落花
腕を掠めた痛みに息を吐く。バルトロメイの手元に大きな弓矢が携えられているのが見えた。私の弾はバルトロメイの左足を掠めたようで、じわりと布が赤く染まりだしている。その顔色は驚くほど変化がないが、警戒が強まったのを感じた。私の方が彼に脅威を覚えずにはいられないというのに、厄介な男だ。驕らない強者以上に恐るべき敵はいない。
「――――」
バルトロメイが何か短く詠唱すると、たちまち私の頭上を雷や炎、疾風が降り注いだ。私は右に飛びずさり、避け切れなかった魔法は手で触れることで握りつぶす。全てを無効化するのは無謀だ。できなくはないが、その隙を狙って矢でも放たれたら目も当てられない。私が消すのは魔法。バルトロメイはこの事実を、きっとしっかり心に留めている。
「毒蛇の矢」
「させるか」
向かい来る矢に照準を合わせ発砲、マシンガンで追撃する。バルトロメイは器用にも塀の後ろに下がることで全攻撃を防御した。私は素早く周囲へと視線を滑らせる。森川君が幽閉されているであろう建物を守る塀は高く、何の補助もなく登るには少々時間がかかりすぎそうだ。私の背後に広がる海はどこまでも深く、一時撤退したところで狙い撃ちされる状況が悪化するだけだった。塀の傍は更地で、物陰など一切ない中遠距離戦闘者に不利な条件の目白押し。唯一活路を見出せそうな森が遠くに見える。私と似た状況に陥った者達が一目散に目指しそうな立地だ。わざとそう設計されているとしか思えない。それでも高所から狙い撃ちされるだけの現在地よりはマシだろうが。それほど劣悪な条件で戦っているともいえる。
「……やはりか」
私が考察している間に、バルトロメイもまた私を考察していたらしい。塀の上に舞い戻ったバルトロメイは、確信を持った様子で呟いた。
「“虚無”の効力を弾丸に付与するとは、実に恐ろしい才能だな。貴様一人が戦場に出るだけで戦局を変えられかねない。ダリアは何故火中の栗を拾うような真似をしたのか、まるで理解できない」
「私は出来損ないだからな。あなたのように魔法に愛されなかったから、その分必死にもなる」
私のどこに才能があるのか、誰か教えて欲しいものだ。自分の魔法を無機物に付与するくらい、亜須華国では年端も行かない幼子でさえ出来る事だ。付与を体得するだけで五年以上の月日がかかったのは私くらいのものだろう。
謙遜か嫌味なのかは知らないが、私にはバルトロメイの召喚魔法の方が余程恐ろしかった。エーゼ島に渡るまでに倒した魔物は五十体以上に及ぶ。しかもバルトロメイは、私の動揺を誘うためだけに召喚を繰り返し、今も時間稼ぎなどのために魔法攻撃を召喚した。召喚魔法は魔力の消費の激しい技だと聞いている。だがバルトロメイは次から次へと召喚をしておきながら、少しも息が乱れていなかった。膨大な魔力量と、それを操る技術。今まで表立った活躍を聞いた事がないのが不思議で仕方がない男だ。
「努力を重ねた天才は、言う事が違うな」
「あなたに言われても喜べない」
私は空中に向けて特殊弾を打ち上げた。バルトロメイが警戒して更に距離を置いてしまう。
「撃ち落としてもらおうというのは、些か無茶だったな。……付与」
弾が地面に着地するまで後三秒。その瞬間に私は森に向かって走り出した。バルトロメイは当然矢をつがえたのを感じるが、支障はない。ボフンと間が抜けた音を立てて特殊弾が四散する。最も、仰々しい名前に反して大した効果はないんだがな。私の魔法を後付けしたただの煙玉のようなものだ。
「……園枝!」
