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第二話 美少女に出会って

 暗転した誠治の視界は、しばらくも経たぬうちに脳を揺さぶる強烈な衝撃を伴って収まった。


「うっぷ……気持ち悪…ッ」


 まるで胃の中をかき回されたような感覚に、誠治は口元を押さえて蹲る。とにかく物凄い吐き気を催したのだ。誠治は体験したことはなくとも、絶叫マシンに乗った後もこんな気分なのだろうと何となく察することができた。


 喉元まで逆流してきた食物をなんとか押し戻し、吐き気が収まるまでしばらく同じ体勢を維持する。


(まさか……ゲーム酔いじゃないよな?)


 そんな馬鹿な。誠治は自問してすぐにかぶりを振った。

 確かに徹夜で何時間もゲームをしていたが、こんな事今まで一度も無かったではないか。

 仮眠も十分に摂れていた。再びゲームを起動した時でさえ、まだプレイ画面にすら到達していなかったというのに。


「疲れてるんだな、きっと。……顔洗って寝よ」


 ゲームの登場人物がプレイヤーの名前を呼ぶなんてあり得ない。自分は夢でも見ていたのだろう、誠治はそう思い込んで全て無かったことにしようと決めた。

 吐き気に見舞われたせいで喉の異物感も気になる。とりあえず洗面所に行って顔を洗ってこよう。考えるのはそれからだ。


 そしてその場で立ち上がった誠治は、ようやくというべきか、そこで初めて自分の周囲を確認するに至り、そして硬直した。


「え………」


 尻裏に伝わる硬い感触ですぐに察するべきだったのだ。

 誠治はベッドの上で胡坐をかいて座っていたはず。その触感は柔らかいとは言い難かったが、ここまで硬いものではなかったし、何より誠治の部屋はここまで広くない。


「ていうか何処だよ。ここ」


 呆然と佇んだまま、誠治は周囲を見回した。

 石造りの床と壁。高い天井。壁に掛けられた燭台の明かり。そして、何やら厳粛な儀式が行われていそうな雰囲気を醸し出す黒色の祭壇。


 その内装は、誠治がイメージする西洋の神殿や教会のそれだった。

 自室の光景とは似ても似つかないその空間の構造に、誠治は驚愕よりも先にある種の察した表情を浮かべる。


「ああ、こりゃ夢だな……」


 夢の中なら痛みは感じないだろう。

 ならばさっさと醒めるに限ると、誠治は利き手で己の頬を思いっきり引っ叩いた。


「いってぇッ!」


 途端、痺れるような痛みが頬を伝って顔中に走り回る。紛れもない、現実世界特有の痛感だった。


 今見ている光景は、夢などではない……?


