第一話 召還
「よっし! コンプリート!」
テレビ画面にゲームクリアを示す『天下統一』の文字が表示され、高良 誠治はそれまで興じていたゲームのコントローラを放り出してぐっと背伸びをした。
もう何時間以上プレイしていたであろうか。ふとテレビ脇の時計に目をやると、時刻は昼の13時を指していた。
どうやら夢中になるあまり、一晩明かしてしまったようである。
重厚なメロディーのED曲をBGMに、自分の成し得たゲームレコードと開発者らスタッフロールの字幕が液晶画面をゆっくり流れていく。
誠治はそれを何となく目で追いつつ、ふと感慨に耽って感嘆にも似たため息を零した。
「クリアしちゃったよ……さて、どうすっかな」
そう呟いて手に取ったのは、今まさにゲーム機で起動しているゲームディスクのパッケージ。
翼を広げた女性の影絵を背景に、それぞれ特徴的な武器を構えた武人たちの勇ましい姿が幾人も描かれている表紙には、金属で象ったようなフォントでタイトルロゴが大きく描かれている。
「“異界大陸シリーズ”……そういやナンバリングタイトルの次回作がもう発売されてるんだよな」
某ゲーム会社が提供する架空戦記シミュレーションゲームとして、一躍ゲーマーの間で有名になったのがこの『異界大陸シリーズ』であった。
そして誠治の手にあるゲームソフトこそ、この人気シリーズの第一作目。タイトルは『異界大陸 女神の審判』。
女神の審判によって大陸情勢の優劣が決まると信じられた一つの大陸を舞台に、それぞれの国を発展させ大きくしていく戦記SLG――それが異界大陸だ。プレイヤーはゲーム開始時に性別や所属する国家を選択し、武将や軍師、文官など国に関わる重職を任されるところから物語りが始まる仕様だ。
「最初から出世しすぎ」という辛口な感想を漏らすユーザーもいるようだが、とんでもない。
プレイヤーの分身となる主人公の所属する国を発展させ、最終的に“天下統一”を達成させることが基本的なクリア条件とするこのゲーム。自国以外の国は平等に敵となり、それぞれがコンピューターの|人工知能(AI)によって正しいと思う行動を取るので、もたもたプレイしていればすぐさま他国の侵略にあって攻め滅ぼされてしまう。
自国が滅亡すればその時点でゲームオーバー。前回のセーブ地点からやり直すか、最初から再びスタートするかプレイヤーの選択次第となるわけだが……大抵の場合途中からやり直しても同じ展開になるのが落ちだった。他の手を使っても同様の敗北ルートにしか行き着かない、俗に言う“詰んでる”状態になるのである。
はっきり言って異界大陸シリーズは、他のSLGに比べ仕様がかなりシビアだと誠治は思っていた。今までこのゲームをやりこんできた彼でさえ、一度はプレイをあきらめ、部屋の隅に埋もれている積ゲーの塔の一部に組み込まれかけたのだから。
しかし今日この時、誠治は『女神の審判』を“全ての職業”で“全ての国家”を制覇するという偉業を成し遂げた。
ゲームをしているだけで“偉業”と評価するのが相応しいかどうかは別として、同じ既プレイ者の中でここまでやり込んだプレイヤーはそうはいないのではないか。
なかなか難しい目標を苦労して達成すると、人は誰しも自分の実績を過大評価したくなるものである。ゲーム以外、特に取り得も無い誠治にとっては尚更そう思いたくて仕方が無い。
「あれ?」
EDのスタッフロールも終り、“Fin”というエンドを知らせる文字が黒い画面中央に表示された時だった。
いつも、クリア後はそのまま自動的にスタート画面に戻るはずが、この時ばかりはいくら待っても“Fin”の文字が消えることはなかったのである。
「フリーズバグ? まさかそんな……」
長時間本体の電源をつけっ放しにしたのが仇になったか。一瞬冷やりとしてコントローラーのボタンを押した誠治は、しかし直後にその不安は杞憂であったと悟った。
