56 おじい様と、呼んでみなさい-3
とたんに、細められた灰緑色の瞳と、バチっと視線が重なる。
(あ)
抜け目ない、けれども、どこか愉快そうな眼差しだ。
(あれ……?)
ふっと弧を描いた口元に、もしや企みを見透かされているのではないかと、どきりとしてしまう。
そして。
「——そうだろう、お嬢さん?」
伯爵は、にやりという表現が似合うほど悪い笑みを浮かべた。
決定的だ。
けれども、背後からぬっと人影が現れたことで、その笑みもかき消える。
「……とはいえ」
感情を排した表情で追跡者を睥睨すると、伯爵はシアと追っ手との間に、自分の体を置いた。
「いまは答え合わせをしている場合ではないな。危ないから、わたしの後ろに隠れていなさい」
「——……」
広い背中が視線を遮り、シアは「どうして……?」と小さく心の中で呟く。
(私がここへ誘導したって、気づいたはずなのに)
それなのに、自分を庇うというのだろうか。
罠に嵌めたかもしれない、今日初めて言葉を交わしただけの少女を。
『……守りとおすと、守れると。そう、思っていたのに……っ』
『——無力で、愚かなわたしを許さないでくれ……』
(なんだか、お腹のあたりがもぞもぞする)
シアの記憶にある伯爵は、病に侵され、枯れ木のようにベッドに横たわり、今にも消え入りそうなかすれ声で懺悔する姿だけだった。
だから余計に、すっと伸びた背筋とにじみ出る威厳が、その後ろ姿をよりたくましく大きく見せるのかもしれない。
(……まあ。壁があると、あいつの動きを見るにもちょうどいいし……)
こそばゆさに、何となく出てくる言葉は照れ隠しにも似た皮肉きりだけれど。シアは大きな背中に守られながら、魔法使い・ダリスの出方を静かに見守ることにしたのだった。
* * *
「ご無沙汰しております、リンドール伯爵」
道を塞ぐように現れた魔法使いは、まるでここが社交の場であるかのように慇懃にお辞儀する。険悪な状況にもかかわらず、律儀なものだ。
その物腰から見るに、貴族出身なのだろう。
「まさかのこのようなところで南部の王にお会いするとは、どんな偶然でしょうか。メルリーノ男爵も、以前はお会いできず……」
「——ダリス・ポートマン」
だが、硬質な声音が魔法使いの言葉を遮る。
「我々はそんな挨拶を交わす仲ではないだろう。とっとと、本題に入りたまえ」
「相変わらず、性急な方ですね。ですが、いいでしょう」
口上を遮られた魔法使いは、軽く肩を竦めると、真剣な口調で告げた。
「こちらの要求は、『あなたが奪ったものをお返し願いたい』ただそれだけです。素直に応じていただければ、こちらとしてもこれ以上無礼な真似をしなくて済むのですが」
「は、好き勝手なことを。借用書にサインし、貸付の抵当にあの魔道具を指定したのは、まぎれもなく君自身。『隠匿の瞳』は正当な慰謝料だと言っただろう」
オズヴァルトが顎をしゃくって指示すると、フェランが懐から丸められた紙を取り出す。
「当商会が定める借用証書には『返済が遅れた場合、抵当に入っている資産はすべて商会に引き渡される。これは債務不履行によって生じた不利益の補償ではなく、失われた信頼への慰謝料である』とあります。その下の署名欄にも、『正義の神ユースティティの御名に誓って、ダリス・ポートマンは上記の項目に同意する』と、しっかりサインがありますね」
「っ」
シアの位置からでは見えなかったが、フェランが広げて見せたのは、どうやら公的にも有効な借用書の写しの様だ。
その証拠に、わずかながら神聖力の気配もする。
(へえ、フラメル商会はゲッシュを交えた証書を交わすって有名だけど。ほんとうに、まんまとだまし取られちゃったんだ)
「ですから、それが納得いかないと言っているのですっ。他の魔道具ならまだしも、あれをあなたに渡すわけには——」
なんとなく行きつく先がわかってしまい、シアはこれ以上様子を窺う必要はないと判断した。
(魔塔にしては礼儀正しいから、話し合いで解決できるかとも思ったけれど、これ以上は堂々巡りでしょ)
ついでに良い手を思いつき、内心でほくそ笑む。
(たしか『隠匿の瞳』は、魔塔でも所持できるのは上級魔法使いだけだったはず。つまり、彼は魔塔内の有益な情報を持っているってことよね)
「おじい様?」
「ん? なんだ?」
シアはそっと伯爵の袖を引いて注意を向かせると、「状況がわかっていないです」といわんばかりに、子供っぽい仕草でこう言ったのだ。
「あの方は魔塔の魔法使いなんですか?」
「あ、ああ。そうだが……」
「やっぱり! そうなんですね!」
それからぱっと顔を輝かせ、ふたりが制止するのにも構わずシアは前に出る。
「どうして——あ! お嬢さん、待ちなさい」
「ちょ、ちょっと、危ないから下がって」
「おじさんは、この街に来るのは初めてですか?」
それから魔法使いのそばまで近寄ると、ぬいぐるみを胸に抱いたままあどけなさを意識し、にっこりと話しかける。
「なんだ君は?」
(一歩踏み出し、手を伸ばせば届く距離……)
ダリスと呼ばれた魔法使いは、ほんのわずかな距離を残して立ち止まったシアへ、訝しげな表情を向ける。
(これだけ近づいても、全く警戒した様子がないのね。……うんうん。こういう時、愛らしい外見も、幼い年齢も役得ね)
自分の能力に慢心している者ほど、弱者を軽んじやすいものだが、総じて、魔塔の魔法使いはその傾向が強いのだった。
ダリスはぎゅっと抱きしめられたぬいぐるみをちらりと見て、それから厄介そうに顔を顰めた。
「君はエスメラルダの住民か?」
「そうですよ。だから外の人へのルールも知っています。この街で魔塔の魔法使いが魔法を使うのは重罪だってこと」
「はは、何を言うのかと思えば。私は別に魔法を使ってはいない。悪いことは言わない、お嬢さん。ここで見たことは忘れて——」
ダリスは一笑に付して、シアの言葉を聞き流した。
いや、聞き流そうとして失敗した。
「あれ、でも」
シアはことさら無邪気なふりをして、ダリスの言葉を遮ると、あることを指摘する。
「魔力を隠すのも魔法ですよね?」
「!」
「緑玉にバレたらお仕置きされちゃいますよ?」
「……君は」
にこっと微笑めば、驚きに見開かれた瞳が剣呑に細められる。
それと同時に、手が伸ばされた。
「ただの子供ではないな」
「——お嬢さん!」
こちらに伸ばされる手と、背後で叫ぶ伯爵の声を聞きながら、シアは心の中でふっと笑う。
(こいつを怒らせて、お父様の保護魔法を発動させてもいいんだけれど……)
そうなると、三倍返しはくだらない。
まだ死んでもらっては困るのだ。
だからシアは古典的な手をとった。
すうっと息を吸い、呼吸を止め——全力で叫ぶという、古典的な方法を。




