宣戦布告
「……すまない。どういう意味だ? 君の言いたい事がさっぱり理解できないんだが」
俺の発言に姫さんと局長がフリーズしているにも関わらず、偽物の真奈美さんはそれらしい動揺を少しも見せなかった。やるな。敵地で別人になりすますような奴だから当然の反応か。
「そうか? ついさっきまでは大分へこまされてたから無視してたけど、よくよく考えてみるとおかしいんだよな。真奈美さんにしては変っていうか。ありえないことばかり口走っていたし」
「あのな、そろそろ本気で怒るぞ。ゆーき」
「はい、まずそれ!」
俺は話を長引かせないことにした。こういう手合いはじっくり尋問しちゃいけない。それはその分逃げる猶予をくれてやるのと同じだ。
「“ゆーき”なんて真奈美さんは呼ばない。俺は“勇樹”だ。真奈美さんは亜須華人なんだぞ。ジンさんみたいな他国の人間でもないのに、そんな発音の間違いを起こすなんてありえない」
「聞き間違っただけじゃないか? そんな微妙なイントネーションの差異、絶えず状況によって変化するレベルのものだ。誰にでも起こりうる。それだけで偽物呼ばわりされてはかなわないな。仮にミールに偽物がいるとしても、それではミールの構成員全員が怪しくなってしまうよ」
「まさか、俺だってこれだけであんたが真奈美さんじゃないと証明できるなんて思っちゃいないさ。……ただ、疑念を抱くには十分だったって話だ」
多様な国々が協力し合うミールでは、その加盟国全体に翻訳の魔法をかけることが推奨されている。魔法には多少の精度の違いがあるが、まあ一般人にはわからないレベルの違いだ。何も問題ない。だが、万能な魔法なんて存在しないのが現実だ。
「人の名前。そればっかりは訳しようがない。当然だよな? 他国では存在しない言語なんて、そのまま音を伝えるほかに方法はねえ」
例えば、姫さんの名前は「Karen」だが、俺は「カレン」としか発音ができない。逆もまた然りで、亜須華人ではない姫さんは「森川」を「モリカワ」と認識している。真奈美さんの偽物はそこまではっきり他国人風に訛っているわけじゃないから、魔法なしで亜須華語を操れる程度の知識持ちといったこところか。
「……それで、他にどんな根拠があるの?」
「あ、姫さん。お帰り」
「茶々を入れないで。さっさと続きを話しなさい!」
解凍された姫さんは俺の話に聞く価値があると思ってくれたらしい。あんなに驚いていたのに、流石は姫さんだ。切り替えが早い。
「仰せのままに。……俺があんたは真奈美さんじゃないって気づいた理由は、あんたには言わなきゃ伝わらないと思うよ。あんたが亜須華人じゃない限り、絶対にね」
「なんだ?」
偽物の真奈美さんは艶やかに微笑み、じっと俺を見上げた。最初に挙げた根拠が根拠だったし、どうせ次も大したことないとか思ってそうだな。まあ、こんなんで気づくのかってくらい、我ながら些細な言葉だったけどさ。
「月が綺麗ですね。……死んでもいいわ」
「……?」
「ああ、やっぱりあんたは、この意味を知らないな」
案外どうでもいいことが重要だったりするもんだ。
「っ!?」
その言葉を合図に、俺は一歩下がった。心得たように背後から伸ばされた局長の腕を、偽物の真奈美さんがはたき、逃げる。俺は進路に立ち、そっと手をかざした。
「風よ」
「なっ……きゃあ!? いきなり何をするんだ。今すぐ離せっ!!」
「逃がすわけないでしょ。ね、姫さん。局長」
うーん。それにしてもエロイな。豊満な身体を持て余した美女に束縛プレイ。空中に風で留めているから、もがく度にスカートが乱れて大変素晴らしい。
「その卑しい顔を今すぐやめて。気持ち悪い」
「何言ってるんですか! 今の俺、けっこうシリアスな顔してると思うんですけど!?」
「鼻の下伸ばした猿にしか見えないわ」
「二人とも、少し集中させてくれ。このタイプは中々厄介だ」
局長の険のこもった声に、俺達はぴたりと口を噤んだ。
