表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
正義の虜!  作者: 羽美
10/16

甘美な誘惑

耳をつんざくような歓声が、惜しみなく姫さん達に贈られる。その光景を眺めていたかと思えば、俺は今、必死になって書類を書き上げていた。真奈美さんを見送り、ミールの本部へと戻った瞬間、俺の心は忍ぶことをやめたらしい。

 合わせる顔がない。そんな事を思い知らされたのは、本当に久しぶりだった。

「少し、いいかな」

「……ジンさん」

 なんであんたが戦闘局にいるんだ。姫さんと一緒に現場の後処理を任されていたはずだろう。

「日が暮れるまで作業が終わらないなんてあるはずないじゃないか。街の被害も想定より酷くなかったしね」

「ああ、もうそんな時間ですか」

 指摘されるまで、ちっとも気がつかなかった。窓の外に広がる空が、寂しげに影を落とす。煌々と光るライトの下で社畜のように机にかじりついているのは俺だけだった。少し嫌な気分で、立ち上がる。

「何の用で?」

 ジンさんは珍しく微笑みの一つも浮かべずに俺の言葉を受け止めた。ぐっと上半身を折り、その力強い眼差しで俺だけを見つめている。俺はそれがとても居心地が悪かった。かといって後ずさることもできない。ただ黙って立ち尽くすのが精一杯だ。

「やはり君は、ミス・ノアイユの下にいるべきじゃないな」

「は?」

「君はミス・ノアイユにはもったいない。そう改めて思ったんだよ。今日の君の選択は、僕にとっての最善と全く同じだった」

 いきなり何を言い出すんだ、この人。

 俺はドン引きした。人がはずかしいくらいへこんでるってのに、真面目な顔して言うことがそれかよ。

「……普通逆でしょう。今日の俺は足手まといもいいとこでしたよ。どんだけ姫さん嫌いなんですか」

「まあ、その点は否定できないけど」

「できないんですか!」

「そこは今どうでもいいから、置いておこう。ユウキ」

「どこが!?」

 ダメだろ。戦闘員が足手まとい放置したらダメだろ。それともあれか。姫さんが嫌いってことについて言ってるのか。

 それはそれで俺には大問題だっつーの。このドS副官っ!

「僕が話したいのは、君の実力不足や僕のミス・ノアイユへの憎悪じゃない。もっと高尚な話だ」

「いや、どっちも俺的には重要なんですけど」

 なんで俺、このイケメン面の鬼畜と二人っきりで話してるんだろう。それも嫌ってくらいに顔を近づけて。そろそろ怒ってもいいか? 今なら一発殴っても許される気がするぜ。

「……ユウキ。君の正義はなんだ?」

 ガタンと、椅子の倒れる音がした。

「やっぱりな」

 ちくしょう。そのドヤ顔すげえ腹立つ。こんなあからさまな反応が我ながら憎い。

「君は気づいていないふりが上手いな、ユウキ。だけどいつまでもそのままではいられないよ。今の君のままでは、同じことをすぐに繰り返すだけだ」

「あんたには関係ない」

「なんでかな。僕は君を想って言っているんだけど」

「っ迷惑だ!」

 思いもよらず声が荒くなる。ジンさんは真っすぐに俺を眺めていた。姫さんに向ける冷酷な牙は鳴りを潜め、俺に向けられる眼差しは驚くくらい穏やかだ。その事実が、たまらない。

「君は、きっと僕と同じ正義を」

「俺に正義なんてありません。勝手に期待するのはやめてください」

 もう十分だ。やめてくれ。俺には何もないんだ。何もない。全てを圧倒する力も、揺るぎのない信念も、それを掴むための覚悟さえ。

 俺には、何もなかった。



「すごい発言だったな。君にしては控えめなセリフじゃないか」

「っ真奈美さん!? なんでここに」

 ジンさんと別れ、再び一人になった俺の前に、真奈美さんは当たり前のように現れた。

「傷はもうすっかり癒えたさ。ミールの治癒魔法は優秀だからな。まあ、それでもこんなに早く回復できたのはすぐに止血したおかげだそうだ。つまりは君のおかげだな。ゆーき君」