 誠治の顔から血の気が引く。誘拐、幻覚、あの世、妄想。誠治の頭の中で、この現状を証明し得るあらゆる原因が浮かんでは消える。

 思考が状況に追いついていないのだ。理性を維持する方が難しいだろう。


 その時だった――



「だ、誰かいるのですか…?」


 高いソプラノボイスが、静寂に包まれた石造の部屋に響き渡った。


 無意識のうちに誰も居ないと決め込んでいた誠治は、騒ぎを聞き付けたらしい新たな人物の声に驚いて肩を震わせ飛び上がる。

 ぎこちない首の動きで声の発信源を振り返える誠治。丁度蝋燭の光が届かない暗がりの中に、小柄な人影がこちらをじっと見つめているのを発見した。

 声色や影のシルエットからして女性だろうか。胸元に両手を当て、随分及び腰になってることから、かなり誠治を警戒しているようであった。


 まさか自分以外の人間がこの場にいるとは思わず、とはいえこちらから声を掛けるのも躊躇われて、誠治はその人影と向き合ってからもしばらく何も告げずにいた。


 しかしその沈黙が、逆に相手に不信感を与えてしまったようだ。


「ど、どうして黙っているの? け、警吏の人を呼びますよ…!」

「え!? あ、いや、違うんです! 僕は、別に怪しい者じゃなくて…!」


 慌てて弁解したが誠治はすぐさま後悔した。  

 自分から「怪しくない」と身の潔白を証言する者に限って、一番怪しいに決まっているのだ。常識人でなくとも、真っ先に疑うことだろう。


「…………」

 しかしこの時、弁解に対する女性の反応は誠治の予想を裏切るものだった。

 女性が口を閉ざしたきり固まってしまったのである。見知らぬ不審者を警戒する態度もいつしか解かれ、その視線の先は真っ直ぐ誠治の顔に向けられていた。


「……――――ぃさま?」

「え……?」


 雑音の一切が無いその空間の中にあっても、その小さな呟き声を聞き取ることは叶わなかった。

 訝しげに眉を顰める誠治が見守る中、その女性は一歩前に足を踏み出して人工灯が照らす下でその全貌を晒す。


「セドリックお兄様、なの?」   


 その女性……いや、“少女”は、青い目と金色の豊かな長髪を揺らして、誠治の前に姿を見せた。

 


                   ==============

 

 その少女、シェリル・ルーデス・アルヴァーヴは、習慣となっていた“神託の儀”を執り行うために街のはずれにあるパナジア神殿に足を運んでいた。


 パナジア神殿とは、女神イネスを祀る社として知られる聖堂のことだ。女神の教えを信仰の対象とするこのアルファーナ王国では、国内各地に女神イネスを崇める神殿が造られている。

 シェリルが踏み入れたここパナジア神殿も、王国最南端に位置する城砦都市ベルドランのはずれにひっそりと、しかし見た者を厳かにさせる神々しい雰囲気を纏い、やってくる信者たちを静かに見下ろしていた。


「…………」



 その神殿内部。

 祭事用の長衣に身を包んだ少女シェリルは、明かりの乏しく薄暗い廊下を一人で歩いていた。

 同行者はいない。聖域としても定められているこの神殿には、その管理者である司教の許可がない限り立ち入る事が許されていないのだ。たとえ聖職者の身分を有する者であれ、その規制は適用される。


 では何故、そんな厳しい管理下であってもこの少女は神殿の中を一人で行動することができるのか。

 その理由の程は、なんと言っても少女の姓が“アルヴァーヴ”であるのが大いに関係していた。


 シェリル・ルーデス・アルヴァーヴ。この“アルヴァーヴ”という姓は、アルファーナ王国でも限られた者だけが有することのできる名字として古くから知られている。


 まだアルファーナ王国が一国の一領地でしかなかった時代のことだ。下克上によって国興しが各地で活発化するなか、執政官の暴政に喘いでいた当時のアルファーナもその激動の最中にあったのだ。領民たちの大規模な反乱により、間もなくしてアルファーナは執政による支配を脱却。しばらくして国から送られてきた討伐軍とも戦火を交え、その撃退に成功している。


 のちに『アルファーナの独立紛争』と後世の史書に名を残したこの戦い、その一番の功績者として三人の英雄が三大騎士家門ソードオブキングナイツという名誉な称号を授かっていた。その三英雄の一人に“アルヴァーヴ”という姓を持つ者がいたことは、四百年以上経った今でもアルファーナ人なら誰もが知るところである。

 国興しの英雄として人々の尊敬を集めたアルヴァーヴ家は、多大な名声と功績を背景に、やがて王位継承権を有するに至った。

 ゆえに、このアルファーナ王国では代々“アルヴァーヴ”家の血を受け継ぐ者が王位を冠する資格を持っている。


 「この国のあらゆるものは全て王家の財産である」。たとえそれが神を奉る聖堂であっても例外はない。

 シェリル・ルーデス・アルヴァーヴ第一王女。彼女もまた、その誇りある一族の親類として神殿に入ることを認められている“王族”の一人であった。


 しかしながら、今このアルファーナにアルヴァーヴ王家を名乗れる身分の者は、残念ながらシェリル王女を除いて他に一人もいない。

 生みの親であるマイーナ后はシェリルを出産して間もなくこの世を去っており、義理の娘の成長を見守ってきた王の正妻も、シェリルが八歳の頃に流行り病によって病没している。


 となれば残るシェリルの血縁の身内は腹違いの兄二人と国王である父親だけになるのだが、長男アルフレド王子は国内の巡幸中に反王党派の刺客によって暗殺され、その弟セドリック王子も王国に反旗を翻した西方貴族領主討伐の折、捨て身覚悟で国軍本陣に突出した叛徒の襲撃を受けて戦死してしまっていた。

