繊月
カチコチカチコチ………カツコツカツコツ。
「…………」
カチコチカチコチ………ばっ!
「……。………」
―――カツン、コツ。カツコツカツコ、
「っうっとうしいのよ! 何時間やってるのよそれ!! おとなしく座ってなさい!!」
「うぐっ!? す、すみません。姫さん」
俺は姫さんに蹴り飛ばされた先にあった椅子の上で、そわそわと視線を上げた。時刻は十時五十分。緊急用のサイレンはまだ鳴らない。報告に走る構成員の声も、扉を開く人影だって、まるで見当たらない。
「だから、長々と時計と扉を見比べてため息をつくのはやめなさいと言ったのよ。昨日の不敵な笑いはどこに行ったのよ。本当に情けないクズね。まさか一晩で全て忘れたって言うなら、鳥頭もいいとこだわ」
「いや、そんな不安になってるわけじゃないですよ! ただ、早く真奈美さんを助けに行きたくて。……すみません」
真奈美さんとダリアが入れ替わって約三日が過ぎた。その間にエルドラドが真奈美さんをどう扱っているのかなんて想像もしたくない。早く助けに行きたい。昨日の夜から時間が過ぎれば過ぎるほど、そればかり考えた。
もし俺が、もっと早くダリアに気づけていたら。どうしてあの夜最後まで見送らなかったのか。後悔だけが、いつも俺を責めさいなむ。
『勇樹』
「……真奈美さん」
焦るな。焦るな。大丈夫。俺は一人じゃない。必ず救い出す。絶対だ。
ああ、でもきっと真奈美さんは、俺が間に合わなくったって笑って許しちゃう気がするのが嫌だな。どうして、もっと自分のことを大事にしてくれないんだろう。そんなつもりはないのも、知っているし、結局俺が頼りないだけなんだろうけど。
へこむなあ。姫さんに吹き飛ばされた不安とはちょっと違うネガティブな気持ちは、残念ながら消えることはなさそうだ。
「そんなに」
「意外だな。君がそこまでミス・モリカワに入れ込んでいるとは知らなかったよ」
俺はその声に驚いて立ち上がった。
「ジンさん。なんであんたがここに?」
「なんで、か。僕がこんな非常時に支部へ戻る腰抜けだと思うかい?」
ジンさんは心外だと軽く眉を吊り上げた。俺が昨日この人にぶつけた言葉なんて、まるで意にもかけていない様子だ。
「そんな風に思ったりはしませんが」
「ああ、その通りだ。僕は何があろうとも己の感情に振り回されて責務を放棄する事はない。どこかの子供には、到底理解できないだろうけどね」
「誰が子供よ。部外者が堂々と居座る気なのかしら? 図々しい男ね」
「おや失礼。僕は君を名指しで呼んだつもりはないんだが。少しは自分のことが分かっているようじゃないか」
姫さんとジンさんの間に火花が散った。俺は完全に置いてけぼりだ。
え、つうかマジでなんだこの状況。何かいつも通りの流れなんだけど。俺が真面目に真奈美さんについて考えたり、ジンさんに悪いなあとか思ってナイーブになってるのは珍しいんですけど。とりあえずちょっとは緊張しろよ、あんたら。何ファイティングポーズ取ってんの。
「……ユウキ。憶する事はないよ。ミス・モリカワの事に一番早く気がついたのは君なんだろう。他の誰も気づけなかった事実に君が気づけたから”今“があるんだ」
「いや、えっと俺別に怖がってはいないんですけど。それよりジンさん、昨日は」
「君がミス・モリカワのために感情を揺らすのを見るのは実に楽しいな。ミス・ノアイユが一人で暴走していた時はとても冷静だったのに」
「聞けよ!」
ジンさんはからかうような口調で姫さんを見下ろしている。俺の主張を聞いてください。そんなあからさまな挑発要らないんで。ほら、姫さんの口元がビクビク震えてるじゃねえか。
「……もしや、君とミス・モリカワはただならぬ関係にあると思っていいのかい? ユウキ」
「……はあ」
俺はそこでようやく気がついた。ジンさんは昨日の夜の言葉を取り消す気がないんだ。謝って終わり、なんて許さない。自分の言葉に答えてみせろと言わんばかりの空気をバシバシ感じる。ドSだ。
『……ユウキ、君の正義はなんだ?』
わかってる。俺はどこかで理由を探していた。ずっと俺の中にくすぶっていた想いの行き先を、見つけなくてすむように。だけど、流石にここではぐらかすのは駄目だ。本当はもう、ずっと前からわかってた。
