差し込む光
今から喋ることは俺の独り言。
道化でいることを義務づけられた夢のなかでの、誰にも聞かれることのないただの独白。
「自分らしく自由にいなさい」
大人や教師が口を揃えていう言葉。
大人はそれがまるで常識のように、良いことを言っているかのように、誇らしげに語る言葉。
そういう時、私は聞き返したくなる。
「自分らしさ」とは何か。
会社、学校、なにかに属する時に求められる「自分らしさ」と、私が私である為の「自分らしさ」。
前者の「らしさ」とは社会という歯車を潤滑に回すための技能や能力であって、後者はもっと内面的なもの。前者よりも不確かであやふやなもの。
大人らしさ、子供らしさ、女の子らしさ、男の子らしさ。
使い分けを強要させられる「自分らしさ」。
それは本当に「自分らしさ」であるのか。
例えば沢山勉強をして努力をして、皆が羨む一流の会社に入社したとする。
そこでも沢山努力して良い成績を取り続ける。
そして皆から私のイメージは「優秀で真面目な人」。その評価が与えられる。
そして私はその評価を守るためにまた沢山努力をする。
それでも私はひとつ失敗をしてしまう。
そうすると皆は口を揃えてこう言う。
「あなたらしくないね。どうしたの」と。
一度評価を得てしまえば、失敗をする事がおかしいことになる。
皆の中での私が私で無くなる。
本来は如何様にもある「自分らしさ」は、「正常」と「異常」、「嘘」と「本当」に分けられてしまう。
異常な環境では正常が異常になり、異常は正常になる。
異常を恐れて「らしさ」に型どられて、正常が求める、世間が求める自分に姿を変える。
多数の人間が自分を量産する世界。
あやふやになった「らしさ」で埋もれていく自分。あやふやなまま自分を選別する世間。
異常が正常になる世界。
それはとても怖いこと。
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愛、平等、公平。
なんて綺麗な言葉なのだろう。
才能、天賦の才。
なんて良い響きなのだろう。
欲望、嫉妬、僻み。
なんて汚い言葉なのだろう。
綺麗、汚い。良い、悪い。
世の中にはそれらが飛び回っている。
綺麗と汚い、良いと悪いは同時には両立しない。
それでもそれらが世の中を飛び回っているのは、綺麗と良いだけが尊重され愛されて、汚いと悪いが軽蔑され嫌われるのは、人が良くも悪くもそれらで構成されていて、二面性があるからだろう。
それは時に武器となり、凶器となる。
「綺麗は汚い、汚いは綺麗」という言葉をどこかで読んだことがある。
綺麗は皆に求められ愛されるものでありながらも、同時に汚いも綺麗と同じくらいに求められるもの。
芸能人の不倫やいじめ問題のゴシップがそれを体現しているのだろう。
清純なアイドルが、クラスで一番の優等生が、いじめをしていたら。カンニングをしていたら。
それらが露見したら。そういう噂がたったら。
人々はそれ見たとこれみよがしに正義という言葉を盾に、
「あぁ、やっぱりね」
「最低」
「キモ、死ねばいいのに」
罵倒する。
例え以前その人が素晴らしい人格者だろうと、仲良かろうと、愛していたとしても、罵倒し面白がって酒の肴に、井戸端会議のネタにするのだろう。
それが皆から好かれる優等生、アイドルなら尚更面白い。
一度称え褒め称えられたら、正しいと認められたら、人々から正義と認められたら、矛盾は認められない。
たとえ事実無根の噂でも、白に黒が混ざればグレーになる。
正義とは真っ白な存在でなければ許されない。
それとは逆に、以前に犯罪を犯し罪を償った人が会社を立ち上げ、更生でもしたらみんな称え褒める。
白がグレーになるのは許されないのに、黒がグレーになるのはみんな簡単に容認する。
皆がみんな綺麗で真っ白だったら、人は満足しないのだろう。
この世界はきっと退屈。逆でもきっと不満が出る。
好きと嫌いが紙一重のように、綺麗と汚いは紙一重なのだ。
そこには数センチも隔たりがない。あってはいけないのだ。
汚いを許さない世界。
なら、もうこんなにも穢れてる俺はきっとこの世界で生きててはいけないのだと思う。
世界はこんなにも理不尽で気持ちの悪い。
それならもう捨ててしまいたい。
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ピピピピ。
