんか視界が悪くなってきたし。
ここは短期決戦で行くしかない!!
えーと、えーと、なんて言えば一番姫さんに効果的なんだ、っと。
「今は俺と一緒にいて!!」
「……っ」
あ、やば。ミスった。
姫さんの顔がうっすらと赤く染まるのが見えた。やべえよ。これめっちゃ怒ってる時と同じ反応なんだけど。なんとか挽回して姫さんを止めないと。
「うっ」
だけど俺の体力はすっかり底をついていたらしい。一度自覚したらズルズルと落ちていく意識を保つすべはとてもなく、あっという間に身体が地面へと崩れ落ちていく感覚だけがはっきりしていた。
「ち、ちょっと!」
ああ、俺めっちゃかっこ悪い。
福永の乱の終幕は、そんな後味の悪い感覚だけを残していった。