3.
広いリビングルームの中央には大きな机を挟んで長椅子が二脚。天井の照明にはシャンデリア。部屋の隅には暖炉があり、その上に瓶子型の陶磁器や漆と夜行貝で飾った螺鈿の箱が飾られ、異国情緒に溢れていた。
長椅子に座るのは、温和な表情をした壮年の男性。くすんだ金髪を後ろに撫でつけ口髭をたくわえている。アリアの父で貿易商のダグラス・エインズワースだ。
ダグラスは日本語で正面に座る日本人――十文字聖に挨拶した。
「ダグラス・エインズワースです。よろしく」
「十文字聖と申します。この度はお嬢様にお世話になりました」
ぼさぼさの黒髪に薄汚れた蘭服、腰に直刀と妙な格好をした日本人だが、利発そうな顔立ちでなかなか見た目は良い。
ダグラスは侍女に用意させた紅茶を淹れたカップを指す。
「日本の方の口に合うかどうかわからないが……よろしければ」
「いただきます」
聖は笑顔で応え、カップを持ち上げる。するとダグラスの隣に座るアリアが日本語で解説した。
「紅茶って言うの。印度で採れる茶葉を発酵させて乾燥したもので、その茶葉は香りがすごく良いの。ちょっとだけ苦いけど美味しいよ?」
「お嬢様、力説せずともわかりますよ」
肩をすくめて言うのはアリアの世話役であるヒルダ・キンドリー。ややつり目でスーツ姿の少女だ。彼女の言葉にダグラスも苦笑する。ちなみにヒルダの兄のエドワード・キンドリーは所用で席を外している。
聖が紅茶を一口飲んだ。それをアリアは緊張の面持ちで見つめている。
そんな主人にヒルダは眉根を寄せた。
やがて、聖は柔らかく口角を上げた。
「美味しいです。日本の茶とはまた違う風味なのが楽しい」
「そう? よかったぁ」
アリアはほっとしたように胸をなで下ろし、そして彼に質問をぶつけた。
「神戸には何が目的で来たの?」
「特に理由はないな。旅をしていてここに立ち寄っただけ。そしたらちょうど金も無くなって、空腹で倒れてしまった」
聖は恥ずかしげに鼻の頭を掻く。
「アリアさんに会えたのは偶然だった。ほんと助かった、あなたには感謝しきれない」
「もうっ、お礼はいいから」
今度はアリアの頬が朱に染まり、恥ずかしそうに胸の前で両手を振る。
アリアは父親を振り返り、早口で話題で変えた。
「セイにね、日本のことを教えてもらいたいの」
「いいんじゃないか、別に。反対してもお前には敵わないからな」
「一言多い」
文句を言うがダグラスは含み笑いを浮かべていた。そんな父親から目を離し、再び聖に向かう。
「神戸にはいつまでいるの?」
「急ぐ旅でもないし、あっ、でも金がないから困ってるけど」
「ならば、当分家に居ればいい」
「「「えっ?」」」
その発言はダグラスであった。他三人は目を丸くして彼を凝視する。六つの目に射抜かれるダグラスはいたずらっぽく笑みを浮かべた。
「日本人を邪険にするつもりはないよ。差別は嫌いでね。娘もよくなついているし、どうかな? 剣が扱えるなら娘の護衛役も兼ねて、ここに居ては」
「……」
一同が唖然とした。
思えば、ダグラス・エインズワースはアリア・エインズワースの父親。物好きな性格と突拍子もないことを考えるのはよく似ている。だからこそ貿易商として成功したのだが。
だとしても、今回ばかりは文句の一つや二つ言いたい。ヒルダが口を開いた。
「旦那様、それはあまりにも短絡的では。この男の素性もわからぬまま、屋敷に置くのはいろいろと不味いです」
「……言葉はわからないけど、ヒルダさんの言いたいことはなんとなくわかる」
彼女の言葉を拾ったのは聖だった。びっくりして振り返ると、彼は真剣な表情をしてダグラスを見つめていた。
「君も不満かね?」
「そういうのではなく……俺がここに居ても食費を浪費するだけで、俺はあなたがたに何もお返しができません。あなたがたに迷惑だけがかかる」
「お金のことは気にしなくていい。私はそれなりに稼いでいるのでね」
