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9 消した記憶と消せない約束(2)

 きっかけは一人の不用意な発言だった。

 

 半月ほどの行程を経て、ようやく今回の討伐を王に願い出た西部貴族、アーノルド辺境伯の住まう古城に到着して二日目。

 外の長雨も手伝い束の間の休息を得た一行が、解放された歴史ある古城で思い思い羽を伸ばしていた、ある日のことである。

 

 小さくはあるが、女性という理由で個室も与えられ、質素ながらもおいしい料理にシアは満足していた。


 唯一の難点は、大人数を収容するために吹き抜けの大食堂にいくつも配された長テーブルで、鬱陶しい視線を感じながら食事をとらなければならいという点だったが。

 

 それだって、久々に顔を合わせたクロヴィスの側近の一人、リフという歳若い騎士のおかげで、いくらか気もまぎれた。

 

「シア殿! お久しぶりですね!」

 

 見た目は十六、七。実際の年齢は二十三歳とかなり童顔のリフは、食堂の隅でちびちびと黒パンと冷製肉のサンドイッチを齧っていたシアを見つけるなり、そう声をかけてきた。

 

「道中、先頭部隊に配属されていらしたようなので、お元気かなと心配していたのですが――」

「ん~?」

「お変わりなく……、……は、ありませんね」

 

 ぱっと輝かせていた顔を突然へにゃりと歪ませたのは、シアが思わず無表情で見返してしまったからである。

 

「向かいに失礼しても、とお聞きしようと思ったのですが。お邪魔、でしょうか?」

 

 ぽそぽそぽそと、段々小さくなっていく声にシアは目を瞬かせた。


 それからようやく自分がどんな表情でいるのかに気付く。

 一拍遅れて、彼がシアを慮ってそう申し出てくれたということにも気付き、さまざまな含みもかねて答えを返す。

 

「私は別にかまいませんよ」

 

 その言葉通り、シアは別にかまわなかった。

 リフが向かいに座ろうが、周囲がどんな噂を囁きあおうが。

 

 込み合う食堂内にあって、シアの周りには不自然にもぽっかりと穴が開いている。それでいて、ひそひそと蔑むような視線や言葉が囁かれてもいる。


 けれど道端の雑草に関心を持つ者がいないように、わざわざそれを気にしたり踏みつけに行くつもりもない。

 

「! ではお言葉に甘えて!」

 

 シアの意図を理解すると、リフは再び笑顔になって机の上へ食事の乗ったトレーを置き、いそいそと向かい側に座った。

 

(なんか、人懐っこい子犬みたい)

 

 気分に合わせてぶんぶんと揺れる尻尾まで見えるようで、シアはくすりと笑ってしまう。

 これでいて騎士として腕もたつし、第一王子の側近の中で一番思慮深いひとなのだから、人は見かけによらないものだ。

 

 本来であれば、リフが大食堂を利用する必要はない。

 王子やその側近には、ここではない専用の食堂が用意されているのだから。

 

(そういえば王宮にいた時も、よく話しかけてくれていたっけ)

 

 ときには「珍しい菓子をもらった」と、わざわざシアを探して分けてくれることさえあった。それに対して不思議な気持ちを抱いたのは、一度や二度のことではない。

 

(……。こういうお人よしが、いつも世の中の不条理にツケを払わされるのに)

 

 シアはいつしか無意識に、どこか懐かしさを帯びた灰緑の瞳から逸らすように、食べかけのサンドイッチへと視線を落としていた。


 それから二人は、食事を続けながら他愛のない話をした。

 

 シアに集まっていた害意ある視線は、クロヴィスの側近の一人として顔の通っているリフが傍にいることで消えつつあった。

 それになにより、彼の穏やかな口調はシアの心を自然と絆す。


 だからシアも、コラッド伯爵に雇われた魔法使い数名が、あからさまに悪意がこもった口調で話しかけてきたときも、まだ見逃してやろうという慈悲はあったのだ。

 

 あの一言さえ聞かなければ。

  


 * * *

 


『おごり高ぶったフエゴ・ベルデは恋多き妖精エタムの子孫だと聞いたことがあるが、あなたのような魔女と契ったせいで、骨も残らず女神の炎に葬り去られたという、あの噂は本当だろうか?』

 

 それは二重の侮辱だった。

 シアと過去。その両方への。

 

