5 消失
「私は別にユリアス様のことなんて、何とも思ってないわ!むしろあんな女性にだらしなさそうな人、私だってお断りしたいくらいよ。お姉様達が嫌がるから、し、か、た、な、く、私が婚約して差し上げたのよ!!」
なんという傲慢な科白。
これが、私のささやかな人生の最大の黒歴史だ。
私が7歳で婚約した時、私との顔合わせを行うために、騎士養成学校の寄宿舎で生活されていたユリアス様は1週間の休暇を取って、ご実家であるレイズ侯爵家へ戻られていた。
顔合わせの翌日から、毎朝私のところにユリアス様からの贈り物が届くようになった。
侯爵家の庭で育てられた花の束だったり、王都で最近人気が出てきたという噂のスイーツだったり、可愛らしい柄の髪をくくるリボンだったり。
ユリアス様が手ずから用意された、とまでは思わない。それでもユリアス様の名で私宛に届けられるそれらに、私の小さなプライドはこれ以上ないほどに満足させられていた。
その日の朝はとても晴れやかで、いつもよりずっと早く目覚めた私は庭で咲き誇る花の間をさまよっていた。
もし今日もまた侯爵家の使いが贈り物を持ってきてくれたなら、私もユリアス様にお礼をしたいと。
お礼のカードは毎回届けてもらっていたけれど、昨日は頑張って手紙を書いた。その手紙に花を添えようと思い立ち、これはと思う花を探していたのだ。
侯爵家の使いの方が来られたら言付けようと、時間を気にしながらうろうろする私の前にいつものようにお姉様たちが現れた。
「調子に乗るのもいい加減にしなさいよ!」
キツい口調のアマンダに、
「どうせただの政略結婚なんだから」
吐き捨てるように言葉を紡ぐエミリア。
今、私がここにいる目的を知っているのだろう。
ああ、悔しいのだ、羨ましいのだ、と明らかにわかる二人に私の内側の優越感がムクムクと肥大する。
「ふふ、お姉様たち、断ってしまって残念でしたわね」
わざと口角をあげ、嫌な感じの笑みを作って挑発する。
本当に私はどうかしていた。
「あなたなんて何の取り柄もないのに、あっという間にユリアス様に飽きられて婚約解消されてしまえばいいのよ」
思うがまま罵る二人に、私は冷笑を浮かべた。
「それでお姉様たちのどちらかが、私の後釜に座ると仰るの?」
二人はピクリと震えた。私の後釜というのが許せないのだろう。
「まさか、そんな訳ないじゃない!私たちはあんな人お断りよ!!」
「フェリシアこそ本当は、婚約して嬉しくて仕方ないんでしょう!」
私はここで、お姉様たちこそ羨ましいんでしょう?と、一言返すだけでよかった。
それならまだ、取り返しのつかない事にはならなかった。
けれど、私は────。
二人が、そのプライドだけを持ってして再び拒絶したユリアスさまを、私だって本当は欲しくないのだと。
二人が内心は欲しくて欲しくてたまらないユリアス様を、私は渋々もらってあげるのだと。
ユリアス様を貶める事で二人より優位に立とうとした。
──し、か、た、な、く、私が婚約して差し上げたのよ──
私は取り返しのつかない言葉を口にしてしまった。
風がざわめき、繁みが音をたてる。
お姉様たちは悔しまぎれの悪口を言いながら、走り去っていった。
私は茫然と立ち尽くす。
自分の発した言葉に嫌悪感しかわかない。
人の悪口を言うと、言った方の心も荒む。そんなことを何故忘れていたのか。私に対して敵意も何も持たない相手を貶して何が楽しいのか。
あの二人と同じ土俵に降りてまで、私は何がしたかったのか。
朝一番のウキウキした気持ちをすっかり忘れて、虚ろに花を眺める私に庭師が声をかけた。
「お嬢様、これを」
手渡された小さな箱には繊細なラッピングが施されていた。
「これはどうしたの?」
侯爵家の方が来られたら知らせるようにお願いしておいたのに。
「今日学校へ戻るから直接お渡ししたい、と仰るのでこちらへご案内したのですが、直ぐに戻ってこられて、用事を思い出したからこれを渡しておいて欲しい、と」
ザアアと音を立てて、血の気が引いた。
随分きれいなお坊っちゃんで、と庭師の言葉は続いていたけれど、それどころじゃなかった。
私の、あの、薄汚れた言葉を、聞かれていたのだ。
ああ、またあの時の事を思い出してしまった。
思い出すたびに段々色褪せて風化しつつある思い出だけど、あの時声もかけずに帰ってしまわれたユリアス様のお気持ちを考えると、いつまでも治りきらない傷口のようにジクジクと痛む。
こんな事ばかり思いだし、考えてしまうのは──。
私はグルリと部屋を見回した。
「もういい加減部屋から出してちょうだい!メイシー!!」
そう、私は部屋に軟禁されているのだ。
本当に鬱陶しい。
「駄目ですよ、お嬢様。旦那様のお言いつけです」
メイシーはツン、と顎を上げる。
私も一緒にお付き合いしてるんですから、とメイシーは言うが、納得できない。
「メイシーは何かっていうと部屋から出てるじゃない!」
「そりゃそうですよ、私はただのお付き合いですもん」
「なんで私は出ちゃいけないのよ!」
「自業自得ってやつじゃないですかぁ?」
くそ──っ。メイシーったら絶対この前部屋を抜け出した事を根に持ってる。
「冗談は置いといて、例の連続誘拐未遂……旦那様は心配されてるんですよ。拐われかけた女性たちはみんな、お嬢様みたいな見事な金髪だそうですから」
私はフンと鼻を鳴らした。
メイシーがいうのはここ1週間程の間、ちょうど私が倒れた頃から始まった連続婦女誘拐未遂事件の事だ。
といっても最初の二回は人通りがそれなりにある通りで、女性が少し抵抗するとあっさり逃げてしまっているし、一昨日おきた三回目は女性の自作自演っぽいと聞いた。
「なんか本当に拐う気あんのか!?って感じのが二件と、注目されたーい、って大騒ぎしてるのが一件なんでしょう?」
メイシーは嫌そうに眉をひそめた。
もちろん情報源はメイシーなのだ。
「お嬢様、ものは言い様ですわ。それに少なくとも最初の二回の犯人たちも捕まっていないのです」
そう、犯人たちは複数らしい。
そして目立たない黒っぽいフードという出で立ちが、私達の馬車を襲った怪しい物取りと似ている、とヨハンが証言したことでお父様の脳内では何故か私が、連続婦女誘拐未遂事件の幻の一回目の被害者になってしまっているのだ。
「お嬢様が窮屈なのもわかりますけど、旦那様のお気持ちもお考えくださいませ」
切々と訴えるメイシーにため息を返し、私は鏡台の椅子にどっかりと座った。
お父様はいつから、あの気味悪いものを見る目で私を見なくなったのだろう?
