3 タゲテスの涙*
2016/11/07改稿しました。
アマンダは今やボタボタと、大粒の涙を流していた。
林の中は、しん、と静まりかえって息遣いと嗚咽だけがやけに耳に響く。
「生まれながらにお姫様として暮らしてきた貴女にはわからないわ。私たちがどれ程貴女を羨んで、どれ程貴女を妬んで、どれ程貴女になりたかったか!」
また一歩。
おい、と焦ったような声とともに肩に触れた手を、振り払った。
「異国の血を引く『珍しい女』ではなく、貴女になりたかった!」
なのに、
「貴女はそんな自分をいらないと言うのよ。舞踏会には出たがらず、使用人と友だちになりたがる。陽の照りつけるなか平気で駆け回り、木登りしてその白い肌を傷つける。必死に貴族らしく振る舞おうと取り繕う私達を鼻で笑って、自分は庶民になりたいなんて愚にもつかない事をいい放つ。どれだけ私を惨めにさせたら気がすむの!」
「アマンダ!?」
フェリシアが口をパクパクさせて何か言いだした。でももう聞こえない。
「貴女がいるから。貴女がいるから私は──」
突然、フェリシアが走り出した。湖に向かって。
追いかけるアマンダに伸ばされた男の手がベールを掴み、ほどけて宙に舞う。
貴女がいるから、私は──。
貴女がいなければ、こんなにも苦しまなかった!目の前に、手の届くところに、こんな存在がいてどうして無視できるというの。憧れずにいられるというの?その憧れの人が自分をそんな風に貶めるとしたら、私たちは一体どんな存在になってしまうというの?
貴女なんか、
貴女なんか────。
「いなくなればいい!!」
結界を構成する煌めく糸が、パチパチと肌で弾ける。
無我夢中でフェリシアを追いかけ、捕まえ、引き倒し、乗り上げた。
「貴女なんかいなければいい。いなければ羨ましくもないし妬ましくもない。貴女になりたいなんて思わなくてすむのよ!消えて!消えて消えて!!」
消えなさい!シーリィン!!
やめろ!、という声がどこかで聞こえた。カサカサとした枯葉のような声。
(ああ、なんという憎悪の塊。私はそこまで嫌われてた……?)
(私だってリコに憧れて、自由なリコが羨ましくて、リコになりたかった)
(リコみたいに友達をたくさん作って、学校で勉強して、バイトに行って、幼稚園の先生になって、彼氏も作ってみたかった)
(リコの叶わなかった夢を私が叶えたかった。リコの人生の続きを、私が送りたかった)
(ああ、消える消えてしまう、私が消える)
(ユリアス様に謝りたかった。消える前に謝りたかった。消えてしまうのなら勇気をだして謝りにいけばよかった)
(メイシー……)
「空気が震えてる!誰か来る」
男が叫んだ。
フェリシアは瞳孔が開きかけている。
──まさかアマンダが呪術をかけるとは。
男は驚いていた。何の訓練もなく咄嗟に使えるようなものではない。
慌ててアマンダをフェリシアから引き剥がした。
とたん、フェリシアが動く。転がるように横に逃れ、立ち上がろうとしてバランスを崩し、落ちた。
水飛沫が上がる。
「フェ、フェリシア!!」
アマンダが真っ青になった。ここは毒の湖だと教えたのを思い出したのか。
けれど猶予はなかった。あれが来る前に逃げなければ……。
本能が逃げろと叫ぶ。
アマンダを抱えて林の方へ駆け出した。
フェリシアの名を叫びながら湖の方へ手を伸ばすアマンダをぎゅっと抱き、結界をさっきのように無理矢理通り抜ける。
走りながら一瞬背後に視線を投げると湖の上空に煌めく人影が現れたのが見え、また一つ水音が響き、飛沫があがった。
「私バカだったわ。こんなことするつもりじゃなかった」
「うん」
「そんなつもりじゃなかったのよ。でもあの娘にずっとバカにされ続けるのも我慢ならなかった」
「うん」
「嫌いだけど憧れてたし、大嫌いだけどあの娘になりたかったわ」
「うん」
「この湖に連れてきたのは、きっと嫌がらせだったのね、自分でもよくわからなかったけど。だってあの娘、必死で隠してたけどユリアス様と全然上手くいってなかったのよ?」
「ふーん?」
「普段の態度で丸わかりだったわ。隠し事ができるような娘じゃないもの」
「……その、お嬢ちゃんが必死に隠してる事をあんたはつついたりしなかったんだな」
男が優しげにそういうと、アマンダはツンとそっぽを向いた。
「……だから私がユリアス様と婚約できたなら、あの娘になれるような気がして、お父様に婚約者の差し替えをお願いしたのだけど」
──それは侯爵家から断られてしまった。侯爵家に断られたのか、ユリアス様に断られたのかはわからないが、ユリアス様に打診もせずに勝手に断るということはないだろう。
「この湖を選んだのはもしかしたら、ユリアス様への嫌がらせも入ってたのかしら。私を選んでくれなかったユリアス様への」
「うん、そうかもな」
