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7 『氷の王子』(2)

 その日から、第四王子のお守りやタリアに言いつけられた仕事がないときは、クロヴィスを遠目に眺めたり、揶揄いに行くのがシアの日課になった。

 

 あるときは例の演武場の傍に生えた木の上から。

 またあるときはクロヴィスの住まいであるカエルレウス宮の、執務室の窓に腰掛けて。

 

「殿下。そんなに眉間にシワを寄せては、お綺麗な顔が台無しですよ」

「…………ジュノー」

「はい」

「突き落とせ」

「はっ、え?」

「……」

 

 あのときは青さを増した瞳に、流石のシアもヒヤリとした。

 

 神出鬼没な魔法使い――しかも暗殺者の疑惑あり――に付きまとわれて、クロヴィスは神経をすり減らしていたのだろうし、ここ最近は平和な日々が続いていると油断したとたんプライベートな空間まで犯されたのだ。

 流石にイラっとしたのが伝わった。

 

(やりすぎた……かな?)

 

 もちろん当然、「ここは二階ですよ」なんていう言葉は通じそうになかった。何なら自分が突き落としてやろうかと目が物語っていた。

 早々に退散したのでことなきを得たシアだったが、いくら魔塔も恐れる大魔法使いを自負しているとはいえ、王国屈指のソードマスターと本気で殺り合いたいとは思わない。

 

(だって、手加減してくれなさそうだし)

 

 だが、そんなことがあってからもシアはめげずに時間があればクロヴィスを観察したし、いつからか、彼に自分を売り込み始めた。

 

「高貴でひたむきな王子殿下。そろそろ第四王子殿下との契約が切れるのですが、素晴らしく腕の立つ、有能で奥ゆかしい魔法使いはご入用ではありませんか?」

「……」

 

 執務室に侵入されて以来、クロヴィスはシアを空気として扱うように決めたようだった。が、彼女にはそれで良かった。

 

(空気?)


 ――は、上等。

 

 血の通った生物の殆どは、空気がなければ生きてはいけない。つまり、この澄ました王子もまた、シアなしでは生きていけないということだ。

 シアは沈黙の意味を好き勝手に解釈すると、都合のいいように言葉をつないだ。

 

「ああ、なるほど。言葉なくとも『俺についてこい、報酬は心配するな。お前になら鉱山まるまるくれてやる』ということですね」


 それに若干呆れたように言葉を返してくれるのは、ジュノーや居合わせた第一王子の側近たちだった。


「魔法使い殿。あなたはジェフリー殿下の護衛ではないのですか? こんなところで油を売って、報酬泥棒と言われますよ」

「そうだまったく。ジュノーの言う通りだ、けしからんやつめ。しかも有能で奥ゆかしいなど、いったいどの口が言っているのだか」

「さらっと鉱山をせしめようとしていますしね」

 

 あからさまな警戒をむけていたジュノーたちも、いつしかシアの存在に慣れたのか、時々声をかけてくるようになっていた。

 

「あら、ジュノー卿。あれほどまでに過保護に守られておいてさらに護衛だなんて、私と契約するためのこじつけですよ」

 

 実際は刺客として使おうとしていたわけだし、それを蹴ってからは雑用を押し付けられているのだから、本当だ。

 

「それにあちらは空気が悪いのです。然るお方を中心に、脳内がお花畑のような方々がいっぱいで……」

「言葉を慎まないと、王室侮辱罪だと訴えられますよ」

「では言い換えましょう。汚れ切ったこの身に、第四王子殿下の聡明で神々しくも、春の野のように蝶々飛び交う暖かな思想は――」

「立派な王室侮辱罪だな」

「ははは!」

「…………」

 

 そうした日々は思いのほか居心地がよかった。

 

 何の含みもなくこれほどまでに声を出して笑ったのは、いつ以来だろう。「馴れ合いなど下らない」そう思っていたはずなのに、馴れ合っている自分がそこにいた。

 

(これで、この人が私を認めれば完璧……)




「そろそろ観念してはいかがです? あなたには私が必要です。意地を張っていても得るものは何もありませんよ」

 

 ある日、()()にも、クロヴィスと二人きりになる機会を得たので、シアは彼に揺さぶりをかけてみた。

 

 私の存在を必死に無視しようとしているが、内心ではこの力が欲しくて仕方がないんだろう?――と。

 

 もちろん、第四王子についていた怪しい魔法使いを、クロヴィスがすんなりと受け入れられるはずがないことは分かっている。過去の確執も。

 それでも……王位につかなければならないクロヴィスは、いずれシアの手を取らざるをえない。たとえどれほど不本意であろうとも、王位を本気で望むのならば。

 

(それに、彼ほど興味を覚えたひとは他にいない。このひとのそばにいれば、その理由がわかるのだろうか)

 

 その答えを得るために、問題はたったひとつ。

 第一王子の氷の壁をどう突き崩すか、だ。

 

「得体のしれない人間を身の内に置くつもりはない。寝首を掻かれたくはないからな」

 

 にべもないクロヴィスの発言に、シアは心の中でくるりと目を回しながらも、表面上はにこやかな口調を保った。

 

「まだ私のことを疑っていらっしゃるのですか? こんなにも包み隠さず本心を告げているというのに」

「本心? 適当なことを言って、その身に飼った獣を胡麻化しているだけだろう」

「……」

 

 だからシアは王子が抱く自分のイメージを保った。

 

(強欲で節操がなく、本能に忠実な獣がお望みなら、それらしく振舞って差し上げましょう)


「私は権力よりもあなたの体と顔に興味があります」

 

 シアがうっそりと笑ってそう告げると、アイスブルーの瞳がわずかに困惑に揺らぐ。

 

「体と、顔……?」

「そう。王国中を探してもあなたほど美しい男性は数えるほどもいないでしょう。そんな男性を一晩、自分だけのものにできたらどれほど楽しいか」

「……なんだと?」

「ふふ、わかりませんか? つまり率直に言えば、あなたと一晩だけ関係を持ちたいということです」

「……」

 

 その瞬間向けられた軽蔑に、胸がちくりと痛んだが、シアは感傷を振り払った。

 本音を言えば、目的は純粋な好奇心。

 

(でも一夜限りの関係。それだって本心だ)

 

 シアは美しいものが好きだ。

 冷ややかだけれど、熱い感情を秘めたクロヴィスの面差しも。真冬の空のように淡く透き通ったその瞳も。

 

 ――一度でいいから触れてみたい。

 そのすべてに。

 

(だから自分の望みを素直に口にしてなにが悪いの? 軽蔑しながらも、いつかはあなたもこの条件を飲むくせに)

 

 そうわかっていたから、この時は余裕を保てた。

 いまの自分になってから、シアが手に入れられなかったものなんて、ただの一つもなかったのだ。

 

(だから今回も必ず、私は手に入れる)

 

「答えがでるまで気長にお待ちしますよ。幸い当分の間はあなたとの契約もお預けなので」

 


 

 そうして夏が過ぎ、冬が来て、春の気配を感じ始めた頃。

 ジェフリーとクロヴィス。両王子へ魔獣の討伐命令が下されたのだった。



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