“Fin”の画面が切り替わり、代わりに映し出されたのはゲームのパッケージにも描かれた、翼を広げた女神のシルエットだった。
黒画面の背景を背に、淡く白い光を発する女神が陽炎のようにゆらゆらと揺らめく。
初めて見る演出に、誠治の心は自然と踊った。
恐らくコンプリートを見越した製作者側の隠し特典だろう。誠治がそう予測するのもつかの間、その女神の絵の下部に日本語ではない文字が不意に浮かび上がってきたのである。
英語でもない。大昔の象形文字を思わせるその文字群は、他ならぬ『女神の審判』に起用されている“ヴァルナ文字”という創造言語だ。
(確か、公式サイトに載ってたよな。造語の解説図鑑…)
今すぐネットで調べれば出てくるだろうが、徹夜明けで精神を酷使した誠治にとってこれ以上テレビ画面と向き合うのはなかなかに堪える。ゲームクリアで気が緩んでしまったことも重なって、誠治はひとまずこの特典画面の件は後回しにすることにした。
とりあえずゲーム画面に書かれた文字だけを白紙にメモして保管しておき、コントローラーのリセットボタンを押して画面表示を送る。
今度こそ、見慣れたスタート画面に戻ったことを確認した誠治は、ゲームの電源を切って深い達成感と少しばかりの虚無感に心を震わせたままベッドに身を横たえた。
興奮で寝付けないのではと懸念した誠治であったが、ほぼ一日ぶりの睡眠ということもあって強烈な睡魔はすぐに一人の少年を夢の世界へ引きずりこもうとする。
真っ暗な視界の中で意識を失う寸前、誠治は瞼の裏に石造りの大きな神殿を見た気がした。
その神殿の奥の祭壇で、淑やかな黒のドレスに身を包んだ金髪碧眼の少女が膝を折って手を組んでいる。俯くその顔は絶望と悲しみに暮れ、微かに動く唇は必死に何かを訴えかけているように誠治には思えた。
やがて少女の姿は、夢に沈む誠治の精神に相反して段々と霞みの色を濃くしていった。
夢の中の誠治は咄嗟に少女へ手を伸ばす。が、その手は空を掴むだけで、決して少女を捉えることはない。
何故そんなに悲しい顔をするのか。自分は、どうすれば少女の深い悲しみを和らげることができるのだろうか。
せめてその思いだけでも少女に伝えることができるなら……。そう思った矢先――
「…………」
ふと、少女が顔を上げて誠治を見た気がした。
虚ろな瞳が当ても無く揺れ動き、組まれた両手は何かを求めてふらふらと伸ばされる。
心の支えを欲するかわいそうな少女。そんな印象を抱いたところで、誠治にしてやれることは何も無い。
『お兄様……?』
その少女の声を最後に、誠治の意識は完全に闇に落ちた。
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『“救国の英雄たれ”? なんだそれ? ロープレのキャッチフレーズか何かか?』
時刻は夜の二十時。
一眠りして寝不足を解消した誠治は、携帯片手に自室のパソコンと向き合っていた。
「違うっての! だから言ってるだろ? “女神の審判”で、クリア後に出てきたヴァルナ文字の日本語訳だよ!」
誠治は苛々と電話の向こうの人物に言葉を返しながら、PCの画面に表示された文字の羅列をマウスポインタでぐるっと囲む。
“女神の審判”と聞いてようやく思い出したのか、電話の相手は「ああ…」と察した声を上げた。
『あーはいはい、例の異界大陸シリーズね。そういえばお前全部コンプしたって言ったっけ? おめでとさん』
「うん、ありがとう……って、それもさっき聞いたよ!」
なかなか要領を得ない“友人”の反応に、誠治は思わずその場で地団駄を踏む。
まさか高校二年生にもなって無意識に地団駄を踏むとは思ってもおらず、誠治は自分が相当大人気ない腹の立て方をしていることを一人恥じた。
声のトーンを落として、今度は冷静に説明を始める。
「その、コンプしたゲームにさ、今まで見た事のない演出っていうか……変わった画面が表示されたって、今さっき説明したよな?」
