お茶会 はじめました
リコの事情は複雑怪奇だ。
言えない事が多過ぎて、とてもリコからは説明できない。
「リコが湖で溺れているところを助けたんだ。一週間近く高熱を出して、意識を取り戻した時にはこの国の事は何も覚えていなかった。生まれ育った国の事は覚えてたけど、何故この国にいたのか、何故溺れる羽目になったのかは、何一つ覚えていない」
ユリアスは淡々と説明した。
「リコの国は遠すぎて帰れないから、ここでこの国の事を勉強しているところだよ。この家の床は、リコの故郷の話を聞いて試してみたら快適だったから、僕が作り替えた。これでいい?」
これ以上訊くな、とユリアスが冷たい視線を投げつけたためか話はひとまずここで終わり、リコはホッとした。
突っ込まれたら説明のしようがないことばかりなのだ。
それからは気まずくなった空気を払うように少しばかりの雑談めいたやり取りが続き、やがて一瞬落ちた沈黙をきっかけにアッシュが居住まいを正す。
「忘れないうちに、今日ここにきた用件について話しとくか、ユーリ」
気軽な口調とはうらはらに、空気がピリリと張りつめたのがリコにもわかった。
(多分私はここにいちゃいけない雰囲気だ)
「じゃあ私、昨日ユーリさんと焼いたケーキがあるので、切ってきますね。どうぞごゆっくりしてて下さい」
簡単だからとユリアスにいわれ、昨日のうちに焼いていたパウンドケーキ。一晩寝かせるとバターが馴染んで更に美味しくなるらしい。
話がどれくらいかかるかわからないが、もうすぐいわゆるお茶の時間だ。部屋を出るにはちょうどいい口実である。
リックスが「手伝うよ」と、身軽く立ち上がろうとしたのを、お客さんに手伝ってもらうわけにはいかない、と慌てて手で制した。
「そ、そう?ごめんね」と座り直したリックスがやや狼狽えていたのは、ユリアスに睨まれたからだなんてこと、もちろんリコが気づいているはずもなかった。
パタパタと部屋を出てキッチンへ向かったリコを目で追っていたアッシュは、ドアが閉まると視線をユリアスに戻した。
「なんかあのお嬢さん、あの笑顔どっかで見たような気がするんだよなぁ。けどあんな印象的な髪と瞳を忘れるとは思えんし……」
ユリアスの眉がピクリと跳ねる。
「外に干してあったの、リコちゃんのワンピースだったんですねー。オレ、ユリアス様が怪しい趣味に走ったのかと思って焦ったわ。彼女、癒し系ってやつですかね?普通にしてると澄ました美人て感じだけど、笑うと幼い感じで可愛い、です……よ、……ね……」
喋りながらリックスは、とうとうユリアスの無言の視線に耐えかねて黙りこんだ。
「そんなに威嚇してやるな、ユーリ」
アッシュが苦笑いしてとりなすと、リックスは勢い込んで言った。
「そうですよー。だいたいオレ、王都に本命がいるんですから!」
「ああ、もう二桁はフラれてるって噂の、パン屋のお嬢さんか?」
「えーっ!? 何それ、なんでそんな噂流れてんの……!?」
クツクツと笑うアッシュに、リックスは悲鳴をあげた。
「そりゃお前、休みの度にウキウキ出かけてはすぐにトボトボ帰ってきて、大量のパンをやけ食いしてりゃあなぁ」
独身の騎士団員の殆どは寮暮らしなので、その辺は筒抜けだったりする。
「!!!!!」
アッシュとユリアスの生あったかい視線に、リックスはとうとう無言でテーブルに突っ伏したのだった。
「さて、リックスの恋人未満のお嬢さんは置いといて、だ。ユーリ、あのお嬢さんとはいったいどういう関係だ?」
「リコの事はさっき説明した通りだよ。それと母上の手紙に何の関係があるのさ?」
まだ封も開けていない母親からの手紙を手にしたまま、ソッポを向いて目も合わせないユリアスに、アッシュは辛抱強く続けた。
「大ありだ。その手紙には恐らくフェリシア嬢について書かれている。お前、自分に婚約者がいることを忘れるなよ?」
「あ……、そういえばそんな噂も……」
初めて思い当たったように呟いたリックスは、顔をあげると同時に刺すような視線を感じて、思わず頭を抱え縮こまった。
家の前での、頭上の炎に肝を冷やしたのはまだついさっきの事だ。
ユリアスの魔法属性については明らかにされていないが、五大属性の殆どに適性があるという噂がある。いわゆる火・水・風・土・空間の属性だ。
更にそこから魔力を貯める器の大きさによって、訓練次第で中級・上級魔法が使えるようになる。
それぞれ大雑把に分けると、火属性は攻撃、水は治癒・回復、風は結界、土は防御、空間は移動、といった具合だ。それ以外にも個人の特性で、可能性は無限にある。
