おうちの案内 はじめました
リコとユリアスが一緒に仕上げた夕食は、大好評だった。
根菜とベーコンを具に香辛料を加えたピリ辛スープ、彩りの良い野菜に刻んだ卵を散らしたミモザサラダ。
鶏肉は細かく刻み、生姜を効かせてカボチャと一緒に煮込んだ。豚肉は分厚く切って塩コショウで焼き、キノコを使ったソースを絡めてある。
パスタはトマトと一緒に軽く炒め、チーズをのせてから表面を炙った。
時間に焼き上がるように計算して石窯で焼いた、レーズン、クルミ、プレーンの三種類のパンは、以前にまとめて作った生地を冷凍しておいたものだ。
ハーブのタレに漬け込んだ鶏肉は、油で揚げて付け合わせの野菜と共に大皿に盛り付けている。
何人分かわからないと思った量の食事は、瞬く間に主に三人のお腹に消えていって、リコを唖然とさせた。
(こっちの世界じゃこの量の食事が標準なのかな? 自分がものすごく少食に思えるよ)
体力勝負の職業に就いている男性と比べること自体が間違っていたのだと、リコが気づくのはもう少し先の話である。
「このスープすごく美味かった。なんか癖になりそうだな」
アッシュはピリ辛スープがお気に召したらしい。また食いに来ようかな、と呟くアッシュにユリアスは冷たい視線を送る。ついさっき、三日もかかるからなかなか来られない、と言ったことはもうすっかり頭から抜けているようだ。
「わざわざ来なくても、王都でも食べられるよ」
「え? マジで?」
食いついたアッシュに、ユリアスは店の場所を教えた。王宮の大門近くの路地裏にある小さな店。
「あ! そこ知ってるぞ! いつも混雑してるから気になってたんだ。よし、今度は絶対時間作って食いに行こう」
「団長の奢りならオレもついて行きますっ」
真剣な表情で宣言するアッシュに、調子よく便乗するリックス。
これだけ食べてまだ食べる話が出来るとか、唖然を通り越して呆然とするリコだった。
食事のあとは、何故かお客様の二人に家の中を案内する事になった。
二人は靴を脱いで家の中を歩き回るのが、相当お気に召したらしい。
「この解放感と床の感触が癖になりそうですねー」
「有事の際は慌てるかもしれんが、考えたらベッドでも靴は脱いでいる訳だしな」
この家は、実はここ数ヶ月の間にかなり様変わりしている。
お風呂から始まり、キッチンとトイレに水道がひかれ、洗面所が作られた。
リコの部屋を靴を脱いで上がる仕様に作り替え、それを気に入ったユリアスがとうとう家中の床を改築した。
結果、玄関に土間ができ、いわゆる下駄箱が設置されてしまった。
それに視線を投げたリコは遠い目をする。
異世界トリップの話は多々あれど、異世界の家の玄関に下駄箱を持ち込んだのは私だけかもしれない──と。
アッシュとリックスは、案内された風呂場を見て唸った。
キッチンと洗面所に引かれた、自動で水が出る管にも驚いたが、風呂場はそれ以上だった。
王宮の風呂でもこの設備はないだろう。
魔法使いがいなくても、水の管に設置された魔方陣に触れるだけで水が入り、湯を沸かすのにだけ何故ユリアスの魔法が必要なのかは不明だが、使用後ザッと掃除した後は、壁に刻まれた魔方陣に触れれば乾燥まで勝手にやってくれる。
しかも雨の日などは、洗濯物を干すこともできる優れものだ。例えユリアスがいれば干す必要すらなく乾くとしても……。
得意気に説明してくれたリコは恐らく気づいていないので、アッシュもリックスも言及はしなかったが。
目を丸くする二人に、リコは「よかったら入っていって下さい」と、気前よく声をかけた。
ユリアスは仕方なさげに頷いてみせる。
ここに着くまで、せいぜい宿屋で身体を拭く程度しかしていなかった二人は、誘われるまま順番に風呂を使ったのだった。
男にとっては落ち着けない可愛らしい内装の風呂で、それでもゆったり堪能してリックスと交代したアッシュは、居間に戻ってきて目を見開いた。
リコがソファーに座ったユリアスの足元の隙間に、ユリアスに背を向けた形でペタリと座り込んでいた。
ユリアスに押し切られ、アッシュの前に風呂を使ったリコだが、服装はキチンとしている。
なのに、そのしどけない雰囲気。
リコの濡れた髪に丁寧に指を絡めるユリアスと、その脚の間に挟まれ、心持ちソファーの座面にもたれて目を瞑ったリコには、直視できない何かがあった。
思わず息をのんだ直後、空気が無散する。
「アッシュさん、お風呂どうでした?」
パチリと目を開け、笑顔で問いかけてきたリコに今の空気はもうなかった。
いや、はじめからそんなものはなかったのかもしれない。アッシュが勘違いしただけで──。
「久しぶりに寛げたよ、ありがとう」と笑みを返しながら見ると、どうやらユリアスはリコの濡れた髪を風魔法で乾かしているらしい。
しかも、ほんのり火の魔法も重ねているようだ。
そんな魔法の使い方をするやつは見たことがない。
呆れたアッシュに気づいたのか、リコは恥ずかしそうに笑った。
「前に髪をちゃんと乾かさずに寝てしまって、風邪をひいた事があるらしいんですよね」
それ以来ずっとこうやって乾かしているのだという。
ユリアスの前に座るリコには、彼の顔は見えない。
ユリアスがどんな顔で彼女の髪を乾かしているのか、彼女は知ることはない。
昼間、侯爵夫人の手紙を読んだユリアスは言った。婚約者の件は心当たりがあるので調べてみる、と。
リコのことに関しても、決して誰かに迷惑をかけるようなことにはしない、と。
ユリアスは何も欲しがらない子供だった。
欲しがる前に既に手に入れている、そんな子供だった。
手に入れたものはかきまわして、反応を楽しんで、飽きたらほったらかす、たちの悪い子供だった。
ユリアスが本当に欲しいものは、大事にしたいものは、一生手に入らないのではないかと思っていた。
けれど、
ユリアスは、何かを見つけたのかもしれない。
アッシュは大事なユリアスが、誰も不幸にしない選択を選んでくれる事を願ってやまなかった。
翌朝二人は、魔方陣で王都まで送るというユリアスの誘いをきっぱり断った。
王都からカーサ村まで乗ってきた大事な馬を置いて帰るわけにはいかないのだそうだ。
馬ごと送るつもりだったんだけど……、と一瞬だけ思ったユリアスは、それ以上会話するのが面倒になって結局口に出さなかった。
筋肉の国の住民なんだから、三日かけて馬で帰ったって大して苦にもならないんだろう、と。
この日以降、リコとユリアスを取り巻く環境は徐々に、そして大きく変化していくことになる。