序章 七部 【降り出した雨】
シャルルの夢に住んでから数ヶ月という時間が経った、そんなある日。
閑静な森に無骨な叫び声が響き渡った。
「だぁぁぁぁあ!!ダメだっ!なんだこれ難しすぎんだろ!」
叫び声の主は魔素変換に苦戦するノエルだった。
彼女の夢に来てからほぼ毎日、いざと言う時のため戦闘の指導をシャルルから受けているもののこればかりは本人以外にはどうすることも出来なかった。
それを母親よろしく見守り、時に励ます彼女。
その表情はどこか心配そうだ。
「はぁ…………」
「焦らなくてもいいんじゃない?お茶でも持ってくるよ」
深いため息をつくノエルをみて今は一人にさせてやろうと彼女は一人家へと戻っていった。
その姿を遠巻きに見送った後で一人になったノエルはおもむろに自分の服をたくしあげ、腹部の様子を確認する。
「やっぱりこれのせいなのか…………」
彼の腹部では依然として消えることのない文様が不気味に脈打ち続けていた。
その異様な文様が魔術的な要素を含んでいる事はそれに疎い彼でもなんとなく理解できる。
それ程に強力な呪詛、封印の類だろう。
「あー……くそ」
記憶の事といい自分の体には制約が多すぎる。
少し前に考えた仮説を思い起こす。
自分の体には何か強大な力もしくは秘匿するべき何かがあり、それを制限するために記憶と魔力を封印した。
それが自然な発想だ。
しかしそれならば封印をした人物は一体どこへ行ってしまったのか。
封印する程の力ならば少なくとも監視者の一人や二人はつけるはず。
そうなると目覚めた時一人でいた事が引っかかる。
考えれば考えるほどますます訳が分からなかった。
ストレスを投げ捨てるように大の字に寝転がる。
シャルルの助力もあり知識も技術も着実に身についているものの解せない事が未だに多い。
その上魔力が使えないままでは完全にお荷物。
少しでも彼女の役に立ちたいという思いが彼を焦らせていた。
「もっと考え方を変えてみるか」
文句ばかり垂れてもいられない、そう思い体を起こす。
次の訓練にとりかかろうとしたその時、不可解な影がノエルの視界の端に飛び込んだ。
「人……?」
それは二つの人影だった。
仮面に黒服。
距離があるためそこまでしか判断出来ないがあの日ノエルを瀕死においやった黒服に格好が似ている様にもみえる。
「まさか……夢喰か?」
彼は既に謎の二人組の事をシャルルに話していた。
彼女は仮面に黒服は夢喰の関係者である可能性が極めて高いといっていた。
そうでなかったとしても絶対不可侵の他人の夢の中に人がいること自体が異変と言えるものだった。
大人しく見逃すわけにはいかない。
「待て!」
遠ざかるその背中を見失わない様追いかける。
そんな彼を嘲笑うかのように二つの影は鬱蒼とした森の中を軽快に駆け抜けていく。
「はえぇ、てかどこまで逃げんだよ……」
その鬼ごっこじみた追跡は長い間続き、永遠に続くと思われた森を遂には抜けてしまった。
そこにあったのは拓けた浜辺の草原。
まるで絵画のような美しい光景が広がっていた。
涼やかな潮風が熱くなった体を心地よく扇ぐ。
「こんなところがあったのか……」
小波をたてる海の水平線におもわず目を奪われる。
こんなところまで来たのははじめてだ。
本来の目的を思い出し周囲を見回す、だがそこに二つの人影は見当たらなかった。
「これ以上進むのはまずいな……とりあえず一旦帰ってシャルに報告だけでも……」
一旦引こうと考えたその時、妙な気配を感じ振り返る。
そこには黒い外套に銀製の仮面をつけた先程の二人組がいた。
素性も性別も窺い知れないが長身と小柄、極端な身長差のおかげで区別には困らなそうだ。
体格的にこの前の人間とは別人だろう、そう思った時、長身の仮面の奥から爽やかな男声が響く。
「メルティまかせてもいい?」
「言われなくても私がやるです」
メルティと呼ばれた小柄な人物は少女の優しい声で辛辣に呟くとノエルに向き直る。
「マスター、貴方を保護しにきましたです」
彼女のマスターというその言葉はノエルに向けられたものだった。
つくづく変なやつに絡まれる自分の体質に嫌気がさしため息をつく。
「何言ってんだ…………お前なんか知らねぇよ」
「いいえ、あなたは私のマスターです」
頑なにそう言い張る少女。
あまりの強情さにノエルはあるひとつの可能性を思い浮かべた。
「まさか…………昔の俺を知ってんのか?」
「知らねぇです、貴方とは今初めて接触しましたです」
予想と違う回答にドっと頭が痛くなった。
この世界にまともな人間はいないのか。