『おう。ゆらゆら動く女神と、造語のアレだろ? えーと……ヴァララ文字!』
「“ヴァルナ文字”な。それの日本語訳を、さっきネットの公式サイトで調べたんだけど……」
事前にメモしてあった文字と、公式サイトに掲載されているヴァルナ文字の図鑑と見比べて解読した結果、明らかになった言葉の意味が、
『救国の英雄たれ』
という、よくわからないものだったのだ。
試しに他の訳し方でチャレンジしてみたが、どれも前後の文脈が無茶苦茶で日本語として機能しそうにもない。
恐らくこれで正解なんだろうが、一番謎なのは結局のところこの言葉の意味が何を示しているのかということである。
「なあ樋野、お前のゲーム通でこの暗号なんとか明かせないかな?」
『うーん……さすがの俺でもなぁ……。SLGは数え切れないほどプレイしてきたけど、異界大陸シリーズだけはどうも苦手で……』
好きな事には分かり尽くすまで徹底的に調べる努力家でも、嫌いな事、苦手な事となるととことん駄目なのがこの樋野という男の性質であった。
樋野 一輝。十七歳。誠治と同じ高校に通う高校二年生で、お互い“ゲーム好き”という趣味の合致から良好な関係を築いてきた誠治の友人である。
彼の父親が大手ゲーム会社に勤めるのにも起因して、ゲーマーの中のゲーマーという特筆すべき特徴を持つこの男の得意分野というと、それは今まで世界中で発売されたゲーム各種のタイトルとジャンルを全て頭の中に記憶しているということだった。
そう本人が自分の口から語っただけなので、誠治は勿論信じていなかったが……そう一概に馬鹿にできるほどゲームについて何も詳しくないわけではなかった。
メトロなものから最新の作品まで、少なくとも日本製のゲーム関連であれば全部把握しているのではないか。それがここ最近の誠治の、樋野に対する見解である。
樋野は少しの間を空けてから、しかし自信なさげに再び声を発した。
『パスワード……じゃね? ほら、よくあるじゃん。ゲームクリア後に解禁されるやり込み特典とか! それを解放するための鍵かもし――』
「“異界大陸”関連のサイトを一通り見て回ったけど、それらしい補足はどこにも見当たらなかった。念のため“掲示板”も見に言ったけど……酷評コメントばっかりでまるで当てにならないよ」
『じゃ、じゃあ非公式の攻略サイトは?』
「僕がその情報経路を辿らずお前に電話すると思うか?」
『ちくしょう! わかった! 降参だよ高良。負けだ負け! “ゲーム博士”の俺でも、その暗号文章は難解過ぎてわからん! だからこれ以上、俺の名誉を貶めるのはやめてくれ!」
別に貶めてるわけじゃないけど。
そう言葉を返そうとした誠治だったが、電話越しに聞こえた女性の甲高い声にふと口を閉ざした。
樋野が慌てた様子でそれに返答し、しばらく騒々しい言い争いが誠治の耳に届く。
再び樋野が電話の通話に戻ってきたのは、それから一分後のことだった。
「わ、悪い。ちょいと野暮用で抜けるわ……」
「……何かあったのか?」
重々しいため息を零す樋野は、普段の元気の溢れた声色とはかけ離れている。
声を潜めつつ樋野は誠治に答えた。
『絢音がウチに来てんだよ……親父が仕事の休暇取れたから、ばあちゃんの実家に里帰りしようってことで一日早くこっちに迎えにきたらしいけど……』
「ああーなるほど。それでお前も捕まったわけか」
誠治の同情に、樋野は心底うんざりした声を上げる。
『まったく勘弁してほしいぜ…! 明日のゲームの新作発売日のために、夏季課題一気に全部済ませて徹夜プレイ決め込んでたのによぉ……これじゃあ俺の計画が水の泡だ……』
絢音とは、樋野一輝の従姉の名前だ。
容姿端麗、頭脳明晰、そのくせ料理上手と落ち度が見当たらない完璧女性なのだが、男勝りで態度が粗暴という難儀な性格から樋野が心底毛嫌いしている相手だった。以前、樋野の家に遊びに行った際に偶然顔を合わせたのだが、週刊誌を彩るモデルたちにも引けを取らないその美貌にしばらく見惚れていたのを誠治は記憶の隅で未だに覚えていた。