無機質な真っ白の壁で囲まれてる部屋の中に、アラームが響きわたる。
手探りでスマホのアラームを止め、身体を起こす。
長い夢。
いつも見る夢。
狭く白い部屋で独りポツンと俺が椅子に座っているだけ。周りには誰もいない。
夢のなかでも俺は俺を上から見下ろし笑っている。
自分が自分ではなくて、自分のことなのに他人事。
そんな毎日。
部屋から出て洗面台へ向かい、顔を洗う。
スッと通っている高い鼻、大きく切れ長な目。
外ではもてはやされていた父親に似ている顔。
ひどく汚くて、歪んでいる。
気持ち悪い。
深呼吸をして、荒くなった息を整える。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。やれる、できる。
心のなかで唱え、身支度を整える。
ピーンポーンとチャイムが鳴る。
嵐が迎えに来たのだろう。
玄関に置いてある鏡台の前に立ち、制服の襟を整え、口角をあげる。
今日も道化の仮面をつけて、俺は今日を生きていこう。
ガチャとドアを開けると、壁に寄りかかりスマホを触りながら待っている嵐が立っていた。
「お待たせ! 行こっか」
と嵐に声をかけ、歩く。
しばらく無言で歩いていると、嵐が苛立つように愚痴をこぼす。
「あーあ、学校行くのやだなぁ。りさちゃんが先生のこと毛嫌いしてて、見てて可哀想で見てらんないし、歩ちゃんがいじめられ始めて次は私の番かもしれないから、やってらんないよ」
そう、私たちの学校はいじめ、暴力、不正がまかり通っている。
みんな自分の物差しで他人を推し量り、たくさんあるはずの価値観を殴り捨て、正常と異常に分類してラベルを貼り、付加価値をつけて商品棚に並べている。
せめて俺たちは、正常が異常になる世の中で廃棄処分にならないことを祈り、息を潜めて生きるしかない。
住宅街を抜け、15分ほど歩いていると学校が見えてくる。
「まぁでも、行けば終わるから!」
なんて励ましの言葉を送ってみる。
「またそれ? もぉ、まーちゃんは脳筋だよ」
と、ふふっと嵐が笑いながら校門をくぐる。
それに続くように小走りで私は急ぐ。
ガラっと教室のドアを開けると、ざわざわとみんなが噂話をしている。
「ねぇ、どうしたの? なんか騒がしいけど」
と近くにいた子に聞くと、
「歩ちゃんがこの前のテストの資料を職員室から盗んだことがバレて、退学になったんだって」
「でもさ、これってりさちゃんの指示で取ってきたとも聞いたんだよ」
まぁ要約すると、クラスのいじめっ子が気に入らない子を退学に追いやった。
そういう話。
なんかそんな話、他学年でも聞いたなとぼんやり考えていると、キーンコーンカーンコーンとチャイムが鳴り、みんなそれぞれに席に座っていく。
ガラっと扉が開けられ、先生が入ってくるのが見えた。
「出席を取りまーす」
と、よく通る声でそれぞれみんなの名前を呼んでいく。
14番までいくと、またガラっとドアが開く。
「すいませーん、遅れましたぁ」
と甲高い声で入ってくるのが、この教室の支配者、美島梨沙。
何も怖いものはないかのように堂々と歩き、席に座っていく。
そんな梨沙を注意することもなく、続きを呼んでいく。
長い髪、158センチ程のちょうどよい身長、短いスカートにスラリと伸びた脚。
頬はピンクに染め、まつ毛をしっかりあげている。
その派手な姿は、恐怖に支配されているこの教室ではとても目立つ。
出席確認が終わり、担任が教室を出て、1限目担当の教師が入ってきた。
1限目は現国。
教室が抑揚のない淡々とした声で、教科書のなかにある物語を読んでいく。
その声に眠くなるものもいるのか、梨沙をはじめ何人かは机に突っ伏している。
私もぼーっとBGMを聴くかのように、時が過ぎるのを待っていると、キーンコーンカーンコーンと終了のチャイムが鳴る。
「はーい、じゃあ今日はここまで」
と先生が言い切らないうちに、みんな教科書を机の下に直していく。
「まーだら」
甲高い声で私の名前を呼ぶ声がした。
振り返ると、ニコっと微笑んでいる梨沙がいた。
「今日お昼一緒に食べよ。決まりね」
と、私の返事などいらないかのように約束だけ取り付けて、自分の席へ戻りスマホをいじり始めた。
そうしてるうちに2限が始まった。
