15 魂の契約
アーチが学校を去ってから10日程が過ぎ、早くも新学期が始まろうとしていた。
校舎裏の倉庫の残骸は早々に撤去され、焦げた木々も伐採された。地面を這うように燃え広がった炎の為に黒く変色した土は、上から別の土を撒く事で隠されている。
何もなくなった新しい空間は妙に広々とし過ぎて、却って何処か異質なものを感じさせた。
校舎に接して作られていた、日当たりが悪いと評判だった花壇だけが惜しみ無い陽光を浴びて得意気に花を咲かせていた。
始業式の挨拶時に校長先生から、校舎裏の倉庫の焼失について、原因を『一部学生による火の不始末』と説明があった。
また、その三人の学生についてはそれ以外にも過去の不品行が明るみに出ており、人々の模範となるべき騎士を養成するこの学校の理念に合わない、として退学処分とした、と。
事情を知らない生徒たちは一瞬騒然としたけれど、あとで誰かに聞けばいいと思ったのか、すぐに静かになる。
けれど、始業式が終了してから彼らはもっと驚く話を聞く事になった。
「アーチが!?なんでっ?」
「そういや、朝から全然見ないと思った!」
「いつの間に?いつ辞めたんですかっ!」
寮に残っていた生徒と仲が良かった者たちはもう帰寮したときから囁き交わしていたけど、それ以外の生徒たちに広まったのは始業式の後だった。
思った以上に、学年を問わずの大騒ぎになった。
アーチが如何に人気者だったかよく分かる。
予想もしなかった話題に、もうつまらない事で退学になった三人の話を蒸し返す者もいないし、気にしてるのは彼らと親交があった者たちだけ。それも、過去の不品行と言われれば思い当たる節があるのか苦笑いし、それ以上探ろうとする奴もいないようだった。
つまりは、寮に残っていた生徒たちが自治会長の言葉を受け、『騎士を目指す者』としての自覚を持ち、不穏な噂話を広めなかった、という事なんだろう。
その日の昼食時には、食堂で一人ずつに菓子が配られた。
アーチが世話になったお礼に、と彼の実家から届けられたものだという。
なんとなく懐かしい味のするお菓子を食べながら、アーチがいないと僕のまわりはこんなに静かなんだな…、と初めて思った。
けれど三人の話など言うに及ばず、アーチの話題でさえもあっという間に日常に埋もれ、次々と新しい話題が僕らの周りを通り過ぎていく。
アレクシスがあちこちの医者や回復系の魔法使いを渡り歩いていると聞いたのもその頃で、その後アーチの噂を聞いたのは更に数週間後。
王宮の大門の警備兵に就職したらしい…と、それが最後だった。
色褪せた日々はそれからも容赦なく続き、僕はもうそれきり学年末の長期休暇にも邸に帰る事はなかった。
母上からは再三、帰ってくるように、と手紙が来たけど、どうしても戻る気になれない。
僕の中で、母上とフェリシアは既にセットになっていた。
母上を見ればフェリシアを思いだし、考えてしまう。今、僕の頭の中は具にもつかない他の事で一杯で、何を考えているのかさっぱりわからないフェリシアの事は思い出す気力もなかった。
シーズンの最中にもかかわらず全く社交界に顔を出す事もない僕に、また様々な憶測めいた噂が流れていたようだけど、わざわざ詳しい内容を耳に入れてくる奴もいない。
時折王子殿下からのお誘いをいただき王宮を訪ねた時に、顔見知りの貴族などに体調を尋ねられたりするので、そういう噂が流れてるんだな、と思う程度だった。
そして殿下からのお茶会のお誘いは、実は王妃様からだろう…と僕は思っている。
この長期休暇の間に数回招かれたお茶会には、漏れなく王妃様が付いていた。時には陛下も。
例の三人の処分が決まった、と陛下から教えられたのは前回のお茶会の席の事だった。
三人の所業については、彼らの親にだけは真実が告げられている。彼らは其々の親から勘当された上で、更正のために近衛騎士団の監督の元、彼らの下働きをさせられることになったらしかった。