新しい侍女がついた頃だろうか。私の中のリコの記憶を必死に隠すようになってから?
けれど私はもう物心ついたときからフェリシアでリコだ。
フェリシアの性格の根幹はリコによって育まれている。
平和な国の平和な時代に生まれ育ったリコによって。
戦う事を職業とする軍隊があり、男性は日常的に剣を握る。犯罪者は捕まったが最期、騎士や兵士にその場で切り捨てられる事も少なくない。
ここはそんな世界だ。
もちろんリコの国にも誘拐や殺人といった事件はあった。けれどそれは自分とは関係のない非日常のもので。
自分の身に降りかかるその時までは、他人事のようにしか感じられない。
この感覚はリコと混じりあった私だけのもので、純粋なこの世界の人達にとっては違うのだろうか。
私には恐らく危機感が足りないのだろう。
そんな私をお父様は、真実心配して下さっていると思っていいのだろうか。
私は鏡台の一番上の引出しの奥から小さな箱を取り出した。
これはあの遠い日に、ユリアス様から戴いた最後のプレゼントだ。
一度だけ開けてみた中身は、ピンク色の花びらをモチーフにしたアクセサリースタンドだった。
とても可愛らしかったのだけど、どうしても使う気になれずこうしてしまい込んである。
「これ、随分大事にしていらっしゃるんですね」
中身が気になる様子のメイシーに、苦笑する。
「大事にしている訳ではないんだけど、これは私が昔バカな事をした記念?なのかな。これを見るたびに反省するのよ」
尤もお姉様達と張り合うのだけはやめられなかったけどね。
つか、向こうから絡んでくるのだ。売られた喧嘩は買わねばなるまい。
成長のあとがみられなくて申し訳ない、と誰かに謝っておく。
「もし私に何かあったら、これ処分してちょうだいね。間違っても形見にとか遺さないでね」
私にとっては黒歴史の証拠品だ。
死んでまで引きずりたくはない。
私がそういうとメイシーは、何言ってんですか、と恐い顔を作った。
「私はお嬢様よりも四つ歳上ですよ。順当にいけば私の方が先ですからね」
そこ、張り合うとこじゃないよ、と思ったけど余りに真剣なメイシーに何も言えなくなってしまった。
メイシーとの付き合いももう7年になる。すっかり私の扱い方をマスターしてしまったメイシーが真面目に向き合ってきたときは、私はいつだって尻尾を巻くしかないのだ。
ま、そうだな。いつか吹っ切れたら、これは自分で処分することにしよう。
そしてとりあえず、メイシーちゃんには機嫌を直して貰おう。
そうして、おやつのパンプキンパイでメイシーのご機嫌取りに成功した私は、暇をもて余してソファーにだらしなく転がっていた。
「あーっ!ひまひま──っ」
「暇なら刺繍でも進めたらどうですか?」
「私がチマチマした作業、苦手なの知ってるくせに」
「頭つかうゲームも嫌いですしねぇ」
まずルールを覚えるのが面倒なんだよね。リバーシとかなら簡単なのに……。
「そうだ。リバーシしよう」
「はい?りばーし?」
盤面は紙に書いて、コマも丸く切った厚紙の片面だけ塗り潰せばOK。
なんて簡単。ルールもメイシーちゃんが覚えればいいだけなので、私は楽チン。
怪訝な表情のメイシーを急き立て、厚紙の調達を頼んだ。
工作よろしくセッセとコマを作り、メイシーを相手に勝負すること十数回。
確かに私は危機感が足りないと言わざるを得ない。
最初は負け続けていたメイシーがコツをつかみ出すと、あっという間に形勢は逆転した。そういえばリコはリバーシ弱かったな。
邸にいれば安全と思っていた。
今となっては三回に一回も勝てなくなってしまった。ドヤ顔のメイシーにぐぬぬと唸る私。
そもそも自分の身が危険な目にあうという自覚すらなかった。
誰も様子を見に来ないのをいいことに、深夜までメイシーと騒いだ。
やがて私は疲れて眠くなり、ベッドで丸くなる。
メイシーも自分の部屋へ戻っていった。
この日、私はランバートン男爵家から姿を消し、二度と戻ってくる事はなかった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
フェリシア視点終了です。
なんか書きやすかったので、ちょっと寂しい。