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【二章終了】回帰の代償~史上最凶の魔法使い『白い悪魔』ですが、今度こそ殿下を幸せにしてみせます!~  作者: 涼暮月
二章

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38 約束の意味(1)

 開け放された窓から、柔らかな日差しと甘い花々の香りが運ばれてくる。

 全身をすっぽりと包み込むような上等な椅子に体を埋め、シアはうとうとと春の心地いい空気に微睡んでいた。


 ぺら、ぺら、と一定のペースで紙を捲る音も。軍備や騎士団の鍛錬、任務に就いて話し合う声も。この八年間ですっかり馴染んでしまった、子守歌のようだ。


 と、そのとき「まったく。猫のようにお気楽な小娘め」と、野太い嫌味が聞こえ、シアはゆっくりと長い睫毛を持ち上げた。


「若いのにのんべんだらりと時間を無駄に過ごしおって、少しは殿下のために……」

「羨ましいのですか、アイガス殿?」


 ぶつぶつと低くつぶやく声を遮ったのは、穏やかで笑いを含んだ優しい声だ。


「なんだと、リフ!? 羨ましいのではなく、嫌味に決まっておるだろう!」

「そうだろうか。先ほどからあくびを噛み殺しているようだが」

「こ、これは、脳が酸欠を起こしているだけだぞ、ザノックス。めったなことを言うでない」

「そうか。わたしは誰かに明け方まで晩酌に付き合わされて、眠いがな」

「うぐ」

「あはは、これは墓穴を掘りましたね。シア殿もそう思いませんか?」


 微睡みの余韻を引きずりつつも、気安い雰囲気で交わされる会話にシアは小さく微笑まずにはいられなかった。

 彼らは相変わらず騒がしい。

 その言葉に同調するように、隣から小さなため息が聞こえてくる。

 その後には、まるで夜を紡いだように、淡々として落ち着きを払った美声が続く。


「騒がしいぞ。演習の項目は決まったのか?」

 

 シアはつられるように整った横顔を見つめ、ふっと目元を和ませた。


(ああ、これは夢だ)


 いつかの記憶を脳が反芻し、見せる夢。

 穏やかで平和だった頃の夢——。


 そう自覚したとたん、ぱっと目が覚めた。


 闇の中にぼんやりと浮かび上がるのは、ベルベッドの天蓋だ。しん、と、静かすぎる空気が逆に耳に痛かった。


「……喉、乾いた」


 むくりと起き上がり、汗ばんだ額に張り付いた髪をかき上げる。

 ウィリデ城は空調が保たれているというのに、妙な汗をかいたものだ。


 回帰した日から、シアは穏やかな日々を夢に見る。

 その中では匂いも音も、会話や感触するも鮮やかで、そのたびに思うのだ。

 果たしてどちらが夢で、どちらが現実なのだろう、と。


 幸せな記憶の中にいるときは、すべては悪い夢だったと思えるのに。こうして小さな手足と身を潜めてしまった魔力を前にすると、やはりこちらが現実なのだと認めたくない事実を突きつけられる。


「はぁぁぁぁ。悪夢より、悪夢だろ」


 シアは盛大に恨み言を吐きだし、暖かなベッドから抜け出した。

 一瞬、ベッドサイドに置かれた呼び鈴を鳴らそうかとも思ったが、シアが手にしたのは椅子の背にかけてあったガウンだった。

 それから気分転換もかねて、城の一階にある厨房へと向かう。


 大きな作業台にぽつんと置かれたランプが、石造りの仰々しい室内を優しく照らす中、厨房の堅い椅子で一人の女中がうつらうつら舟を漕いでいた。

 彼女の奥にある釜戸では、ぼんやりと種火が燃えている。


(お父様たちは、まだお帰りになっていないのね)


 家族は一度、遅くなる前に全員帰宅していたのだが、夕食前に顔を出した両親は「夜会に行ってくる」と告げて、二人そろって出かけて行ったのだ。


 夜会は首都でもここでも、深夜を回ったころが一番の盛りである。

 主人が帰宅したときに温かい飲み物を所望することもあるので、待機しながら時間を持て余した女中が居眠りをする光景はどこの屋敷でもお馴染みだ。


(うーん、幸せそうな顔で寝ているところ、起こすのはしのびないけど……)