シャルルという存在のありがたみを改めて実感する。
「言ってることがめちゃくちゃだな、俺はお前らの仲間に殺されかけてんだよ、責任はとってくれるんだろうな」
「何言ってるかわからねぇです。私達は夢喰、マスターを保護しにきたです。」
メルティはノエルの言葉に困惑する様子もなくただ淡々と素性と目的を明かした。
「あぁ、やっぱり夢喰か。これ以上保護なんか要らねぇよ。それとここは恩人の夢なんでな。さっさと帰ってくれ」
──夢喰は怪物よ、もし出会ったら戦闘は全力で避けて
ふとシャルルの言葉が蘇る。
彼女が怪物と呼ぶほどの存在。
ましてや今は彼一人、戦闘が始まれば無事では済まないだろう。
極力穏便にすまそうと努力した。
しかし相手側には話し合いでどうこうしようとする姿勢は全く見られない。
「仕方ない、メルティ頼むよ」
「オズ、今日は一段とうるせえです。」
オズと呼ばれた長身の男がよろしく、とメルティの頭を叩く。
それを本気でうっとおしげに払い除ける彼女。
あまり仲がいいとは言えなそうだ。
オズを追い払うようにしっしと手を振ると、彼女が構えた。
「マスター、少しだけ無礼を許してくださいです。貴方を無理矢理にでも連れ帰るです」
──【変現】
彼女が使ったそれは恐らく本型の戒具。
だがそれは戒具と呼ぶにはあまりにもそれらしかった。
その本が光り輝いた瞬間、そのメルティと呼ばれた少女の周囲に出現したのは炎、水、風、雷の塊。
「魔法……」
ノエルの感嘆を聞き終える前に動いた少女の指先が本をなぞると停止していた各塊が彼に向かって飛翔する。
「ちっ!」
彼はその全てを既のところで回避する。
保護する気など毛頭なさそうな破壊力だった。
次のメルティの動きを警戒していると
突如として地面から発生した氷柱が右肩を掠め鋭い痛みが走る。
「っ!?……誘導されたか……」
次の瞬間、その切り口が異常な速度で凍りつていき、その氷が二の腕までの広い範囲を覆い尽くした。
傷は大したものではないが関節を固定された影響で利き腕が使い物にならなくなった。
「まずは腕一本、あきらめてくれると助かるです」
「止血する手間が省けて助かったよ」
降伏を乞う彼女の言葉に冗談を返してニヤリと笑う。
そんな扇情的な彼の行動にメルティは多少の憤りを顕にした。
「マスター、私諦めの悪い馬鹿は嫌いです」
「別にお前に好かれたいなんて思ってねぇよガキ」
殺気を纏った睨み合い。
周囲に重苦しい緊張感が走る。
だがそんな空気を破ったのはどちらの行動でもなく気候の変化だった。
ノエルの頬を雨粒が濡らす。
その異変に視線を上にあげると空が異常な程に陰り始めていた。
「雨…………そんなこと一度も…………」
彼はこの異様な陰りを目にしたことがあった。
それは彼のはじまりの場所で、最低の場所。
遊楽施設だ。
ノエルの全身を不気味な感覚が支配する。
「まさか………………」
嫌な予感に駆られて戦闘を放棄して駆け出した。
そんな彼の背中を眺めるメルティとオズワルド。
「追った方がいいか?です」
「いや、ここからは僕達の仕事じゃない」
その篭った声は何故か悲哀の色を含んでいた。
──────
「………………ぐっ!?」
泥濘に足をとられ転倒する。
それがもう何度目かわからなかった。
胸にぽっかりと風穴が空いたような不安感が拭えない。
謎の焦燥感からくる激しい動悸が体を打ち付けた。
勘違いであってくれ
そう切に願った。
「大丈夫、きっと大丈夫だ」
自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
曲がったらいつものコテージでシャルルが待っていてくれる。
その当たり前の光景を期待した。
だがその当たり前が如何に幸福だったか彼はすぐに理解する。
ノエルの瞳に映ったのは崩壊したコテージ。
その隣で闇がケタケタと笑っていた。
それは仄暗い闇を纏う巨大な騎士、その鎧の表面では無数の眼球が虫の卵のように張り付き蠢いている。
「ナイトメア…………!」
その異貌を前に吐き気を伴う激しい憎悪がこみ上げた。
また理不尽に奪い去っていくのか。
絶対に殺してやる。
そんな思考に体を支配される。
それに気づくまでは。
「………………うそだろ」
そんなはずはない。
それ以前に意味不明だ。
何故。
彼女は絶対に大丈夫なはずだ。
理解し難い現実が直接脳に飛び込み、理解を強要する。
────「シャルなのか?……」
呆然と、そして語りかける様に呟く。
しかし、ナイトメアとなった彼女にその声は届くことは無かった。