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明治あやかし譚  作者:
第一話 陰陽師十文字聖
5/15

5.



 アリアは目を開いた。そこはリビングではなく、草原だった。ねずみ色の空に湿った草木の匂いが鼻につき、わずかに鉄の匂いもした。

 視界の中にあるのは緑の草木だけでなく、何か黒い塊が見えた。恐らくあれは人体。うつ伏せに倒れるその人は血を流していた。

 ――助けなきゃ!

 しかし身体は動かすことはできず、声も上げられない。

 流血する人は一人だけでなく、たくさんいた。格好も様々で具足や蘭服を着た人、手にするのは小銃や日本刀だ。

 ――誰か!

 しかしそれは声にならない。

 そのとき、何かが近づいてきた。カチャ、カチャと金属が擦れ合う音が反響する。

 目に映ったのは人の脚。甲冑の脛当をしており、脚の右側には血刀が下げられていた。

 アリアは目を見開いたとき――遠くで名前を呼ばれた気がした。


 ***


「――手を離せ」

 アリアは喉の痛みに目が覚めた。

 息が詰まり、呼吸ができない。

 理由はすぐに判明した。アリアの首にあるのは大きな掌。その手はアリアの細い首を鷲掴みにし、絞めつけていた。

 何が起こっているのか理解できない。硬直した身体は言うことを聞かず、首に加えられる力を受けるだけだった。

 アリアは涙目で首を絞める影を見上げた。

 赤と紺の糸でおどした黒い鎧をまとった男だ。髪の色や顔立ちからして日本人だとわかる。無精髭を生やし、険のある目つき。しかしその彼は今、アリアとは別の方向に向いていた。

 徐々に首に加わる力が弱くなるのに気づくと、頭が少しずつ冴えてきた。夢を見ていたこと、たくさんの人が倒れた草原にいたこと、そして自分を呼ぶ声が聞こえたこと。

 ――声。

 冷たい夜風が頬を打つ。いつの間にかバルコニーへの窓が開いている。

 アリアは目を動かす。目が覚めたとき確かに聞こえた、その声の方角を。

「……離せって言ってるだろ。もしかして言葉が通じないのか」

 ――なんで?

