episode1 第1章第1部 兆し
まただ。一体何だろう。
夢の中で夢を見たような感じと覚めた感じが入り混じる。
まるで、過去あった事を夢で追体験しているような・・・。
何故こんな事になっているのと眉を寄せたり、唸ったりして体を起こす。
しかし、そこはいつもの風景しかない。
ただ、薄暗いせいだろうか?夢の中よりも濁り、色褪せて見える。
ーーー静寂が世界を無限へと包み込む
『竜の詩人(語り部)』
何時からだろうか?冷たい雫が幾度となく、かすかな刺激を与え続けていた。
身体中からひどい音がする。
何だろう?
重く、濁った様な意識のまま、ただその刺激を感じていた。
ここは何処かとか、どうしてここにいるのかというところまで思考が行っていないが意識そのものはしっかりしていたので1度思案するのを中断した。
息を深く吸い込んでみる。
ヒンヤリと湿った空気が鼻腔、喉を通り肺へ達した。
そしてゆっくり吐き出してみる。
身体中がつらくても、呼吸は正常に出来る事が分かると、すぐさま瞼を開いた。
まず目に入ったのは白い天井。
次に長細い蛍光灯の弱々しい光がチカチカと瞳孔を刺激した。
音は・・・雨の音だろうか?とにかく水の音がする。
上体を起こすとさらに周りを見渡した。
そこは床のタイルも壁紙も天井も真っ白な部屋であった。
この部屋を照らす蛍光灯の灯りが弱々しくなければきっと目を伏せるほど眩しく見えそうだ。
「・・・病院?」
彼女の声が広くも狭くも無いこの部屋の静寂の中にこだました。
それにしても、やはりさみしい部屋だ。
今彼女が眠っていたベッドは、丁度この部屋の中央付近の壁際にあり、その頭もとが壁についた状態で置かれていた。
右手には窓、左手の方には室外へと続くドアがあった。
窓の横にスチール製の床頭台が置いてある。
その横には見覚えのある、茶色い合成革のブーツが立て掛けてあった。
ベッドのすぐ横にもサイドテーブルがあるが、これには収納も付いておらずただのテーブルだ。
室内を眺めていた視線は更なる情報を求めて正面の壁にある洗面台スペースの鏡に向きなおった。
白い洗面台に蛇口が2つ付いており、その上に鏡が付いているのだ。
ベッドからは少し距離があるがいつもの自分が薄い検査着兼寝間着を着てベッドに座っている様が映っている。
色白な肌、黒々とした大きな瞳と肩まで伸ばして垂らした髪。
年のわりに幼さを残した顔立ち。
これといって異常のない様子で映っている。そこまで確認してーーー少女がだいぶ鮮明になってきた記憶を手繰り寄せた。
今が何時なのか分からないが「迎え」が来る1週間前、異変は起こった。
家のリビング、ソファーの上でうつらうつらしていた時の事だ。
その日は通っている短大が休校で、家で1人のんびり過ごしていたのだが、突然の腹痛と吐き気に襲われる。
「・・・生理前かな?」
時期的にそんな気がした。
いきなりの事で正直動揺もあったが、原因と思われる事を口に出してみたせいか、気が紛れたのか、とりあえず置き薬を飲んで再び横になった。
それから小一時間くらいだろうか?意識を取り戻した時には母も仕事から戻っており何時もの何気無い時間が始まったのだ。
だがその夜ベッドに入ってからまた、今度は息苦しさに目を覚まし起き上がったのだった。こんな事を5日くらい繰り返したある日、さすがに心配になり親の勧めもあり病院に行く事になった。
父の勧めで都内でも大きなその病院へ朝一番で受付を済ますと、検査が始まる。
それは半日を費やして医者の前に座ったのは午後になってからだった。
「何かの間違い、ですよね?」
声が裏返った。それは検査の結果判明した病名を耳にした直後の、第一声であった。
この30代を過ぎて久しいであろう医師も、信じがたい結果に動揺しているのか歯切れが悪く、しかしハッキリと告げるのであった。
「貴女の今の状態は、更年期障害の状態に酷似するのです」
19才で更年期?突然のとんでもない出来事に、両親に相談どころではなかった。
どうしてこんな事に・・・。
診断を聴き、家に帰ってからは何もする気が起きなかった。
6日目の朝、それは唐突にしかし急激な変化に見舞われた。
不安に目が覚めてしまい、仕方なく顔でも洗ってこようかと洗面所まで来た時である。