「いや、いくら怪我は治ったからって、それでも今日は安静にしてなきゃダメでしょう。万が一ということもあるんですからね!?」

「ああ、わかってる。だからこれは、ただの私のわがままだ」

「真奈美さん……」

 茶目っ気たっぷりに笑われたら、それ以上追及するのは野暮だとしか思えなくなった。

 とりあえず何か問題が起きたら俺が医務室に抱えていけばいいか。そもそも大きな問題が起きるほどに酷い状態だったら真奈美さんが本部にいるはずもない。福永の時の俺みたいに病院で寝かされてるはずだ。

って今日行ったのも福永か。近頃はやけに福永が騒がしいな。本来なら責められにくい土地のはずなのによ。

「……ありがとう」

「えっ?」

 思わず俺は考えるのをやめた。たった一言が信じられず、じいっと真奈美さんを凝視してしまう。胸元から覗くスーツの下の豊満な肢体にくらりと目眩がした。自然と上目遣いになってしまうせいなんだろうか。真奈美さんが、とても艶めかしい女性として俺の瞳に映る。

 俺は真奈美さん相手に何を考えているんだ。俺のせいで怪我をしたんだぞ。流石に傷つけた張本人を前にして考えていいことじゃない。

「俺は、感謝されることなんて何もしてません。というか、すみません。俺が先に謝罪をするべきだったのに。真奈美さん、今日は本当に」

「謝るな。私は、君を恨めしいなどとは微塵も感じていないんだぞ?」

「……っ」

 細く、長い人差し指が無遠慮に俺の唇を塞いだ。近づいた距離で、夜花の香りが誘う。思わずかしずきたくなる芳香に、胸の奥まで痺れてしまいそうだ。

「私は、君に感謝している。正義がなんだ? そんなものがなくたって、君は私を救ってくれたじゃないか」

 ゆるりと心に染み渡るような言葉だった。甘く、優しい言葉はあっさりと俺の心に分け入り、冷水を浴びた時みたいに凍えたそれを、そっと温める。

「君だけ、君だけだよ。ゆーき。私を救おうとしてくれたのは。なのにどうして恨めしいだなんて思うんだ? 私は君に感謝することしかできない。そうだろう?」

「……それは、そうだとしても。ジンさんの言ってたことだって事実です。俺は変わらなくちゃいけない。今度こそ、守り切らなきゃいけないんだ」

 我ながら力のない声だ。くそ、しっかりしろよ、俺。一体何やってんだ。せっかく真奈美さんが慰めてくれてるんだぞ。これに乗じてさっさとキャラを戻せよ。それくらいすぐにできるはずだろう?

「私は、今の君がいいけどな」

 不意に、真奈美さんは俺の髪を撫でた。暖かい手だった。崩れ落ちてしまいそうだった。真奈美さんの手のぬくもりを感じる度に、俺の身体がじわじわと熱を持っていく。

「戦闘局は、君の優しさを許してくれないのかい? 私が救われたのは君の優しさのおかげなのに、私以外の皆はそれが許せないんだね。君は悪くないよ。そんなの、あまりに厳しすぎる話じゃないか」

 確かにそうかもしれない、とぼんやりと思う。戦場に立ったら最後、一人残らず眼前の敵をねじ伏せなければ生き残れない。正直、ミールのほかのどの局よりも危険で、厳しい役職だ。

「……だったらもう、やめてしまってはいけないのか?」

「やめる?」

 思いもよらない答えに思わず聞き返すと、同時に真奈美さんの顔がくしゃりと歪んだ。ふっと力の抜けた指先が、今度は俺のシャツをつかむ。

「ああ、やめてしまえばいい。あんな危険な事、君が続けなくてもいいはずなんだ。そうだろう!?」

 真奈美さんらしくないと思った。そして次に俺は、それこそ思い違いなんじゃないかと気づく。真奈美さんの手は、俺でもやっとわかるくらいに小さく、震えていた。

「………」

 ”戦えない“傷を負った女の子なら、当然抱く感情をぶつけられただけだった。痛みに怯え、涙を飲む真奈美さんは、か弱いただの女の子。そんな当たり前に、遠回りをしてようやく気づく。

