1 タゲテスの贄
私はフェリシアが嫌い。ええ、大嫌い!
いつでも自分は何でも分かってるって顔して、私を、そしてエミリアを呆れたような目で見る。
私たちが持たない豪奢な金髪と真っ白な肌。産まれた時からのお嬢様のくせに、それをありがたいとも思っていない。
アマンダは目の前で床に転がる、半分だけ血の繋がった全く似ていない妹を見下ろした。
いい気味。
散々私たちをバカにした報いを受けるがいい。
「この術はいつまで効くの?」
「前回、2日間眠り続けたと聞いた。同じ位か、多少短いかもしれんな」
黒いローブの男が答えた。頭からすっぽり被っているため、相変わらずのカサカサした声以外これといった特徴がわからない。
アマンダは僅かに嫌悪感を滲ませた瞳で男を見た。
お母様が連れてきた、とはいえどことなく薄気味悪さを感じる。
アマンダの視線に気付いたのか、フードの奥で男がクツリと笑う気配がした。
「お嬢ちゃんを無事お招きできた事だしな、王都での目眩ましの誘拐はあと数回騒ぎを起こしたら撤収させるとするか」
なにやら騒ぎに便乗している者もいるようだし、と男は続けた。
「なら、この娘が呑気に寝ている間に運びましょう。馬車だと片道5日はかかると聞いたわ。途中で術をかけ直す必要があるわね」
「真名があれば問題ない。心配するな」
────真名。
真名一つでここまで。
アマンダはフルリと震えた。
アマンダの母であるアルダの生まれ育った国──他国との国交を持たないがため幻の国とも呼ばれたカディスは、今はもうない。地図上でいえばここラナリス王国から20cm程の距離だが、実際には船で1ヶ月以上はかかる処にあった。
アルダやアマンダ、エミリアもそうだがくすんだ茶色の髪に榛色の瞳の者が多く、肌の色も少し黄色がかっている。
アマンダ自身はラナリス王国で生まれ育ったので実際のところは知らないが、その国──カディスは魔法ではなく、呪術が発展した国だった。
恐らく原理は一緒なのだろう。体内に魔素の器を持ち、大気中の魔素を取り込む。
ラナリス王国ではそれを本能的に元素として分類し、応じた魔法を使う。
カディスでは取り込んだ魔素をそのまま呪術の源の力として使った。
適性が必要なのはどちらも同じだった。そもそも体内に魔素を溜める器がいる。ただラナリス王国では大きさに差はあれど二人に一人は器を持っていた。魔法は生活に溢れ、珍しいものでもなかった。一般の人々にとっては、なくても困らないがあれば便利、という位置付けだ。
ラナリス王国で生まれた子供は、物心つく頃には器の大きさを測る検査を受ける。それはもう、身長や体重を測る程度の気軽さで。
それだけ器を持つ人が多いという事だ。
生活魔法を使える程度の大きさなら問題はない。けれど、魔法使いの専門機関である『塔』が定める基準値を超えた者は、王都で魔力をコントロールする術を学ぶ必要がある。
そうして集められた子供たちの中で、特に器が大きく能力が強い者は、その魔力をもって国に貢献する事が求められる。けれど、大半の者は元の生活へもどるのだ。魔法が使えるからといって、特別視される訳でもない。
対してカディスでは、器を持つ者の数が少ない。
自然、器を持つというだけで特権階級に所属することになる。そこに貴族や平民といった区別はなかった。例え平民でも器さえ持っていれば、貴族がこぞって養子に迎えようとするからだ。
器を持つ者の出生率は低いが、器を持つ者の子供は比較的、器を持って産まれやすい。
