六話・後 日野咲子
午後のこと。
野鳥の鳴き声を聞きつつ、コテージ前に設置されたベンチに座り込んで竹にナイフを入れる。コテージの室内からは、真由がテレビで爆笑する声が漏れ聞こえてくる。うるさくて集中できないから外に出てきたのだ。今日中にホイッスルを完成させなければならない。
しばらく作業していると、前方から小道の砂利を踏む音がした。
顔をあげると、中学生の花音ちゃんだった。彼女はずっとピンクの不織布マスクを着けており、いまだに素顔をちゃんと見ていない。
「あ、さっきぃさん、今いいですか?」
そして、会話をするのも多分これが初めてだった。
あたしは若干きょどりつつ、作業を止めてベンチを立つ。
「どうしたの、困りごと?」
「や、そういうんじゃないんですけど……あの、良かったらこれ」
花音ちゃんは袋入りのチュッパチャプスを差し出してきた。なんで? と思いつつ受け取る。
「今日のホイッスル作りのとき、ヨッシーさんに聞いたんですよね。さっきぃさんは飴が好きだよって。あげたら話聞いてくれるかもって」
「いや、そんな飴くれなきゃ喋ってくれないやつみたいな……」
ヨッシーさん。吉村くんのことだ。タイミングがなくて蹴れずじまいだったけど、今度こそしっかりしたやつを入れたい。
とはいえ、チュッパチャプスそのものは嬉しかった。形状的にかさばるので、旅行で持ち運ぶには向かないのだ。
「良かったら、座る?」
あたしはベンチを示した。
花音ちゃんは頷き、二人でベンチに収まる。しばし気まずい沈黙を挟むと、突然、ばっと花音ちゃんがこちらを見た。
「あの、ほんと、うちみたいなブスに話しかけられて迷惑じゃなかったですか?」
あたしはびっくりして彼女を見返す。
マスクのせいで口元は分からないが、目はぱっちりしているし、二重だし、顔も小さそう。
全然ブスじゃないでしょ、と言いかけて口をつぐむ。
ただの謙遜なのか、それともそういうコンプレックスなのか、あたしにはまだ読み取れない。
「うち男子苦手だし、女の子は小学生ばっかりだし、ノア姉はいつも忙しそうだし、妊婦さんだし、あんまり話し相手がいなくて……でも、まゆまゆさんみたいな陽キャもちょっと違うなって。あ、さっきぃさんのお友達ですよね、すみません」
真由は陽キャというか、陽バカというか。
「自分と同じ空気感じた?」
「え、そうなんです。さっきぃさんもそう思います? うちら似てますよね?」
興奮したように花音ちゃんから手を握られる。かと思えば、急にしゅんとした顔で手を離された。
「ごめんなさい、きもいですよね。さっきぃさん美人だし、うちみたいなのとは違いますよね」
情緒が忙しない。中学生っぽいけど。
「うち、ほんと自分に自信なくて、それで学校行けてないんです。いじめられたとかそういうのはないんですけど、なんか行く気しなくて。うち、整形したいんですよ。そしたら学校行けると思うんです。でも親からは、中学生はそんなことしなくていいって、そんなお金もないしって」
よっぽど話し相手がいなかったのか、花音ちゃんはまくし立てるように喋る。
「うち、中学卒業したらもう働きたいんですよ。で、十八歳になったら風俗とかAVやって、早くお金貯めて整形したい。これ、親に言ったらぶん殴られました。別、よくないですか? うちの人生なんですよ? あ、それやりながらで大丈夫ですよ」
手のひらで竹を指され、全然集中できる気がしなかったがあたしはナイフを動かした。
「それは……親に言ったら怒られるかもだね。風俗とかそういう話はさ」
子どもたちの考えを否定しないであげて、とは言われているけど、こういうときの返しは余計難しい。
「やっぱり、さっきぃさんも馬鹿だなって思います?」
「そういうんじゃないけど」
「さっきぃさんは綺麗だから、そういうのなさそうですもんね」
リューくんといい、どうして人の人生が簡単みたいに平気で言えるんだろう、とあたしは未熟にも憤ってしまう。それと同時に、こうして傷ついた自分の気持ちを抑え込んで、うまく表現できないことがあたしの問題なのだと自覚する。こういう場合に大事なのは反発することじゃなく、寄り添い、分かりあうことなんだろうな、とも。
「あたし口下手だし、うまく言えないんだけどさ。花音ちゃんがやりたいことなら別にやってもいいと思うんだよね」
「だから言ってるじゃないですか、やりたいって」
「整形がしたいっていうのは分かった。でも、風俗とかってきっとやりたいことじゃないよね? ただのお金を稼ぐ手段というか。いやもちろん、そういう仕事が好きならやればいいとは思うけど」
花音ちゃんは眉根を寄せて黙り込んでいる。
「たとえお金を稼ぐためでも、やりたくないことするのって勿体なくない? どうせならしたいことで稼いでさ、いやそりゃ、時間はかかるかもしれないけど……」
何が言いたいのか自分でも分からなくなってきた。
「ともかく、一緒に考えてみないかってこと。あたしもぼちぼち将来のこと決めなきゃいけない時期だし、花音ちゃんもこっちの話も聞いてよ。ってわけで、えーと、LINE交換しよ?」
