58 無関心の裏側には……-1
その手で無限の財を生み出す、『錬金術師』。傲岸不遜な『南部の王』。
様々な異名で称えられるリンドール伯爵、オズヴァルト・フラメルといえば——表向きは継承争いを傍観する中立派の代表であり、裏では膨大な資金を惜しみなく出資してクロヴィスを支える、影の後援者。
それが、シアの過去での認識だった。
一方で、伯爵が母サーシャの父親、つまり自分にとって祖父にあたるということも知っていた。
閉鎖的な北部公爵と恋に落ち、何の得にもならない結婚をした娘を『死んだ者』として縁を切ったことも。
知らぬ間に、本当の意味で娘や孫たちを失ってしまったことを、ずっと後悔していたことも。
忘れ形見であるエスメラルダを採算度外視で支援し続けたのは、せめてもの罪滅ぼしだったのだろうか。
そう考えたこともあったけれど……でも。
すでに過去と決別したシアに、オズヴァルトへ対する興味関心はかけらもなかった。
——だって会ったこともないひとだ。
オズヴァルトが孫娘の存在を知っているかすらも怪しいわけで、一生彼と関わることはないだろうと思っていた。
クロヴィスがあんな命令を下すまでは。
あれは彼と誓約を交わして、一年ほどが過ぎた頃のことである。
「魔法使い——」
王宮の庭園に咲く白薔薇が、見頃を迎えた夏の午後。
西日の差し始めた執務室で、報告書を読んでいたクロヴィスは顔も上げずにこう尋ねてきた。
「魔法で死期を先延ばしにすることは、できるのか」と。
「――……」
珍しく二人きりになった執務室に、一瞬の沈黙が訪れる。
所定の椅子である魔道具作りにいそしんでいたシアは、手を止めゆるく瞬いた。
「死期を先延ばし、ですか……?」
「ああ」
「どなたの?」
もしや王の容体が急変したか。そう思って尋ねると、社交界でその名を聞かなくなって久しい、ある人物の名があげられた。
「リンドール伯爵だ」
「……」
「朝議で爵位の生前継承が承認された。容体はあまり芳しくないと聞いていたが、もう先は長くないらしい」
書面に視線を落としたまま告げられた声音は、淡々としていて思考が読み取れない。
けれども「先は長くない」その言葉に、惜しむような響きを感じとった。
南部の王オズヴァルト・フラメルが突然倒れたのは、年の始めのことである。
もともと病とは無縁な勇健な人物であったが、彼も人間だ。寄る年波には勝てなかったのだろう。
高齢ということもあり容態はあっという間に悪化し、以来、坂を転げ落ちるように死へと向かっている。
その速度が異様に早すぎると不審に思っていたのは、シア一人ではなかったらしい。
(でも……)
「クロヴィス様は、毒か何か。天命以外の原因があると、そうお考えなのですか?」
シアはある可能性を指摘し、黙々と決裁を進めるクロヴィスの横顔を窺う。
「ですが、そう言ったことは本来司祭の領分です。軽い病はもとより、毒や呪いの類まで。神聖力であれば自然の摂理以外の要因を排除することができますから」
それに、伯爵の元には魔道大国出身の魔法使いもいる。
クロヴィスが尋ねたような延命治療もまた、すでに行われているだろう。
(それでも回復しないというのなら、それはもはや天の意志。寿命ばかりはどうしようもない)
「神殿と良好な関係を築いている南部一の家門、フラメル家ともなれば、既にあらゆる手を尽くしているでしょう」
リフからも『枢機卿数名に治療を依頼した』と聞いている。
リフのフルネームは——リフ・ロヴェリチェ。
リンドール伯爵の最側近にして、彼の長女と結婚したメルリーノ男爵の末息子である。
南部一門との連絡係は、伯爵の孫でもあるリフが直接担当しているので、確実な情報だ。
だからいまさら、シアにできることなど一つもない。
なに一つ……。
「いまのこの状況で、伯爵ほどの求心力を失うことは正直手痛いでしょう。ですが既に、春先からアレクシス・フラメルが当主代行として遺憾なき実力を発揮してくれています。長年王国のために奔走された伯爵には、そろそろ女神の御許で安息を——」
だが。
「魔法使い」
「…………。なんです?」
話を遮られ、シアはむぐっと唇を歪める。
厄介ごとは御免だと思うあまり、饒舌になりすぎたかもしれない。
一方静かに顔を上げたクロヴィスは、言葉の続きを促すように首を傾げたシアを、凪いだ瞳でまっすぐ見つめた。
「俺は是非を問うているのだ。大臣たちのような生産性のない戯言は求めていない」
「……」
「それで? 出来るのか、出来ないのか、どちらだ」
「……できないことは、ありませんが」
冷ややかな問いに憮然と答えると、シアは叱られた子供がよくやるように、ひょいと肩を竦めた。
「でも無駄だとわかっているのに、そんな無意味な労力をかける必要がありますか? 結果が分かり切っているのに、余計な希望を持つのは愚かです。私があの一門と接触して良いことはありませんし、そこまで情をかけるほど親しくもないでしょう?」
たとえ伯爵がクロヴィスにとって有益な後援者であり、功利主義的な南部貴族をまとめ上げるために重要な役割を担っていても。
伯爵とクロヴィス——ふたりの間にあるのは、目的を達成するための協力関係だけだ。
ジュノーたちに対するような情はないと、現にクロヴィス自身も同調した。
「そうだな」
「そうでしょう。手を尽くしても覆せぬのならそれは天命です。いらぬお節介は不要です」
望む答えが引き出せて、シアは満足し再び魔道具作りに着手する。
けれども。
「今夜時間を空けておけ。伯爵の元を訪ねるからな」
「はいはい。わかりました、て……え? ちょっと?」
「なんだ」
(なんだ、じゃないでしょうよ!?)
