先輩メイドのお手本
堅く閉じられていた門が開け放たれると同時に、甲冑を黒く染め上げた兵士達が門の内側へと流れ込んで来た。
門の内側で目を伏せて直立しているアタイ達をグルリと囲い込むと、門の外から明らかに『出来無い』タイプの指揮官らしき男が入り込んで来た。
「ショタイナー家のメイド供か? ガキを出せ!」
ダミ声で怒鳴る指揮官は貴族の邸宅に上り込む為の手順をいくつもすっ飛ばし、口を開いた早々に失礼極まりない事を大声でがなり立てた。
「おぼっちゃまにどの様な御用でしょうか?」
タイタンがニッコリと微笑み、肩が細かく揺れている。
タイタンの下で短期間ではあるがシゴキを受けて来たアタイには、あの微笑みと肩の細かい震えは近くに寄ってはダメなサインだと解る。
アタイも色々と思い出してブルリと震えた。
「はーっはっは! ここにはメイドとガキしか居らぬと言うではないか! ガキは我が主人が欲しがっておる故、残るメイド供は残らず娼館に売り払う算段がついておる! まあ、売り払う前にたっぷりと我らが可愛がってやるがな!」
指揮官が甲冑の籠手を外したその手で、先頭で微笑むタイタンの胸に伸ばした。
「お黙りなさい。ぼっちゃまが起きてしまいます」
その場から浮き上がった様なタイタンの声が小さく響くと、それまで下卑た笑い声を上げていた指揮官が静まり返る。
「…………」
真っ青な顔でパクパクと口を開け閉めする指揮官の目尻に、涙が浮かんでいるのが見えてアタイも思わず吹き出しそうになる。
「メイド! 何をした?」
アタイ達を取り囲んだ黒甲冑の一人がタイタンに剣を向けた。
獣人のアタイですらさっきのタイタンの言葉には魔力が乗せられていた事に気付いたのに、それにも気付かないばかりか敵として相対している連中に何をした? とか聞いてくる奴等が心底可笑しくて、思わず吹き出してしまう。
「ぬううう! 何を笑うか獣人風情が!」
黒甲冑の男がアタイの肩口に向かい剣を振り下ろしてくる。
振り下ろしの角度、刃筋、踏み込みの位置、腰の位置、どれを見ても脅威の対象では無い。
アタイは肩の筋肉に血流を集め、剣が肩に当たる瞬間にだけ筋肉を締めてやる。
『ガツン』
アタイの肩口に振り下ろされたまま動かない剣を見て、黒甲冑の男が目を見開いたままに固まる。
アタイがタイタン譲りの微笑みで笑いかけてやると、黒甲冑の男は小さな声でバケモノなどと呟きながらその場で腰を抜かした。
「パトリオット。支給したばかりのメイド服に皺が寄ってしまいます。避けるべき時は避けなさい」
タイタンから早速のダメ出しが飛ぶが、王族近衛騎士団でもお目にかかれない様なデタラメに高価な素材で出来たメイド服には、ほつれ一つ見当たらない。
「はい。失礼致しました」
騒がしい音に視線を移すとタイタンから声を封じられた指揮官が、鎧をガチャガチャと鳴らしながら、身振り手振りでアタイ達を斬り伏せろと命令をしているらしい。
アタイはのんびりと見学していても良いらしいので、先輩達の立ち回りに神経を集中させる。
先ず動いた気配があったのは奮龍だ。大柄な身体を捩る様に折りたたみ、スカートの裾がずり上がる程に腰を落とす。
『チン』
刀と呼ばれる華奢でメンテナンスに手のかかる特殊な剣を、抜くかと思うタイミングで鞘に収める鍔鳴りの音が響く。
ボトン
何かが落ちた音に視線を移すと、地面には籠手が付いたままの手首が二つ転がっていた。
手首を切り落とされた奴が遅れ馳せながら、自らの不幸に悲鳴をあげようと息を深く吸い込んだ瞬間。
首が落ちた。
それを追いかける様に身体が地面に倒れると、心臓の鼓動に合わせて夥しい量の血液が切り口から噴き出し始める。
「チッ」
面白い見世物が見られるかと思いきや、真似をするのに数十年はかかるかと思われる技を見せられて、アタイも思わず舌打ちが出る。
戦場での必殺技なんて物は大抵は手品みたいな物だ。種が解れば破るのも簡単だし、真似るのも容易い物だ。ただ単に大抵の奴は手品の種が解る前に、首と胴が泣き別れしているだけの話だ。
しかし技となればそうは行かない。
何年もの時間を費やし、馬鹿みたいに基本の動作を繰り返した末に単純な動作を手品の様になるまで昇華させるなど、アタイの最も苦手とする分野だ。
奮龍はアタイの舌打ちの意味を理解したうえでもう一度同じ技を使い、二人目の黒甲冑を屠りやがった。
やはり見えない。
白い紙を数枚エプロンのポケットから取り出す奮龍は、刀身をゆっくりと磨く様に撫であげて空中にばら撒いた。
黒甲冑の奴らを細切れにした刀身を撫で上げた紙切れは風に舞い上がるが、何れも汚れ一つ無く天使の羽根のように純白だった。
舞い上がる紙切れを双子のノドン、テポドンが蛮刀で薙ぎ払い年相応の子供の様に無邪気に嗤う。
無造作に近寄る双子の少女達に躊躇する黒甲冑達は、ノドン、テポドンの二人を懐に入る事を許してしまう。
「キシシシ!」
双子の何方かが我慢仕切れない様に嗤い出した。
彼女達が手に持つ蛮刀により、脚を掬い上げられてバランスを崩した男の喉元に、蛮刀の切っ先が食い込み甲冑がひしゃげる。
一人が引き倒し、一人が息の根を止めるの繰り返しで黒甲冑の男達が瞬きする間に数を減らして行く。ある者は喉を潰されのたうち回り、ある者は中身ごと兜を潰され血泡を吹きながら痙攣をしている。どの男達にも共通しているのは蛮刀での攻撃にも関わらず『切られていない』事だった。
「結局馬鹿力かよ」
ため息混じりにアタイが呟くと双子が示しを合わせた様にこちらを振り向き殺気を飛ばした。
「ああ? 新入りが舐めた口聞いてんじゃねえです」
「うっかり間違えてすり潰して欲しいですか?」
ピタリと動きを止めた二人の殺人鬼から逃れる様に、黒い甲冑集団最後の一人がメチャクチャに剣を振り回しながらアタイの方に走って来る。
剣の腹に掌底を一当てして剣筋を逸らし、血走った眼に親指を突っ込んで眼窩に引っ掛けて片手で釣り上げると、残った手で顎下の柔らかい肉を素手で毟り取ってやる。
黒甲冑の男の喉からは血飛沫と共に、剥き出しになった声帯が震える笛の様な音が鳴り出した。肺の中に溜まった空気が無くなればコイツも終わりだ。
「馬鹿力は大好きだぜ」
久々に人を屠る事に興奮したアタイは、後先も考えずに双子に向けて殺気を放ち、挑発混じりの笑顔を投げかける。
「ああ? お前と一緒にしねぇでやがりますか?」
殺気が膨らみ双方共に後に引けない一触即発の状況を収めたのはタイタンの一言だった。
「パトリオット、ノドン、テポドン、貴女達は音をたてすぎです。優雅さに欠けますので明日から二日間特別メイド研修を命じます」
アタイと双子は恐らくは同じ、泣きそうな顔をしていただろう。