 どちらもシェリルが十二歳の時の出来事である。人として色々分別がついてくる年頃であっただけに、続けて異母兄を失くしたシェリルの衝撃は相当のものだった。


 何よりセドリック王子はシェリルが溺愛する兄だったということもあり、彼の死の知らせはシェリルには耐え難いものだった。一週間は食べ物が喉を通らず、深い悲しみに泣き腫らして夜もまともに眠れない。丸一日誰とも口を聞かない日も何度もあった。

 それでも一度立ち直れたのは、他ならぬ彼女を気遣った国王の父ラドンが精一杯の慰めをくれたからであろう。自分にはまだ父親がいる、辛いのは父も同じなんだと。


 しかし、その心の励みも一月程前に絶たれてしまった。


 日々強硬化する隣国の圧力は、外交という間接的な戦争によって父を弱らせてしまったのだ。国を想うあまり、その懸命に務めた国政がそのまま命を捧ぐ結果になったのである。 


 ラドン国王崩御。その知らせがアルファーナ全土を駆け巡った三週間後、王国にとってさらなる悲劇が訪れることになる。隣国のガルムンド帝国が、五万もの大軍を率いてアルファーナ王国領北東部への越境を開始したのだ。


 完全に不意を突かれたアルファーナ軍は抵抗らしい抵抗も成せず次々に敗走。軍事に疎いシェリルが事態の深刻さを理解した時には、既にガルムンド軍は王都ラクントゥスから目と鼻の先まで迫っていた。

 喪に服していたシェリルは父の死を悼む時間も許されず、軍の作戦案に従って近衛騎士団ら王城勤めの侍従たちと王都を脱した。


 王都陥落とアルファーナ軍総大将マルゼアス元帥殉職の報が彼女の元にもたらされたのは、王都脱出から実に二日後のことである。


 家族を失い、家を失い、郷里も失ったひとりぼっちの王女は、その孤独を癒すあてを求めて今日もこのパナジア神殿に足を運ぶ。

 元々父を追悼できる神聖な環境を探し、ワラにも縋る思いでシェリルが選んだのがこの神殿だった。戦争や国の行く末など、シェリルには正直どうでもよいことである。ただ身を賭して亡くなった家族の冥福を祈る……自分の努めはそれに尽きると、シェリルはそう思い込むことによって現実から目を背けていた。 

 


 二十メートルも進まぬうちに、シェリルの歩みはすぐに廊下の突き当たりに差し掛かった。 

 それほど広大な敷地を有しているわけでもない神殿の内部だ。毎日通っているうちに、シェリルは目的地までの道のりを完璧に把握していた。

 この突き当りを右に曲がって、真っ直ぐに歩けば十字路に行き当たる。そこを左に進んでいけば到着点である祭壇まですぐそこだ。

 習慣となりつつある、当たり前な行動の繰り返し。いつもの場所でいつもの祈りを捧げ、いつも通り街の領城へ帰るだけ。

 その一連の流れが今回も、淡々と行われるはずだった。


 ――しかし、


「――いってぇッ!」


 その場に似つかない荒らしい叫び声が、シェリルを夢心地な回想から現実へと引き戻す。


 まるでうたた寝をしていたところをたたき起こされたかのように、肩を跳ね上げて驚きを表現したシェリルは、虚ろだったその瞳に生気を感じさせる光を宿した。


「な、何事…?」


 突然の異変に、シェリルは身体を屈めてすぐに警戒を露わにした。

 今の声は間違いなく人のものだ。王女を除き誰もいないはずのこの神殿で、人の声がするのは明らかにおかしい。

 身を隠すように廊下の壁に背中を押し付けたシェリルは、その角から顔だけを出して奥の祭壇を覗き込む。


 廊下の仄かな明かりよりも僅かに強い光を漏らすその部屋は、昨日と比べてその模様に特に変化らしいものは見当たらなかった。

 正面に立つ女神像。壁に沿い飾られた調度品。どれもシェリルには見慣れるものばかりだ。


(私の空耳かしら…?)


