6-4
待たせていたセイトと共にアルデは町の外へ向かって歩き出した。まだ早朝で行き違う人の数は少なかったが、よそ者に対する単なる好奇以上の関心を引いているのが確かに感じられた。馴鹿亭での出来事を知っているのか、それとも。
この髪のせいか。
赤銅の頭に手をやりそうになるのをアルデは強いて抑えつける。
このカムランという国においてグルダはもはや昔語りの中の存在になろうとしているが、一方で未だ濃い影を落としている地域も残っている。トゥーリアの町に入る前に見た道標をアルデは思い起こした。あれはグルダ文字だ。読み方はタリハ、確か誓約とか契約を意味する語だったと記憶している。町の表門にあった銘盤の新しさからすると、町の名が改められたのはおそらくそう遠い日のことではない。
「あんたってさ、結構けちだよな」
「……何?」
唐突なセイトの言葉に、アルデは一拍遅れて振り向いた。どういう脈絡でセイトがそんなことを言い出したのか本気で理解できていなかった。
「なんかおかみと揉めてたみたいじゃねえか。どうせ宿代とか飯代とか値切ってたんだろう?気持ち良く払ってやればいいのによ。食い物だって旨かったんだしさ。あんただって夢中んなってがっついてただろうが」
どうやらひどく不当な非難を受けているらしい。そもそもが事実無根であり、アルデに対する侮辱でもある。それにたとえ本当だったとしても一バムの負担もしていない者に言われる筋合はない。
「だったらお前が払え。少なくとも自分が食べた分についてはな」
「度量が狭いな。仮にも一軍の将だろうが。そんなんじゃ兵にそっぽ向かれちまうぞ」
「無駄に糧食を食い散らかす者がいなくなるのなら願ってもない」
「ほら見ろ。やっぱりけちだ」
「よく分った」
アルデは深く頷いた。
「では今後はお前の評価を裏切らぬよう心して振る舞うことにする。お前を宿になど金輪際泊まらせない。私が料理屋に入った時もお前は外で待っていろ。後で食べ残しをくれてやる」
「俺が悪かった」
セイトは降服した。
やがて建物は途切れ、明確な境界もないまま町は背後へ過ぎる。石畳も土の道へと変わっていた。
前方にひときわ巨大な木が道に蔽いかぶさるように枝葉を伸ばしていた。根元には大きな陰ができていて、夏の暑い盛りなどであれば涼むのに良さそうだ。
あるいは町の住人達が連れ立って昼食を広げたり茶を喫したりしているのかもしれない。心を憩わせ、懐かしさを誘う場所だった。
「あれ……」
思わずというふうにセイトが声を上げる。
「あの爺さん、いつからあそこにいたんだ」
アルデも気付いた。いや本来ならとっくに気付いていてしかるべきだ。ことさらに身を隠すでもなく、老人は大樹を背に座していたのだから。
いかに木の下闇とはいえ晴れた日の屋外である。周りに丈高い草が密生しているわけでもない。目に入らない方がどうかしている。
「あれはもう武芸の腕がどうとかって次元じゃねえよな。ほとんど物の怪だぜ」
お手上げといった態のセイトに、アルデは否と首を振った。
「そうではない。確かに普通の武技とは異なるが、あくまで修練によって身に付けられたものだ。それも日々の糧を得る中での必然としてな。彼は」
完璧に気配を殺すこと、そして機を捉えて一撃で仕留めることを知る。
「グルダ」
それは即ち山の民。
昔日に行われた狩りの業を、老人は今この時まで受け継いでいた。
「やっぱりこっちに来たかよ」
老人はゆるりと立ち上がった。その動きは緩やかで、敵意も戦意も見当らない。やけに体格がいいことを別とすればどこにでもいる普通の爺のようなのに、気付けばセイトは腰に差した剣の存在を確かめていた。いつも使っている木剣の方ではない。真刃の業物だ。
だがセイトとは違ってアルデは全く警戒する様子を示さなかった。まるで旧知の者に対しているかのようでさえあった。
「もう心配はいらないと思う。あの者達が再び戻ってくることはない。片付けさえ済めば店はすぐにでも再開できる。あなたが訴えを上げた甲斐があったということだ」
セイトは軽く驚いたが、老人の巌のようなおもてからはアルデの言葉を肯定しているのか否かは窺えない。畏れながら申し上げます、などと賊のことを注進に及ぶ姿というのはちょっと想像がつかなかったが。