王妃様はお茶会に同席されても、30分程するとそそくさと行ってしまわれる。きっとご公務がお忙しいのだろう。何故こんな所で無駄話をしていかれるのか、といつも思う。
「律儀に招かれたからと出てくる事はないぞ。別に断ったって構わないし、なんなら体調不良だと言ってもいい。実際に呼び出しをかけているのは母上だと気づいているんだろう?」
殿下のそのお言葉からすると、やっぱり僕が体調不良だという噂が出回っているらしい。そしてお茶会のセッティングをしているのは、思った通り王妃様だ。
「私がお邪魔するのはご迷惑でしょうか?お断りした方がいいと仰るなら、そう致しますが……」
僕がそう言うと、殿下は目を泳がせた。
「そんな事は言っていない。母上の暴走でユリアス殿に迷惑をかけているのではないかと思っただけだ」
それこそ気の回しすぎというものだ。殿下と話すのはとても楽しい。
ただ殿下の中では、僕に話していい事いけない事がきっちり線引きされているらしく、この国の歴史の何処かに埋もれてしまった逸話や事件、風習などは面白可笑しく話して下さるけれど、僕たちの過去に纏わるような事柄には一切触れられない。
僕に記憶がないのなら、そんな過去に引きずられるような事をわざわざ話す必要はない、というお考えのようだった。
殿下の少し変わった習慣にも、やがて気づいた。
殿下の身の回りの世話をしている、以前夜会の時にも姿を見かけた若い男を殿下は『侍従』と呼ぶ。それは役職名であって、普通はそんな呼び方をしない。
また、今日お茶を入れてくれた女官には『くるくる』と呼びかけていた。絶対に名前じゃないと思う。同時に筋肉の名で呼ばれていた護衛の騎士の事も思い出した。
今日、少し離れたところに控えているのは先日とは違う近衛騎士だ。という事は彼が『上腕筋』なんだろうか。
殿下は少なくとも僕の前では、誰かを名で呼んだ事がない。役職名か奇妙なあだ名で呼ぶ。
けれど、そんな殿下が何故か僕のことだけは『ユリアス殿』、と名で呼んで下さる。あの、僕と殿下が初めてお会いしたその日からだ。
そのことに気づいた時、あの夜会での王妃様の呆気にとられた顔、突飛な行動の意味が初めて分かった気がした。
殿下はとても聡くていらっしゃる。
僕が『侍従』に目をやり、『くるくる』に目を丸くし、護衛の騎士に視線を投げた事で察してしまわれた。
殿下がいつも通り人払いをされたので、僕もまたいつものように防音の紗を張り巡らせる。
それを確認し、殿下は大きくため息をつかれた。
「相変わらず見事な結界だな。ここまで緻密な紗を一瞬で編みこむとは。しかもこれは相当の器を持つものでないと、ここに存在ることすら気づかないだろう。師事した事はないのだったな?自己流か」
「そうですね、習った事はありません。ただ、やり方はなんとなく浮かんでくるというか、元々知っていた、という気がします」
「……なるほど。結界はーーーが得意だったな」
殿下は誰かの名を口の中で呟かれた。
無意識のようだったので、聞こえない振りをした。
やがて殿下は、「名の事が気になるのだろう?」と仰られた。
「この使い勝手の悪い身体は魔力の制御もろくにできない。前にも言ったが、母上がアレンの血を引いていないから…なのかもしれない。今までこんな状態で産まれてこれた事がないので推測でしかないが」
僕は頷く。
「成長すればもう少しマシになると思うのだが、今のこの状態で誰かの名を呼ぶ訳にはいかない。名を呼べば、それだけで支配してしまう」
僕は目を剥いた。
「……真名、ではなく通り名で、ですか?呼んだだけで?」
「そう。通り名で、だ。不便にも程がある」
殿下は僅かに頬を膨らませた。「本来なら、魔力の制御さえできていれば通り名など、連呼しても問題はないんだ。だが、今はそうはいかない」
「……ですが、私の名は呼んで下さっている。私は支配されているのでしょうか?」
そんな気は全然しないけれど。
首を傾げる僕に、殿下は少し後ろめたそうな素振りで言った。