なに言ってんだあたし。恐る恐る横目にうかがうと、花音ちゃんはポケットからスマホを取り出した。
「……します」
花音ちゃんが立ち去ったあとも、あれでよかったのだろうかとしばらく自問したが、いい加減ホイッスルも仕上げなければいけなかった。あたしは左利きなので、歌口に向かって右側に窪みを掘っていく。次にデザインナイフでイニシャルを彫って、それから……。
作り終えたのは、夕食開始ぎりぎりの頃だった。
翌日は昼前から皆でハイキングに出かけた。
それぞれが昨日作ったホイッスルを首から下げている。結局昨晩は、イニシャルの字体にこだわり過ぎて遅くまで没頭してしまった。
「ノア姉、今日も不参加なんですねえ」
出発直後、真由がそう言った。
「乃愛、学生時代は山岳部だったから参加したがってたんだけどね。でも、流石にお腹の子に無理はさせられないから」
「マユ、まだノア姉とあんまりお話しできてないんですよねえ、残念」
ジュン兄は苦笑した。
「乃愛は子どもたちのお勉強メインだし、経営の事務作業も忙しくてね。逆に俺はこういう外遊びしか出来ないから、住み分けって感じかな」
すると、真由が強烈にひらめいたように指を鳴らした。
「じゃあ今日の夜、ノア姉にうちのコテージ泊まってもらおうよ。ね、咲子さん、マユたち三人で女子会!」
真由はジュン兄の方を振り向く。
「いいですよね? ノア姉、一晩お借りしても」
「いいけど、妊婦さんだからあまり夜更かしさせないようにね」
「はーい。わくわく楽しみーっ」
真由の足取りは一気に軽やかだ。ノア姉の意思確認まだなんですが。
低山の頂上までは、子どもたちの足でも一時間ほどだった。
開けた頂上に着くと、みんなで一斉にホイッスルを手に取り、思い思いに吹き鳴らした。不揃いな音が重なり合い、山の空気をかき混ぜていく。
あたしも負けじと吹いてみると、これが中々澄んだ高音を響かせてくれた。
「おや、咲子さんらしからぬお上品な音色だね」
しがみついてくるクロトくんを引きずりながら吉村くんが茶化してきた。とくにこの小四のクロトくんは甘えん坊らしく、四六時中吉村くんから離れようとしない。どころか吉村くんの周りには常に誰かしらの子どもがついており、中々彼に暴力を振るうタイミングが訪れない。
「あらら、何だか知らないけど咲子さん拗ねてる」
と残し、吉村くんはまたクロトくんを引きずって歩いた。
夜、あたしと真由のコテージに、ノア姉がお泊まりバッグを抱えてやってきた。
「お邪魔します」
マタニティウェアのノア姉。あらかじめジュン兄や男子陣に手伝ってもらい、ツインルームにノア姉の分のベッドを移動していた。三人でベッドに寄り添うように座ると、真由が嬉々としてスケッチブックを広げた。
「ノア姉、聞いてほしいことがあって。紙芝居のことなんですけど」
どうすれば子どもたちに伝わるか、真由はわりかし真剣に相談している。ノア姉は元教員の視点から丁寧に耳を傾けていた。
「難しい言葉を使わない、っていうのはもちろんなんだけど。子どもたちって、『なぜ』を素直に聞いてくるから、あらかじめアンサーを用意するつもりで作るといいかも」
「なるほど……」
真由はメモを取りながら何度も頷く。
そのとき、コテージの外からかすかに物音がした。何かを叩くような乾いた音。
「なんの音ですかね?」
あたしがノア姉の肩に触れて訊くと、彼女は耳を澄ませるようにしてから答えた。
「あぁ、今度野外炊飯をやる予定があってね。ジュンちゃんが薪割りしてるんだと思う。この近くに薪割り場があるの」
なるほど、とあたしは頷いた。乾いた音は、しばらく一定のリズムで続いていた。
「木こりって感じの音、なんか癒されますねえ」と真由。
「ジュンちゃんの生活って、ほんと日本昔ばなしの世界観だよね」
愛おしそうに微笑むノア姉が眩しい。
それぞれお風呂に入ってからも女子会はしばらく続いた。さていい加減寝ようか、という空気になった頃だった。
コテージの扉が、コンコンコン、とノックされた。
「はい?」
一番扉に近かったノア姉が立ち上がり、扉を開ける。
そこに立っていたのはジュン兄だった。小脇に薪の束を抱え、ノックしたばかりの右手を宙に浮かせたまま、少し驚いたような顔をしている。
「えっと……あ、ジュンちゃん。どうしたの?」
ノア姉は彼の全身を見回し、ジュン兄だと認識してから言った。
ワークキャップの下、ジュン兄の額や首筋は汗でびっしょりと濡れていた。比較的涼しい夜とはいえ、薪割りは暑くてしんどいのだろう。
「いや、まだ寝ていないようだったら叱りつけてやろうと思ってね」
「もう、なによそれ。子どもじゃあるまいし」
あたしの後ろで真由が「チューしにきたのかな、ねえ咲子さんあれチューするのかな」とか言ってる。
夫婦はおやすみを言い合い、あたしらもジュン兄に手を振る。扉が閉まると、真由ががっくりと肩を落とした。
「えー、チュー見たかったぁ」
本当にうるさい。