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昼休み
少し間の空いた横並びの席をくっつけて、お弁当を広げる。
まぁ、梨沙みたいに親が丁寧に作ってくれたお弁当なんかじゃなくて、コンビニ飯なんだけどね。
「斑っていつもコンビニだね。身体に悪そうだし、なんか可哀想」
私の頭の中には3つの感情が浮かぶ。
苛立ち、喜び、悲しみ。
適切なものを瞬時に選び、表情を感情に合わせる。
「んー、でも美味しいよ? 私この唐揚げめっちゃ好き」
「ふーん。てかさ、この前理科の大場に呼び止められてさ、説教されたのめっちゃきもくない?」
「なんて言われたの?」
「メイク外せって言われて、メイク落としシートで無理やり顔拭いたんだよ? 体罰じゃないし? あいつ絶対辞めさせる」
「めっちゃキモ、やばいね大場」
なんて共感の言葉をかけ、顔を歪ませてみる。
梨沙の愚痴を聞きながらお弁当を食べていると、予鈴が鳴った。
「梨沙、私トイレ行ってくるね」
トイレを済ませ、手を洗い前の鏡を見ると、口角の上がり方もいびつで、瞳は濁り、血でまみれている自分がいた。
喉がヒュっと鳴り、手が震え始めた。
息がうまく吸えない。
苦しい。
誰か助けてと願い、息を探す。
「はは、誰か助けてなんて、俺は人を傷つけておいて助けてなんて烏滸がましいにも程があるか」
目の前が真っ白になっていく。
「大丈夫? ゆっくり息を合わせて。吸って吐いて、吸って吐いて、吸って吐いて」
私より少し大きい手で背中をさすられながら、その優しく穏やかな声に身を任せる。
「もう大丈夫そうだね? きつかったら人を呼ぶんだよ?」
とだけ言い残し、すぐに去っていった。
「あ、あの、名前……」
名前だけでも教えてもらいたかったんだけど。
誰なんだろ。
背が高くてスラリとしていて、ふわふわの金髪を靡かせて去っていった女の子。
あんな目立つ見た目の子、すぐ気づくのに。
誰なんだろ。
「あ、てか時間やばい」
廊下を小走りで教室へ向かう。
扉を開けて自分の席へ向かう。
「遅かったね、斑ちゃん。大丈夫?」
「うん、ちょっとトイレ並んでたの」
そんな会話をしていると、教師が入ってきて授業が始まった。
教師の抑揚のない声を聞きながら、ぼーっと考える。
あの女の子は誰なんだろ。
モデルさんのように背が高くて、綿毛のようにふわふわとした金色の髪の女の子。
顔を見れなかったし、名前も聞けなかったけど。
また会いたいな……。
誰かに少し聞いてみよう。
凄く目立つ見た目をしてるんだ。すぐ見つかるはず。
「今日はここまで」
と教師が言うと、みんなざわざわと喋り始め、教科書を机のなかにしまっていく。
私は4列目の一番前の席の嵐に声をかける。
「嵐! さっき金髪の背が高い女の子を見かけたんだけど、誰か知らない? 何年生とかだけでも」
「金髪? 金髪なんて校則違反でしょ? そんな人いないと思うけど、いたとしても校則違反者はこの学校じゃ情報が張り出されるし、違反する方も針の筵だと思うんだけど、ほんとにそんな人いたの?」
と不思議そうにこっちを見つめる。
確かに、強い大人が弱い子供をルールで縛り付け、強い子供が弱い大人を叩き潰す玉石混交のこの学校じゃ、そんな人、生きてはいけないよな。
「そうだよね! 見間違いかも。ありがとう!」
そうは言ったけど、見間違いなんかじゃない。
絶対に金髪の女の子を私は見た。
嵐の他にも数人に聞いたが、答えはみんな同じ。
「見間違いなんじゃない?」
みんなにそう言われると、そんな気もしてくるけれど、念のため探してみることにした。
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放課後
嵐に先に帰っててと声をかけ、私はとりあえず学校中を歩いてみることにした。
女の子と出会ったトイレ、屋上、音楽室、理科室、体育館と隅から隅まで探し回ったが、金髪の女の子はいなかった。
夕陽も沈みかけているな。
今日はここまでにして帰ろう。
そう思い、下駄箱がある本館と体育館を結ぶ渡り廊下へ向かった。
私はふと違和感を感じた。
散々皆に見間違いといわれた女の子のことなんか放置していいはずなのに、なんで私はこんなにも労力をかけて探しているんだろう。
期待? 好奇心?