しかし、わざと目の前で魔法付与を行ったのは功を奏したようだ。私は余裕をもって森へ飛び込む事に成功した。煙幕を張ろうとも矢が降ってくるような事態は最悪覚悟していたが、うまく勘違いをしてくれたらしい。別に私は召喚魔法で呼び出された全てのものを魔法であるとして消す事ができるわけではない。召喚獣や魔法攻撃を消せていたのは、それが魔力の塊に過ぎなかったからだ。例えば弓矢が召喚され、風魔法をブーストして私に向けて放たれたとしよう。私は付与された風魔法はともかく、弓矢そのものを消したり、その勢いを殺す事はできない。物理攻撃の前に、私の能力は無力だ。なんとか海上をほぼ無傷で制したかいはあった。
私は念のため、森に虚無の魔法を発動させる事にする。流石に全ては無理だが、これで森内部に仕掛けられていたかもしれない罠の発動は粗方阻止できたはずだ。残りの、原始的な仕組みの罠に関しては、自分の力を信じたいと思う。
「今のうちにやるか」
まだバルトロメイの気配は遠く、攻撃に移る気配はない。恐らく煙が晴れるまでは持つだろう。たったそれだけの猶予しかないとも言えるが。
私は森を駆けた。そして目的だった、森の中でも塀と隣接する一点を見つけ出す。腰のポシェットからもう一度魔法陣を取り出した。マシンガンを呼んだものとは別の魔法陣を刻んだ紙だ。詠唱する。魔道具の進化は実に素晴らしい。本来こうした魔法が使えないはずの私でも、言霊やら魔力そのものを鍵にする事で望んだものを呼び出す事が叶っている。これからも世話になりそうだ。私は呼び出したそれを一寸の狂いもなく塀に設置し、距離を取った。バルトロメイが森に足を踏み入れようとする気配はない。だがそれでも、何をしているのかすぐに気取られる可能性は否定できない。なにせ彼は、そんな厄介な性質を抱えた男だとほんの数分の邂逅で思わせる男なのだ。
まだ太陽の光が眩しい頃合いといえど、森内部は視界が悪かった。しかしさほど広くはない。バルトロメイならば私が発砲するだけでおおよその現在地を特定するだろう。深呼吸する。先を急ぐ時ほど冷静に。私は弾を補充しつつ、相手の出方を窺った。
「……仕方ない」
バルトロメイがそう口を動かしたのは、煙幕が晴れてすぐだった。流石にはっきりとは見えなかったが、そういう雰囲気というものは多少距離を置いていてもわかるものだ。
「っ」
刹那、塀の上に仁王立ちし、荒々しく瞳の奥を揺らす彼の姿に戦慄が走った。バルトロメイの足元で魔法陣が輝き、一本の矢がこちらに向けて放たれる。
その矢は炎を纏い、飛んでいる間に何百、何千と数が増えていった。幻影か本物か、とても判断できないほどの数と精度。私は素直に畏怖の念を認めた。恐ろしい。増えた矢が全て幻影だとして、どうやってその一本の本物を見つけ出せばいいのか。無理だ。そんな事をしている間に森が燃える。
私は一際大きな木の幹に身を隠し、広範囲に虚無の魔法を発動した。炎はあっさりと消えるが、矢そのものにはまるで効果がない。全てが本物だった。またしても腕のすぐ傍をいくつもの矢が流れて行く。冷や汗が首筋を伝った。なんて力業だ。
今の攻撃で私の位置は割れただろう。広範囲魔法といえど、それは私という核を中心に広がっていく。バルトロメイは確実にそれを狙っていたとしか思えなかった。四方八方から飛んでくる矢に対処しきれず、私の手から漏れ出た木々が燃えている。流石にきっかけがバルトロメイの魔法とはいえ、もう自然発火している状態だ。私はこの炎を消す事はできない。
「魔力量……火力はあちらが上か。もう一度あんな技を使用されては完全にこちらが不利だ」