「ユリアス殿はもう私と名を交わし、魂の契約を済ませている」
殿下に初めてお会いした夜会の折、問われるまま名乗った事を思い出した。あのとき何故か、自分から名乗る事に意味がある、と知っていた。
「夜会の時のあれが契約、ですか?けれどあれは通り名で……」
「いや、本当の契約は数千年の昔に行われた。その時真名で交わした契約がユリアス殿の魂に刻まれているから、今の真名は必要ない。だから生まれ変わる度に通り名で更新してきた。あの時、まさかユリアス殿に記憶がないとは思わなかったから唐突に過ぎたな。済まなかった」
殿下が僕たちの過去について触れられたのは、初めてお茶会に招かれた時以来だった。
椅子の前で足を揺らしながら、殿下は僕を見る。
「だが、先日名を交わしたアレは形だけのものに過ぎない。私が生まれる前、ユリアス殿に魔力を預けた時点で、既に私とユリアス殿はある意味繋がってしまっているからな。契約の更新も何も関係無い。何もかもが、今回は初めてのこと尽くしだ」
まあ…なるようになるだろう、と殿下は空を見上げ呟かれた。
「ところで、ユリアス殿にはその魔力、うまく馴染んでいるようだな」
殿下は僕の左目をジッと見つめ、仰った。
「ええ…と、お預かりしている力は使った事がないのでよくわかりませんが?」
「それでいい。それは人の身には余る能力だ。命を縮めたくなくば、使わん方がいい。預けっぱなしで偉そうな事も言えんが、いつか返してもらえる日もくるだろう……多分?」
殿下はそう言いながら、自分でも半信半疑なのか小首を傾げられたのだった。
瞬く間に休暇も終わって僕は6年生となり、進路指導が始まる。もっとも僕は『塔』にいく事が決まっているので、形だけは別室に呼ばれて指導を受けるけれど、事情を知っている先生方はすっかり休憩時間だと思っているようだった。
その日僕の指導に当たったのは剣の先生だった。
いつか魔法剣士を育ててみたい、と言っていた先生だ。もちろん彼も一連の事情を知っている。
先生は僕を見て複雑そうな顔をした。
「あーあ、火の属性でしかもAランクとか……、泣きそう」
冗談めかして言ってるけど、目が笑っていない。
「すみません…?」
なんと言っていいかわからない僕に、
「いや、レイズが謝る必要はないだろう?」と苦笑した。
僕としては、もう魔力を隠すのも今更の事で、先生の期待に答えて魔法剣士とやらの訓練をしてみたっていいんだけど、在学中は隠すよう言われているし、この時期に火の魔力を使ったら焼失した倉庫と結びつけられるかもしれない。
大人しくしておくに越した事はないので、僕も肩を竦めて返した。
今年は末の弟、アーノルドが入学してくるのかと思っていたけど、彼はどうやら騎士にはなりたくないようだった。王都の中心街にある経済や経営を教える学校に通い始めたらしい。
そこで勉強して、将来侯爵家を継ぐ僕の補佐をしてくれるつもりなのだそうだ。
肝心の僕が騎士の学校に進んだりしているのに、と思うとなんだか申し訳ないような気持ちになった。
また、そこなら邸から通えるからと母上が喜んでいると聞くと、それもまた複雑だ。
本来僕がしなくてはならない事を、全て押しつけている気がする。
浮かない顔をする僕に、部屋を訪ねてきていたジュリが言った。
「アーニーは元々剣術とか苦手だし、喧嘩もしたがらない優しい子だから騎士になんて向いてないんだよ。あいつはあいつでやりたい事をやってるんだから、兄さんが気にする必要なんかないね。それよりか兄さん!」
ジュリが身を乗り出した。
「最近笑ってる?兄さんが全然笑わなくなった、って噂になってる」
「そう?笑ってない?ていうか、そんなことまで噂になるの?」
目を丸くする僕に、ジュリは顔をしかめた。
「兄さん、気づいてないの!?僕も、レイだってもう何ヶ月も兄さんが笑ってるとこ見てない。心配してるんだよっ!」
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