あれ?何か変。
思うや否や鏡に顔を近づけてみる。
化粧はまだしたことはなかったがそろそろと思っていた今日この頃。
だが今鏡に映る肌は弱りきっていた昨日とは違い、ハリと艶があった。
いや、それだけではない。
今気付いたが昨日まであれほど体調が悪かったと言うのに今は嘘の様に体が軽く、言うなれば力がみなぎってくる感じさえあった。
あの5日間は何だったのたろうか?ただの体調不良だったのたろうか?そう思いたかったがならどうしてあの医師はあんな事を?間違いなく更年期障害だと告げられたのに。
さらに、次の日更に驚く事が続いた。
一昨日から来ていた月経が止まっていたのだ。
これは本当に更年期障害なのかと再びあの医師を訪ねた。
だが、結果は更にとんでもないものとなっていた。
医師の口から出たのは、先日は更年期障害そのものだった検査結果が今は小児並に若返っていると言うのだ。
細胞まて採って調べたにも関わらず、だ。
そんな事が起こるものかと医師も頭を抱えつつ今回の検査結果を凝視していたが、やはり「若返った」としか言い様が無い結論しか出てこなかった。
更年期障害の次は若返り。
次から次へと何が何だか分からない頭を1度小突いて家に帰った。
次の日にあの医師から検査結果をもっと大きな施設で調べ直さないかという電話があり、気味の悪さから原因を調べて貰う事になった。
数日後の休日の早朝。「迎え」が来た。
海外の施設で同じ病気の患者がいる、と言う話から始まったこの会話。
その治療に協力してほしいと言う事だろうか?つまり、実験台になってくれと言う事か?と、父が目の前のスーツ姿の面々を睨み付けた。
冗談じゃない、と私も相手に強い視線を向ける。
だが、彼らの内この酷くぶしつけな申し出を口にした男の人は尚、静かに続けた。
「しかし、お嬢さんは突然年をとり若返ると言うとんでもない変化をしました。今回は若返って終わりましたが次がないとも限りません。原因にしてもウイルスなのか何なのか不明なまま。何より、それだけの変化をした人間です。様々な機関等に目をつけられるかもしれません。」
ならば、公的機関である我々の元へ身を寄せておけば守る事も出来るのです。
確かそんな会話だったと思う。
要するに彼らの申し出は公的施設での「保護」活動でもあると言うのだ。
それからまだひと悶着以上あり、結局私の施設行きが決まった(絶対に国、あと学校が国立絡みなので関係したのだと思う)。
色々思うものもありはしたけど、最終的に今後また発症したらと言う思いがあり、短期間という事もあり施設行きとなったのだった。
その施設はまさに陸の孤島だと思った。
ただし、大きさや設備などは都会のそれとも変わらないが。
着いたその日のうちに他の患者に面会した。
患者は8人おり、そのうち2人が年老いた症状で他はまだ微妙な状態で私が最初に味わった苦痛の真っ最中であった。
その後数日は検査に費やし、ようやく一段落着いたところで結果を医師が持って来た。
まだ若い男の医師で「スティーブ・カミシマ」と名乗った。
20代後半くらいだろうか?日系人らしのは名前だけとしか言い様のない医師だった。
少し癖のある濃い茶髪にグレーの瞳の白人男性にしか見えない・・・。
ついでに医者だと言われても白衣を着ていなければスポーツ選手にしか見えないと思った。
「今確認している患者と同様の症状と思われる事は確かだ。」
しかし、やはり医者である。検査結果を淀みなく説明していく。
「ただ君は他の患者とは決定的な違いがある」
さすが日系人?と、内心手を叩いてあげたくなるほどに滑らかに日本語を発していく、このイケメン。
ただ、表情はこの部屋に来た時と変わらず無表情だが。
「君は繰り返し老化と若返りの症状が現れる。外見年齢は今の二十歳前後のままで。1度若返ると20年前後の周期、体の内面や肌の細胞レベルで成長し、再び5日から1週間前後の老化が訪れ、また若返るを繰り返す」
この信じがたい話をしていなければ黄色い悲鳴くらい上げる気になっていたかもしれない。
真面目な結果説明だったが余計な事を考えている間にファイルを閉じ持ち手を変えこちらに向き直るカミシマ。