 疑問は声にならない。

 じわりと目尻に涙が浮かぶ。

 どうして彼がここに……。

 黒い外套をはためかせ、腰に帯びた直刀の柄頭に手を置いている。軽やかな足取りでこちらへ近づいてくる。漆黒の瞳に感情の色はなく、硝子玉のようだった。

「セ、セイ……?」

 十文字聖は、そこにいた。

 聖は驚きで声を失うアリアに見向きもしないで、アリアに跨る男を睨む。

 具足姿の男もまた、聖の登場に訝しむように目を細める。

「小僧、わしが“え”るのか?」

 獣が唸るような声で男は問う。

「ああ、出なきゃあ話しかけてなんかいない」

 聖は冷めた声で返し、

「ともかくその人から手を離してくれ。彼女には一食の恩があるんだ」

「恩、だと?」

 男は眉間にしわを刻む。そしてアリアを一瞥し、吐き捨てた。

「おぬしは異人の傀儡にんぎょうか? 異人にこびへつらうのか、売国奴め!」

「違う」

「ならばなにゆえ異人を庇う? こやつらは日の本の地をおびやかし、国中を混乱に招いた。だから殺す、わしが斬る!」

 首が再び絞められる。アリアは喉が詰まり悲鳴も上げられない。ぼやけた視界の中、聖は氷のような表情を変えず、男へ向けて腕を伸ばした。

「――“バク”」

 そのとき、首への圧迫が無くなった。呼吸ができるようになって、アリアはむさぼるように酸素を肺へ送る。

 男は驚愕に目を剥き、体を震わせて呟く。

「動かない……どういうことだ?」

「――“立て”」

 聖はさっと腕を払った。すると男はゆっくりと腰を上げた。ますます目を見開く男は呆然として、聖を見つめた。

「何者だ? 小僧」

「そのままで話を聞こう。あんたは何をするかわからないからな」

 聖は質問を無視して、男の側に落ちている打刀を見やる。

「見たところ、刀に“憑い”てるのか? あんた」

「違うぞ、小僧」

 男は即答し、ほくそ笑んだ。

「わしはこの刀そのもの。この人相はかつての使い手を模したものじゃ」

 聖は顎に手を当て、考えるような仕草をする。

「ふむ、魂のようなものか。……なるほど、怨霊ではないんだな」

「その通りだ」

 すると男は自由のきかない体をよじり、顔をしかめる。

「それよりもこれをどうにかしてくれぬか。窮屈で堪らん」

「彼女に触れないことを約束しろ」

 厳しい口調の聖に、男はやれやれと言ったふうに肩をすくめた。

「小娘に抜かれたので一体何事かと思うたが……まぁ、良い。今はおぬしに興味がある」

 しばし男を睨んでいた聖であったが、「――“カイ”」と小さく呟いた。すると男は笑顔になった。四肢の自由が解かれ、嬉々として腕や足を動かしている。

 アリアは仰向けのまま、目を丸くした。

 状況にまったくついていけない。この甲冑を身にまとった男はなんなのか。どうして、十文字聖がエインズワース家の邸宅に現れたのか。彼の言葉には何が隠されているのか。考えれば考えるほど、疑問は溢れてぐるぐると脳内を巡った。

 男が目を聖に向ける。

「やはり小僧、只者ではないな?」

「そんなことはどうでもいいんだ。早く刀に戻ってくれ」

 疲れたような声音の聖に、男はニヤニヤと笑った。

「できぬ、と言ったら」

「なぜ」

「わしは、人を斬るために生まれた存在だぞ」

 男は打ち捨てられた打刀を手に取る。

「わしを生んだ鍛冶師がよう言うておったわ。異国を排斥すれば日の本には泰平が来ると。……だが、まだ首を二つしか取っていない」

 遠い昔を追憶するような声で言う。

「肉を裂いて骨を叩き折って首を取るのは楽しい。だからわしは異人を殺す使い手が欲しかった」

 ついっとアリアに一瞥を投げた。視線にアリアはビクッと肩を震わす。

「異人を斬って何が悪いのだ」

「攘夷なんて、十年以上前の思想だ。今の日本じゃああり得ない。それに、刀や槍の時代は終わったんだよ」

 聖が口を挟むと、男は目を剥いた。

「やはり、日の本は異国に屈したのか」

「違う、日本はちゃんとした一つの国だ。異国に支配されてないし、刀は……」

「わしのように美術品として異国に売りさばかれるのか? ……冗談ではない」

 舌打ちし、男は打刀を鞘から抜き放つ。力強く振り下ろされた刀の切っ先は、聖へ向かった。男は聖の左腰へと目を向ける。

「おぬしも武士ならば、今の日の本に不満はないのか。そのような格好までして生きることが」

 胸元でぴたりと制止する刃先に、聖は眉ひとつ動かさない。ふっと短く息をくだけ。

「……あんたはもっと今の日本を見たほうがいい。いろいろ見て、今の日本を知ったほうがいい」

「必要がない。何を見てもわしの思いは変わらぬ。刀として生まれたのなら人を斬るのみ。だいたい今の日の本に何の価値があるのだ?」

「そ、そんなことないっ!」

 アリアは立ち上がった。

 声の主に聖と男はびっくりしてこちらを振り返った。目を丸くする二人を――具足姿の男に、アリアは怒鳴り散らす。

「ニッポンは良いところだよ! 私は歴史をあまり勉強してこなかったから、昔のニッポンとかわかんないけど、私はこの国が好き!」

 男が怒りで顔をしかめるのがわかる。だけどアリアは口を閉じなかった。

「景色はキレイだし料理も美味しいし、サクラ紅葉モミジも見たい! もっとニッポンのいろんなところを見て旅したい! だから、故郷を駄目なんて言うのは良くない。……悲しいよ」