息を飲み、俺はじっとジンさんを見据え、口を開いた。
「真奈美さんは、俺のーーー……」
鋭い痛みが身体を支配していた。逃れようともがけば、私を縛る鎖が激しく鳴り響き、苦痛が酷くなるばかりだった。悲鳴を漏らす寸前で唇を噛み、堪える。私は、屈するわけにはいかない。
「何よ、その瞳は。本当にムカつく女ね、あんたは」
「うっ」
首を掴まれて上がった視線の先で、紫の髪を振り乱した若い女が、その赤い瞳に燃えるような火花を散らしていた。
もうずっと私は同じ事を繰り返している。この女がエルドラドの幹部を名乗り、私を拘束してからずっと。どうにも私は、この女に個人的に恨まれているようだ。
「どうしてあんたみたいな能無しをディアス姉さんは気に入ったの? あんたよりカレンの方が利用価値は高いのに、ディアス姉さんはちっとも考えを変えてくれなかった! あんたのせいよ!!」
「……あほかお前。”最上の魔女“なんかさらってもすぐ逃げられるのが関の山だろ、レーナ」
「アーサーは黙ってて! この女が姉さんの気を引いたのも理由に入ってるのよ!! しかも全然私に服従しないし。っああ、忌々しいわ!!」
当たり前だ。ただでさえ私のせいでミールの皆に迷惑をかけているのに、これ以上の失態が許されるものか。
「ダリアが他人の色恋利用すんの大好きな悪癖持ちなだけだろー。な、相棒」
「俺がその件に関して言える事は特にない」
「ほら見ろ。いつもの事だって諦めろよ、レーナ。別にその子を堕とす必要もないんだからさ」
アーサーと呼ばれているワシミミズクは、退屈そうにもう一人の男の肩に乗った。どうもエルドラドの幹部と一口で言っても、こいつらは一枚岩というわけではないらしい。
最も、口では咎めつつ静観できる時点でこいつらは皆悪人だ。
「あなた達はそうね。適当にやればそれらしく見えるんでしょう。だけど、私はそれだと駄目なの。ディアス姉さんも仰ってたわ。 やるからには本気で、って。……ああ、流石姉さん! なんて趣深い考え!!」
「もう用済みの子を痛めつけても意味ないだろー? 嫌がらせのためだけに廃人にするとか、すっげえムダな努力じゃん」
「放っておけ、アーサー」
そっけなく言い捨て、男が目を瞑る。その動作が気にかかって視線を向ければ、途端に私の身体を鋭い衝撃が通り抜けた。
「ぐっ……あ!」
「よそ見なんて随分余裕があるのね。次はもっときつくした方がいいみたい」
「ああっ!」
熱い。痛い。なぜ意味もない痛みに耐える必要があるのだろう。やはりこれは、私に与えられた罰なのだろうか。
『真奈美さんと見る月は、いつでも綺麗だから』
あの言葉に、私は喜びと悲しみを同時に味わった。私を追いかけて来てくれて嬉しかったのに。こうも思ってしまったの。
『カレンの方が大切なくせに』
自分でも信じられないくらい悲しくて、たまらなかった。そう仕向けたのは私なのに。
私が、選ばなかっただけなのに。
『貴女の気持ちは、私が使わせてもらうわね。ふふ、どうせ隠しておくだけなら丁度いいでしょう?』
私のせいでミールに迷惑をかけている。それが私の罪だ。今はただ、せめて、耐える事しか、屈さない事しかできる事はない。
「……勇、樹」
頼む。どうか君は、私のせいで傷つかないでくれ。誰も助けに来なくていい。
君は知らないだろうけど、私にとって勇樹は………。
『はあ~い。ミール本部及び周辺地域の皆さんごきげんよう! エルドラド王国第二軍隊長のダリア・ディアスと申します。今からとおっても大事なことをお話しするから、しっかり聞いてちょうだいねえ』
午前十二時きっかり。亜須華国ミール本部周辺では、妖艶に微笑む女、ダリアの姿が目撃されていた。……魔道映写機の中で。
「総務部を呼べえっ! 至急問題点を探らせろ!! 魔道波ジャックだ!!」
「駄目です! 戦闘局からこの放送を妨害すれば人質が危ういとの報告が上がっていますっ!!」
「クソっ、エルドラドの悪魔め!!」
ミール本部は蜂の巣をつついたような大騒ぎだ。ダリアに関する全ての情報は伝達済みだったが、予想の斜め上を行く事態に、みんな動揺を隠せていない。
え、俺?俺がさっきまで一番慌ててただろって?