「彼女も本当は分っている。ほとぼりが冷めた頃にまた訪ねればいい。……これまでと何も変わらないようにして。大丈夫だ。あの人は決してあなたのことを嫌ってなどいない」
それはアルデにしては精一杯の執り成しだったろう。しかし老人は葉擦れの音か何かのように聞き流すと、そもそもの用件だったらしい問いを口にした。
「おまえにその剣をやった奴は」
アルデに良く似た、しかしさらに濃い黒い瞳が険しい光を放つ。
「おまえのなんだ。おまえ、奴に会うのが目当てなんだろう。会ってどうする」
「あなたに何の関係がある」
アルデの声も緊張を孕んで低くなる。
「奴は敵か?」
「そうだ。私の、敵だ」
「死ぬ気かよ」
「必要とあらば。それで奴を打ち倒すことができるなら私の命など惜しくはない」
老人はセイトに矛先を向けた。
「坊主、おまえもか。おまえも奴の敵か。それともこの小娘に忠義立てしてるだけか?命を賭けてでも守ろうってよ」
セイトはアルデと目を合わせたが、一瞬のことで、すぐに老人に向き直った。
「俺はただ強い奴とやりたいだけだ。連れの捜してる相手ってのは相当なもんらしいからな。もし俺がそいつとやって倒せればどっちの目的も叶う。そういうことだ」
「要するに」
老人は嘆息したようだった。
「坊主は捨て石ってことか。こいつに隙を作らせといて、脇からおまえが奴を斬ろうって腹だな。小僧は死んでも、奴の気を逸らせるぐらいの役には立つだろうってよ。つまらねえ浅知恵だ。二人まとめてやられて仕舞いだな」
「え」
思わずアルデに顔を向けたセイトだが、今度はアルデはセイトを見ようとはせず、ただ口元を引き結んでいる。
「総帥?どういうことだ」
セイトの口中に苦い唾が湧き上がる。ひどくたちの悪い冗談を聞かされている気分だった。
「まさか本当に俺のことはただ使い捨てにするつもりで、だけどその役にすら立たないかもしれないって内心では思ってるのか?だから厄介払いしようとしたってのかよ。自分の道がどうとかってのは全部ただのおためごかしでさ」
己が最強だなどと自惚れているわけではない。連れにとって自分が必要な存在なのだと信じ込めるほど無邪気でもない。
それでも少しは信頼されているのだと思っていた。色々と気に入らない相手でも、窮地には傍にいた方がいいのだろうと。
だがもし、アルデはセイトのことをただの道具としか見ていないのだとしたら。それも実用にさえ堪えないかもしれないような、鈍な刀だと。
アルデは、自身よりもはるかに強い敵を追っている。セイトは目下のところその唯一の道連れだ。なのにそんなふうにしか見られないというのか。
もしそうなら。それでは余りにも。
「答えろよ!アル──」
反応できたのは、間違いなくセイトの天才を明かし立てるものだった。しかしわずかに遅れた。
身を引こうとしたセイトの顎先を、巨大な石の塊のようなギドの拳は迅風となって掠め過ぎ、ただそれだけでセイトの意識をさらっていった。
──淋しすぎるだろ、あんたがさ。
その思いは気を失うまでの刹那の間に紡がれたのか、それとも気を失った後の夢のあわいに浮かんだものか。
頬に葉が落ちかかる。くすぐったさに顔をしかめ、取り除けて空を仰いだ。
眩しい。
日は既にすっかり高く、一面の青がどこまでも広がっていた。
セイトは深々と息をついた。どうやらずいぶんと長いこと伸びていたらしい。
周囲を見やる。が、誰の姿もない。
そうだろうな、と思う。
この後どこに向かうのか、大体のところは聞いている。頑張って走ればもしかしたらまだ追いつけるのかもしれない。
けれど。今さらだ。
もう一度正面から闘えば。
絶対に勝てるとは言わないが、五分以上にはやれると思う。しかしそんな言い訳に意味はなかった。
セイトの見積もりがどうだろうと、アルデに思わせるには十分だったはずだ。
アルデの道行きに必要なのは腕自慢の井の中の小僧ではない。経験と実力を兼ね備えた、海千山千の古強者なのだと。
見上げた空を一片の雲が流れていく。セイトはぼんやりとこれからの途に思いを馳せる。
ミンクスへ帰る?格好がつかないことはなはだしいが、あそこには今の自分より強い相手が二人いる。実戦の機会も多くある。修練を積むにはいい場所だ。
なのにどうにも乗り気になれない。その理由を考えようとして。
歌?
