第5話 変わりたい
その夜、私は鏡の前で立ち尽くしていた。
大きな鏡の中に映る自分。
整った顔立ち、繊細な髪、育ちの良さを物語る姿勢――
けれど、どれも虚ろに見えた。
心のどこかでずっと「完璧な侯爵令嬢」の仮面をかぶって、誰のことも、何も、本当には見てこなかった気がする。
「マッチョは無理、って……中身も知らずに拒絶して。全部、自分が怖がってただけなのに……」
私は“筋肉”を嫌っていただけではなかった。
“本気で人を想うこと”や、“誰かを知ろうとしない自分”の弱さに向き合えていなかったのだ。
(……変わりたい)
心の奥から湧き上がったのは、悔しさでも、嫉妬でもない。
ただ、もう一度ちゃんと自分の足で立ちたいという願いだった。
(もう、誰の言葉にも、過去の自分にも振り回されない私になりたい)
私は鏡の中の自分をまっすぐ見つめる。
その姿は、まだ頼りなくて、何もできそうになかったけれど――それでも目だけは、はっきりと強さを宿し始めていた。
「始めよう。自分を好きになれる私に、なろう」
* * *
それから私は、動き始めた。
まず始めたのは、体を鍛えること。
“筋肉”という言葉を聞くだけで顔をしかめていたかつての私を思い出し、苦笑する。
(……まさか、こんな日が来るなんて)
でも、前世の私はちゃんと知っている。
筋肉は裏切らない。努力は必ず自信に変わる。
それに――
(ユリウス様みたいな人の隣に、胸を張って立てるように……なりたい)
私は誰のものでもない。
だからこそ、自分の人生をどう歩くかは、自分で選ぶ。
変わる。誰かのためじゃない。
――もう、後悔しないために。