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Regeneration【N】

「所長、お呼びでしょうか」

「ああ、Dr.ブライト。わざわざすまないね」

 ネイトを迎えた部屋の主は、似合わない改まった口調で告げて来た。


「なんですか、ネイトで構いませんよ」

「じゃあ君も、『所長』ではなくマックスと呼び給えよ」

 冗談めかした彼の言葉に、場の空気が解れる。


「何かありましたか? マックス」

「来月、『外』に出るんだ。君も一緒に来て欲しい」

 予想もしなかった彼の用件に、言葉が出なかった。


「……なぜ、僕を?」

 ようやく絞り出した問いに、マックスが冷静に返して来る。


「君が最も適しているからだ。私が選んで同行させるからには、逃げられたら私の責任は免れないしね」

「ああ、僕なら逃げませんからね。なるほど──」

 外に家族が、……係累と呼べる存在がいるわけでもない。

 愛や約束を交わした相手もいなかった。そういう意味ではまさしく俗世に未練がない人間だと言えるだろう。

 上司の冷徹な判断に感心しかけたネイトは、彼が続けた内容に驚いた。


「違うよ。そうなったときに、私が責任を負う価値があるかどうかだ。──逃げても構わない」

「だから逃げませんよ。一瞬の『自由』に命を賭けるほど幼くもないし、今の生活に不満もありませんから。こと研究に関しては、ここは理想的な環境でしょう?」

 気負いなく話すネイトに、彼も頬を緩めて本題に入る。


「人に会うんだ。アンドリュー カーライル。屋敷に呼ばれている。この研究所(ラボ)の出資者の中でも大物だな」

「そ、……マックス」


 ──カーライル。同名の別人でなければ、決して忘れられない存在。


「ヴァイオレットの父親だよ。君が思った通りの、あのカーライルだ」

 淡々と説明を続けるマックスに、どう反応していいかもわからなかった。


「彼がこのラボに用なんて、『血』の話以外にないんじゃないか?」

 部下の疑問を掬い上げるように彼は続ける。


「それは、……またクローンを? いったい誰の」

「そうじゃない。それでは意味がないんだ、今は。まあ娘を家柄の釣り合う男と結婚させたいのは山々でも、さすがに踏み切れないんだろう。あまりにも危険だからな」

 ネイトが呟くのに、上司は薄っすらと笑みを浮かべ首を振った。

 金や名誉を手に入れる目的ではない。

 今あるものを守り繋ぐための結婚だからこそ、家名に傷が付く可能性は徹底的に排したいということか。


 レティはあの家にとっての切り札であると同時に、途轍もない弱味でもあるのだ。

 もし複製(クローン)だと、本物(・・)ではないと露見したら。カーライル家は、少なくとも社交界では終わるも同然だ。

 もちろん命を取られることなどないが、当主にとっては死にも値する屈辱なのは想像に難くない。


「じゃあいったい、なんのため、に……?」

 わからない。カーライルの思惑も、目の前のマックスの泰然とした態度の理由も。


 いくらこの男が変わり者だと言っても、ただネイトを揶揄するためにこんな場を設けるとは考えられなかった。何らかの意図が、……考えがある筈だ。

 何よりも、そこにどういう理屈で己が絡むのか。


「なんであれパトロンのお呼びなら、尻尾を振って駆けつけるのが我々の義務だからさ」

 まったくそんな風には思ってもいない表情で、平然と嘯く上司が頼もしいと感じるのは、八年が経ち自分もラボの生活に馴染みきったからかもしれない。

 二十代だったネイトは、もう三十代も後半に入った。


「まあ前もって話しておくことはある。あくまでも、君に『行く』つもりがあるのなら、だが」

「──行きます。いえ、連れて行ってください!」

 目的地を知らされても、いやだからこそ、断る気はない。


 人生において無数にあった選択機会。その場その場では、正解とは信じきれないことも多かった。

 しかし選んだ以上、最善に近づける努力はしてきたと胸を張って言える。

 運命はただ与えられるだけではない。自らの手で手繰り寄せ、切り開くものでもあるとネイトは経験上も痛感していた。

 機会は機会でしかないことも身をもって知っている。活かすも殺すも自分次第。運も実力の内なのだ。


 この外出は、もう二度と掴めない貴重な『チャンス』の種になり得る。

 自分を買ってくれているらしいマックスの、与えられた権力の範囲においては最大限の好意なのではないか。


