第12話 マウント
午後のサロン。窓際に差し込む光と共に、紅茶の香りが漂う。
私はテーブルの隅でカップを傾けていた。
そこへ、私の元婚約者ユリウス様の今の婚約者のエリシア様が軽やかな足取りで近づいてくる。
「アメリア様。今日もお一人なのね。読書もいいけれど……ふふ、最近は王子様とご一緒ではないの?」
「……いえ、今日は予定がなかっただけです」
丁寧に返すと、エリシアは椅子を引き、私の向かいに腰を下ろした。
「昨日の夜、ユリウス様とちょっとした話をしていたの。ふとした流れで、あの方ったら急に……“君は香水の香りが控えめで好きだ”なんて囁いてきて。まるで……ね、キスの前触れのように」
私は思わずカップを取り落としそうになった。
キス。
私はユリウス様と一度もしたことがない。彼女とユリウス様がキスしたかもしれないと思うだけで――胸がざわりと波打つ。
エリシア様は楽しげに微笑む。
「まあ、実際はそのあと少しだけ……触れるくらいのキスでしたけど。とても上手なのね、ユリウス様」
その言葉が、心臓に冷たい刃を突き立てる。
(キス……上手……?)
私と彼は、ただの婚約者だった。
手さえ、握ったことがない。触れたこともなかった。
そう思った瞬間、何とも言えない寂しさが押し寄せてくる。
それを悟られまいと視線を落とすと、エリシアはわざとらしく小声で付け加える。
「……あ、もしかして、まだ未経験でした? ごめんなさい、無神経でしたわね」
「……いえ、別に、構いません」
震える指先を、膝の上でぎゅっと握りしめる。
けれど、エリシア様の表情にはわずかな“嘘”の影があった。
ユリウス様がそんなことをするはずがない――彼は、婚約中もずっと私に対して節度を守っていた。
(嘘……だ。でも、わかっていても……)
嫉妬は、感情の奥底で静かに燃え広がる。
彼女の言葉が、胸の奥でじわじわと効いていく。
エリシア様は立ち上がり、微笑んだ。
「……では、またご一緒に。セイラン王子にも、よろしくお伝えくださいませ」
まるで何もなかったかのように去っていくその後ろ姿に、私は静かに唇を噛んだ。