ユリアス様のものであるこの地で、ユリアス様に相手にされていないあの娘を……、私はどうしたかったのだろう。
アマンダは律儀に相槌を打つ男をジロリと見た。
二人は、アマンダが乗ってきた馬も馬車に繋ぎ、三頭立てにして馭者席に並び座っていた。
少なくともアマンダは、夕方までにソリタスへ戻り馬を返さなくてはならない。来たときのように乗って帰った方が速いのだが、もうとても、そんな気力も体力も残っていなかった。
男は器用に馬を操りながら、恐ろしく堂々巡りのアマンダの相手をしているのだ。
「なぁ、あんた母親から呪術についてなんか聞いたりしてるのか?」
アマンダの繰り言が一区切りついたと見て、男はさりげなさを装い尋ねた。
いいえ?とアマンダはキョトンとした顔で答える。
「今回の事があるまで、一度も聞いたこともなかったわ」
やっぱりそうか、と男は内心頭を抱えた。
アマンダは自分がしたことに気づいていない。
毒の湖に落ちた事ばかり気にしていたが、むしろそれは問題ないだろうと男は思う。
魚や小動物、小鳥には僅かでも致命的かもしれないが、人間となると少々くらいなら飲んだとしても、後の手当てをきちんとすれば問題ないだろう。5日間ほとんど食べていないので体力が落ちているだろう事は気になるが……。
魔法陣を使って跳んで来たのは恐らく魔法使い筆頭のユリアス・レイズだ。
この湖の領主というならもう間違いないだろう。それならあの芸術的なまでの結界にも納得だ。
そしてその人物があの娘、フェリシアの婚約者だという。
転移してきて状況を見てとるや、躊躇わず湖に飛び込んだ。その潔さは気持ちいい位だった。自分が逃げている身の上だからこそ、余計に。
そういう人物ならば、ましてや溺れていたのが自分の婚約者だと気づいたならば、きっと手厚い治療を受けさせてくれるはずだ。
だから、湖に落ちたことはさして気にすることはない。
問題はアマンダがかけた呪いだ。
あの時、アマンダはなんて言った?
消えて、と。
消えなさい、と。
真名を呼んで、瞳に呪を込めた。
人間が消える訳がない。では消えるのは記憶か?人格か?
フェリシアという人格が消えたとして、そいつは一体どうなる?
廃人になるのか、それとも別人に?
素人がやり方も知らずに力任せにかけた術だ。うまくかかっている方が奇跡で、ヘタな効果でもついてしまっていたらどうしようもない。
アマンダは、急に隣で黙りこんだ男の様子を不安そうにうかがった。
男は埒もない考え事をやめて、フードの陰からアマンダを見た。
さっきまで泣いていたので、鼻の頭が真っ赤で目元も腫れぼったい。
それなりの年齢の女性に失礼だが、男には棄てられた犬にしか見えなかった。
男が試しに、鼻の頭が赤い、と告げて摘まんでみたら、怒濤の勢いで罵詈雑言が飛んできた。
どうにも男には犬がキャンキャン吠えているとしか思えない。
「やっぱりあんた面白れえ」
男はフードの中で破顔した。
男は馬車を停めて、アマンダに向き合った。
「俺の名は、ギーガだ」
目を丸くするアマンダの顎に指をかけ、
「いいか、ギーガだ。俺の名を覚えろ」
視線を固定して、
フードをはずした。
現れたのは、カサついた声からは想像もつかない若々しい顔。
彼は口角を上げ、ニヤリと笑った。
拾ったわけじゃないが、ほだされたと言うべきか。
見捨てるのも後味が悪い気がしてきた。
先ずはあのお嬢ちゃんがどうなったかを調べないといけない。
呪術の効果が出ているなら、それも。
金にならない事に手を出すのは初めてだが、それも面白いと思う自分がいる。
「これで俺を信用してくれるんだろう、アマンダ?」
何故か、鼻ばかりでなく顔中を真っ赤にしたアマンダにそう告げると、一旦王都へ戻るために、ギーガは再び馬車を走らせたのだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。そしてお疲れ様でございました……。
説明足りなかった分付け足したら、却ってややこしくなったかも(汗)
帰りの道中のギーガとアマンダの会話
「ところであんた、あのお嬢ちゃんを殺すつもりはなかったんだろ?このあとどうするつもりだったんだ?」
「え?どうするって、……使ってない別荘かどこかに監禁?」
「……監禁して、世話は誰が?まさかあんたあのお嬢ちゃんが自分で買い物して飯作って身の回りの事して、大人しく別荘に閉じ込められてるとでも?」
「何いってるの?それじゃ監禁とはいわないでしょ。もちろん閉じ込めて、世話は使用人にさせるわ」
「……その使用人はどこから連れてくる?口止めはどうする?」
「どこって邸から!?口止め??」
「…………あんたは犯罪に向かねぇ。真っ当に生きていく事をお勧めする」
次から、リコの記憶をなくした2ヶ月間になります。