「私にも理解できるよう説明してもらえるか? いきなりこんな真似をするような男だったなんて、見損なったぞ」
「ええ。最後まで言わねえとわかんねえの? わざわざ自分で自分の首を絞めなくってもいいのに」
足掻くなあ。そこまで役になりきるなんて凄い才能だな。女優にでもなればいいのに。絶対売れるぞ。
「さっきの問答はまあ、亜須華人にはそこそこ有名なんだけど、あるメッセージの暗喩なんだよ」
返しは色々あるけど、あの時の俺の答えは特によく知られた言葉だと思う。
「……愛してる」
「……っ」
「それが、あんたと俺が交わした言葉の意味だ。ちなみに、真奈美さんはいつも『青くはない』って断ってきたよ」
つい昨日の夜に交わした最後の言葉が、鮮やかに蘇る。あの言葉は、意味を知らなければ絶対に出てこない。
『……今夜の月は、青かったのか』
『真奈美さんと見る月は、いつでも綺麗だから』
―――青い月は滅多に現れない。だからあなたの愛を受けるなんて、そんな珍しいことは起こらないと断る。ほんの少しの、期待を残して。
だからこの言葉は、わかりやすい表現に変えればこんな会話になる。
『今夜は珍しい事が起きるな。まさか君が私を追いかけて来るなんて』
『俺はいつでも真奈美さんを気にかけています。あなたが大好きだから』
亜須華風の、真奈美さんならではの雅な言葉の応酬だ。俺は今まで生きてきて、真奈美さんほど大人びた、亜須華ならではの言葉遊びをする人を他に知らない。
「なるほど。……それなら仕方ないわね」
「勇樹!」
馴染みのない声が聞こえた直後、俺の身体に激しい衝撃が走った。続けて立ち昇った炎に、絡み取られるように俺の風が奪われる。
「っちい!」
悪寒に震え、たまらず制圧権を手放した。姫さんが魔力を開放し、出方を窺っているのを感じる。俺も鞘から剣を引き抜き、構えた。
「これはまた、大物を起こしちまったみてえだな」
炎の渦に紛れて、偽物の姿は見えない。だが、それを物ともしない気配は、逆に偽物の存在感を俺たちに強く意識させた。
「はあ、嫌になっちゃうわぁ。強引に女の秘密を暴くのは野暮だって事、ミールの男は知らないのかしらねぇ」
「敵にかける情けなんてあるはずないでしょう!? あなた、頭おかしいんじゃない!?」
姫さんが刺々しく叫んだ。中々消え失せそうにない炎に苛立った様子で魔法を練っている。
「んふふっ、そうねぇ。あなたみたいなお子様には理解できないのかもね、カレン・ド・ノアイユ。最上の魔女さん?」
炎が舞う。その女は踊り子のように踵を床へ落とした。プラチナゴールドの髪がきらきらと輝きながら、滑らかなベールのようにくびれた腰まで伸びている。紅碧の瞳が憂いを帯び、影っていた。ざっくりとスリットの入った真紅のドレスからのぞく太ももは炎に照らされ、例えようもなく色っぽい。
「惜しいなあ。そんな堂々と脚にエルドラドの『黒』紋章を刻んでなかったら、すげえタイプなのに」
「何敵にまで言い寄ってるのよ。この色ボケ!」
「あらぁ、それは残念。さっきのあなたはとおっても可愛かったもの。あのまま一緒にイイ事、してみたかったわ~」
にこりと笑みその姿は、だれもが認めるだろう絶世の美女だった。
「先に言っておくけどぉ、私に手を出したら大変よ~。カレンちゃん。私は可愛い女の子が大好きだから、できたらあんまり傷物にはしたくないのよねぇ。わかるでしょう?」
「……卑怯者!」
姫さんはわなわなと震えながらも、魔法の発動をやめた。煽られ耐性のない姫さんにしてはすごい快挙だ。それだけ状況が切迫しているともいえる。
「ふふ、そうそう。いい子ね。どうやら少しはお話ができそうで安心したわ」
女は近くにあった机に寄り掛かった。騙し討ちや捕縛される可能性は考えていないんだろうか。いくら綺麗な顔を眺めてみても、答えはちっともわからない。
「自己紹介くらいはしておくわね。私はダリア・ディアス。エルドラド王国の軍幹部の一人よ。……んもう、そんなに見つめられたら照れるじゃない。心配しなくてもキスくらいならいつでもいいわよ。男女の間に敵同士なんてつまらない事情は関係ないものね」
