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第1話 婚約者のことが嫌いでした
かつての私は、彼のことが嫌いだった。
無骨で、筋肉質で、笑わなくて。
まるで感情の読めない獣のような男――そう思っていた。
「ユリウス様、少し距離を取っていただけませんか? その……近づかれると、息が詰まります」
私――アメリア・ヴァレンティナは、そう言って冷ややかに婚約者を睨んだ。
彼は一瞬、何かを言いかけたように見えたが、すぐに表情を引っ込め、いつもの無口なまま私から視線を逸らす。
「……失礼しました」
その一言だけを残し、彼は静かに踵を返す。
貴族の子女たちは、そんなやり取りを遠巻きに見てくすくすと笑った。
“冷酷な侯爵令嬢”と“鈍重な公爵家の騎士候補”。
社交界では、私たちの関係は噂の的だった。
(もう、早く婚約なんて解消してしまいたい……)
そう、あの時の私は本気でそう思っていた。
……けれど。
ほんの少し後に、私は思い知ることになる。
彼が、私の“理想そのもの”だったということを。
そして、その時にはもう、“彼”は私のものではなくなっていたということも。