私は覚悟を決め、マシンガンを構えた。私は銃、バルトロメイは弓矢が互いの獲物だが、そこに魔法が合わさって中距離戦を繰り広げている現在、私が後手に回っている。高低差はじわじわと首を絞め、選択肢を狭めていく。木々の間をジグザグ移動しつつ攻撃を仕掛ければ、バルトロメイは塀の背後に潜み、こちらが攻撃を喰らうばかりだ。
そう。あの塀が、この距離が邪魔だ。決して近づかない絶対の距離が。バルトロメイを倒すためには。
「……良かった。あなたは私が思った通りの人だ」
時間は稼げた。私がそっと零した言葉の直後には爆発音が轟く。バランスを崩したバルトロメイの身体に二、三発撃ちこみ、爆発の音源へと急いだ。何と言う事はない。設置しておいた爆弾が、予定通り塀に穴を開けただけだ。二メートル四方の小さめな穴が鼠色のコンクリートをくり抜いているのを見て、私は安堵するのと同時に残念にも思った。いっそ広範囲に爆弾を仕掛けられたらという欲が出なくもない。
真横から飛んできた気配に大きく後退し、木の影に隠れる。焦ったバルトロメイが距離を詰め、続けざまに放った矢が深々と地面に突き刺さった。バルトロメイはやや不安定になったとはいえ、高所から飛び降りるといった真似はしてくれなかった。しかしその距離は先ほどまでとは比べ物にならない。戦いやすさは段違いだ。
「普通」
バルトロメイが喘ぐように言う。
「普通、俺を無視して先に進もうとするか? 貴様等は俺達を倒さなければならないんだぞ。何故自らの首を絞めるような真似をする!?」
「慎重で確固たる意志を持つ男に、わざわざ正攻法だけを使って挑む必要があるか」
私は嘲笑った。私は弱者だ。たった一つの、至極扱いにくい厄介な魔法を身に宿し、武器を手に取り、常に相手を出し抜く事を考えなければ生き残れない。
バルトロメイは敵である私にも敬意を払い、たった一人で立ち塞がる純然たる戦士だ。私を見逃し、背後を狙えば楽なのに、自身の消耗を減らせるのにそれをしない。少し羨ましく思った。それがまかり通るような圧倒的戦力が、私にもあったなら良かったと。
「買いかぶらないでくれ。私は唯の、ただの、兵士だ」
今度は正面から突撃する。塀に鍵縄をひっかけるのと同時に銃弾を浴びせれば、バルトロメイは反射的にといった様子で防御に回った。身体が背後に消えたのを確認し、私は隙を見て塀を駆けのぼる。流石にこの行動は見逃されず、バルトロメイは私の無防備な頭上から何本もの矢を降らせた。拳銃で叩き割るなどして急所は防ぐが、それでもいくつかは私の身体に刺さってしまう。構わず突き進めば、バルトロメイの大きく歪んだ顔が見えた。苦渋の顔だ。
ああ、もう私の狙いを理解してくれたのか。
「貴様のその振る舞いは己が身を滅ぼすぞ、園枝」
バルトロメイの身体が宙を舞い、私のすぐ隣へと現れた。
「貴様はーー…最悪だ」
まさか、と言い返す間もなく鳩尾を蹴り落され、私の身体はあっけなく地面へと落下した。受け身を取ろうとする私の脇腹に深々と矢が射られ、呻く。それでもなんとか立ち上がれば、決然とした表情でバルトロメイが地に足をつけたところだった。心から私は告げる。
「感謝する。あなたの清廉な精神に」
「勘違いするな。俺は貴様の戦略に乗せられた愚か者だ」
言葉が途切れ、私達は睨みあう。
その数瞬は、とりわけ長く感じられた。
「………」
「………」
「……っ」
「っ、」
先に仕掛けたのは私だった。走り寄り、首元を一直線に狙えば、バルトロメイは一歩下がり、私の腹部に拳をねじ込もうとする。左手でその拳を受け止め、力を流せば、続けざまの蹴りが容赦なく私の右足にぶつかった。重心がぐらつく。私は小さく息を吐き出し、掴んだままのバルトロメイの左手をぐいと引き寄せた。お返しとばかりに膝頭で鳩尾を強打し、横ざまに右腕で弾き飛ばす。体勢を崩したバルトロメイだったが、地面に倒れ伏す事もなくその場に留まり、私と距離を取った。超至近距離戦闘特有の、荒っぽい命のやり取りに背筋が痺れる。
