第三回:会話
俺と同じ名前を名乗る俺とは全く見た目の違う男が、目の前にいる。俺はどちらかというと野暮ったいというか、無骨というか無愛想というか、髪の毛は軽いクセ毛で何となく流行りに乗っかって無精髭のような髭を生やしていて、女性ウケというかあまり第一印象は良くない。だけど、目の前にいる俺と名乗る男は、清潔感のある好青年。どこか優男な雰囲気もあり物腰も落ち着いている感じがする。はっきり言って俺とは真逆のタイプだ。これがただの同姓同名ならまあ、ただの悪い冗談だ。でも、目の前にいるサトウテツヤは俺に名乗った後に「一年後のお前だよ」と言った。俺は悪い夢を見ているのだろうか。
「いや、これは夢じゃないから。ここは一年後のお前の部屋なんだよ」サトウテツヤは俺の心を見透かしたように言った。
「一年後って、そんな映画や漫画みたいな話があるわけないだろ。それにお前が一年前に来たんじゃなくて、俺が一年後に来たっていうのかよ。そんなの信じられるわけ無いだろ」
「そうなんだよ、そんなことがあるわけないんだよ。だから俺も正直、驚いてるんだ。でもここは一年後のお前の部屋だし、お前は一年後に来ちゃったんだよ」
「一年後とか一年前とかよりも、お前が俺って言うならよ、なんで何でそんなに顔が変わるんだよ」
「それな、自分に聞けよ。お前が整形したんだから」
「……え? 整形したって、どういうことだよ。その言い逃れは無理があるだろ。なんで俺が整形しなくちゃいけないんだよ」
「知らないよ。でも、お前はあと数カ月後に整形するんだ。会社も辞めちゃって、ユミコともいきなり別れてな」
「は、ユミコと別れたのか、俺。なんで? だって結婚だって考えてたんだぞ。会社だって辞める理由がない。それなりのポジションだったし、プロジェクトも任せてもらってたんだ。やめるわけがないじゃねえか」俺はイライラして声を荒げていた。
「だから、それはお前が決めたんだよ。少なくとも今の俺は一年後のお前なんだから、お前が色々決めた後のお前なんだ」
「だったら、教えろよ。何で俺が会社を辞めて、ユミコとも別れたのかを。お前が一年後の俺って言うならそれぐらい言えるだろ。え? 言ってみろよ」
「それは、もちろん知ってるよ。でもな、いまのお前は知らなくていい」
「知らなくていいって、お前ふざけるなよ。お前、本当は誰なんだよ。人の家に勝手に上がり込んで来やがって」俺は自分で話していてわけがわからないということもあるが、何よりこの目の前にいるサトウテツヤと言い張る男にむかついた。
それに話しているうちにどこかで目の前の男は本当に一年後の自分なのかもしれないと少しでも思ってしまっている自分自身にも苛ついた。攻撃的な相手に対しては諭すような。でも、どこか相手を挑発して小馬鹿にするような口調。俺と似ている。でも見た目は違う。状況が全く理解できなくなり、混乱してきた。目の前の全てが信じられない。俺は目の前の男に掴みかかろうと膝に手をかけ立ち上がろうとした。でも、そんな俺の行動をも見透かしたかのように、サトウテツヤが先に立ち上がり俺の肩に手をおいて俺のことを宥めた。
「お前ね、イライラしていちいち人に突っかかるのやめろよ。仕方ないだろ、お前は来ちゃったんだよ一年後に。また元の世界に戻るかもしれないんだから、知らなくてもいいことは知る必要ないんだ。だから、俺にあれこれ聞くよりもどうやって戻るかをまず考えろよ。俺もお前にここにいられるのは困るんだ」
俺はまだ自分に起こっていることが理解できずにいた。軽くパニック状態になっている俺にサトウテツヤは深呼吸を促した。俺はゆっくりと呼吸をしながら部屋の中を見渡した。確かにおかしい。ベッドの横にある背の低い本棚を見ると俺が読んだこともない本があるし、いつも買っている漫画が並んであるが、本棚には二十九巻までが並んでいる。そしてテーブルの上を見ると、やっぱりさっき見たのは見間違いではなく三十巻だった。
やっぱりここは本当に一年後の俺の部屋なのかもしれない。いや、本だけでここが未来だということを決めるのはまだ早い。この男が俺を騙そうとして細工をしているかもしれない。俺はテーブルの上の漫画に手を伸ばした。
「やっぱり、まだ信じてないんだな」
「信じれるわけがないだろ。お前が俺なんてふざけるな。それに、ここも一年後なんてことは絶対にありえない。お前が俺を騙そうとしてるんだ」そう言いながら手にとった三十巻を後ろからパラパラと捲って発行日を確認した。そこに記されていたのは俺が過ごしていた日から一年後の日付だった。
「信じられなくても、ここは確かにお前がいたところから一年後だし、お前は俺なんだ。ゆっくりでいい。まずはそれだけでも受け入れるんだ。そして、ここでどうするかを一緒に考えよう。お前が元いたところに戻ることを望むんなら、もちろん協力する。ただ、そんなに反発されたら協力できるものもできない。だから、まずは落ち着いてくれ」サトウテツヤがそう言うのを俺は聞きながら、少しずつ整理しようと考えを巡らせたが、頭がぼんやりしてきた。
そんな中、廊下の先からドアのチャイムが聞こえてきた。誰だ? また誰か来たのか? 立ち上がろうとしたけど、体が思うように言うことを聞かない。全身が気だるくプールで泳いだ後のように眠い。「お前、さっきのコーラに何か細工したか……」と声を出そうにも、うまく喋れない。すごく眠い。まぶたが落ちてくる。
俺が猛烈な眠気とかろうじて闘いながら微睡んでいる中、誰かが部屋に入ってきた。けど、頭を上げて顔を見るだけの気力がない。ベッドで項垂れている俺には足元しか見えない。素足か? いや、ストッキングだ。女? 誰だ? 誰なんだ……。
眠気で支えきれなくなった上半身がゆっくりとベッドに倒れて、眠りに落ちていく中で聞いた声は、聴き覚えのある声だった。
「哲也、何でここにいるの? ねえ、ちょっと説明しなさいよ。哲也、ねえ大丈夫なの?」声の主は、しゃがんで俺の顔を覗き込んだが、それが誰なのかまではほとんど目が開いていない俺にはもはや人の形をした誰かがいるというくらいしか判別できない。
でも、この声は聞いたことのある声だった。ユミコか? ユミコがいるのか? でも、サトウテツヤはもう俺とは別れたって言ってたはず。なのにどうしてここに来る? 俺はすでに眠っているのか、夢の中なのか。一年後に行って全く別人の俺に会うなんてことは、全部夢だったんじゃないか? 俺はもう、現実なのか夢なのかさえも区別がつかなくなっていた。
「ユミコ、落ち着いてくれ。彼は置かれた状況が理解できずにパニクっていた。だからちょっと眠ってもらっただけだから安心してくれ。それに、俺もこの状況に正直パニクっている。だから、ちょっと落ち着かせてくれ。それから、ユミコ、君もだ」
「哲也が起きたら、どこから説明するのよ? まさかもう……」
そんな二人の会話をぼんやりと耳にしながら、俺は完全に眠りについた。