全ての事象に興味なんて抱いたこともなければ、好奇心なんてもってのほか。
どうして私はこんなにもあの女の子に会いたいと思っているんだろう。
「元気そう、良かった」
後ろから声が聞こえた。
けれど振り向くと、誰もいない。
私は確かに聞こえた。
私の身を案じ、優しくしてくれた女の子の声が。
疑問を残しながらも、私は学校を後にした。
歩き慣れた通学路で帰っていると、以前嵐から聞いた怪談話をふと思い出した。
「逢魔が時っていわれる夕暮れ時には、体育館と本館を結ぶ渡り廊下には行っちゃ駄目なんだって。そこには幽霊がいて、声をかけて来て振り向くと、その幽霊の仲間にされちゃうんだって」
その時は雑談として聞き流していたが、もしかしたら関係があるのかも。
明日、嵐に聞いてみよう。
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ガチャ。
「ただいま」
私の声だけが木霊せず、玄関からリビングへ繋がる真っ直ぐな廊下に消えていく。
私は思わず顔をしかめた。
「ただいま」なんて、ここ何年も言っていなかった。
この家に引っ越してから、家で声なんて発したことなかった。
思い出してみると、あの女の子への好奇心や期待、嘘か本当かも分からない怪談話にも興味を持つなんておかしい。
これは駄目だ。
正しくない。
冷蔵庫にしまってあるゼリーを一気に吸い込み、ソファへ座り深く息を吐いた。
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「お前のせいだ。お前がいなければ零子さんは死ななかった」
「お前のせいで父さんは変わってしまった」
「斑、お前の色は何色にも混ざりすぎていて気持ち悪い」
「斑ちゃんはほんとは誰が好きなの?」
それぞれが私を責め立てると、お母さん、お父さん、おばあちゃん、麗奈。
白い箱に閉じ込められた私に、皆が一斉に問う。
「お前がいなければ私たちは幸せだった」
ピピピ。
毎朝鳴るようにしているアラームが鳴る。
あ、私は寝落ちしていたのか。
お風呂にも入っていなかったな。
寝ぼけた目を擦り、お風呂場へ向かう。
温かいシャワーを浴びながら、夢での出来事を思い出す。
私の大事だった人たちが私を一斉に責め立てる夢。
あの夢のおかげで思い出せた。
私の意味。存在している意味。
好奇心や期待なんて抱いている場合じゃない。
抱くべきではない。抱いてはいけない。
俺は何も感じず、贖罪の為だけに生きるべきだった。
大事なことを忘れていた。
苦しい時に少し優しくされたからって、それを忘れてはいけない。
あの優しさは俺には不相応で、受け取ってはいけない。
もう忘れる。
大丈夫。できる。
自分も他人も尊ぶことはない。
そういう生き方を俺は選んだ。
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お風呂場から上がり、身だしなみを整え、嵐の迎えを待つ。
ピーンポーンとチャイムが鳴り、ドアを開ける。
「まーちゃん!」
ドアを開けると同時に、私の胸に飛び込んでくる。
「あれ? まーちゃん、いつものまーちゃんに戻ってる」
「どういうこと?」
「なんか昨日はわくわくまーちゃんだったけど、今はクールビューティまーちゃん」
なんの曇りもない笑顔でそう言われてしまうと、昨日の私はやっぱりおかしかったんだと考えながら歩いていると、
「でもそういうまーちゃんもなんか麗しくて好きだけどね?」
心配させたのか、不安そうに横並びで歩いている私の顔をのぞき込みながら嵐は言った。
そう言っているうちに校門に着いたが、私たちは顔を見合わせた。
「なんで校門締まってるし、こんなに静かなの」
嵐がそう叫ぶ。
「待って、今日何日? 11月15日、創立記念日だよ! 忘れてた」
