人を呪わば穴二つ
“人を呪わば穴二つ”
これは、人を呪うような真似をすれば、自分も報いを受けて、墓穴を二つ掘らなければいけない、というような意味だ。
誰かを呪うとそれが返ってくる“呪詛返し”。これをオカルトなんかの範疇のものだと思っている人はたくさんいる。超常現象の類だろうと。でも、実はそんなものを持ち出さなくてもこれは存在しているんだ。“呪詛”というのは、超常的な力なんかじゃなくて、実はただの“悪口”だ。誹謗中傷で、相手を傷つける。つまりはネガティブ・キャンペーン。そして、このネガティブ・キャンペーンは、実はとっても危うい方法でもある。使い方を間違えれば、自分を傷つける事にもなりかねないし、相手を傷つけるどころか、擁護論を刺激して、逆に助けてしまう場合だって有り得る。
まぁ、反感を招くような批判の仕方は逆効果って訳だ。
例えば、あなたが誰かの悪口を言ったとしよう。相手に何の落ち度もなければ、それを言ったあなたが“悪い奴”となって、皆の非難はあなたに向かう。逆に相手を庇う人が現れもするだろう。その悪口が酷ければ酷いほど非難が強くなりもする。人を呪わば穴二つ。つまりはこれが、呪詛の力が強いほど、呪詛返しも強くなるって事だ。
実は僕のいる高校で、そんな事件がある時に起こったんだ。僕のいる高校は、なんだか生徒会の選挙戦が熱い。珍しい事なのかもしれないけど、S井って奴と、T田って奴がそれぞれ会長に立候補して、激しく選挙活動を行っていた。因みに僕はS井を支援する内の一人だった。
そして、そんな中、“それ”は起こったのだ。
怪文章。
それは、S井を誹謗中傷する内容だった。そんな文章が、学校内を出回り始めてしまったのだ。
S井を支持する僕らが怒ったのは言うまでもない。更に言うなら、自然の流れで犯人はT田って事にもなっていった。S井を誹謗中傷して得をするのは、選挙のライバルであるT田くらいしかいない。T田はそれを否定したが、信用されなかった。後もう少しで、先生達まで動き出しそうだったが、S井が「気にしていない」と、言ったお陰で穏便に済んだ。もちろん、ここでもS井は好印象を皆に与えた。
そして、T田が悪者になったまま、選挙選は終わり、投票が行なわれた。当然、S井は圧勝した。
僕らは勝利を喜びつつ、こんな馬鹿な事をやらなければ良かったのに、と蔑みながらも怪文章をばらまいたT田に少し同情した。T田はとてもみじめな顔をしていたから。
しかし。
放課後に教室に入った時、僕は偶然、見てしまったのだった。S井が例の怪文章を処分しようとしているのを。しかも、それはとても綺麗で、刷っておいたものを何処かに仕舞っておいたように見えた。
それで僕は悟ったんだ。あの、怪文章をばらまいたのが、S井本人である事を。もちろん、T田を陥れる為にしたのだろう。
そして僕は怖くなった。
S井は存在しない呪詛返しでT田を呪うという高度な事をやってのけたのだ。もちろん、それがばれれでば、今度はS井がその呪いを受ける事になる。自分が呪っている事がばれれば、その呪いは自分に返ってくる、というやつだ。
僕はそれを誰にも言わなかった。それには、僕がS井を支持していたというのもあったけど、何より、S井が怖かったからだ。こんな事を平気でやってのける奴を、敵には回したくない。
インターネット上には、誰かの悪口、つまりは呪詛の言葉が飛び交っている。もしも、あなたがそんな言葉を放っている一人だとしたら、気を付けた方が良い。あなたは反感を招くような批判の仕方で、逆に相手を助けているかもしれないし、自分を窮地に追いやっているかもしれない。
人を呪わば穴二つ。
インターネットが普及している、簡単に言葉が飛び交うこの現代という時代は、その意味を強く胸にするべきじゃないかと思う。