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十二話・後 朝田奏/後藤仁

 雑誌やメディアの取材が入るようになったのもその頃からだっただろうか。

 取材対応はいつも乃愛やコバちゃんに任せており、俺はいつも裏方でサポートをするという形を取っていた。だから俺は、記者やリポーターに話しかけられても「お話なら施設長が伺いますよ」と思考停止に返すばかりだった。


 なので、梶原守というフリーのカメラマンの応対をしたのは、ほんの気まぐれだったのだと思う。

「どうも、カメラマンの梶原と申します。施設内の木製家具のほとんどはジュン兄さんがお作りになっていると伺いまして」

 雑誌取材が入る日だと知りながら、アトリエの扉を開けっぱなしにしていたのは迂闊だった。

 ノックもなしに無遠慮に入室してきたのは、派手な柄シャツに一眼レフを提げ、長髪にヨーロピアン風のパーマをかけたいかにも業界人といった出立ちのカメラマンだった。

「何枚かよろしいですか? そのまま、自然に作業しながらで構いませんから」

 あまり第一印象は良くなかったが、俺は柔らかい笑顔で軽くあしらおうと思った。

「聞いてませんかね? うち、職員の撮影はお断りさせてもらってるんです。メディア取材の場合も、撮るのは子どもたちだけということで」

「そうなんですか? 聞いてませんね。どうしてまたそういった方針に?」

 梶原さんは俺の正面に置かれた丸椅子を指し、「座っても?」と聞いてくる。返答する前に、彼はもう腰を下ろしていた。

 お話は施設長に、といつものように返してもよかった。しかしその男の目は、施設の方針そのものより俺個人の言葉を欲しているように見えた。

「子どもたちが主役の場ですから、是非ともそこに目を向けていただきたいというだけの話です。そもそも、物理的に写真で切り取って鑑賞するよりも、記者さん方が実際に子どもたちと言葉を交わして、触れ合った上で抱いた感情を伝えていただく方が、こういった施設におけるリアルだと思いますけどね。なにより……」

 こんなことを言っていいのだろうか、と俺は頭に浮かんだ言葉を取り消そうとするが、ここまで図々しくされたのだからと少し反骨心が芽生えた。

「カメラマンさんに言うことではないかもしれませんが、俺、個人的に写真というものが苦手でして。印画紙一枚、画像一枚で自分という人間を勝手に解釈されてしまったような気がして、何か気に食わない。実際に会ってもない人に写真になった自分の顔をじろじろ見られるのかもしれないと思うと、ちょっと空恐ろしい気分になるんですよね。写真には必ず何かしらの誤解が生じると思うんです。真実じゃない気がするんです。それなら、描き手独自の解釈が混じった絵の方がまだ許せるというか」

 果たして俺は、昔からこんな考え方を持っていただろうか。

 自分の口から思いもよらなかった言葉が次々と引きずり出されていく感覚があった。また何か喋ろうとすればできそうだったが、それより先に梶原さんが口を開いた。

「わかりますよ。誤解されたくない、それって、もしかしたらみんなが思っていることかもしれませんね。だからみんなカメラを向けられると無理矢理笑ったり、ピースをしたりする。ただ、そうすることで誤解はされづらくなるかもしれないけれど、やはり真実は写していない」

 彼はアトリエに並ぶ手製の椅子や木工作品たちへと視線を滑らせた。

「ジュン兄さん、あなたの言う真実の定義に共鳴するかは分かりませんが、僕にも僕なりの持論がありますよ。僕が思う真実は、ずばり『無意識』です。人間がふと自分を忘れる瞬間、何かに没頭し、無防備になるときの表情や手の動き。そこにしか、その人の真実は存在しない」

 彼はそう言って、親指で俺の足元を指し示す。

 そのとき俺が作っていたのは、コミュニティスペースに置くソファ用の木枠だった。

「あなたが子どもたちの家具を作るとき、きっとあなた本人だって知らない表情をしているに違いありません。自分の意図やエゴを捨て、子どもたちのためを思って作る。その集中の中にいるあなたって、それこそ嘘も誤解もない『真実』の姿じゃありませんか? だからちょっとだけ、あなたの作業を見させてもらえませんか。決してカメラは向けませんから」

 カメラを使わないカメラマン。

 想像してみるとかなり奇妙な光景である。そして梶原さんの言葉には、そのチャラついた見た目からは想像できないほどの生真面目さがうかがえた。

「ただの仕上げですよ。ていうか、あなたがそこにいる限りちゃんと集中できるかも分からないし」

「それならそれで、今日のところは諦めて帰ります。次は黒子の服でも着てきますよ」

 案外嫌いになれない人だな、と苦笑し、俺はノミと金槌を手に取った。


 梶原さんが言う真実。無意識の自分。道具と向き合う、嘘も誤解もない本当の姿。


 その言葉が脳裏で反響し、ダメだ、そういう余計なことを考えるから集中できないのだと、俺は削りかけの枠組みを見据える。

 そこにノミの先端を当てがった瞬間だった。

 ノミの柄がするりと指先から滑り落ち、乾いた音を立てて床に落ちた。

 俺は即座にノミを拾いあげる。だが、それはまるで生き物のように俺の手から逃れて落下していく。

「あれ?」

 自分の左の手のひらを見る。震えてはいないし、汗もかいていないようだった。もう一度拾いあげる。木枠へ当てがうまでもなく、やはり手から滑って落ちる。金槌を左手にスイッチし、今度は右手で拾おうとしたが、結果は同じだった。

