5-2
室の外に他に敵の姿はなかった。つまり残りは全てセイトが片付けてしまったということだ。期待も予想もしていたが、やはり驚きを禁じ得ない。
セイトは剛力無双の偉丈夫や、歴戦のふるつわものなどからはほど遠く、隊士としては未だ新参の若輩者、成人として身体が完成するのすらなお暫く先だろう。しかしその強さは既に並の剣士が束になっても敵わない域にまで達している。
一体どこまで強くなるのか。底知れない恐ろしさを感じる一方で、ひょっとすると今こそが頂点なのではという思いも過る。
あれは天賦の才の持ち主だ。その確信は揺るがない。
しかし強く輝く才というものは、光を失うのもまた早くなりはしないだろうか?
杞憂?
いやそれは変だ。
そもそもアルデはセイトのことを心配してはいない。心配する筋合などないのだから。
共に旅をしているのは半ば成り行きのようなものだ。いっそ魔が差したと言った方が近いだろう。状況が変わればいつでも袂を分ち、ことによっては敵に回る可能性さえ無いとは言えない。馴れ合いは無用だ。最後には己の力を恃むしかないのだ。アルデも、セイトも。
アルデは二階の廊下を進んだ。部屋の戸が開け放されているのは、カイルの隊の者が調べに入ったためだろう。左奥の一部屋だけ閉じられているのがかえって気を引いた。
戸を開ける。床の上や寝台に金貨や貴石が並べられていた。略奪された品に違いなかったが、もっと別のものもそこにいた。
「っ!てめぇは」
あせったように振り向いた顔がアルデの姿を認めて醜く歪む。
その男──ヴァングは片手に丈夫そうな麻袋を持ち、もう片手には財物を掴み締めていた。おそらく一人で持ち逃げしようとしていたところだったのだろう。
「そうかい……てめぇらの仕業ってわけか」
声音に怒りと憎しみが満ちる。
「猿の分際で人間様を売るとは大した知恵じゃねえか。褒美は何貰ったんだ?木の実か、地虫か?まさか金ってことはないだろうな。赤猿なんかに使えるわけがねえからな」
ヴァングは盗品を落とした。だがそれは投降しようとしてのことではなく。
空になった手を懐に入れ、再び出した時には、抜き身の短剣が握られている。
「その赤い毛皮を剥いでやる」
アルデは目を瞠った。即座のヴァングの踏み込みは予測を超えて速く鋭い。一息で身を接するまでの距離にまで詰め寄り、長剣と対した際の間合いの不利を逆転させる。理に適い、迷いがない。見事なまでに実戦的だ。
初動で遅れを取ったアルデは、迷わず大きく後ろへ下がる。剣を合わせることも出来たが二の太刀は間違いなく向こうが速い。接近戦で後手に回っているうちに不覚を取ってはつまらない。
再度の不意打ちに用心しながら、改めて青眼に構え直す。もはや一片の油断なく、相手の実力も見定めたからにはアルデの勝利は動かない。そのはずだった。
だが物事は変化する。
背後からだ。階段を上ってくる者がいる。それも複数。
反射的に敵だと感じた。短い分析を行った後、状況からも危険だと判断された。
少し前から下の階が騒がしい。戦いが起こっている気配だ。一方がセイトなら、もう一方はアルデにとっても敵だろう。乱暴な割り切りだが構わない。詳しい詮索は後でいい。
たとえそれが誰であろうと。
後ろから迫ってくる者があれば、須く警戒を払う。
そうしてアルデバランは生きてきた。そうしたから、生きてこられた。
ヴァングに牽制の突きを見せ、わずかに怯んだ隙を衝いて身を反転させ走り出す。廊下で挟み撃ちにされるのを待つより各個撃破を狙うのが上策だ。階段の幅は狭い。一度に相手取るのは一人で済む。一対一の勝負なら、上から駆け下りるこちらが有利。
階段を上ってきた男がアルデを見て問答無用で剣を薙ぐ。足元へ繰り出されてきた刃をアルデは避けるのも剣で弾くのも省略し、速度を殺さず前へ跳ぶ。
敵の眉間に膝頭を打ち込む狙いは、しかし予期していたのか単なる偶然か、身を低くして走り抜けた相手にかわされ、その頭上を飛び越える格好になったアルデは、気付けば後に続く男の剣を至近にしていた。
構えられた切っ先は動かず、宙を落ちるアルデの動きは止まらない。まるで自分から串刺しになりにいくような状況の馬鹿馬鹿しさに、刹那笑いが込み上げる。
だがまだだ。
アルデは集中を取り戻す。
このまま落ちても命までには至るまい。満を持し力を込めて待ち受けているならともかく、ただ支え持っているだけの剣で人の体は貫けない。とはいえ傷は負うことになるし、深ければ後の動きにも支障をきたす。
アルデは腕で頭部を庇いながら膝を胸に引き付け身を捻った。それでも完全には避けきれず、左の前腕に痛みが走る。
「くおっ!?」
すぐ側で慌てふためいた叫びが上がったが構っている余裕はない。大体の見当とあとは勘を頼りに足を伸ばし着地を試みて──しくじった。
ぎりぎり足を着けるまでは成功したものの、体を支えきれずに踵を滑らせる。延髄を階段の角に打ちつけでもしたら走馬灯が見えかねない。修練の為せる技というよりほとんど本能の命じるままに、平衡を取り戻そうとアルデの腕は動いた。
「ちょっ、おわっっ」
またしても奇声が上がる。否、アルデがそれを人の声だと認識したのは、どうにか体勢を整えてからのことだった。