なのでカディスでは器を持つ者同士の婚姻が奨励される傾向にあった。
アルダは、ささやかではあったが器を持って産まれた平民だった。
産まれて半年で器の存在が確認され、売られるようにメハンナ伯爵家へ引き取られた。
籍を入れられなかったのは、当時10歳だった伯爵家の長男と娶合わせられる事が決まっていたからだ。
アルダは15歳で成人を迎え、長男と夫婦になった。そこにアルダの意思はなかった。
その頃カディスは大きく揺れていた。
数十年に渡って他国との交渉を一切持たなかった閉ざされた幻の国カディスと、隣国アルハザードとの間に戦端が開かれたのだ。
戦のきっかけは公にされていない。
ただ、アルハザードから攻め込んだ、とだけ伝わっている。
カディスの呪術は耐性のない者に対しては万能に近い。
カディスの国民は皆、習慣として隠し名を持ち護符を身に付けるなどしていたが、それでも強い力には抗えないこともあった。
ましてや相手は異国の者だ。呪術の存在は知っていても、どの程度のものか、まではわからないだろう。
勝負は簡単につくと思っていた。少なくともカディスは。
アルハザードの実力者、例えば国王、或いは王太子、軍隊を率いる将軍でもいい。隙を見て、呪術を仕掛けるだけでいいのだ。敵はあっという間に自滅するだろう。カディス側はそういって嘲笑った。
けれど。
カディスは知らなかった。
アルハザードの王族・貴族たちは皆カディスと同様、呼び名の他に隠し名を持っていたのだ。隠し名とはラナリスでいうところの真名である。その存在を知らなかったカディスが、彼らの呼び名に対して呪術をかけても思うような効果はなかった。
焦るカディスがその原因を漸く突き止めた頃には、もはや勝負は動かしようのない所まできていたのである。
もっと早く隠し名の存在がわかっていれば、或いはもっと時間があれば遣りようもあっただろう。平民には隠し名をつける習慣がないのだから。時間さえかければどうにでもなった、筈だった。
結局のところ、カディスは滅びた。
呪術師たちは片っ端から狩られ、国は荒れた。
器を持つともいえない程の、ささやかな力しかない者たちが僅かながら逃げのび、海を越えた。陸に降りてから別れ別れになり、アルダは一人、ラナリス王国へたどり着いたのだった。
「真名さえわかればこっちのもんだ」と男は言った。
「たいした力を持たない俺でも小娘一人操るくらいは出来る。行動も、記憶でさえもな」
アマンダは爪先でフェリシアの脇腹を突いてみた。ピクリとも動かない。
「お前さんの母親もたいしたもんだよ。こんな異国の地で、お貴族様の奥方に収まって。欲をいえばもうちっと爵位が上なら良かったんだがな」
何が面白いのか、男はフードの陰でクツクツと笑う。
「まあそれでも上等だ。俺は金さえきっちり払って貰えりゃそれでいい」
アマンダは、ふと疑問に思ったので口を開いた。
本当はこんな男と言葉を交わすのも嫌だったけれど、気になったものはしょうがない。
「あなたは、こんな力があるのならアルハザードとやらにでも行けば良かったのではないの?平民には隠し名というのはないのでしょう?」
操り放題なのではないか、と思い聞くと、男は顔をしかめた。
フードで見えなかったが、しかめたような気がした。
「言ったろう?俺の力は弱いんだよ」
お前さんの母親と同じ位のレベルだ、と男は言う。
確かにお母様もフェリシアから、あの朝の記憶を奪ったのだと聞いた。でもそんなことができるのに、それで力が弱いと?