「俺はそういうの、嫌いなんですよ」
聖は頑なだった。ダグラスがいくら言葉を重ねようと、決して首を縦に振らなかった。十文字聖は誠実で頑固な男だった。
アリアも困ったようでダグラスと聖を眺めている。
「…………」
押し問答が切れたとき、リビングに誰かが入ってきた。それはエドワード・キンドリーだった。なんともタイミングの良いときである。恐らく廊下で聞いていたのであろう。
ダグラスが彼の登場にわずかに眉をひそめるが、エドワードは気にする様子もなく、主人へ歩を進める。これもエドワードの計算の内だろう。話が平行線のままでは時間の無駄だからだ。
頭の回転が速いのは昔からだ。そういうところが、ヒルダは妹として苦手だった。
エドワードは用件を口にする。
「旦那様、商品が届きました」
「あー、すまないな。エドワード」
「いいえ。……ジュウモンジさんもご覧になってはどうですか?」
見るとエドワードは長細い布袋を大事そうに抱えていた。
聖はそれに眉をひそめ、ダグラスはエドワードから布を受け取る。アリアが興味津々で身を乗り出した。
「これはなぁに?」
「ジュウモンジ君には馴染みがある代物だと思うよ」
ダグラスは笑って布の紐を解いた。中から出てきたのは、打刀であった。
聖が持つ直刀ではなく、緩やかな反りを持った湾刀。刀身は三フィートを越えて、かなり大きい。頑丈そうな黒漆塗りの鞘に、柄には金色の如意宝珠をかたどった目貫が光っていた。
聖は驚きを隠せないようでそれをまじまじと見つめている。ダグラスが無邪気に微笑みながら打刀を机の上に置いた。
「日本政府の官僚から譲り受けたものでね、その彼は金に困っていたので私が高値で買い取ったんだ。知ってのとおり、刀は外国人に人気なんだ」
ダグラスは鞘を愛撫する。
「しかしこの刀も美しい。私のコレクションにしても構わないのだがね。どうかねジュウモンジ君? 日本人から見て、この商品は?」
「……」
振り返ると、聖は怖いくらいに表情を硬くしていた。今までの柔らかな顔つきは嘘だったかのように消え、目つきを鋭くして打刀を睨みつけている。
「セイ、どうしたの?」
アリアの硬い声音に、彼はハッとして顔を上げてすぐさま笑顔をつくる。
「すみません。刀はあまり詳しくなくて」
「そうなのか……残念だな」
「だけど、これだけは言えます」
聖はすっと目を細めて、告げた。
「この刀は、今すぐ手放したほうがいい」
「え?」
冷徹な言葉にアリアたちは声を失う。目を見開く四人に聖は淡々と言う。
「むしろここで処分すべきだ。これは……いけない」
「何を根拠におっしゃるのですか」
厳しい口調のエドワード。それは日本語ではなかったが、聖は理解したふうに彼を見上げる。先刻から思うが、この男は人の感情を読み取るのが上手い。
聖は変わらない冷たい声で一言。
「邪気を、感じる」
「ジャキ……?」
アリアは言葉の意味がわからなかった。エドワードもダグラスも難しい顔をして黙り込んでいる。ヒルダは言葉がわからないから口が挟めない。
彼らをよそに、聖は席を立つ。彼の態度がよそよそしくなったのは気のせいではないだろう。聖は帽子を被り、側に立て掛けてあった直刀を腰の剣帯に吊るした。
「別に欲しいなら構わないけど……忠告はしておいたから」
失礼する、と四人に頭を下げて、聖はリビングを出て行った。彼は侍女の声に振り向きもせず、廊下へと消えた。
「…………」
沈黙がリビングルームを支配する。ヒルダは気まずい空気に主人に声を掛けることができなかった。
「……ぇ、ええっ!?」
最初に正気を取り戻したのはアリアだ。彼女は驚愕に目を見開き、立ち上がった。きょろきょろとあたりを見渡して、聖の姿がないことに再び驚き、呟いた。
「日本のこと、何も教えてもらってない」
「そこですか……」
呑気な主人に、ヒルダはがっくりと肩を落とした。
2016年2月15日:誤字修正