魔法使い『筆頭』であるユリアスが持つ属性については巷の話題になる一つだが、火の攻撃が一番得意だというのが最も有力な噂だった。
但し、通常は一人一属性、多くても二属性しか適性がないのが普通なので、ユリアスの五大属性に適性があるという噂には真実味がないと思っている人も多い。
けれどリックスは既にユリアスが結界を張り、炎を操り、自在に転移する事を知っている。ならば残りの水と土に適性があってもおかしくないと思っているのだ。
リックス自身は魔法の適性は皆無なので、ただ、うわーすごーい、と拍手するしかない。
つまり、リックスにとってユリアスは絶対敵にまわしたくない相手だ。
こんな殺伐とした話早く終わってー、とリックスは心の底から祈った。
さて、キッチンに移動したリコは困っていた。
ここに来てから、ドア一枚向こうの会話や物音が全く聞こえない。
普段ならちょっとした物音でも聞こえるのだから、これは全く有り得ない事だ。
きっと、多分、いわゆる魔法が使われてるんだと思う。
詳しく聞いたことはないが、ユリアスは恐らく貴族で、高位の魔法使いだ。
いつもユリアスが処理している大量の書類を見ても、何か責任のある地位にあることがわかる。
そもそもユリアスはその書類に印を押すか、メモ書きを付けてそのまま突き返すかの作業しかしていない。それは下っ端の仕事ではないと思う。
(アッシュさんもリックスさんに団長と呼ばれていたし、きっと偉い人同士でなにか内密の重要な話があるんだな)
シュンシュンと音をたてるヤカンの火を消して、むー、と唇を尖らせるリコは、まさか話題にのぼっているのが自分だとは思いもつかない。
いつ開くかもわからないドアを前にお茶を淹れる訳にもいかず、リコは時間をもて余してしまった。
「リコッ! ごめん、待たせた!!」
ユリアスが慌てて飛び込んできたのは、一時間ばかりが過ぎた頃だろうか。
ふふん、準備は万端ですわ。リコ様をナメてはいけない。
お湯はすぐ使えるように温度をキープしてある。
ケーキを切るので、淹れるのは紅茶。
蒸らしている間に手早くケーキを八つに切り分け、用意していた皿に二切れずつ盛り付ける。
カトラリーは既にセットしてあるので、紅茶をカップに注げば出来上がりだ。
あっという間に準備されたそれを見て、ユリアスは感嘆の声を洩らした。
「凄い、リコ。手を出す隙もなかった」
素直な誉め言葉に、リコの鼻は天狗のようにのびる。
以前の私ではないのだ。もっと褒めてくださってもよろしくてよ。
「ところでリコ、こっちは何?」
鼻はシュルシュルと縮んだ。
おおう、それは……。
「スミマセン。夕食の下準備だけしとこうと思ったら、何故だかこんなことに……」
そこには、え? 何人分あるの?? 、と二度見必至の大量の食材の山があった。下拵え済みで。
実をいうとリコは、ここにくるまで料理らしい料理をしたことがなかった。
日本でリコは実家住まいだったので、料理は全部母任せ。全く必要性を感じなかったのだ。親の方は覚えさせようと躍起になっていた時もあったが、肝心のリコにやる気がないときて早々に諦めてしまった。
そんなわけで、ここへ来たばかりの頃ユリアスに、そりゃあ酷いものや惨いものを食べさせてしまったのは黒歴史である。
そしてリコは頑張った。
ユリアスに美味しいものを食べてもらうために、本人に料理を習うというのが些か残念ではあるが、他に誰もいないので仕方がない。
頑張ったリコは、まだアレンジは効かないものの、それなりの料理を作れる程度にはなっていた。
今のリコを見たら母親は涙するかも知れない、くらいのレベルである。
が、しかし。
確かに今日は、『お客さんたちも一緒にご飯を食べるかもしれない』という考えが、少しだけ頭をよぎったことは認める。
『念のため少し多めに、下拵えだけでもしとこうかな』と考えたことも。
が、しかし……なのである。いくら何でもこの量はない。
ユリアスからの指示もないまま、一人で気ままにやったのがいけなかったのだろうか。
それとも、あれもこれもと欲張ったせいか?
調理台の上には、材料がてんこ盛りのザルやらボウルやら皿の類が所狭しと存在を主張し、ふんぞり返っていた。
はああ、とため息をつきガックリ肩を落とすリコを安心させるように、ユリアスは微笑む。
「リコ、すごく頑張ったね。大丈夫、これはあの二人に食べさせればいいよ。心配しなくてもあいつらならこの位ペロッと食べるから。それに──」
吃驚して顔をあげたリコの頬に、ユリアスは指をすべらせた。
違う輝きを放つ二つの瞳が、甘さを含んで揺らめく。
(近い! 近いです、ユーリさん!!
そして何だかわからない色気が駄々漏れです──っ!!)
