第16話 暴かれた夜
煌びやかな式の余韻がまだ残る夜。
初夜を迎える寝室の扉の前で、ユリウスは足を止めた。
キャンドルの灯りが揺れる静かな廊下。
中からは、かすかに女性の話し声が漏れてくる。
「……やっとここまで来たのね」
それは、エリシアの声だった。
式では、柔らかく目を伏せ、誰よりも清楚で儚げな笑みをたたえていた彼女。
けれど今、その声は妙に艶やかで、どこか冷たさすら漂わせていた。
話し相手は、彼女の専属侍女。
「アメリア様、本当にちょろかったわね。使用人を通して“筋肉って女の敵、キモすぎ”って何度も言わせただけで、あっさり洗脳完了」
「“抱かれたら潰れそう”なんて言ってましたよね、あの子」
「おかげで、私が一歩ずつ近づけたってわけ。ふふ、努力って大事」
扉の外で、ユリウスの手が止まった。
「本当はユリウス様の筋肉なんて大嫌いよ。見てるだけで鳥肌が立つくらい。でも……この公爵家が欲しかったから、我慢したの」
「エリシア様、今日も“お人形のように清らかでした”ってみんな言ってましたよ」
「当然よ。“この顔”や華奢で守りたくなるような体がある限り、男なんていくらでも操れる」
くぐもった笑い声。
ユリウスは、少し深呼吸してから静かに扉の取っ手を下ろした。
あたかも何も聞こえなかったかのように――
* * *
「ユリウス様……お疲れのご様子ですね?」
ベッドの傍ら、エリシアは薄桃色のネグリジェ姿で立っていた。
ウエディングドレスを脱いだあとも、完璧な笑顔を崩さない。
頬をほんのり紅潮させて、目を伏せたその姿は――まるで壊れそうな磁器人形のようだった。
だが、ユリウスは目を逸らす。
「……すまない。今日は……どうしても、君に触れられない」
「……え?」
沈黙。
「気持ちが……まだ、追いついていない。時間を、くれないか」
エリシアは一瞬呆然としたように瞬きをした。
だが次の瞬間――その微笑が、ゆっくりと崩れ落ちていく。
「……は? 今、なんて?」
「申し訳ない」
「ちょっと待って。私は“あなたの妻”なのよ?」
語尾が鋭くなる。声のトーンが変わった。
「儚げな顔してりゃ満足? そうじゃないでしょ。貴方のために、どれだけの時間を費やしてきたと思ってるの?」
ユリウスは黙って立ち上がる。
その背に、怒号がぶつかる。
「アメリアが忘れられないんでしょ? ふざけないで! 私を選んだのは貴方よ!」
「……別室で休む。今日は……このままでは無理だ」
「逃げないでっ!!」
顔を真っ赤にし、息を荒げる彼女。
さっきまでの“清楚な淑女”の面影は、もはやどこにもなかった。
ユリウスは無言のまま部屋を後にする。
(……女性ってこんなに腹黒く怖い生き物なのか……?)
廊下に出た瞬間、扉の向こうから「ふざけないで!!」「裏切ったのね!!」と怒声が響いた。
彼は静かに、目を閉じた。