「ジュン兄さん?」

 梶原さんが椅子を立ち、心配そうに俺を見ている。

「あれ……すみません。あれ、あれ?」

 拾おうとするたびに床を転げていくノミを、俺はいつまでも追いかけていた。


 * * *


 乃愛が妊娠してからおよそ半年後、俺は二人の高校生と出会う。

 アトリエにやってきた二人を自慢の丸椅子に座らせ、面白い話をしてみせながら、俺は二人の顔を交互に観察していた。


 吉村浩介くん──ヨッシー。

 くしゃりと目を細めて笑うこの雰囲気は、きっと学校の女の子たちからモテることだろう。異性だけじゃなく、子どもたちにも人気があるようだ。将来はうちにどうかと勧誘したいところである。

 人を引っ張り、振り回すだけの身勝手さもあり、それはときにカリスマと呼ばれるのだろう。

 だけど、隣に座る女の子にだけは頭が上がらないという様子もある。そこだけは可愛らしい一面なのかもしれない。

 だが、緩められた瞳の冷たい光は常に俺を捉えている。俺でも知らない、俺に潜む何を見ようとしている。

 その瞳の奥に一体どんな動機が宿っているのか、今はまだ定かではないが。


 日野咲子さん──さっきぃ。

 長い髪をサイドポニーに結えた彼女は、一見気の強そうな美人で、実際気心の知れた部活仲間やヨッシーには強く当たることも多いようだ。

 しかしかざみの里での振る舞いを見る限り、実態は内気で繊細な、思慮深い少女のようである。近いところで言うとマナちゃんとか、花音ちゃんのような感じだろうか。

 そういう意味で言えば、比較的ありふれた女子高校生だった。

 ヨッシーとは反対に、さっきぃは俺に視線をあまり向けない。当初はただの人見知りかと思ったが、もっと違う意味を持った逸らし方にも見えた。

 彼女は人の悲しみを知ったとき、それを自分ごととして受け入れてしまうタイプなのではないか。だから恐いと感じ、俺と向き合うのを恐れている。

 さっきぃを見ていると、俺はあの人のことを思い出してしまう。

 仁くん。


「もしかしてジュン兄は、ノア姉に誰かを重ねて見ているのかなって、そう思ったんです」

 さっきぃは言い終えると、いたたまれないといったように顔を下げた。

「そっか」

 口ずさみながら、俺は自然と頬をほころばせる。

 自分が洗い出されていることさえ忘れ、さっきぃが恐れをこらえ、向き合ってくれたのが嬉しいと、立場違いにも思ってしまう。


「違いますよね、ジュン兄」

 吉村くんが強い語調で言った。

「あなたは奏さんじゃない」


 その瞬間、頭がクリアになった。

 今まで思考に靄がかかっていたとか、視界が狭まって見えていたとか、そういう自覚は一切なかった。

 夏休み最終日ギリギリに宿題をやり終えた瞬間、とはまた違うかもしれない。家中の障子を貼り替えた大晦日の午後とも、引っ越しの段ボールを解き終わった上京初日の深夜とも、また違う。

 だって俺には、やらなけばいけないドリルも、貼り替えなければいけない障子も、解かなければいけない段ボールも、何もないと思っていたのだから。

 なのに、まるで彩度を一気に上げたかのように、見える景色の色がこんなにも濃い。

 ヨッシーから視線を外し部屋を見渡すと、今まで作ってきた木彫りや家具が目に入った。手もとの、作りかけのデグーを見下ろす。

 スクールのみんなに披露して回った自慢の作品や道具が、今度はひどく色褪せて見える。細部の不格好な作り、粗雑さを隠しきれない形状、塗りむらのある漆。それらの不出来な箇所が急に目につくようになり、頬が火照るような、消えて無くなりたいような気恥ずかしさを覚えた。

 こんなものは奏が作ったんじゃない。

 俺だ。

「一番『自分らしく』なかったのは、俺なんだよな」

 窓の外を見ると、その正面の向こう側には山が見えた。あの山の奥、土の底深くには芽愛がいる。

 そんなことを俺は三年近くもの間、ずっと思い出さずにいた。


「おーい、ジュン兄ー!」

 だけどこれもまた、間違いなく俺の現実だった。

「あいつらまた喧嘩してるー!」

 俺はさっきぃとヨッシーに謝りを入れ、アトリエを飛び出す。階段を駆け降り、校舎を出てグラウンドを走った。

「なんだよお前ら、またやってんのかー!」

 りゅーくんとクロトくんが掴み合いの手を止め、変な顔でこちらを見ている。今だけは笑顔になってしまう俺を、どうか許してほしい。

 胸が熱くなる。

 奏だけじゃない。俺だって作ったんだ。

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