さらりと命じられて危うく頷きそうになった。が、ぜんぜん人の話を聞いていないではないか。
(あーもう……)
いったん魔道具作りは諦めた。
この問題を対処してしまわなければ、どちらも厄介な結果になりそうだ。
手を払って作りかけの魔道具を亜空間へ収納すると、シアは胡乱な顔で主を見やる。
「涼しい顔をしていらっしゃいますが、ひとの話を聞いています?」
「聞いている。だが『できない』わけではなく、『やりたくない』だけであれば、『会いたくない』と駄々をこねる部下の言を尊重してやる道理はないだろう」
「っ」
(こ……んのひとは、まったくっ!)
淡々とこちらを見返すクロヴィスは、さも当然と言わんばかりの口調で返してくる。
シアは思わずひくっと口元を引きつらせ、それから言葉にできない反論を胸の内で叫んだ。
(私が『駄々をこねてる』って? ああそう。もしも伯爵と私に血縁関係があると勘づかれれば、『今みたいにフラメル家がノーマークで暗躍できなくなりますよ』とか。『あなたが、王后とタリア、両名から厄介な状況に追い込まれるんじゃないんですか』とか、理由は色々あるんですけどね! 私があのひとを治療したくないとか、会いたくないっていう理由じゃなくて)
とはいえ、クロヴィスもそんなことはわかっている。
わかったうえで、シアを挑発し『うん』と言わせようとしているのだから、意地が悪い。
「クロヴィス様は、私にだけいっとう厳しくありませんか?」
「……そうか?」
笑顔で嫌味を刺すと、クロヴィスはしれっとすっとぼける。
「そなたにも、平等に接しているつもりだが」
「へえー、それはそれは……」
「後から後悔するくらいならば、打てる手はすべて打っておくべきだ。たとえ望む結果を得られなかったとしても。そうだろう?」
それから一つ瞬きし、窓の外に視線を移す。
静かに凪いだ声で告げる言葉は、とても意味深だ。
「失ってから後悔しても、もう遅い」
「——……」
やはりクロヴィスは、シアにいっとう厳しいと思う。
このまま会いもせずオズヴァルトが息を引き取れば、シアは一生『彼』と対面する機会を失うだろう。
けれども、会ってどうしろというのだ。
(お互い顔も知らない、存在すら認知しているかも怪しい「おじい様」と感動の対面でもしろってか。は……)
じわりと胸に広がった感情に、シアは鼻を鳴らしそうになった。
しかし、鼻を鳴らす代わりに大きく溜息を吐きだし、ばっと立ち上がる。
「——ああっ、もう!」
クロヴィスがこんなふうに言うのは、きっとリリアーナ王女のことがあるからだ。
煌びやかな王宮の隅でひっそりと儚くなった、彼の妹。
出席を強制された宴の最中に、クロヴィスは妹の訃報を聞いたという。
『失ってから後悔しても、もう遅い』
遠くを見つめる彼の瞳が、誰を思い返しているのかわかってしまうから。
だから結局、シアが折れるしかないのだ。
「——伯爵には、まだまだ利用価値がある……」
「?」
大股で机の内側へと回り込みながら、訝し気にこちらを見つめるクロヴィスへ、シアは念を押すように質問を重ねる。
「だからあなたの駒として、まだくたばってはもらっては困る、そうですよね?」
「……ああ」
それから彼と向き合うよう机上へ腰を据え、シアは彼の瞳をまっすぐ見つめた。
「魔法は万能ではありません」
「わかっている」
「これが天命であるならば、延命どころかわずかな反応すらも、得られないかもしれません」
「ああ」
「それをわかってくださるのなら、いいのです」
クロヴィスが望むなら、シアは打てる手を打つだけだ。
たとえ無駄だとわかっていても。
余計な希望を持つことが、愚かだとわかっていても。
「ときには無意味な労力も必要。——となれば、追加手当も期待していいのでしょうか?」
複雑な心境をひた隠し、瞬き一つで雰囲気を軽いものへと変えたシアへ、クロヴィスは当然すんとした表情になる。
これまで僅かに纏っていた優し気な空気はなくなり、代わりに嘆息するように瞑目して端的にこう返す。
「好きにしろ」
「ふふん。では何がいいでしょう。この前、東国の使者から献上された黄金の杯、いえ、南部にまつわることですから、リヴェル湾で採れる最高級黒真珠の首飾り、でもいいですね」
「そうか。なんでもいいから、気がすんだらそこをどいてくれ。これでは仕事ができない」
「……」
(ふーん?)
うきうきと語るシアはちらりとクロヴィスを見下ろして、それからにっと唇で弧を描いた。
(なんでもいい、ね。それなら)
「では、こちらに決めました」
「!」
ずいっと身を乗り出し、肘置きに手をついてクロヴィスの上に覆いかぶさるように顔を寄せる。そうしてシアが触れたのは、目の前の形のいい唇だ。
「おい。魔法つか……」
「王国一美しく、高価で、二つとない至宝」
「っ」
つうっと思わせぶりに輪郭を撫でれば、憎たらしい呼び声もぴたりと止まる。
かわりに冷やりとする覇気を込めて睨まれたが、そんなもので止められるシアではない。
体温が感じられるほど身を寄せて、背もたれへ押し倒すように、思いのほかがっしりとした胸へ手をつく。
「青い宝石を味わえば、どんな心地がするのでしょう?」
クロヴィスが珍しくぴくっと怯んだすきをついて、シアが盗んだものは、目の前の青い宝石。




