57 初めまして、『おじい様』
「きゃああああ!」
子供特有の甲高い悲鳴が袋小路に響く。
「な、君! 黙りなさい、一体なんの真似——」
突然悲鳴を上げたシアに、当然ダリスは狼狽えた。
黙らせようと手を伸ばしてくるが、その手をひらりと躱し、シアは胸の中でペロリと舌を出す。
(ま、狼狽えるのも当然よね)
何もしてないとはいえ、この状況に警吏や緑玉が駆け付ければいいわけなど立たない。
シアが「魔塔の魔法使いに襲われた」と一言証言すれば、あっという間に犯罪者なのだから。
(でも残念。チェックメイトよ)
シアが心の中で三つ数えたその瞬間、ダリスの頭上に魔法陣が突如として出現し、同時にぱっと緑玉の一人が現れる。
「公女様——!」
「!!」
転移魔法を使って現れた人物は、瞬時に状況を見て取った。
ダリスが反応する隙も与えずに、鮮やかな動作で急所をつき気絶させたのだ。
「こいつ」
「うっ」
(うーん、ラナイが駆けつけるなんて、運がないわねこの男)
地面にうつぶせに倒れたダリスと、軽やかに地面に着地したラナイとを見比べて、シアは少しだけこの魔法使いを哀れに思った。
伯爵に嵌められて、幼い少女にも濡れ衣を着せられて。
仕上げは、状況を理解する間も釈明する間もなく、流星のように降ってわいた緑玉の物理攻撃で一発K・Oだ。
(魔法を使う暇もなかったと仲間たちに知られれば、一生物の黒歴史ね。ふふ。これをネタに強請れそう)
シアが胸中でそんな物騒なことを考えているとは露知らず。フードで深く顔を隠したラナイが、慌てたように駆け寄ってくる。
「公女様、無事ですか!」
彼にしては珍しい。
少しだけ動揺しているようだ。
「痛いところや、どこかお怪我は? 我慢なさらずに、きちんと仰って……」
しかし。上から下まで全身くまなく見分し、シアの前に片膝をついた瞬間、瑠璃色の瞳がパチクリと瞬く。
「…………。怪我は、なさそうですね……」
「うん」
ケロッとしている主を見て、ラナイが少しだけうろんな顔になった。
今のシアの身長だとフードの中を見上げる格好になるので、表情の変化がよく見える。
神秘的な瑠璃色の瞳がスッと半眼になり、心配の色がみるみる消えていく。
殺される、と言わんばかりの悲鳴だったのに……。そんな声が聞こえてきそうだ。
「えっと、悲鳴に反応して飛んできたのですが……これはどう言う状況で? いえ、なんとなく分かるのですが。一応聞いておいた方がいいですかね?」
「ふふ」
薄々勘付きながらも状況説明を求めるラナイに、シアはわけ知り顔で微笑んだ。
「あー……」
それだけで、賢いラナイは状況を把握する。
「つまりこの恐れ知らずが、いたいけな公女様を襲ってきた、と。そう言うことで間違いないですね」
(そう、そう)
——真実など関係ない。
見たままに解釈すれば、それでいいのだ。
「ラナイ」
それからシアは内緒話をするように口元に手を当て、「かがんで」というジェスチャーをする。
「この方に聞きたいことがあるので、独房に収容してもらってもいいですか」
「いいですけど」
「それからこれも……」
「?」
「地下の独房におひとりでは寂しいでしょう? この子も一緒に入れてあげてくださいね」
「え」
ダリスを気遣う素振りで、シアがいけしゃあしゃあと差し出したのは、例の黒猫のぬいぐるみである。
反射的に受け取ったラナイが何とも言えない微妙な顔をしたのは、いたいけなぬいぐるみの実態を彼も把握しているからだ。
「……ほんきですか? これって、例のいわくつきの魔道具でしょう」
「かわいいでしょ?」
「ええー……」
「暗くなると目が赤く光って、ロメロの言葉でお歌を歌ってくれるんですよ?」
「…………ロメロ語の、歌」
その顔にはイリオスと同じように「どんなホラーだ」と書かれていたが、言葉にはしなかった。
密室でこんな呪物のような得体のしれないものと一緒にされたら、ダリスは発狂するかもしれない。
けれどもその前に、知っていることを話してくれる気になるだろう。
「衝動買いして用途も思いつかなかったのですが。意外と役に立ちそうでよかったです」
「それって、拷も……いえ、はい。公女様がそう仰るのなら」
「——さて」
有意義な使い道に満足し、シアは両手を打ち鳴らす。
それから後ろで呆けたように突っ立ったままの二人を振り返った。
騙しあい、化かしあいも、これで終わりだ。
「これでもう危険はありませんね、伯爵様?」
「お嬢さんはいったい」
「公女、と、そう聞こえたのは……それに、後ろの『彼』は……」
「ああ。私としたことが、自己紹介がまだでしたね。失礼をお許しください」
困惑気味のふたりをよそに、シアはゆっくりと瞬き、愛らしい唇を綻ばせる。
緑玉の登場と呼称で想像は付いているかもしれないが、最低限のマナーは必要だ。
とくに、特別よく思われたい相手には。
「改めまして、ご挨拶を——」
「!」
幾重にも重なった公爵の魔法を解き、本来の姿へ戻していきながら、シアは母直伝の優雅なお辞儀を披露する。
茶色の髪は日の光を受けて透き通るように輝く白金へ。
青い瞳は不思議な揺らめきをともなう鮮やかな緑柱石へ。
「お嬢さんは……」
目の前で様相が変わっていく少女に、伯爵とフェランが目を見張るなか、シアは一層笑みを深める。
(ふふ。想像通り、というか想像以上の反応ね)
そして、
「初めまして、そしてエスメラルダへようこそ」
花が綻ぶように鮮やかに微笑んだシアは、真実とともに伯爵が好んだ呼称を口にしたのだった。
「おじい様——……」と。