「口を開けばがっかり女」というのが樋野一輝が絢音につけた称号である。その罵詈罵倒の数々を誠治も耳にしたことがあるが、なんというか、健全な男子高校生にとってあまり好ましくないのは間違いないだろう。
樋野より五歳年上のようだから今は二十二歳。現役の大学生で、剣道部のサークルに所属しているそうな。
『じゃ、そういうわけだから。物凄く不本意だが、明日からしばらく留守にするわ。ま、なんかあったら気軽にメールくれよ。なんなら今日みたいに電話でもいいし』
「わかった。お前も達者でな」
『バーカ。余計な死亡フラグ立てんじゃねーっての。マジで洒落になって……やばっ!? あの怪力女またきやがった! 高良、電話切るぞ!』
「あ、ああ……」
誠治の返事を聞くや否や、電話の通信は一方的に遮断されて終わった。
沈黙の余韻に浸りながら、戻された携帯の待ち受け画面を見つめて誠治はひとりごちる。
「あいつ、大丈夫かな……」
絢音もまさか従弟を嬲り殺すなんてことはしないだろうが、理不尽な暴力を一方的に受けている可能性をさすがの誠治も捨て切れなかった。
念のためご愁傷様という件名と、「無事だったら後で生存報告くれ」とメールを送信しておく。件名と内容が矛盾しているような気がしないでもないが、まあ樋野だしと思い直して、それきり誠治は友人に対する情を頭から追い払った。
パソコンの右下に表示されたデジタル式の時計に目をやると、時刻は既に20時15分を表していた。 なんだかんだ忙しく通話しながらも十五分以上経過してしまったようだ。本当に何のための電話だったのだろうかと誠治は虚無感を隠せない。結局、隠し文章の謎解明にも至っていないのだから。
とはいえ他に調べるツテも無し、樋野も心当たりないのだから誠治としてはあきらめるより他にないのが現状だった。
かくなる上は発売元に直接問い合わせるのが一番手っ取り早いわけであるが、ゲームの仕様だと返されては恥をかくのはこちらなので躊躇われる。
結果、誠治はこの謎の文章をしばらく保留しておくことに決めた。試験勉強じゃあるまいし、今すぐに解く必要がある謎掛けでもない。
悩みの種がある程度解消すると、昼から何も詰めていない腹が空腹に鳴いた。
「とりあえず晩飯にするか……」
そうと決まればキッチンへ行こう。パソコンの電源を落とした誠治は、部屋の電灯も消して自室を後にした。
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誠治の家には、彼を除いて三人の家族が一緒に住んでいる。
父と母と、四つ年の離れた妹の合わせて計四名。
しかし、今この家に誠治以外に家族の姿は無い。
理由は何を隠そう、三人とも海外旅行で家を空けているためである。
なんでも誠治の母が、奇しくもスーパーのくじ引きで一等賞を当てたらしく、その景品が海外旅行のペアチケットだったらしい。三人一組という微妙な人数配分に悪意を感じられずにはいられないが、元よりインドア派の誠治に遠出なんて性に合わなかったので、両親の面倒を妹に任せて誠治自ら留守番役を拝命したというわけだ。旅程合わせて六泊七日。出発したのがつい昨日であるから、帰ってくるのはほぼ一週間後ということになる。
一階に下りて人気のないリビングを横切り、誠治はそのまま台所へ足を運ぶ。
一週間生活を一人でやりくりする誠治のために、母は三食用の冷凍食品を冷凍庫に大量に買い溜めしてくれていた。
実のところ誠治にとってインスタントラーメンでも十分に問題なかったのだが、「健康に悪い」の母の一喝であきらめざるを得なかった。ちなみにコンビニ弁当も禁止。まともな飯にありつきたければ自力で料理してみろという母なりの隠された挑発だということは疑いようがない。