「いくらこいつがクズでも、あなたになんか靡くわけないでしょう。なんってふしだらな女なのかしら。流石はエルドラドね。理性のない獣も同然だわ」
言えない。ちょっとドキッとしたとか、絶対に姫さんには言えない。いや、あの時は真奈美さんだと思ってたからノーカウントだ。うん。
「別にカレンちゃんには聞いてないわよぉ。あなたは可愛くないんだもの。もう少し違う反応してくれなきゃつまらないわ」
「つまらなくて結構よ! エルドラドにもてあそばれるなんて、想像しただけで虫唾が走るわ!!」
とにかくダリア・ディアスという女は、他人をからかうことに快感を覚える質のようだった。趣味の悪い女だ。そう思うのと同時に、ふと俺はフョードルのことを思い出した。
『もっと俺を楽しませろよ! サイトウユウキイイイイィィッ!!』
姫さんの罵りもあながち間違いじゃないところが怖い。とりあえずフョードルは理性の吹き飛んだヤバイ奴だった。
「なんのために幹部自らミールに忍び込むような真似を? エルドラドは幹部が前線に出張ってこなくちゃいけないほど困ってるとは思わないけどな」
気を取り直して、俺はダリアに尋ねた。
「危険だからよ。流石はミール本部ねぇ。潜入にはすっごく苦労させられたし、想定よりも早く見つかっちゃったわぁ。でも、あなたみたいな可愛い子に迫られたのは楽しかったから構わないかしら」
「……あんたの目的はなんだ?」
中々本題に辿り着けない。度々煽られ、のらりくらりとかわされてしまう。この女、ダリアが何を言っても信じられない。だけど、真奈美さんが成り済まされ、エルドラドの手にあるのは間違いなかった。次第に焦りばかりが増えていく。
「せっかちなのね、ゆーきは。可愛い」
「嬉しくない誉め言葉をドーモ。どうせばれるのを前提に動いてたんだろ? 早く用意していたセリフを聞かせてもらいたいね」
もう会話の主導権は奪われていた。クソ、思ってたよりも不意打ちから冷静さを取り戻すまでが早すぎる。
「そんなに心配しなくてもいいわよぉ。『もりかわまなみ』はちゃあんと生きてる。人質は簡単に傷つけたら価値が下がるし、管理が面倒になるものね」
「……何故、真奈美さんに化けたんだ?」
大きく息を吸う。吐く。後ろ手でしっかりと姫さんの手を握った。
焦るな。余裕がなければ作り出せ。
「さあ、なぜかしら」
ダリアは俺の言葉にゆるりと口角を上げた。
「退がりなさいっ!」
「うをっ!!」
その瞬間、姫さんが俺を後方へ投げ飛ばした。狙いすましたように四方八方を魔法陣が展開する。大小さまざまなそれは皆一様に光を帯び、発動間際といった感じだった。
しかもこれ、姫さんの魔力じゃない!
「嫌だわ、はしたない」
「……っ、姫さん!」
俺は姫さん諸共床に伏せた。カッと光が弾ける。目を閉じているのに全く意味がない。まぶしい。なんって量の魔法陣だよ!!
「……悪いが、これ以上の不毛なやり取りは御免被る。粗方貴女の望みも理解できた。早々にお帰りいただこうか」
信じられない心地で俺はその声を聞いた。嘘だろ。なんでこんな時にそんな平然とした声が出せるんだ?
「局長っ! いったい何を!?」
気配でわかる。局長とダリアが、光の洪水の中でお互いにけん制しあっているのが。でもまさか、どうしてそんなことが。まさか見えているのか?もしくは局長が魔法でこの光を操っている?
いや、でもあの局長にそんなことできるはずが、
「ふうん。今ここで私を捕まえなくていいのかしら。あなた達にとっては、エルドラドの軍人なんて最大の宿敵じゃない」
「それとこれとは話が違う。……それに私は、あまりわかりやす過ぎる誘いは好かない」
「……それは残念ね」
俺は気配を察知するのに精いっぱいで、ろくに状況を目で追うことはできなかった。そのせいで頭が痛い。何が起きている?ダリアは一体何が目的でこんな真似を?
