2.
意気揚々とリビングに顔を出すと、部屋の真ん中にある長椅子に茶髪の青年が座っていた。机の上の書類と手帳とをにらめっこしている。やがてこちらに気づいた彼は爽やかな笑顔を浮かべた。
「おや、お嬢様。何か御用ですか?」
彼はエドワード・キンドリー。スタイルの良い体格。切れ長の目に鼻梁の高い鼻筋で眉目秀麗である。ヒルダの兄であり、彼もまたエインズワース家に仕える者だ。アリアの父――ダグラス・エインズワースの秘書も務めている。
アリアは彼の向かい側に座る。
「エド、相談があるの」
聖とヒルダを引き連れて着物の件をエドワードに話した。
「なるほど、確かに日本は暑いですよね。私もうんざりしています」
彼も首の後ろを撫でて苦笑してうんと強く頷いた。
「面白そうですね。さっそく旦那様にもお話しましょう。……あぁ、ちょうどよかった」
するとエドワードは思い出したように、机の上の書類の中から封筒をひとつ、手に取った。
「それはなに?」
四角い白い手紙は封蝋がすでに切られており半開きになっている。エドワードが差し出してくるので、アリアは不思議に思いながらも受け取った。
「旦那様宛に届いたものですが、お嬢様にも関わりがあるので目を通してくださいね」
「私も?」
なんだろう?と首を傾げながら手紙を開く。右隣からヒルダがひょいと顔を出し、真剣な表情でこちらの手元をじっと見つめてくる。そんなに気になるものかとアリアは肩をすくめた。片や聖は気に留める様子もなくそっぽを向き、懐から扇子を取り出して広げる。彼なりに配慮してくれているのだろうか。
そんなことを思いながらアリアは手紙の内容を斜め読みして、目を見張った。
「え、晩餐会?」
エドワードはイエスと頷く。
「旦那様の取引相手である、ミハエル・シュタウフェンベルク様と今週末会合を開くことに致しました。お嬢様も是非に、とのことです。ニッポンの方もいらっしゃることですので、交流するには良い機会だと思います」
彼は用意してあったようにすらすらと言葉を並べた。
それに、アリアは眉をひそめる。
戦争や通商もしかり何らかの利権があって人や国家は動く。それは舞踏会も晩餐会も同じ。恐らく父も、取引相手も商業目的だけで会合は開かない。この晩餐会には裏があるに違いない。
アリアはしかめっ面のままエドワードに言った。
「お仕事なら、私まで招待しなくてもいいじゃない」
「何をおっしゃいますか。あなたはダグラス様の息女、招待されても不思議ではありませんよ。心配などされずとも――」
「エド。正直に言いなさい」
「……」
相変わらず爽やかに話す彼に腹が立った。語気鋭く促すと、エドワードは言葉に詰まって端正な顔を曇らせる。すると隣に密着したヒルダまでもが厳しい表情をした。
「アリアに何させるの? 兄さん」
「ヒルダまで怖い顔するなよ。俺はそんなつもりで言ったんじゃない。でも多分、旦那様はそう考えてらっしゃる」
エドワードは深く椅子にもたれてから、再びアリアに目をやる。
「本国の晩餐会のように、貴族の方は恐らく見られないと思いますが、それでもエインズワースの名を知ってもらうためには良い機会です。今、ニッポンは通商の要所。今後のためにも、ニッポンの方と滞在する外国の方たちとは交流するのは当然です」
そこで言葉を切り、エドワードは浅く息を吐く。そして言いづらそうに口元を手で覆い、視線を机に落とした。
「それと。お嬢様は年頃なのですから、……男性とのお付き合いも必要です」
「……へ?」
最後の発言にアリアは目を丸くした。エドワードは気まずそうに眉をひそめて早口で畳みかける。
「旦那様はそうお考えですよ。ですからこの晩餐会にも出席していただきたいのです」
「……」
アリアは固まった。
どの会合も何かしらの利益があるに決まっている。エドワードが言ったことはもっともだし、ダグラスの商業が上手くいけば日本に滞在する期間も長くなる。それはアリアにとって喜ばしいことである。
中産階級上層部に位置するエインズワース家は、上級階級の家系ともそれなりに親しくしていた。無論この極東の島国には、本国のようなきちんとした慣習も作法も一切存在しない。しかし、ここは外国人居留地。日本であって日本ではない場所。西洋の文化が顕著に顕れる地域である。
そして、アリア・エインズワースは十六歳の少女。すでに社交界という空気は味わっている。
だから、知っている。
人は何かしらの利権があって動く。ここで言う人は父親のダグラスであり、利権自体はダグラスと取引相手が握っている。
つまるところ――。
「婚約者を探せと……」
「なぬっ?」
ヒルダが素っ頓狂な声を上げた。耳元でやかましい彼女に眉をひそめて、アリアはエドワードをじっと見据えた。すると彼はひどく落胆した様子で息を吐く。
「そこまで考えてはいませんでしょう。ダグラス様もさすがに有色人種をお相手に選ぶのは――」
「黙って、エド」
今の言葉は聞き捨てならなかった。アリアはますます腹が立ち、くしゃりと手紙を握り潰した。
非難の視線にエドワードは自らの言葉を省みたのか、青い瞳が動揺を示し、うなだれるように頭を下げた。
「……申し訳ございません」
「謝る相手を間違ってるわ」
ふんと鼻を鳴らしてアリアは自分の左側を一瞥した。
いまだに聖は我関せずと言ったふうに、扇子でぱたぱたと煽いでいる。こちらの話を聞いているのかいないのか、まったくわからなかった。しかし、聞いていても英語がわからない彼には、会話の内容は理解できないか。
するとこちらの視線に気づいた聖はにこりと笑う。
「決まった?」
「え、あ、うん。……あのねセイ」
「なに?」
笑顔の聖を見ていると不安になる。もしかして本当はわかっているのだろうか? だとしたらさきほどのエドワードの発言は、彼にとって酷ではないのか?