「もう少し体術はできない事を望んでいたのに」
「戯れ言を。貴様こそその本職泣かせの動きはなんだ」
「そう素直に称賛されると居心地が悪いな。私は唯、あなたを倒すにはこれしかないと考えただけなんだが」
「……そうか」
そうだ。考えた。私と同じようで似ていない戦闘スタイルを持つ眼前の男に、しっかりと勝つ方法を。答えはすぐに出た。私がバルトロメイに純粋な勝負を挑めばいい。それは呪いのような衝動だった。数多の命を背負って戦う弱者にしては、少しばかり無責任な答えだ。だが私は、この愚直な男には誠実であるのが一番だと思った。今の手応えからそれは間違いではなかったと伝わってくる。何より惜しかった。かつての自分と重なるこの男を、私の手で、ちゃんと打ち負かしたい。
「何故、貴様は……っ」
バルトロメイが私の目に何を見たのかはわからない。知る前に引き金を引いた。鉄錆じみた臭いにまた心が沸く。
ついに私の弾丸が堪えたのか、バルトロメイは片膝をずるりと地面に着いた。何故か私の手から銃が離れていく。不自然な風は、バルトロメイの仕業だった。召喚獣が私の銃を飲み込み、すぐに消える。魔力のギリギリだったのか、それとも作戦なのかは微妙だった。
「バルトロメイ」
彼の沈黙に私は応えた、応えたかった。バルトロメイの真上から拳を振り落とす、もろに私の攻撃を受け止め、バルトロメイの身体は悲鳴を上げた。視線が絡む。瞳の奥の熱が伝搬し、弾けるような感覚が駆けまわる。
「ご苦労だった。しばらく休め」
「嫌な男だ、貴様は」
「違いない」
バルトロメイが差し出した喉元を、私は強く強打する。
こうして、私とバルトロメイの戦いは静かに幕を下ろした。
「あらぁ、バルったら倒されちゃったわね。……ふふ、意外。あの局長さん、バルを殺しもせずに先に進んじゃうのね。『ゲーム』の趣旨をよおく理解しているみたい」
聡士とバルトロメイの戦いを見届けたダリアは、愉快そうに喉を鳴らしていた。自軍の幹部が崩されたと思えないほどの余裕ぶりだ。
「そうよ。殺したらミールの評判はがた落ちだもの。倒さなきゃ。個人的にはそれはそれで美味しいけど、あまり簡単過ぎるゲームはつまらないわよね」
紅のドレスが艶やかに揺れる。ダリアは傍らで眠っている真奈美を愛おしそうに撫でた。エーゼ島のそこかしこであがる悲鳴も知らず、真奈美は眠り続けている。彼女たちを守る古びた建物の内部は静寂に満ちていた。
暗く、昏く。太陽はゆるりと遠ざかる。
「ねぇ、マナミ。聞こえる? 貴女の死を告げる音が。……やっぱり貴女は、まだ彼を信じているのかしら。好いた男が幸福をもたらしてくるだなんて、まやかしなのにね」
映写機の中で踊る彼らは、皆前へと進んで行く。全てダリアの予想通り、思い描いた結末なのだと、彼らは誰も知る由はない。
『〇五:一七』
また、時が動く。ダリアは堪えきれず声を漏らした。可笑しくてたまらないとでも言いたげに。
何故か、――――を帯びた声を。
「あぁ、アーサーの戦いも終わりそうね。次の段階に進まなくちゃいけないわ」
真奈美を一人残し、ダリアは軽やかに立ち上がる。残された映写機の中では、ジンがたった一人で、一軍隊と戦っている姿が映し出されていた。
傍観者は静かに舞台を選ぶ。真意は海の底。情念だけをその身に宿す。
「もおっと遊ばせてね? ミールの素敵な精鋭さん」
その言葉を聞く者はいない。
ダリアは進む。その希望を、摘むために。