◆-6 「怪物」その2
大臣は皇帝陛下について詳しく話し始めた。
「ネーロ皇帝陛下はユーン王子の弟君であらせられましてな。今は異国で見分をお広げになる旅をしておられる最中でして。それがもう数日もするとこの国にお戻りになられるのです!」
――ユーン王子の弟…なのに皇帝? 確か皇帝って王や王子より偉いはずだけど…普通は兄の方が偉いんじゃないのかな…――
大臣は時には目を見開き、また閉じ、さっきよりも大げさな身振り手振りで、雄弁に演説を続ける。
「しかし、ユーン王子はあの通りまだまだ幼くていらっしゃる。今はまだ僅かながらの才をお遊びの方に発揮されておられますが、殊、国政に関しましてはその才は皆無でしてな。いくらこの国に争いが無いとはいえ、戦える兵がいなくては異国への威光にも関わります。兵を多く持つことはネーロ皇帝陛下の力の象徴にもなるのです。」
大臣の感情の高ぶりが握った拳にこもる。
「我々は陛下がこの国を治める日が来た時の為に、多くの権力の証を集めておるのです!」
力の象徴…権力…。
マツリにとってその言葉はいい響きではなかった。
前の世界で権力を持った者達が力をどう使ったか…。
そしてマツリ達のチームがいかに権力者達の身勝手に利用されたか……
記憶は朧げだが、その経験がマツリの考えを変えさせ、チームのメンバーとの対立を招いた事は確かだ。
マツリの心にはその時の心の傷が「消えない感情」として残っているのだろう。
大臣はマツリに背を向け、力んだ腕をかかげて偉人の銅像のようなポーズを取り声高に言い放った。
「そして陛下にそれを謙譲する栄誉はこの私が頂きます!!」
これだ……!
マツリにとって不に落ちなかった「何故」の答え。
大臣が求めていたものは、結局は手柄だったということか。
だがそれは、大臣にとってそれほどまでに皇帝の存在が重要だからなのだろうか…?
それとも、単に目的のためには何の犠牲もいとわないという性格だからなのだろうか…?
皇帝といい大臣といい、野望など持たない気さくで純朴な他の人々との違いはどこで生まれたのだろう。
マツリと同じく、過去の生い立ちがそういう性格にしてしまったということなのだろうか。
もしかすると、このメルヘン世界でも悲しい事は起こるということなのかもしれない。
…………。
マツリはそんな物思いにふけり、続いていた大臣の演説を少しばかり聞き流していた。
背を向けて力説していた大臣が少し落ち着いてこちらを振り向き、目が合った事でマツリは我に返る。
「……ですからして、陛下は統治者としての天性の才をお持ちなのです。それ故に、お気楽なユーン王子には反感を抱いておられる。」
――反感…。これって……モロ、兄弟同士の権力争いの話になってるわよね?――
「ですが問題なのはユーン王子ではなく、べったりと傍にいるピック夫人の方です。夫人は我々の動きに薄々気づいておりましてな。ネーロ皇帝陛下に不信感を抱いておるのです。おまけに城の兵の多くは夫人に従っておりますゆえ、我々の邪魔をしかねません!」
大臣はただ黙って聞いているマツリを説き伏せるかのような熱心さで語った。
しかし、王子の弟ならばまだ子供のはずだ。
そのネーロ皇帝という人物が権力を欲しているのか、大臣がそう導いているのかは分からないが、このメルヘンの世界に権力も国力の凌ぎ合いも、似つかわしくはないと感じた。
それも所詮、マツリの幻想だったとしてもだ。
「ですから以前、この神殿に来た時の事は王子に報告せずに、あなたにお渡しした書物からもその記述は省かせてもらいました」
――省かせてもらった!? だからあんなスカスカな内容だったのか…――
その時、話を聞いていた兵士の一人が振り向き、こちらに向かって言った。
「いや、大臣、確かあの書物の件は単に眠気のあまりに書き忘れたと言っておられましたよね?」
「これ、黙らんか!そんな事をばらしては私の策の緻密さが伝わらんであろうが!貴様、掃除夫に格下げされたいのか!」
「ひいいっご容赦を!」
腕を振り上げて怒る大臣に、萎縮した兵は慌てて縮こまる。
――……そこはどっちでもいいんだけど……――
それにしても、こんなトップシークレットに値する情報であろう事まで明かしていいのだろうか。
それとも、所詮、街の何でも屋などに知れたところで何の痛手にもならないという所なのだろうか。
「この光たんぽぽもその一つ!光る綿毛はネーロ皇帝陛下の城にこそ相応しい!」
恥ずかしさを打ち消すように興奮気味に言いきった大臣の言葉を聞きながら、マツリは考えていた。
誰かの権力のために自分が利用されたのだと思うと、残念でならない。
が、それは自分の不甲斐無さに対してだ。
実は最初、ユーン王子にこの仕事を頼まれたときは、王子のあどけない願いに少しだけ不安を感じ、アクシデントの予感がした。
それはマツリの過去の経験による「勘」にすぎなかったのだが、マツリは自分の勘が良く当たるのもあって、何か一筋縄ではいかない事を覚悟はしていた。
しかし、ここまで複雑な事情が絡んでいるとは思いもよらなかったのである。
少なくともあの王子は純粋に綿毛の光を見たがっていただけだ。
幻想…というより「油断」だったのかもしれない。
前の世界で、人間の欲と業、散々それを見てきたはずだ。
それなのに、このメルヘン世界にはそんなものは無縁だろうと、無条件にそう考えていたのだ。
自分にとってこの世界が「やり直せる場所」である事に期待するあまり、警戒心を忘れていた。
だから利用される可能性がある事を予測していなかった。
まさに不甲斐無い、と言わざるを得ない。
普通なら、それは慣れてしまえばある程度は耐性が付く事だし、それほど気に病む事ではないのかも知れないが、過去に苦い思いを経験したマツリにとって反省するには充分なことだった。
特に前の世界ではそれは命取りにすらなりえたからだ。
―――甘かったな…―――
マツリは自分を諫めた。
気持ちを切り替えよう。
大臣の印象が悪くなったとはいえ、このまま帰るわけにもいかないので、さっき大臣がした話の中で気になっていた事を尋ねてみた。
「あなたがその皇帝の家臣だという事は分かりましたけど…さっき「光たんぽぽから種を採る」といいましたよね? どうやって種を採るんですか?」
大臣がマツリの質問に答えようと息を吸った瞬間……
ガシャァァン!!
広間に大きな金属音が響いた。
石と鎧が激突した音だ。
兵士の一人が声を上げる間もなく宙に飛ばされ、柱に叩きつけられたのだ。
「何をしている!?」
驚いた大臣が見れば、光たんぽぽがその巨体をうねらせて暴れている。
宙を切った根が、それを取り押さえようとする兵達を次々と弾き飛ばす。
兵の一人が応戦するため、動きを封じてあった槍を抜いた。
「バカもん!槍を抜いてどうする!」
大臣が叫んだのもつかの間、柱を伝い闇の中へと消えてしまった。
飛ばされて倒れている兵を介抱しようと傍に駆け寄るマツリに、大臣は慌てて促す。
「マツリ殿!兵達など放っておいてもよいのです!逃げられる前に早くその魔法の力で奴めの種を取ってくだされ!奴はこの世で最後の一匹の光たんぽぽなのですぞ!」
――最後の一匹……?――
マツリはすぐさま奴を追いかけようと一旦、跳躍の姿勢を取っていたが、そのままゆっくりと体勢を戻して立ち上がった。
次回、◆-6 「怪物」その3に続きます。