「……」
「どうしたの、黙り込んで?」
聖は不思議そうにこちらの顔色を窺う。
アリアが何を言おうかと迷っていると、彼は口を開く。
「君が何迷ってるか知らないけど、話を進めていいかな? まずその文はなに」
「え、あー……」
アリアは手元にある手紙に目を落として考えた。
「あれ? 晩餐会って日本語でなんて言うんだろう。……セイ、パーティーってわかる?」
「ぱー、てぃー? いや、外国語は難しいよ」
苦々しく笑う彼にアリアはうーんと頭を使う。
「えっと……、大勢の人と夕食を食べるってことかな?」
「なるほど。一族の集まる会合みたいなもので……それに召されたってことか」
「まぁ私は行かないけどね」
「え?」
「お嬢様……」
すんなりと答えると聖が目を瞬き、エドワードが頭を抱えた。
アリアは封筒を机に放り投げる。
「だって面倒じゃない。絶対行かないわよ」
「ですから、ここは旦那様のためと思って……」
「お父様のためでもイヤ。私まだ、結婚なんて考えてないし。世界のこと、もっといっぱい知りたいもん」
「そこまでは申しません。ただ少しでも男性の方とのお付き合いを……」
「絶対に嫌だからね」
取りつく島も与えない。アリアは断固拒否の構えに入り、憤然として腕を組んだまま黙り込んだ。
呆れた様子のエドワードと、彼とアリアを交互に見やるヒルダ。彼女はどちらの味方をするか迷っているようだった。
そして、聖はパチンと扇子を閉じて。
「家は大事でしょ?」
と、アリアの顔を覗き込んでそう問う。唐突に話しかけられたのと間近に彼の顔が現れてびっくりした。思わずアリアは身を引くが、こちらの様子など構わず聖は続けた。
「ダグラスさんが頑張ってるんだから今の生活があるんだし、家が無くなったら日本にもいられなくなるよ?」
「むっ、確かにそうだけど……」
「そんなに構えなくてもいいんじゃないか? 一族の集まりなんて面倒と思うのは誰だってそうだし、俺も同じだよ」
「だけど、好きな人なんかすぐに出来ないよ」
頬を膨らませるアリアに聖は微笑む。
「それは置いといて楽しんで来ればいいじゃない。俺だって許嫁いたけど、別段気にしなかったし」
「はいっ?」
今、不穏当な発言が聞こえた気がした。しかしその日本語の意味はわからない。だが、アリアは直感したのだ。その単語は何やらアヤシイ……。
アリアはじっと聖の表情を窺う。聖は突然黙り込んだこちらを不思議そうに見つめた。
「どうしたの?」
「ねぇセイ」
「な、なに……」
低い声音に若干たじろぐ聖。見つめ続けていると漆黒の瞳が揺らぎ、ぽりぽりと頬を掻く。アリアは強張った頬を緩ませて、可愛らしく小首を傾げてみせた。しかし目は笑っていなかった。
「イイナズケって何?」
「えっ?」
聖は目をぱちくりとさせる。戸惑いを見せるがすぐに理解したらしく、考えるように顎に手を当てて答えた。
「んー、なんて言うんだろ……。結婚する相手って言ったらわかる?」
「は? ……えぇっ!?」
思わず立ち上がる。椅子の背もたれに手をついて、ぐいっと聖に顔を寄せた。鼻の頭がぶつかるくらいの距離に、聖がぎょっとして身を引くが、アリアは逃げる彼の肩を引っ掴んだ。
「あ、アリア……近い……っ」
聖は胸の前で両手を上げて降参のポーズをとる。
彼の言葉に、胸がざわついた。ちりちりと小さく火花を散らすように胸が焦がるのだ。なんだか息の詰まる思いだった。
アリアは固い唾を飲み込んで聖を見上げた。
「セイは、結婚してるの……?」
どうしてかその声は震えていた。
「――しっ、してないしてない!」
聖は叫んだ。慌てた様子で首を横に振る。
「許嫁がいたってだけで結婚なんか一度も……! だいたい昔の話だから今はいないよ。そんなもの家を出たときに解消されてるしたぶん」