ふふっと顔を見合わせて笑う。
「帰る?」
と私が聞くと、嵐が「閃いた!」と叫ぶ。
「昨日まーちゃんが言ってた金髪の女の子って、もしかして私が前話した怪談の女の子じゃない? って今思った!」
「今日さ、一回解散して夕方またここに集まって肝試ししない?」
目をキラキラ輝かせて私に聞いてくる。
「……」
「まーちゃん?」
「いいよ。楽しみ」
と私もふふっと笑う。
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夕方
「まーちゃん! お待たせ!」
と大きな手提げ袋を持った嵐が現れた。
「どーぞ!」
と次々に懐中電灯、フード付きの黒のパーカー、黒マスクを渡してくる。
「潜入に変装は不可欠でしょ?」
わくわくが隠しきれないっていう顔だなぁ。
「でもこれじゃあ潜入っていうより、なんか強盗みたいだね」
と同じようにふふっと笑ってみる。
「でも嵐、学校にはどこからはいるの?」
「よくぞ聞いてくれました! ついてきて」
校門からちょうど真反対の場所へ連れてこられたかと思うと、人一人はいれるぐらいの壁の穴にするすると入っていく。
「まーちゃんも早く!」
と急かされ、私は後を急ぐ。
校舎の中に入ると、
「やっぱなんか怖くなってきたよ、まーちゃん。手を繋ごう?」
と涙目で嵐が訴えてくる。
私は「いいよ」と手を差し出す。
嵐は安心したのかニカッと笑い、機嫌が良さそうに大きな声で歌を歌う。
「おばけなんてないさ〜、おばけなんて嘘さ〜」
嵐の歌を聞きながら歩いていると、何かが足に触れたような気がした。
「今、なにか足に触れたかも」
とポツリと言うと、嵐が顔を真っ青にしてこちらを見て、
「それほんと?」
と恐る恐る聞いてくる。
「ほんとに何かが触れたような気がしたよ」
と言うと、
「きゃーー!」
と叫び声を上げ、私を置いて走っていった。
え、そっちは噂の渡り廊下だけど。
と思いながらも嵐の後を追いかけようと足を踏み出すと、
「くすくす、ふふふ、あはは」
と、子供の声のような、でも普通の声とは違う何人もの笑い声が聞こえてきた。
少し不気味に覚えて周りを見渡したが、辺りには誰もいない。
嵐が心配になり、私は小走りで後を追う。
渡り廊下に近づくにつれ、闇が深くなり、辺りの気配みたいなのもどんよりとした感じになっていくのを感じた。
渡り廊下へ入り、ちょうど中盤ぐらいまでくると、
「うえーん」
と、さっきの子供の声とは違う泣き声が聞こえてきた。
周りを見渡すと、嵐が蹲って泣いていた。
「嵐? 大丈夫?」
と声をかけようと近づこうとすると、嵐の後ろにトイレで見かけた女の子が立っていた。
良かった、一人じゃなかったんだ。
と安心するのも束の間、何かがキラッと光るものが見えた。
暗闇の中、目を凝らすと、その女の子がトイレで見かけた雰囲気とは違う雰囲気を纏っていることに気づいた。
目は見開いていて、息が荒く、髪はボサボサ。
手には何か刃物のようなものを持っていた。
私は思わず、
「嵐! うしろ!」
と声をかけてしまった。
まだ様子をみたほうが良かったかも知れないなと思いながらも、女の子の様子を伺って見ていると、女の子はこちらに気づいていなかったのか、ビクッと肩を震わせ、私の方を驚いたかのように見てくる。
「どうして、」
ボソっと言い残して、女の子は瞬きするうちに消えていった。
嵐の方に駆け寄り、泣いたままの嵐に肩を貸し、渡り廊下を後にして家へ帰ることにした。
「また明日の夜来るからね」
と、闇が続いている長い渡り廊下へ私の声だけが響いて消える。
名前も知らない優しいあの子へ届くことを願って。
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翌日
2限目が終わり、嵐の様子を確認してみる。