バランス良いおかずの摂り方に悪戦苦闘しながら、レンジで調理した食べ物を皿に並べ終えること30分。食事と後片付け、トイレ掃除と洗濯物等雑務をを加えてさらに一時間を費やし、頼まれていた事全てをこなした頃には時刻は既に午後22時半を回っていた。
「はぁ……全部終了っと……」
風呂から上がって自室に戻った誠治は、そのまま倒れこむようにベッドに倒れこんだ。
家事ぐらいなんとかなるだろうと高を括っていた誠治である。まさか、こんなに大変だと思いもしなかった。改めて母親もとい主婦の偉大さを素直に尊敬する反面、この大変な仕事を後六日間も続けなくてはいけないという事実に直面し、正直気が重たい誠治であった。夏休みでもなければ真面目に取り組んでいないかもしれない。いや、だからこそ家族総出で海外旅行なんて行っているわけなのだが、この時の誠治がそれを理解していたかどうかは怪しいところである。
ベッドにうつ伏せでくたびれていた誠治はしかし、ふと何かを思い出したようにゆらりと身体を起こすと、デスクに置いたままだった携帯を取り出して操作を始めた。
二時間触れずに放置していた携帯には三件の着信履歴が更新されていた。
最初の一件は誠治の母親からのメールだ。旅行先の空港に到着したことを報告する短いメッセージと、それに加えて誠治の身を案じるお節介な文章が長々と綴られている。それこそ誠治が返信していいものか躊躇う程に。
残る二件はどちらも同じ人物から届いていた。他ならない、樋野からである。
一つ目は先ほど誠治が樋野に送ったメールの返信について。『Re:生存報告』という件名に続いて、「無理かも…」という短い言葉が添えられている。どうやら絢音は明日の里帰りまで樋野家にお邪魔するらしく、その従弟は本格的にしごかれているようだった。
二つ目は……着信時間はかなり新しい。ゲーム画面に浮かび上がった例の文章についての、樋野の考察らしきものが書かれている。
その内容によれば、最近発売された『異界大陸シリーズ』の第二作目にはクリアデーターの引継ぎシステムが採用されていることと、そのシステムは誠治がプレイしている第一作目にも導入される計画があったということだった。今週のゲーム雑誌に掲載されていた開発者インタビューによる情報らしいので、信憑性に関してはまず間違いあるまい。
樋野が言うには、誠治が見た謎のクリア画面は、その引継ぎシステムがまだ実行段階にあった開発時代、開発者たちによって先に用意されたものではないかということである。
削除を見逃して残ってしまったか、あるいは製作者側の遊び心で単に残していただけなのか。どちらにせよその考察が仮に正解であるとするなら、誠治がわざわざメモまでしたこの暗号文章はただの演出だけに成り下がってしまう。
「本当に、そうなのかな……」
誠治は腑に落ちなかった。
樋野の考察が正しくないとは言わないが、何やら漠然とした違和感が誠治の思考をうやむやにしている。
『救国の英雄たれ』
自分が認めたくないだけなのか。だがしかし、記憶に残るその言葉を口にするだけで、誠治は落ち着かない程の高揚感に包まれるのだ。
例えるなら……そう、前からプレイしたくて仕方なかったゲームの、スタート画面の「NEW GAME」を選択した時のような。
「…………」
気がつくと誠治は、テレビに繋いだままのゲーム機に電源を入れていた。
(確かめなくては…)
コントローラーを握ってテレビの前で胡坐をかく誠治。その目は何かに吸い寄せられるかのようにゲーム画面を注視していた。
ゲーム開発元会社のロゴマークを最後に、映像は荘厳なBGMと共にゲームタイトルが描かれたスタート画面に移り変わる。そこに表示された選択肢は「NEW GAME」「CONTINUE」「OPTION」の三つのみ。誠治は迷いなく一番上の「NEW GAME」を選択した。