 シアが自分で飲み物を用意してもよかったが、そうすると後で厨房の責任者である料理長と、家政を取り仕切るミセス・エーデにこっぴどく怒られるのは彼女なのである。

 シアはそっと名前を呼びながら馴染みの女中の袖を引いた。


「ナタリー」

「……お、お嬢様!? いかがいたしました、こんな遅くに!」


 女中・ナタリーはシアの存在を見とがめると、そばかすの散った顔をぎょっとこわばらせ、あわてて椅子から立ち上がった。


「喉が渇いて、お茶を淹れてほしいのだけれど」

「まあ! メイドをお呼びになればよろしかったのに、夜の廊下は恐ろしかったでしょう?」

「ううん。でも夢見が悪くて、ちょっと眠れなかったから」

「あらまあ。では良くお眠りになれるよう、ハーブティーをご用意しますね。火は残してあるので、出来上がったらお部屋までお持ちしますよ」

「うん、でも……」


 シアはここで飲んでいくと言ったのだが、結局押し切られてしまい部屋で待つことにした。

 


 * * *



 それからしばらくして、コンコンと部屋の扉が叩かれた。

 読んでいた本を脇に置き、「どうぞ」と許可をだす。湯気の立つカップを持ってきてくれたのは、意外な人物だった。


「やあシア、眠れないんだって?」

「セレン兄様」


 カップを手に入ってきたセレンは、黒のトラウザーズにシャツ一枚というラフな格好だった。

 着飾っていなくても、どこか優美で洗練された印象を与えるセレンに、シアは思わずほおっと見惚れてしまう。


(我が兄ながら、将来が楽しみな美青年ね)


 麗しい容姿もさることながら、きゅっとすぼまった腰、シャツ越しにもわかる引き締まった筋肉。さえない中央貴族の若者とはまるで違う、見ごたえのある体つきだ。

 しかも鼻の頭が少しだけ赤くなっているところを見るに、先ほどまで屋外にいたらしい。

 時刻はすでに十時を回ったところだから、実に勤勉なことである。


「兄様はいままでお仕事ですか?」


 ヘッドボードに立てかけたクッションの山に埋もれながら、シアは後ろ手に扉を閉めるセレンを見上げて尋ねた。


「ああ、昼間にやり残したことがあって……」


 セレンはそう言うと、足音もなく歩み寄りシアの額に手を添える。


「熱はないみたいだね」

「この二日間はずっと出ていませんよ」

「そうだけど、夕食のとき怠そうにしていたから。ちょっと心配だったんだ」

「……あはは。それは体力がないのに運動しすぎたせいです」


 足に溜まった疲労は、すでに筋肉痛になりかけている。


(これは明日、イリオ兄様に治療魔法をかけてもらわないと、まともに動けないかも)


 シアはそう心の中で呟き、へへっと笑いながら自分の隣をぽんと叩いた。


「それよりも兄様。ここに座っておしゃべりしましょう?」

「……シア。もう遅いから、いい子は寝ないといけないよ」

「むぅ、子ども扱いですか?」

「実際子供だろう。精神年齢はともかく、体はまだまだ成長期だ」


 たしかに。

 もっともな意見に、シアはぷくっと膨らましていた頬をすぼめる。


(でも、暇を持て余しているイリオ兄様と違って、多忙なセレン兄様とゆっくり話せる機会は少ないし……よし、ここはあの手でいこう)


「ちょっとだけ。ほんのちょっとだけです」


 シアははるか昔に置いてきた「あざとさ」を総動員し、なるべく哀れっぽくなるよう顔の前で両手を組む。うるうると潤むつぶらな瞳でセレンを見上げれば、兄がうっと怯むのがわかる。


(ふふ、セレン兄様がこの顔にも妹のお願いにも弱いことは、実証済みよ)