「……私はもう、自信がないよ。ここまで自分が弱い存在だったなんて思わなかった。本当は目が覚めてから、ずっと怖くてたまらない。っはは。情けない、な。私」

「そんなこと絶対ありえません。真奈美さんが怖いと思うのは当然ですっ! あなたは、戦場になんて立たなくていいはずだったんだから!!」

 気がつくと、俺は真奈美さんを抱きしめていた。それしかできなかった。無力だ。あの時俺が守ってあげられていたなら、こんな思いはさせずにすんだのに。

「ゆーき。……なんだか不思議。今、君が傍にいてくれるだけで、心がとても暖かい」

「真奈美さん……」

「いつもこうして、君が傍にいてくれたらいいのにな。ほら、君はデスクワークが得意だろう? それに私よりずっと強いから、皆に頼られるすごい存在になっちゃうだろな。君がいれば、もう何も怖くないだろうし」

「………」

「あっ。ああ、悪い! 突然こんな事を言われたら困るよな。気にしないでくれ!!」

「い、いや。そんなことは」

 焦って早口になる真奈美さんの熱が伝染して、俺までなんだか気恥ずかしくなった。

 ……真奈美さんのために事務局へ移る、か。確かにそういう道もある。正直俺が戦闘局にいなくても、任務には何の支障もない。むしろ俺は、いらないんじゃないかな。

 今日も、フョードルと戦った時だって、誰かの手を借りなければどうにもならなかった。俺一人じゃ、何も。

「……ああ、えーと。ゆ、ゆーき、月だ。月を見てみろ。ほら、今夜の月は綺麗だぞ。君もそうは思わないか?」

 真奈美さんにつられて、俺も月を見上げた。ほのかな光を、月が柔らかく降り注いでいる。

 本当に、とても綺麗な月だった。

「……死んでもいいな」

「なんだそれ。死なれたら困るぞ」

 今夜くらい月が綺麗に見えた夜はあっただろうか。俺はふと思った。

 ガキの頃は月なんて何がいいのかさっぱりだったし、ミールに入ってからは忙しさにかまけてろくに空も見上げなかった。真奈美さんと過ごす時以外は。

「真奈美さんとずっと一緒にいられたら、穏やかに生きられそうですね」

「え?」

 真奈美さんの顔がびっくりしたみたいに遠くへとそれる。俺はそれが少し寂しくて、少し強引に顔を寄せた。頬はうっすらと色づき、わずかに涙の滲んだ瞳は息を飲むほど艶めかしい。

「傍にいてくれるのか……?」

 期待のこもった囁きは、とてつもなく甘美な誘惑だった。

 真奈美さんはそっと目を閉じる。俺は今、許されているんだ。全てを。くらりと目を回した。全身が火照る。もう何もかもがどうでもいい。

 ずっと、このままでいたい。



「勇樹、まだ残っているのか? カレンが何やら下で騒いで」

「……局長?」

 後一秒で唇に触れる、そんな瞬間に現れた局長は、粉々に幻想を打ち砕いた。

「 お前には慎みという言葉はないのか!? それも今度は森川君に手を出すとは何事だ!! 毎度部下の睦言を目撃してしまう私の身にもなってくれ。頼むから!!」  

 ぶしつけな人工の灯りが、唐突に差していることに気づいた。せっかくの月が台無しだ。暗がりで月だけを頼りにしていた時は、もう過ぎ去って戻ってこない。

 俺は立っているだけだった。何の変哲もないミール本部、戦闘局に与えられた一室で。局長が嘆き、雑然とした室内はため息混じるの声によどむ。俺はそれを話半分に聞いていて、そして、隣には……。