新規でプレイを始める度に、プレイヤーが取る至って普通の方法。本来ならここで主人公の名前を入力する画面に移行するはずなのだが、何故か今回ばかりは勝手が違っていた。
「っ…これって……!?」
そこに映ったものは紛れもない、数時間前、誠治がゲームクリア後に見たあの翼を広げた女神の姿だった。しかも今度は影絵のようなシルエットではなく、顔の表情まではっきり見て取れる。
驚きと緊張で言葉を失う誠治を他所に、テレビの液晶画面に映った女神は目を伏せて静かに口を開いた。
その透き通るような高い声が誠治の耳にも確かに届いたものだから、彼は思わずコントローラーを取り落として小さい悲鳴を上げそうになった。
『私は女神イネス。人類の繁栄を見守り、秩序と調和を下す者です。新大陸ミズガルズを制覇せし覇者たる貴方に問います…』
容量の都合でゲーム内の登場キャラクターは全てパートボイスに留められていたはずだ。それも会話部分に入る相槌や応答など、短い台詞しか喋らないのに。
ここにきてフルボイスなど、誠治には到底信じられなかった。
何かのドッキリ企画か。でなければ誠治の耳がおかしいのか。なにより今の女神の話の内容……まるで現実世界のプレイヤー自身に問いかけているようである。
『――貴方は滅びゆく運命にある小さな国を、未来永劫豊かな国に栄えさせる覚悟はありますか?』
「は、はい?」
突拍子にも程がある、意味不明な質問だった。
対して女神は、返すべき答えは既に決まっているかと言いたげな様子で黙したまま目を伏している。
その沈黙時間があまりに長かったので、誠治はいよいよこのフルボイスカットがただのゲーム演出ではないのではないかと疑い始めた。
声色は淡々としているが、口調は自然そのもの。ただ台本通りに台詞を喋っている風にも見受けられず、何より女神のグラフィックが他と違い一線を越えている。
画面外にまで届く長い蒼髪。海より深いナイトブルーの瞳。それらに見栄えを与える白い素肌と羽毛の翼。どれもCGとは思えないほど精巧な容を成していた。
まるで本物。そう素直な感想を抱いた誠治に、女神は再び同じ質問を繰り返した。
「えーと、覚悟……覚悟……国を栄えさせる覚悟…?」
国を栄えさせる覚悟なんて、そんな大層な志を持つのはこの国で政治家ぐらいなものだろう。
そんな大儀が誠治にはあるかと問われれば、答えは否だ。勿論、現実での話の場合だが……。
しかし、ゲームであるなら――
『異界大陸 女神の審判』は国を奪い合う戦記シミュレーションゲームだ。国に身を捧げる主人公は君主、あるいは部下たちと共闘して生き延びながら自国の発展に貢献しなくてはならない。
それがこのゲーム最大のコンセプトと言っても過言ではないだろう。国を発展させる…つまり栄えさせるために、あらゆる方法を吟味して構築し、実行に移さなくては何も始まらないのだから。
そのためならどんな手段も厭わない。誠治が“コンプリート”という実績を成しえたのも、その覚悟があればこそである。
ならば、
「あるのかな、僕にも…」
国を栄えさせる覚悟とやらが。
『もう一度問います。貴方は滅びゆく運命にある小さな国を、未来永劫栄えさせる覚悟はありますか?』
「――――ある」
誠治は声を大にして答えた。
「あります。多分……」
はて、このゲームに音声識別機能は存在しただろうか。ボイスキャプチャー用のマイクを付けているでもなし、だが画面の向こうの女神は誠治の言葉に反応するかのように小さく頭を引いた。
『よろしい。それでは、高良 誠治。貴方を英雄候補として、“ミズガルズ”に召還します』
「え……は? なっ!? ちょ…なんで僕の名前知って――」
極自然に女神の口から自分の姓名が放たれたので、誠治は一瞬唖然としてしまった。
そして次の瞬間、驚愕に目を見張る彼の視界は暗転。
絶叫を上げる暇さえ与えない超常現象の数々をその身に感じながら、誠治の身体は漆黒の闇に溶け込むようにして消えてなくなった。