「うーー、分かんないよー」
と大きな声を上げながら頭を悩ませている。
数学の時間、残った問題が課題となったので、それを解いているのだろう。
良かった。いつも通りの無邪気で可愛い嵐だ。
夜の学校に潜入して家に帰る途中、私が嵐に声をかけても上の空で心配をしていたのだが、今日の様子を見る限り大丈夫そうで安心した。
「嵐! 今日は先にご飯食べててね」
とLINEをして、教室を後にした。
早足で南の方にある体育館へ繋がる渡り廊下へ向かった。
昨日とは打って変わったこの景色。
陽の光が差し込み、教室が近いせいか生徒たちの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
長く続いている渡り廊下へ踏み出すと、歌声のようなものが聞こえてきた。
優しく温かいけれど悲痛な、誰かに助けを求める事を諦めたかのようなか細い歌。
声のするほうへ歩いてみると、出窓のスペースに座り、外を眺めながら歌っている女の子がいた。
「名前は何ていうの?」
直球すぎたかと感じながらも、私は女の子に聞いてみた。
ふんわりと綿毛のように微笑み、
「春陽。あなたは?」
「私は斑! 以前あなたに助けてもらったから、ずっとお礼がしたかったの」
「そう、あなたって私のことが見えるのね。私ったらどのくらいぶりに人と話したのかな」
とうつむき、ポツリと春陽が答える。
昨日のことを思い出し、意を決して聞いてみる。
「あなたは何者なの?」
「覚えてないの。何もかも。覚えているのは名前だけ。私は気づいたらここにいて、持っていたのは小さなカッターだけ」
昨日のキラッと光った刃物はカッターだったんだ。
昨日はあんなにもギラギラと興奮をしているようだったのに、今は優しく私の質問に答えてくれてる事に疑問を覚えた。
だが、穏やかな雰囲気の春陽を見ると、昨日のことは嘘だったかのように思えた。
ずっと聞いてみたかった事を聞いてみる。
「この前、トイレでなんで私を助けてくれたの?」
春陽は少し考え、
「ただの気まぐれ。助けを求めるような声がしたから行ってみただけ。気まぐれだから優しさでもないから、お礼なんてしなくていいよ」
ぶっきらぼうにも見える返事だが、確かにあの時のトイレで掛けてくれた言葉には優しさがあった。
優しい心を持った春陽に、自分の優しさを否定させてはいけないとも思った。
それに、そんな君が昨日の夜、人を傷つけようとしたこと。
その事が心残りで、違和感だらけの日々で何が正しくて間違ってるのか分からないのに、全て分かってる賢いふりをしてる自分を知られたくなくて、自分が背負わなければならない罪を知られたくなくて、自分の望みや意思より先に周りが望む方へ動いているような俺だけど、真っ黒な俺の心に春の陽光が差して前を照らしてくれた君を助けたかった。
「友達になろう」
考えるより先に口から言葉が飛び出した。
こっちに興味がないのか伏目がちに聞いていた春陽も、さすがに驚いたのか目を丸くしてこっちを見ていた。
「え、待って。君、私のこと誤解してない? 私人間じゃないよ。知ってる?」
さっきとは裏腹に少し声を荒げながら、私に聞いてきた。
「知ってる。だってよく見たら透けてるし。でも仲良くなりたい」
春陽ははぁとため息をついた。
「分かった。もう休み時間も終わるし、またおいでよ。ここに居なくても呼んだら来るから」
春陽は少し呆れながらも、ははと笑ってた。
私は「また来るから!」と約束をして、渡り廊下を後にした。
柄にもなく浮き足立っていた。
少し暖かくなった感覚を胸に、教室のドアに手をかける。
ガラっと扉を開けた。
同時に身の毛がよだつ感覚がした。
肉食動物が草食動物に狙いを定めて舌なめずりをされているようだと思った。
そして目の前には、梨沙に責められながら床に倒れている嵐がいた。