「このお嬢ちゃんの真名を手に入れたからだ。真名を知らなければ手も足もでねぇ。アルハザードの平民達も一緒だ。元から隠し名を持たない奴等を操れるほど、俺たちの力は強かねぇんだよ」
それが出来るほど力が強かった呪術師はみな殺されたさ、と男は呟いた。
「お前さんの母親はどうやってこのお嬢ちゃんの真名を奪ったんだろうなぁ、そこまで恨まれるこのお嬢ちゃんも気の毒なもんだよ」
カサカサと。枯れ葉が擦れ合うような音で男は笑った。
お母様がどうやってフェリシアの真名を奪ったか?推測はできる。確かめたくもないけれど。そしてこの男に教えてやる義理はない。
もう限界だった。
「さあ、もうこの娘を連れていって。私は約束通り魔法陣で後から追い付くから、それまで眠らせたままで余計な事はしないで」
フェリシアが消えた邸は、いつも通りのようでいてどこか沈鬱な空気を孕み、迂闊に近づけない雰囲気をかもし出していた。
「お嬢様は昨日の夜までお元気だったんですよ!!納得いきません!」
メイシーはランバートン男爵を睨み付けた。
馘にするならすればいい。昨日部屋を出てから、今朝様子を伺いにいくまで僅か数時間だ。そんなことあり得ない。
気迫のこもったメイシーを見下ろし、男爵は眉をひそめた。
「いいか。フェリシアは、病気療養で領地の別邸へ行かせたのだ。それ以上の事実はない。そして向こうには看護するものがいるから、お前が行く必要もない」
「旦那様っ!」
もう話は終わった、とばかりに歩みを進める男爵は一晩で幾つも老け込んだように見えた。
泣き崩れたメイシーは知らなかった。
屋根裏に、物置部屋の陰に、道具小屋の隅に、一体何人の異国の者が潜んでいたのか。
メイシーは気づかなかった。
住み慣れたこの邸がいつの間にか、粘る蜘蛛の糸に絡めとられていたことを。
アマンダは馬を跳ばしていた。馬で走るのは好きだ。嫌な事を全て吹き飛ばしてくれるような気がする。
──気のせいでしかないけれど。
男にフェリシアを預けてから5日が過ぎていた。
目指す湖はもうすぐそこだ。アマンダは逸る心を抑えて手綱を握りしめる。
昨日までの4日間、ジリジリと焦燥感を募らせながらも極力普通に過ごした。邸の違和感にも気づかない振りをし、夜会にも参加した。
フェリシアは病気療養のため別邸へ移った事になっていた。きっとお母様が手を回したのだろう。
けれど、ずっと同じ邸で働いている者たちが不審に思わない訳がない。
エミリアも不安そうにしていたが、アマンダは何も教える気はなかった。
母親にもそう言った。
エミリアは私に引きずられているだけ。小さい頃からそうだった。私のものは何でも欲しがり、私が嫌いなものは同じように嫌がった。
だから、フェリシアの事もきっとそう。
私はフェリシアを嫌いで憎んでいるけれど、エミリアまでそう思う必要はないのだ。
今朝一番に街を散策すると告げて、馬車を出させた。
数軒の店に立ち寄ると、あの男がいった通り、間抜けな人拐い達はまたもや金髪の女性の誘拐に失敗したあげく、どうやら街を出たらしいと噂が流れていた。
馬車を街外れの預かり所に停めさせ馭者に、ここから一人で行く、といえば嫌な顔をされたが、この馭者が博打好きなことは使用人達の噂で知っている。小遣い程度のお金を渡して夕方までの自由時間をやると、喜び勇んで走っていってしまった。
予想通りとはいえあまりの反応に呆れたが、預かり所の男も呆れていたようでアマンダは少し恥ずかしかった。
ベールで顔を隠し、地味で動きやすい服を身に付けたアマンダは、少なくとも普段のアマンダを知っている人からは別人に見えただろう。
自分の姿をサッと改め、満足したアマンダは近くの教会へ向かった。
王都の中で一番大きなこの街には三つの教会があり、それぞれの教会同士が魔法陣で繋がれている。ここの魔法陣は無償で、基本的に誰でも使えるよう開放されていた。
アマンダはそこから別の教会へ向かった。
移動した先の教会近くには転移門がある。いわゆる有料の魔法陣が設置してあるのだ。決まった先へしか移動できないが時間は瞬く間で、精度が高いためか距離が遠くても驚くほど空気のブレが少ない。つまり転移酔いが少ないということだ。
お値段は相応に高いので、普段から使えるのは貴族や裕福な商人くらいという代物だった。
金貨を五枚用意し、身分証明代わりに男爵家の紋章入りの懐剣を見せた。ソリタスへ、と告げるときは少し声が震えた。ソリタスは西の辺境で一番大きな町だ。
その町からアマンダの目的地までは馬で3時間ほど。
緊張するアマンダをよそに手続きはあっさりと終わり、数分後には彼女はソリタスの転移門に立っていた。
タゲテス……マリーゴールドの学名
【花言葉】嫉妬・絶望
*たくさんある中の2つですけどね*
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
ここへきて、まさかのアマンダ(笑)
しかも説明回……
その上続くとか、三重苦(・_・;)でごめんなさい。
後編、明日5日の0:00に投稿予定です。引き続き読んで頂けたら嬉しいです。