「嫌な夢を見て眠れないから、もう少しだけ一緒にいてくれませんか? ね?」

「……あーもう。まったく」


 セレンはあきらめたように溜息を落とすと、「とんでもない手を思いついたな」と、いつものように甘さが垣間見える苦笑を浮かべる。


「仕方がないな。ほら、熱いから気をつけて飲むんだよ」

「ふふ、はい」


 ベッドの端に腰を下ろした兄から湯気のたつカップを受け取り、シアは上機嫌で頷いた。

 それから薄っすら黄色みがかったお茶を一口こくりと飲み込む。

 喉を滑り落ちる温かさとともに、爽やかな香りが鼻に抜けていく。遅れてほのかな甘味が優しく舌の上に広かった。


(あ、ラベンダーティーだ)


 リラックス効果のあるお茶は、喉の渇きと一緒に波立った心も癒してくれる。

 少しずつ表面を冷ましながらお茶を飲んでいる間、セレンは脇に置かれた本を取り上げて、何気なくぱらぱらとページをめくっていた。


「そういえば——」

「うん?」

「どうして兄様がお茶を持ってきてくださったんですか?」


 喉の渇きが癒されたところで、シアはこう尋ねた。


 いくら公爵家の人間が使用人の領域である厨房へ気軽に立ち寄ったり、主従関係を意識させないほど気さくとはいえ、キッチンメイドのナタリーが主人に用事を頼むことはありえない。

 教育の行き届いた公爵家の使用人は、そう言ったところの線引きが厳格なのである。


「ああ、部屋に戻ろうとしていたらナタリーに会ったんだ。ちょうどシアに渡したいものもあったし、ついでにと思って」

「渡したいもの?」

「うん、これだよ」

「?」


 シャツの胸ポケットから無造作に取り出されたのは、ルビーのように紅く輝く石だ。

 あまりにも突然だったので、一見しただけではそれが何か見抜けなかった。


 だが、見た目よりもずっしりと重く、濃い魔力を宿したその鉱物がコロンと右手の上に落とされた瞬間、シアは震える声をあげていた。


「べ、紅結晶!?」


 サイズはシアの拳くらいもある。


(いつかのとき、クロヴィス様が倒したインバルのものよりも小さくはあるけれど。これだけの紅結晶もなかなかに希少だわ)


「こ、これはどうなさったのですか? しかも私に? 誕生日はまだ先ですし、イリオ兄様のほうが欲しがるんじゃ……」


(紅結晶は爪くらいのサイズで最上級のダイアモンドと同等。闇市場に流せばもっと値は吊り上がる。しかもなんたって、紅結晶には——)


 いや。

 そこまで考えたところで、シアはぐっと思考にブレーキをかけた。

 冷静にならなければならない。


(兄様は渡したいと言っただけで、くれるとは言ってないのよ)


 ついつい興奮しそうになる口調を抑え、もう一度「冷静に」と自分に言い聞かせる。

 それから、これを手渡したセレンの意図を眼差しでも尋ねる。


「大きいですね。兄様が倒されたのですか?」

「うん。この前雪崩の調査に行ったのは覚えているだろう」

「はい」


 シアが回帰した日のことだ。


「そのときちょうど、エクノスとばったり遭遇することがあって、偶然手に入ったんだ」

「え」


 にっこりと微笑む兄に、思わず、すん……と興奮の波がひいた。

 シアは心の中で突っ込んでしまう。


(兄様。紅結晶もエクノスも、ばったり遭遇するものでなければ、偶然手に入るものでもありません)


 急にこの結晶石の持ち主であった魔物が、哀れに思えた。


(兄様に会う前までは、こんな片手で虫を払ったみたいにあっさり片づけられるなんて、思ってもみなかっただろうに)


 なぜならば、牡鹿にも似たエクノスは、山の王と呼ばれるだけあってインバルよりも狡猾で警戒心が強く、餓死寸前まで飢えない限り人里には降りてこないのだ。

 額から突き出た二本の角は鋭く、皮膚は強靭。ましてや、体内で紅結晶を生み出すほど長く生きた個体ともなれば、訓練された騎士団でも手を焼く強敵。


(それなのに、本能も殺意もむき出しになったエクノスを、十六歳のお兄様が仕留めたって?)