「~~っ」

「大丈夫ですか? すみません。うちに局長がムードクラッシャーで。いっつもこうなんです」

 この瞬間、俺が思ったことをどう表現したらいいのかわからない。不快だと思ったわけでも、申し訳ないと思ったのでもない。

「なんだ? この感じ……」

 局長があまりにいつも通りに騒いでいるからか、俺は冷静さを取り戻し始めていた。お化け屋敷で自分より怖がっている奴と一緒にいると恐怖を忘れるのと同じだな。

 俺はゆっくりと思い返す。ここのところ失敗続きで焦っていたことを。おまけにジンさんは突かれたくない所ばっか突いてくるから動揺していたことも。

 だからか? だから俺は、余計に真奈美さんの言葉が嬉しかったのか。楽になりてえ、なんて思ってしまったのか。

「……いつまで経っても戻ってこないと思ったら、これはいったい何の騒ぎなのかしら」

 凛とした声が、俺をまとまらない思考の渦から引き揚げた。その声を聴くだけで、たった一人の女の子の仕業だと唖然とする。囚われる。

「姫、さん」

「何よ」

「姫さん」

「何度も呼ばないでくれる? 相変わらずうっとうしい奴ね。そんなだからあの盗人に出し抜かれるのよ。クズ」

「カレン!」

 姫さんの物言いに、真奈美さんが庇うように声を上げた。その反応にたじろぐかと思えば、姫さんは苛立った様子で眉をひそめる。関係のない局長が姿勢を正すくらいに冷たい眼差しだ。

「自分のミスで怪我をさせた相手に庇われるなんて、本当に情けないわね。落ち込むのは勝手だけど一人でこっそりやってちょうだい。何を落ち込む必要があるのかは疑問だけど、それくらいなら譲歩してあげてもいいわ」

「何もそこまで言うことはないだろう。カレン、戦いの才がある君には理解できないのかもしれない。だが、少しでもゆーきの気持ちを考えたらわかるはずだ。そうだろう?」

「いいえ、モリカワさん。貴女のおっしゃっていることは全くもって的外れです」

 いっそ清々しいくらい姫さんは言葉をはばからなかった。

「だってこの間抜けが戦闘で後れを取るのなんていつものことだもの。落ち込む方が厚かましいわ。この私と同じ力が欲しいなんて、いったい何様のつもりよ。図々しい」

 至極当然だという顔で、一切の躊躇もなく言い捨てる。

 ああ、そうか。そうだったな。

「ほら、そんな事でモリカワさんを引き留めている時間があると思ってるの? 今晩の夕食はハンバーグだって言った事を忘れたとは言わせないわよ。早く作ってくれなきゃ私が飢え死にしちゃうじゃない!」

「……本当に、姫さんは俺がいないとダメですね」

「何よ。悪い?」

「まさか。」

 俺は一番大事なものを見落としていた。

「光栄に決まっています! 姫さんのおかげで、ばっちり目、覚めました。ありがとうございます!!」

「……? よくわからないけど、どうでもいいわ。早くなさい」

 正義がない。力がない。それを望む覚悟がない? バカバカしい。そんなものは最初から持ち合わせちゃいなかった。勿論、それで立ち止まっていたら終わりだ。何もないままじゃいられない。

「ありがとう、真奈美さんも。さっき言ってくれたことは本当に嬉しかったです」

 だから俺は、俺にできるやり方で戦ってきたんだ。そうだろ?

「それと、すみません。姫さん。……やっぱり今夜もハンバーグ食べさせてあげられないかもしれません」

「はあ!? どういうつもりよ!!」

「ま、まあ落ち着け、カレン。そう殺気立つんじゃない」

 成り行きを見守ってくれていたらしい。というかまだいた局長が、慌てて魔法を展開し始めた姫さんを抑えた。食い物の恨みはマジで怖いな。でも勘弁してください、姫さん。姫さんのおかげで、俺のやるべきことが見つかったんです。

「だ、大丈夫なのか? あんな事を言って」

「大丈夫ですよー。今からもっと大丈夫じゃなくなりますから」

「それはいったい、どういう」

 随分へこまされちまった。その分はきっちりお返しさせてもらわねえとな。

 俺はくるりと向き直り、そいつに向かって言ってやった。

「そのままです。……だってあんた、真奈美さんじゃないだろ?」

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