「本当に?」
「ほんとほんと」
こくこくと頷く聖。真摯に、それでいて必死に訴えてくる様子は嘘を言っているようには見えない。もともと、嘘を吐くような人ではないが。
「そ、そうなんだ……」
アリアはほっと胸をなで下ろした。
すると、何が可笑しいのかエドワードがくすくすと微笑みながら言う。
「婚約者がいたとは。セイさんもかなりの身分ですね」
「俺の家は……代々帝に仕える身だけど、裕福とは言えなかったな」
聖は恥ずかしそうに顔を背け、扇子の柄の部分で肩を叩く。
「信じられない、こんな奴が貴族だと? さすが東の端、侮れない……」
そうぶつぶつとぼやくのは左隣にいるヒルダ。愕然とした表情を浮かべる彼女をアリアはとりあえず睨んでおいた。
「ていうか、俺の話なんかよくて……」
聖がゆるゆると首を振り、アリアに目を留める。
「君はその集まりには行ったほうがいいと思うな」
「むぅ……」
話が脱線したが、聖の答えは変わらなかった。
何度も言うがめんどくさいのだ。他人のご機嫌伺いなど性に合わないし、アリアは自分の探求心を埋めるためだけに人生を謳歌しているのだ。それ以外は後回しである。
唸って口を尖らせるが聖は取り合ってくれない。どんな理由、もとい言い訳を言おうか迷ったそのとき、良いことを閃いた。
アリアはぱっと顔を上げてにこやかに告げた。
「じゃあ、セイも一緒に行こ?」
「はっ?」
突然の提案に、聖は目を点にした。
「え……意味わかんない。俺関係ないじゃん……」
「男性なんだから、女性をエスコートするのは当然でしょ?」
アリアは胸を張って勝気に笑う。
しかし聖は理解不能と言ったふうに首を捻り続ける。これはさっき驚かされた仕返しなのだ。それに男性が側にいれば、晩餐会で面倒な厄介事にも巻き込まれないだろう。
「お嬢様っ!」
そのとき、ヒルダが声を上げた。泡を食った様子でヒルダはアリアと聖の間に入って、アリアに進言する。
「私も行きます! エスコートなら私ひとりで十分ですよ! こんな奴に頼らずとも……!」
「ヒルダも来てくれるのっ? じゃあ、めいっぱい、おめかししなくちゃねっ!」
「はっ?」
そう言うと、ヒルダは目を点にした。
「……えっ、おめかし?」
「そうだよっ。ヒルダもお化粧してドレス着るんだよ?」
「い、いや、私はお嬢様をお守りするために……」
しかしヒルダの言葉は聞き入れてもらえない。アリアはすべて無視してくるりとエドワードに向き直った。
「セイの衣装はエドにお願いするね?」
「……そうしましょうか」
「何頷いてんの、エドワードさん」
驚いて振り返る聖に、エドワードは爽やかな笑顔を浮かべて言った。
「アリア様が行くと言ったので良いではありませんか。私も安心です、ダグラス様にきちんと報告できますから」
「俺の意思は無視ですか?」
聖はこめかみを揉みながら文句を垂れる。
そんな彼にアリアは近づく。きゅっと胸の前で手を添え、できるだけ上目遣いになって不安げに息を漏らしてみせた。
「セイは、……私と行きたくないの?」
「え……」
こちらの視線に聖はますます目を剥き、わなわなと唇を震わせてやがて大きく肩を落とした。
「…………わかったよ」
――勝った!
アリアはぐっと拳を握り、心の中で諸手を上げた。にこにこと笑顔を湛えたまま聖に言う。
「綺麗な格好しないと、他の人に失礼でしょ?」
「はいはい……」
不服そうな彼の声を聞きながらアリアは硬直しているヒルダの手を取った。
「ヒルダもぼーっとしてないで行くよ?」
「や、だから私は……」
諦めの悪い彼女をぐいっと引っ張ってリビングのドアを開ける。
背後から聖とエドワードの言い合うのを聞きながら、晩餐会を楽しみにしてリビングを出た。
2015年7月29日:誤字修正