………。
『先日の福永で起きた争いを覚えているかしら? 我が軍の同志が随分と酷い目にあわされたみたいで驚いちゃったわ。エルドラドとして、これは放ってはおけない事件よねぇ。皆さんだって身内がやられたら黙ってはいないでしょう?』
「先に仕掛けておいてよく言うわ」
俺は姫さんに強く同意した。前置きはいいから早く本題に入ってほしい。真奈美さんはちゃんと無事なのか。ダリアの目的は?
皮肉にも、そう考えた瞬間ダリアは俺に答えた。まるで俺の事を見通しているみたいに。
『ふふ、見えるかしら? あなた達の大事なミールの構成員を奪わせてもらったの。名前はもりかわまなみ。福永でオイタをした主要人物の一人よ』
「……っ、真奈美さん」
グッと拳を握り、俺は力の限り暴れだしそうな衝動を必死で抑えた。遠くで町中を走るどよめきが聞こえる。聞こえるわけがないのに、俺はもう一度真奈美さんの名前を呼んだ。真奈美さんは勿論答えない。もし聞こえていたって、きっと答えてくれない。
ダリアの手に掲げられているのは、見覚えのある紋章だった。天翔け羽と光。ダリアの背後に見えた、床でピクリとも動かない黒髪の女性。
『……うふふ。さぞ悔しがっているんでしょうね。だけど、こんなものでは終わらないわよ? ミールは私達の誇りを傷つけた。もっともおっと楽しませてくれなきゃ、ね。大丈夫よ。まだ生きてる。人質を盾に襲ったりしないわ。ちょっと遊んで欲しいだけだもの』
そこでダリアが画面から消え、別の映像が映し出された。石垣に囲まれた小さな島だ。
『まずはこのゲームのルールを説明するわね。場所はここ。オランヌと亜須華の国境近くにある小さな島、エーゼ。ミール側の参加者は福永でやってくれたミール幹部の四人よ。それ以外が島に入ったり攻撃を加えた時点であなた達の負け。このゲームを受けなければ不戦敗よ。人質の命はないし、亜須華国南部とオランヌ北部が消し炭になると思ってちょうだい。勿論、あなた達が勝てば大人しくエーゼ島からは出ていくわ。ゲームはルールを守らないと楽しくなくなっちゃうもの。……互いに勝利条件は全ての参加者を倒す事、よ。ね、とっても公正で楽しそうなゲームでしょう? だらだらするのは嫌だから時間制限もつけるわ』
ちっとも楽しくない。人の命はゲーム感覚で扱っていい代物じゃないだろう。俺は沸々と湧き上がる怒りを限界まで押しとどめた。まだだ。まだダリアは話終えていない。最後まで聞かなければ命取りになる。それだけは俺にだってわかるんだ。
『一〇:〇〇』
再び画面が切り替わり、そこに浮かび上がっていたのは四桁の数字だった。無機質なそれは、否が応でもネガティブな感情を煽ってくるデザインだ。今頃お茶の間では全ての魔道映写機がこの数字を浮かべているんだろう。小さな子供が見たらトラウマになりそうなくらい不気味だ。
『十時間あげるわ。……早く一緒に遊びましょう?』
ダリアが優し気に笑う。まるで幼い子供をなだめすかし、さらって行く誘拐犯のように。
『〇九:五九』
カチリと、時が擦り減っていく。真奈美さんを救うために定められた身勝手な時間が。
その宣告は、俺にとって長い長い一日の始まりだった。