 我が兄ながら末恐ろしい。

 だが、恐れ慄くのはまだ早かった。


「やっぱり、シアには小さかったかな」

「へ?」

「本当はもう少し大きいものを用意してあげたかったんだけど、狩りに行く時間がなくて」

「いや、兄様……」

「今度の討伐で領地の北側に向かう予定だから、そのときにもっと状態の良いものを持って帰るよ」


(いやいやいや。そんな出かけた先で「ちょっと良いお土産を買ってくる」みたいに、言うことじゃないです!?)


 真剣な顔で頷く兄に、冷や汗が止まらない。

 状態の良いものとはすなわち、もっと凶悪でもっと長生きしている個体である。

 セレンの意図としては、それをあえて探して殺って(とって)くるってことだ。


「む、無理はしないでくださいね」


 失われたシアの魔力を取り戻すために紅結晶を採り続けていたら、いつしか北部の地から魔物が一掃される日も、そう遠くないかもしれない。

 突っ込みがいちどきにあふれてきたものの、表面上は笑顔を保ったまま、シアはしみじみと思った。


 そうだ。

 そうなのだ。


 頭脳明晰で穏やかなセレンは「血生臭いこととは無縁です」とその存在自体が物語っているようなのに、実際はクロヴィスを上回る若さで剣気を発現させた、王国屈指のソードマスター。

 緑影でも指折りのノアが、遥かに歳若い彼を主君と仰ぐ理由の一つでもある。


 もしもアルトヴァイゼン公爵家が閉鎖的な一門でなかったら、世紀の天才として王国じゅうに名を馳せていたことだろう。


(本人にその自覚がないから周囲も忘れがちだけども。こういうちょっとしたときに、規格外な器を実感するのよね)


 しかもセレンは有言実行の人である。

 約束したことはどんなことでもやり遂げてしまうひとなので、めったなことは頼めない。


 ははは、と胸中で乾いた笑いを浮かべつつ、シアは誓った。

 ——絶対に、セレン兄様へ無茶なお願いごとはしないようにしよう。


 だがそうは言っても、純粋な好意は素直に嬉しいものである。


(ふふ。私を心配して、少しでも早く届けてくれようとしたのね)


「こんな貴重なものをありがとうございます、セレン兄様」


 シアは紅結晶をぎゅっと握ると、心からの笑顔を浮かべた。

 魔力の波動とは別に、心を満たすような温もりが手の平から広がっていく気がする。


「結晶石から魔力を補充する方法は、魔力が枯渇した魔法使いに対する応急処置としても用いられていますから、凄く助けになります」

「うん。それにアズラが言うには、結晶石に宿る魔力は大気中のマナや他人から譲渡された魔力よりも、格段に人の体になじみやすいらしい」

「へえ」

「魔力が枯渇した魔法使いは、マナの吸収速度よりも消費速度が上回るから、一気に蓄積量を増やす方法が効果的だ」

「なるほど。だから普通に生活しているだけでは魔力がほとんど溜まらないのですね」


 ということは、魔力を溜めるために策を講じる必要があるのかもしれない。

 新たな情報に、シアは手の上で紅結晶をころころと転がした。


「それはアズラの手記に書かれていた情報ですか?」

「ああ、そうだよ。さすが魔法の鬼才というべきかな。千年経とうと、彼女の残した知識はいまだに多くの謎を紐解く指標になっているからね」

「彼女?」


 そのとき、兄が何気なく口にした単語に、シアは首を傾げた。


「アズラ・フエゴ・ベルデは男性ではないのですか?」

「おっと、まずいことを言っちゃったかな」


 シアの興味を引いたと気づいたセレンは、あっと口を押さえて視線をそらす。

 その視線の先にあるのはドレッサーの上の飾り時計だ。彼がここにきてから三十分は過ぎていた。


「うーん。この話をするには長くなるし……続きはまた今度だ」

「あ……」


 そう言って、セレンがシアの手からカップを取り上げる。

 切り上げようとする気配を察して、シアは慌てて兄のシャツを引いた。


「ま、待ってください。もう一つだけ。もう一つだけ質問です」

「うん?」 


(これは絶対に聞いておかなきゃ)


 サイドテーブルへカップを置き振り返った兄に向かって、シアは単刀直入に告げた。


「セレン兄様、なにか悩み事がありますよね」



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