「黙れ、蛮族」

「あなたを作った人もあなたを使った人も、人を斬ることだけが人生だったの?」

 男がわずかに眉を動かす。アリアはふるふると首を揺らして否定した。

「そんなのおかしいよ。今までいろんなことがあったかもしれない。でも、人殺しをするために、あなたは生きてきたの?」

「わしは、刀だ。刀は武器、何かを壊す存在なのは変わらない」

「確かに刀は凶器だな」

 そのとき今まで黙っていた聖が口を開いた。見ると、彼は右手の人差し指と中指を立てて口元に当てている。その手には紺色の手袋をはめて、手袋には星形の模様が刺繍されていた。手袋が発光しているように見えるのは気のせいだろうか。

 こちらの視線に気づき、聖は肩をすくめる。

「できたら日本語で喋ってほしかったな」

「へ?」

 そう言えばアリアは今まで母国語である英語で話していた。だが、目の前にいる日本人の男とは会話ができていた。この男が英語を理解できるとは思わない。なのに……。

 眉根を寄せて考えていると、聖が続ける。

「……だけどそれだけじゃない。今は美術品として大人気だ。置き物じゃあ、刀の存在価値は失われるかもしれない。でも、武士の時代は終わったんだ」

 聖は申し訳なさそうに眉尻を下げる。

「そんなこと言うと、あんたは怒るかもしれない。だけどこれも第二の人生だと思って大人しく生きてほしい」

「……」

「だからこれ以上、ここの人に危害を加えないでくれ」

 男は終始、黙っていた。聖に向けられていた切っ先はとうに床に落ちている。かすかに震える握られた拳。悔しそうに唇を噛み、顔を歪ませる。広い肩が震えて、そして弱々しく呟く。

「今の、日の本を……、現実を、見ろ、と……?」

 聖は頷いた。

「それがいい。異人の彼女が言うんだ。日本が素晴らしいところってのは、日本人の俺たちが一番わかってるだろ」

 男はアリアを振り返る。複雑そうな顔をする男にアリアは、強張った顔をできるだけ緩ませた。

「異人のくせにこの国のことをよく喋る。……気に食わん奴だ」

「な、なによ……」

 憎まれ口を叩く男にアリアは頬を膨らませた。

 男は鼻を鳴らして笑い、聖に目をやる。

「小僧、この家の者たちには何もせん。それでいいだろう」

「うん」

「最後に、おぬしたちの名を聞かせてくれんか」

 打刀を鞘に収めて男は言う。その姿が薄れかけているのにアリアは気づいた。聖もわかっているのか、寂しそうな表情をして名乗った。

「俺は十文字聖。陰陽道に精通する十文字家第四十代当主だ」

「わ、私は、アリア・エインズワースっ」

「陰陽師……その五芒星と妖術が証か。面白い異人にも出会でおうた。……楽しかったぞ、異人の娘よ」

 笑顔を見せると、男は瞬く間に消えた。

 床に落ちそうになる打刀を聖は慌てて空中で掴む。そして長く息をき、安堵に呟いた。

「……一件落着だな」

 それを聞いた途端、アリアは床にへたり込んだ。体が異様に重くなり、嫌な汗が背中を伝った。

「大丈夫か」

 聖がこちらに駆け寄り、肩に手を置く。

「緊張が解けたんだな」

 耳に落とされる声は優しい。

「君は“霊”に一喝したんだ。心気が動揺するのも無理はない。……本当に、無茶をする」

 最後のほうはどこか呆れた声音だった。

「だけど、助かった。ありがとう」

 顔を上げると聖は笑っていた。

 その笑みは月明かりに照らされて、綺麗だった。

 おぼろげな意識の中、アリアは舌足らずに言う。

「知りたい……」

「え?」

「セイは……何者? 私は……あなたのことが、もっと知りたい」

「……」

「教えて、セイ……」

 彼の胸元に頭を埋めて、アリアはゆっくりと目を閉じた。




 2015年8月30日:誤字修正

 2016年4月22日:誤字修正

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