「以上が今現在の検査結果だ。君はこの症状の中に在りながら突然変異、もしくは遺伝子そのものが適応している状態のようだ。その細胞の解析が可能になれば他の患者も救う事が出来るかもしれないな。」
そこまで一方的に話、言い終わるとすぐさま部屋から出ていく。
何となく来た時もあからさまな感じこそないが嫌そうにしていた気がしていたが、本当に愛想笑い1つない人だと、その様子を見送りながら少し反芻してみた。
他の患者と同じ病気にかかったのに悪い症状にならず、現状を維持しているので、そこを調べたいから、少しずつ検体。
血や細胞を寄越せと言う事かと。
何となく釈然とはしないが理解した。
それから1週間くらいの間、この病院で定期検査や検体検査用の血液や細胞の提供に協力していたのだが・・・。
何が起きたのだろうか?ベッド横のテーブルの上をもう1度見ると途中で床に転がった解熱剤のビンが視界に入る。
テーブルの上にも錠剤が何錠か散らばっている。
そこで、ああ、と思い出す。
熱を出したのだ。今降っている雨が降りだした日、中庭の渡り廊下を歩いている時に庭の隅で猫が池の縁で鳴いているのがわかり助けてやったのだ。
その時雨に打たれ、ついでに池に落ちてその日の夜、熱が出たのだ。
熱は今下がっているがあれから何日か経っているのだろうか?意識がもうろうとしていたのでよく覚えていない。
体調はかなりいいようだけど・・・。
「?・・・静かね・・・。看護師さん、いないのかな?」
雨音意外には音もせず、人の気配もない。
意識の片隅で感じとり辺をみまわす。
静かだと言う事と人気がない事がここまで違和感があるとは思った事はなかった。
とにかく目が覚めた事を伝えておこうかな?する事もないのだし、と何気なくテーブルに手を伸ばしかけたところで突然頭痛とも耳鳴りともつかない意識の揺らぎが襲いかかってきて、脈が早くなるのを感じた。
「な・・・に?」
ーーー・・・・・・。
何か聞こえる?
他の患者かとも考えた。同時に何か違うとも。頭を押さえ、息を深く吸い込んでみる。
その間も耳の奥から早鐘を打つ心音がしてなかばパニックに陥る。
こんな事は今までなかったのに!と何かを振り払う様に頭を1度振る。
ーーー・・・・・・・。
何かがまた聞こえる。やはり話し声?それも自分を労ってくれている様な・・・。
そこまで考えたところで、状態がじんわりとだが回復していく。
ほんの数秒。
一体何なのだろうか?まだやはり、動かない方がいいのかしら?しかし、もう冴えてきた頭では眠れそうにない。
なら、と再び周りに気を配ると後ろの方で何か、くぐもった様な音がする。
振り返ると枕に水滴が落ちてきているのを見つける。
これが額を濡らしていたのだと知り首をかしげた。
この階は確かに最上階だけど・・・。
病院で雨漏りとか・・・。
高そうな施設なのにと苦笑いを浮かべ、可笑しいと思いつつもベッドを降りる。
天井から水滴が落ちてきている様だ。
再び休むにしろこれは誰かに言って修理してもらわなければいけない。
この静けさは気になるが仕方なく病室を出た。
人が全くいない・・・。
静かな廊下には誰もいなかった。
この病院はかなり広い。
初めて足を踏み入れた時頭に浮かんだのが″広大な敷地″という言葉だったくらいに。
医師にはじまり関係者の全てがこの敷地内の居住区域にある寄宿舎や寮生活をしており半ば街といっていいほどなのだから。
まあ、その広い土地を確保する為に人里離れた山奥しか条件があわず、陸の孤島化しているのだけど・・・。
さすがにそれだけでは職員や患者も不便だという事で病院兼研究施設及び小規模な街を作る事になったのだという。
そう、″街″なのだ。いくら陸の孤島を彷彿とさせる立地にあろうとも、静けさとは無縁なのだ。何せ医療関係者だけでもかなりの人数がおり、さらにその倍以上の患者数。
常にバタバタしている医療スタッフ。
当然昼も夜もない。
朝早くから新米看護師が年配スタッフに質問を繰り返しつつ慌ただしくしていたし、医師は医師で看護師らと患者対応におわれていた。
だからこの施設において1日の何処にも「静か」な時など存在していなかったはずなのに・・・。
何時もより薄暗く見える廊下を前にそこまで考えたが、背後から響く雨漏りの音に振り返るといつまでもこのままにしてはおけないので、ややゆっくりした足どりで廊下に出た。