 エスメラルダ公国を治めてきた王家フエゴ・ベルデは、女神から生まれた妖精エタムの子孫である。


 エタムは女神の落とした涙が地に落ちて鈴蘭となり、そこから生まれた神の一員だ。

 故にその血を引くシアたちは、妖精の瞳とも呼ばれる神秘的な緑柱石の瞳と女神の権能に近しい魔力で、北部の民による厚い信仰を受けてきた。


 シュエラ王国に統合され、アルトヴァイゼン公爵家を名乗るようになった後も、それは変わっていない。


 神話が事実かはともかく、人々は彼らを敬い、中央の貴族ですらも心のどこかでは畏れていた。

 公爵家がまだ表舞台に立っていた頃などは、魔塔よりも重宝されたほどである。

 

 だから魔塔の奴らが突っかかってくるのは、いつものことだ。

 噂にありもしない尾ひれを付けて、フエゴ・ベルデを貶めようとすることも。


(でもいまは、聞き流せるような心境じゃないんだよね)


 ことに、()()()()では。


「それはどういう――」

 

 リフが珍しく表情を険しくして立ち上がったが、言い終わる前にシアの魔力が愚かな男の首を捕らえていた。


 そしていま、宙吊りにされた仲間を前に、魔塔の魔法使いたちは驚愕と恐怖の入り交じった瞳でシアを見つめている。

 

「く……あっ」

「ひっ!」

「な、なんでっ、なんでこんな簡単な初級魔法が、破れないんだ……っ」

「おい、リーヒ殿を離せっ、この悪魔! その人を殺す気か!」

 

 それまで散々嘲笑っていた男たちが、手のひらを返したように『取るに足らない流れ者』へ、恐れ戦く姿は実に見ものだった。

 

「シア殿……」

「そうだと言ったらどうする?」

 

 躊躇いがちに呼びかけるリフには目もくれず、シアは無感情に問い返し優雅に足を組む。

 その拍子にスリットの入ったスカートから艶めかしい素足が覗き、まさに彼らが揶揄した娼婦のようであったが、構わなかった。

 

「は、愚か者め。『残虐な悪意を持て、魔法を行使してはならない』。この禁忌を破れば女神から愛想をつかされ、貴様はたちどころに魔力を失うだろう」

「ふ、ふふふ」

「……なにがおかしい」

 

 シアは思わず喉を震わせて笑った。

 

「いやぁ、魔塔に似つかわしくない、穏やかな発言だと思って」

 

(まったく、笑わせてくれる)

 

 魔法使いの『禁忌』くらいシアも知っている。

 

『残虐な悪意を持て、魔法を行使してはならない』

『死者を蘇らせてはならない』

『魂を操ってはならない』

『時を超えてはならない』

 

(特に、魂と時は神の領域)

 

 魔法はこの世界を創造した元始の女神、アウラコデリスの恵みであり、世界を構築する因果律もまた、女神が生み出した秩序である。


 因果律に意思はなく、ただ世界の均衡を保ち、均衡を崩すものを排除する。

 その均衡を崩す一端がすなわち『禁忌』である。

 

(その禁忌を破って、アルトヴァイゼン公爵家を亡ぼした奴らがよく言う)

 

 あれはまさに、魂を操る術だった――。

 

「禁忌を破るためには、因果律の掲げる天秤へ、同等の代償を捧げる必要があるけれど……いったいなにを捧げるつもりだったのか」

「? なにを言っている?」

 

 どうやら、目の前の男たちはあの事件の詳細を知らないらしい。

 

(それもそうか。主犯は死んだし)

 

 そう、公爵家を火の海にした犯人は、シアの目の前で塵になって消えた。

 シアが悪意を持って殺す前に、因果律にかすめ取られたのだ。

 

(だったら……)

 

「こいつを殺すのに悪意はいらない」

 

 例えばこうやって――そう言うと、シアは周囲で騒ぎを傍観している騎士の、手に握られたままの林檎をすっと指さす。

 

「うわっ」

 

 次の瞬間、真っ赤な林檎はパンッとはじけ、騎士の悪態と共に周囲へ果肉を飛び散らせる。

 

「無機物をつぶすのに悪意はいらない。それと同じで、このまま空気を断てば人はどうなるのだろうと考える。――その純粋な好奇心さえあれば、十分」

「ふぐ……っ!」

 

 シアがゆったりと微笑むと、酷薄な瞳の奥で魔力が揺らめく。

 宙吊りにされた魔法使いリーヒが、一層もがくように暴れた。


 だが、それもだんだんと弱くなり、やがて硬直した四肢がびくっと痙攣し始める。

 

「リーヒ殿!」

「っ、シア殿、もうここでっ……」

 

 見かねたリフがシアを留めようとしたその時だった。

 

「そこまでだ」

 

 低い声と共にシアの魔力が弾かれるのを感じた。



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