 負けても失うものはない圧倒的優位の賭けなのだから、嘆くのは希望が消えたあとでいい。

 今は、ともに歩んできたこの先輩であり上司を信じるのみ。


 ──ひと目でも、見たい。会いたい。……“レティ”に。


 遥か昔に封印したはずの想いがどこかで目を覚ますのを、ネイトは感じていた。



    ◇  ◇  ◇

  時代がかった、巷では決して良い意味とは限らず「骨董品(アンティーク)」と称されるような調度品が設えられた客間。


 いや、それを言うならこの屋敷自体がそうだ。今時、耐久性にも使い勝手にも難のある木製品を模した(・・・)品々。ドアもテーブルも、椅子のパーツも。

 触れてもすぐにそうとはわからないほど精巧な、これらも複製(レプリカ)と呼ぶのだろうか。


 これぞ趣味の世界なのかもしれない。ネイトの人生には存在さえしなかったもの。

 これが「上流階級」の、持て余すほどの金と時間を使った「力の誇示」の一端なのか。そんな風に感じる己が『上』には相応しくないだけなのか?


 だがひとつだけ、確かなことがある。これは夢ではない。

 眼の前に、低い艶のあるテーブルを挟んで座る美しい女性(・・)、……どこからどう見ても非の打ち所のない「上品なご令嬢」だ。

 シンプルで落ち着いたドレス、纏めた金髪、澄ました表情、──あの頃と変わらない瞳の色。

 ネイトが良く見知った、明るく好奇心旺盛だった「クローン」の成長した姿。

 初めて顔を合わせてから八年。

 二度と逢えないと断腸の思いで別れて六年。こんな日が来るなどと、それこそ夢に見たこともなかった。

 完全に諦めていた。遠くから幸福を祈るのが精一杯だった。


 それでも、一日たりとも忘れたことはない。初めて特別視した美しい少女は、いつの間にか大人になっていた。

 常にネイトの心を占めていた菫色の瞳。

 どれだけ取り繕った表情でも、この瞳だけは同じ(・・)だ。


 この六年、まるで別世界だった筈のこの家に馴染むため、努力を重ねた結果なのは想像に難くない。

 本心から「〝この子〟ならできる」と送り出した。ネイトの教え子は優秀だった。

 できると、……なんとかやり遂げてくれと唱えながら突き放したようなものだ。


 カーライル家(この家)が必要とするのは、代々受け継いできた「名」とそれを取り巻く富を守る者だ。

 この家の、つまりヴァイオレット()の抱えるもの、──決して(つまび)らかにはしないまでも、鋭いものなら「秘密」の存在を嗅ぎつける可能性は低くはない。


 それも含めて、この家そのものを守れる、託せる『娘の夫』という存在。

 如何に身分が高くとも、どれほど素晴らしい功績の持ち主でも、「(きず)」がある人間は相応しくなかった。しかし凡庸な人間には務まらない。

 実質がどうであれ、完全に「階層」が固定化されている社会ではないからだ。


 例え単なる大義名分であろうとも、確率的には極小だとしても、可能性として逆転はあるとされている社会だからこそ。

 掬われる隙を見せる行為は致命的になりかねないのだ。


 難題に向き合わざるを得なかった当主の苦悩は理解できた。

 ネイトには到底、共感は無理ではあるが。

 この社会で今の地位を保つために、ネイトは「都合のいい道具」として使えると認められたのだ。

 角度を変えれば何ら名誉ではない。むしろ屈辱を感じるところではないか。


 それでも、構わない。

 たとえ縛られる先が、研究所(ラボ)からこの家に変わるだけだとしても。結局は人形でも、駒でも、笑ってなり切って見せよう。

 ひとつの願いが叶うならば、他は瑣末事でしかなかった。二つを望めばきっと破綻する。

 ネイトが求めるのは、レティとの時間だけだ。


 マックスの真意はわからなかった。

 内心を簡単に気取らせるような男ではない。ただひとつ推測するならば、ネイトがこの癖の強い上司にひたすら信頼を向けて来たからだろうか。

 背信を忌み嫌う彼にとって、保身でも口先だけでもない態度や行動そのものが、ネイト自身が意識する以上に貴重かつ重要だったのかもしれない。


 目に見える希望など何一つなくても、自暴自棄になって矜持を捨てることはしなかった。

 その愚直な生き方がきっと、今日のこの場に繋がっている。

 まるで幻想のような邂逅に。


 ──運命に。



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