ていうか局長が局長っぽく振舞えたことが一番の驚きだ。普段の頼りなさそうな弱々しさは一切見られない。まるで歴戦の猛者のような安心感と余裕っぷりだ。
「まあいいわ。あまり欲が過ぎればこちらが火傷を負いかねない。ただし引く前にお願いがあるの。それくらいは聞いてくれるわよね?」
「いいだろう。人道的である限りは、貴女の望みを聞いてやる」
その時ようやく、光の奔流がやみ始めた。俺は白くかすむ目でなんとかダリアを視界に入れようとする。
「私は明日、正式にミールに宛ててある手紙を送る予定なの。ちゃあんと聞いて、決して逃げない事。それを今ここで誓いなさい」
「……どういうつもり? そんな事を今あなたに誓ったところで何の意味もないわ」
「もう、お子様は黙ってなさいな。じゃあ誓ってくれなきゃ私、今すぐここで暴れちゃうわぁ。これで意味ができたでしょう?」
「っ望むところよ! 私の前に現れた事を後悔させてや」
「姫さん、落ち着いて!」
姫さんの口を塞ぎ、局長を見やる。ダリアが交渉している相手は局長だ。ダリアの目の前で局長を押しのけた返答が受け入れられてしまったら、いらない弱みを晒すことになってしまう。集団として意見の統一もできない組織は、どこからも信用されないからだ。
「どうするのぉ? あなたの部下はすっごく嫌がってるけど」
挑発的に胸を寄せ、ダリアは局長に迫った。本当にどちらでもよさそうだ。怠惰にも映るその様子は、月灯りが頼りの闇空に異様に似合っていた。
「……いいだろう、ダリア・ディアス。あなたの条件を飲む。我々は逃げも隠れもしない」
静かに、言葉が零れる。
「なぜなら我々は、国際平和防衛機関・ミールだからだ。仲間のため、貴女を速やかに撤退させる事ができるのなら、こちらとしてもありがたい」
「確かに聞き届けたわよ。その言葉」
ダリアは軽やかに窓枠に飛び乗った。目が合う。好奇に満ちた瞳だった。
「また会いましょう? サイトウユウキ」
「真奈美さんは、必ず返してもらうぞ」
「……ええ、その時が楽しみだわ」
心臓が燃えるように熱かった。俺はダリアの去った窓枠から、月を睨む。
大きく欠けた月は、眩くも孤独に見えた。
春の嵐のように、時が移り変わる。時に激しく、時に冷酷に。
「絶対、もう負けねえ」
「……当り前よ、馬鹿」
姫さんが呆れたように答えた。そこでようやく俺は、自分の腕の中に姫さんを閉じ込めていたことに気づく。
「す、すみませんっ! ついうっかり!!」
「ついうっかりで済むと思ってるの? 許すわけないでしょう」
ヤバイ。姫さんの声が超固い。
「お、おい。勇樹、カレン。いくらダリア・ディアスが撤退したとはいえ、まだ何も……」
「局長は黙ってくださいっ!!」
ああ、さっきまで珍しくきまってた局長が見る影もない。姫さんは相当鬱憤がたまっているみたいだ。ギラリと姫さんの瞳が光る。
俺は覚悟を決めた。仕方がない。五発くらいは甘んじて受けよう。危うくダリアの口車に乗るところだったしな。
「……はあ、全く。その情けない顔はなんとかならないのかしら。そんなんじゃ一瞬でやられるわよ」
「っ姫さん」
「許して欲しかったら、顔を上げなさい。モリカワさんを助ける時にまでゴミみたいな顔で俯かれたら困るのよ」
「え?」
姫さんは条件反射で正座していた俺の腕を取り、強引に立ち上がらせた。苛烈な眼差しが俺を射抜く。
「まさか、この私に隣にいる事を許されておきながら、敗北を恐れているだなんて言わないわよね?」
酷いな。酷い人だ。俺が必死になって抑え込んでいた最後の不安の欠片を、たった一言でなくしちまうなんて。
姫さんにそんなこと言われたら、もう何も言えねえよ。
「了解、姫さん」
心臓が燃えている。俺は大きく息を吸い込み、また月を眺めた。
待っていてください、真奈美さん。俺はもう、一瞬だって迷わないから。