 思い事に耽るあまり、他人の呼び声に吃驚することは今のシェリルにはよくあることだった。幻聴を聞いてそれに身体が反応することも有り得るのではないか。

 そう結論付けようとしても、しかし彼女の表情はずっと硬いままであった。


「…………」


 正直シェリルには不安しかなかったのだ。無難にこのまま引き返して神官たちに様子を見てきてもらう方法もあるが、その影響で今日の祈りが疎かになってしまうのもシェリルとして本意ではない。

 だが迷っていては拉致が明かない。意を決して、シェリルは祭壇の間へ足を踏み出した。


 入り口の前で立ち止まり、反応があるかどうか試しに声を掛けてみる。 


「だ、誰かいるのですか…?」


 祭壇の間を覗いた瞬間、今度こそシェリルは硬直した。同時に、先ほどの大声は空耳ではなかったと思い知ることになる。 


 いたのだ。人が。


 潜んでいる風でもなく、その人物は部屋の中央に佇んでいた。

 明かりの逆光で顔を把握できないが、体格からして男性だろうか。ただ、アルファーナ人にしては背が低いようにも思う。


 何よりシェリルが目を引いたのはその男の格好だった。まるで街の広間を盛り上げる道化人ピエロのように、上下とも緑色という奇抜な服装に身を包んでいる。

 あるいは本当にそういう職種の人間なのかもしれないが、だとすれば彼がこの場所に居ていい人物ではないのは間違いない。


 一体どうなってこの場所に侵入したのだろうか。いや、そんなことはシェリルにはどうでもよい。

 いま彼女にとって一番重要なのは、シェリルの呼びかけにその男が気付いたということだ。

 もしこの男が金目の物目当てでこの神殿に忍び込んだ盗人だったらどうする? 存在に気付かれた自分は口封じのために殺されてしまうのではないか。


 シェリルは途端に恐ろしくなった。

 何も喋らない男の無言も相まって、その恐怖は秒単位で増していく。


 逃げるべきか。いや、この状況で背を向けるのはまして危険だ。逃げ足に自信があるのならともかく、この動きにくい服装では全速力もままならないだろう。


(ならば……)


 下手したてに見られないよう、相手を警告してこちらの強気な意思を見せ付けるしかない。


 勇気を振り絞り、シェリルは震える口を開く。


「ど、どうして黙っているの? け、警吏の人を呼びますよ…!」

 するとさすがの相手も焦ったのか、両手を振って自分の無実を訴えた。

「いや、違うんです! 僕は、別に怪しい者じゃなくて…!」


 その発言にシェリアはますます警戒した。

 怪しくないのなら、どうしてそんなに動揺しているのか。

 自分は真っ当な身元であると断言できる自信がない証拠だ。いよいよ不審者としての存在感を色濃く滲ませた不恰好な男の態度に、シェリルの方も逃げる体勢を整える。

 幸いここから出口までそれほど遠くない(だからこそ彼女は護衛も無しに一人でここにいられるわけだが)。仮に男が追ってきても、シェリルが悲鳴を上げればすぐさま付き添いの近衛騎士が駆けつけてくれるだろう。


 いつでも逃げる準備は出来ている。次の瞬間に踵を返して、男の視界外に逃げれさえすればどうにかなるはずだ。


 しかし、何故かシェリルは動かなかった。いや、“動けなかった”。


 男との距離を取ろうとずり足で少しずつ移動していた時である。シェリルの視線上の角度が変わったのが影響して、男の顔にかかっていた逆光の影が取り払われたのである。

 その顔を拝み仰いで、シェリルは驚愕に硬直していた。


(嘘………)


 そんな、あり得ない。どうして。

 その男とは確かに、今ここで始めて出会った初対面のはずである。しかしそこに映った相手の困惑した顔は、シェリルにとって忘れることができないよく知る人物と瓜二つだったのだから。

 気付けばシェリルは逃げる事も忘れてその場で放心し、そればかりか男の正体を確かめたい一心でさらに一歩前に踏み出していた。


「……セドリックお兄様?」


 自分自身に確かめるように、口の中でそっと呟く。

 しかし、その言葉が相手の耳に伝わっていないとわかると、シェリルは今度こそ、声を大に震わせてはっきり告げた。


「セドリックお兄様、なの?」


 暗がりに浮かぶその男の顔は、幼き頃シェリルが見たセドリック王子に確かに似ていたのだ。 

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