セイトは目をしばたいた。
歌が聞こえる。
音は外れているし、節はつかえがちで、ともすればただ呟いているだけのようでさえある。
それでもそれは歌だった。誰かに聞かせるためでなく、ただ自分の想いを乗せただけの、ひとりよがりで、へたくそな歌が、途切れ途切れに紡がれていく。
知っている声。知らなかった響き。
セイトは耳を澄ませ、目を閉じ、息を吸い込んで。
「てやっ!」
気合い一発跳ね起きた。
歌声はぴたりと止まる。セイトは吹き出しそうになるのをこらえつつ、手を頭の上で組んで思い切り伸びをした。それから身を屈めて投げ出されていた背負い袋を拾い上げる。
「──ようやく、気付いたか」
すると機を窺っていのだろう、太い幹の後ろからアルデが姿を現した。ぎこちなく取り繕ったような表情に、綺麗な声してるんだな、とはセイトは言わない。
「なんだ。てっきり先に行っちまったかと思った。どういう風の吹きまわしだ?待っててくれるなんて、薄情なあんたらしくもない」
アルデは苦い茶を含んだように眉根に皺を寄せた。
「仕方ないだろう。老体に手もなくひねられて気を失うような未熟者を道端に放り出していくわけにもいかない。野垂れ死にでもされたら私の方が迷惑だ……ほら」
「ん?」
布袋を投げて寄越す。
「当座の路銀だ。後はアスランの元に戻るなり放浪するなり好きにしろ」
一方的に告げると、セイトが口を開くのを待たず、というより声を掛ける隙を絶対に与えるまいと決めているかのような勢いで独り歩き出した。
つかのま呆気に取られたセイトは。
「……へそ曲りが」
すぐに後を追って駆け出した。
足音を聞きつけてアルデの歩調が微妙に速まる。しかし決してそれ以上にはならなかったから、セイトは簡単に横に並んだ。
「……何か用か」
暫しの無言の道行きを、先に破ったのはアルデの方。
「額ならば十分に入っている。……つまりその、手間賃も込みだ。ギドの言ったことは全てが正しいわけではない。だが間違ってもいない。結果的にお前に無駄足を踏ませてしまったのは事実だ。だからそれでも足りないというなら」
「違うよ、そんなんじゃねえ。ちょっと言いそびれたことがあったのを思い出しただけだ」
答えながら、ギドって誰だっけとセイトは少し考えた。ああ、あのごつい爺さんのことか。
「い、今さら不満など私は聞くつもりは」
「俺はわりと好きだぜ。あんたと一緒にいるの」
「なっ……」
「なにしろ退屈しないからな」
絶句したアルデにセイトが言うと、アルデは紅潮して口を動かそうとし、しかし適当な文句が思い付かなかったらしく。
そのまま口を閉じると、足を速めてセイトを二歩三歩と引き離した。そしてセイトがまた傍らに来ないうちに。
こっちの台詞だ、と。
小さな声で呟いた。