「あんたな……。実は俺のこと嫌いだろ」
振り返ると、三つ上の段にセイトがいた。落ちる途中ですれ違ったのは分るとして、階段に背中でへばりついているのは一体どういう理由によるものか。
未だ敵は去ってはいない。階段の上下を塞ぐ配置だが、こちらを警戒しているのか、すぐに仕掛けてくる様子はない。あるいは無理に狭い場所に斬り込むより、出口で待ち構えた方が戦い易いと考えてのことかもしれなかった。
いずれにしろ即刻修羅場ということはなさそうだ。気を抜きはしないまでも、体の強ばりをアルデは意識して緩める。
「──とりわけ好きだと言うつもりはないが。何故そんなことを訊く」
ようやくのことセイトは立ち上がった。筋でも違えたような、らしくないぎこちのなさだ。
「そりゃあ立て続けに二回も殺されかければな。誰だって関係を見直したくなるさ」
「何だと?」
意味が分らなかった。ミンクス砦でのことを言っているのかとも思ったが、しかしあの時は双方納得ずくだったはずだ。恨み事を言われる筋合はない。
アルデは右手の剣を持ち直した。素抜けたりこそしなかったものの、さすがに握りが甘くなっていた。緊急の事とはいえ剣を持ったまま腕を振り回したのは失態だった。自分にとっても危険だし、もし近くに誰か人でもいたなら巻き込むことにもなりかねな──あ。
「わざとではない、からな」
敵の方へと顔を向けながらアルデは言った。
「本当かよ。俺じゃなかったら死んでるとこだぜ?」
「だ、誰が嘘などつくものかっ。大体、もし本当にお前を斬るつもりならそんな持って回った手段など使わない。正面から両断してやるとも。この剣に誓ってな」
「冗談のつもりかよ?全然笑えねえんだけど。っていうかさ、基本的にあんたってひどいよな。友達少ないだろ」
「お前の知ったことではない……そんなに私のことが気に入らないなら、どこへでも行ってしまえばいいだろう。もともと一緒にいる義理などないんだ」
「確かにな」
セイトは頷いた。その返答に、不意に頬をはたかれでもしたみたいにアルデの肩が小さく跳ねる。
「そうだ。それが賢い選択だ。私と共にいたところでお前にとっていいことなど何もない。自分の道を行け、セイト。お前はいずれ必ず王国に名立たる剣士になれる。直に剣を交えた私が言うんだ。絶対に間違いない」
「本気で言ってるのか、あんた」
「これ以上ないほどにな」
「分ったよ。別れよう」
「……ああ」
二人の動きは同時だった。セイトは上へ、アルデは下へ。それぞれが、それぞれの行く先を切り開く。自分だけの力で。
二階の敵は多くない。全員を打ち倒すぐらい、セイトなら余裕でやってのけるだろう。その後は窓からでも飛び下りて勝手に抜け出せばいい。己は己の闘いに全力を挙げる。大丈夫だ。どうにかなる。
前を塞ぐ敵が身構える。手間取っている暇はない。全力で抜く。
剣を振り上げ、最短で仕止めるべく狙いを定め、あとは身体の動くに任せるだけだ。
緊張と興奮に敵手のおもてが朱に染まる。そのすぐ後ろにさらに二人が待ち構えているのが分ったが、アルデは止まらず突っ込んだ。
互いの刃が交錯するぎりぎりの境を越えて、滑り出した剣先が黄泉へといざなう弧を描き。
空を切った。
しかしそれは躱されたのではなく。
セイト!!
アルデの剣が届くよりも先に、頭上から踊りかかってきたセイトが中空で目前の敵を蹴り倒し、そのまま地に足を着けるやいなや、唖然と目を見開く後詰めの二人を瞬く間に打ち倒した。
そして前へ立つ。まるでアルデを守るかのごとく。
「どういうつもりだ」
その背へ向けてアルデは問う。声が硬く尖るのを止められない。
「私を愚弄しているのか。お前のお守り無しでは自分の尻も拭けないような半人前だとでも思っているのか」
「勘違いするな」
肩越しにセイトが答える。
「あんたとは別れるさ。一緒にいるのが嫌になったら、すぐにでもな」
「……まるで今はそうではないように聞こえるが」
アルデはセイトの隣に進み出た。取り巻く敵の数は十人ばかり、予想していたよりも大分多い。もしも自分一人だけで突っ込んでいたら、きっと無傷では済まなかった。
「あんたがどう思ってるのかは知らないけどな、少なくとも俺は」
「話は後だ。まずはこの場の始末を付ける」
賊連中は確かに素人の集団ではなかった。アルデの技量の並ならぬことを既に察知しているらしく、容易に掛かってこようとはしない。むしろ腰は引き気味だ。そしてセイトの腕前についてなら、既に嫌というほど思い知っていることだろう。
「降れ。貴様らでは私達に勝てない」
威迫ではない。事実だ。敵に出来るのは従うか逃げるか斬られるか、それとも。
「黙れよ牝猿。殺すぞ」
怯えて吠えるか。低い恫喝を放ったのは頭目のフェイト。しかしいくら兇悪な気配を漂わせたところで、手下の作る人垣に身を隠しながらでは微風ほどにも応えない。
アルデは構わず踏み込もうとして。意味を取り違えていたことに気付いた。
「手ぶらになって跪け。犬みたいに四つん這いになれ。従わなきゃ、殺す」
おかみの喉元に刃をあてがいながら、フェイトは言った。