「どうせあの二人、今晩泊めてくれって言い出すに決まってるんだ。だから、こうやって準備しておいてくれて助かった」
(そうなのですか、そう言ってもらえると嬉しいです、ユーリさん以外の人と喋るのも久しぶりで楽しいですしね、それはそうとそろそろ手を放しませんか、紅茶が冷めてしまうですよー)
硬直して動けないリコの唇を親指の腹でスっと撫で、ユリアスは腰を屈める。目を見開くリコの額にちゅ、とキスを落とし、ふわりと笑んだ。
(ななななにしちゃってんですかぁぁ、ユーリさん! 今までこんなこと、したことないよね!? たった今、隣の部屋で何があった──!?)
顔を真っ赤にして静かにパニクるリコに、ユリアスの唇が綺麗な弧を描く。
「先に紅茶を運ぶよ。リコはケーキを持ってきてね」
「今のを見たかね、リックスくん」
「しかとこの目で、団長サン」
「あんな全開のユーリを見たのは十年ぶり位じゃないか?」
「さすが生きる伝説。王都のご令嬢たちが卒倒するんじゃないですかね」
「あいつは気にもせんだろうがな」
ユリアスがカップを並べている横で、小声でボソボソと会話する二人。
リコとケーキはまだ来ていない。
ユリアスは二人を軽く睨んだ。
「本人の目の前で噂話するの、やめてくれる?」
リコに余計な話を聞かせるつもりはなかった。
先程読んだ母親からの手紙には、あの母らしからぬまじめな文面で、フェリシアと突然連絡が取れなくなった経緯が綿々と綴られていた。彼女の邸に問い合わせても要領を得ないこと。納得がいかず、出来る範囲で調べてみたけれどどうにもならなかったことなど。
それらの情報の大半はユリアスも既に調べて知っていることだ。そして、どちらかといえばユリアスが知っている事の方が多い。
けれど手紙からは、母がフェリシアを心配する気持ちがヒシヒシと伝わってきた。フェリシアは母のお気に入りだったから。
母の手紙は『どうかフェリシアちゃんの無事を確認してほしい』と結ばれていた。
可能性があるとすれば一つだけ。
母が知らせてきた、ユリアスの知らなかった事実。
このままリコと穏やかに暮らせればいい、と思う一方、この生活が長く続く筈がないこともわかっていた。
母の願いが叶うときはリコを失う時だ。
甘やかして甘やかして、僕無しでいられなくなればいいのに。
さっきの硬直して頬を染めたリコを思いだし、笑いが込み上げてきて慌てて顔を隠した。溺れているのは僕の方だ。
考えに耽っているユリアスに、アッシュは声をかけた。
「なぁ、ユーリ。今晩はお嬢さんの手料理をご馳走になれるんだろう?」
「そしたら帰りが遅くなるから、きっと泊めてもらえるんですよね?」
ニヤニヤ笑う二人は、当然先程の会話を聞いている。
「好きにすればいいよ、どうせそのつもりできたんだろう? 但し一部屋しか空いてないから、二人で仲良く一緒に寝てもらうよ」
今度ニヤリと笑うのはユリアスの番だった。
一方、ケーキと共にキッチンに取り残されたリコは、少し冷静になった頭でつらつらと考える。
(さっきのアレは何だったのかな?)
今までだって充分優しかったけど、あんなふうに甘やかな仕草で触れてきたことなんてなかった。
それどころかむしろ、距離を詰めすぎないように気を遣われていたと思う。
そしてそれは、それなりの年齢の男女が人里離れたこんな場所で二人きりで暮らしているのだから、あって当然の然るべき配慮だと思い込んでいた。
(それが突然さっきのアレだよ? いったい三人で何の話をしてたんだ? ただの気の迷いか、それとも罰ゲーム的な何か? それならそれで種明かしもして頂きたいんですけど。無駄にドキドキするし、気になるじゃん)
そしてリコはすぐに思考を放棄してしまった。
(だってよく考えなくてもあんなに綺麗で優しくて何でも出来る人が、私に……なんてあるわけないもんね。考えるだけ無駄だわ。それよりちょっとでも早くこっちの習慣とか覚えて、自分で出来ること増やして、自立にむけて頑張ろう!)
ユリアスの気持ちは、リコには全く通じていなかったのだった。
そうしてようやくリコがケーキを運んでくる。
最初まだほんのり赤い頬を気にしている素振りだったリコは、あっという間に今度はお客さんたちの持ち出した王都の話題に夢中になっていた。
王都の中心にあるという女性に大人気の雑貨店や、最近開店したばかりの噂の女性服専門店。いつも行列ができている『看板なき御用達』と評判の老舗菓子屋。女性向けのメニューが豊富なデザート店。
軟派な見かけのリックスはともかく、アッシュが意外にも詳しいので驚いた。
なんでも新しいもの好きの母親が、次々と話題を仕入れてくるらしい。
ユリアスはこういった話は得意ではないのか殆ど口を挟むことはなかったが、楽しそうなリコを見て目を細めていたのだった。
誤字報告を頂いた部分を訂正しました。2020.9.15
本当に本当にありがとうございます(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)