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12 賭けの結末は(2)

 獣の咆哮と共に、生ぬるい風が腐臭を運んだ。

 

「装備を整えろ! 寝ている者は叩き起こせ!」

 

 突如と迫ったインバルの群れの気配に、クロヴィスは己の失策を悟った。

 

(くそっ、群れは一つではなかったのだ……)

 

 情報の出所が討伐を依頼した辺境伯自身であったために、完全に油断していた。

 

「くそったれの、あんちくしょうめが!」

 

 交代で仮眠をとっていたアイガスが、吠えながら火を囲むクロヴィスたちに合流する。

 

「あの禿狸めっ、よもや我々を売ったのではあるまいな!?」

「今はそんなことをぼやいている場合ではありませんよ、アイガス殿」

「だがリフ――……」

 

 口の悪い将へリフが天を仰いで目を回すその背後で、額を突き合わせていたジュノーと影のように物静かな騎士ザノックス、それから魔塔主マギステルが、ぱっと顔を上げる。

 

「殿下、おびき出す進路は確保しました」

「よし。ジュノーとリフは騎乗して俺に続け」

 

 クロヴィスは頷くと声を張った。

 

「アイガスとザノックスの部隊は、D地点で二班に分かれて群れを左右から追撃。残りと魔法使いは負傷者とルヴォン侯爵の保護に全神経を集中しろ!」

「は!」

 

 クロヴィスの鋭い指示に合わせ、統率の取れた隊列が一斉に動き出す。

 宵闇の山中で獣と交戦など正気であれば絶対に避けたいところだが、野営地で迎え撃っては負傷者たちに気を取られ、余計な被害を生んでしまう。

 獣は弱った獲物から襲う習性があるのだ。そして、背を向けた獲物を追う本能も。

 

「はっ」

 

 障害物の多い山中を危険なほどの速度で馬を駆り、野営地をはるか彼方に置いていく。

 

(インバルは、ついてきているか……?)

 

 馬の脚であの俊敏さからどこまで逃げ切れるか、確信はなかったが、成功させる意思は十分にあった。

 

(でなければ、ここで死ぬだけだ)

 

 こみ上げる激情に、クロヴィスがぐっと手綱を握りしめたその時だった。

 

「あと数十メートルのはずです!」

 

 ジュノーがそう声を上げるのと同時に、視界の先に月の光が差し込んだ。

 鬱蒼と茂る森の中は薄暗かったが、月の光が差す平地であれば勝機はある。

 さらに、背後が険しく切り立った崖ならば。追い詰められない限り、背後は自然の要塞が守ってくれる。

 

 はたしてクロヴィスの読み通り、三人はどうにかインバルの群れに先んじると、素早く馬から降りて剣を構える。

 三人とも、場数を踏んだソードマスターである。

 特にクロヴィスとジュノーは、王国でも五指に入る実力者だ。

 それでも、

 

「……くそっ、数が多すぎる」

 

 焦りを滲ませそう吐き捨てたのはリフだった。

 他のふたりの胸にも、同じ台詞がよぎる。

 

 暗闇の向こうでうごめく影は、先に討伐したあの群れよりもはるかに多い。

 計画通りアイガスとザノックスの部隊が挟み撃ちにし、好戦しているようだが、包囲網から逃れた先頭集団が確実に近づいている。

 おそらくは、ボスの一団が。

 

「まさか、コラッド伯爵はこれを予想して……」

「立案者は令嬢の方だろうがな。だが、ここで嘆いている暇はない」

 

 クロヴィスの一言を受けてジュノーがさっと顔をこわばらせる。

 だが主君の言う通り、嘆いている暇はなかった。

 

「――来るぞ!」

 

 その号令と共に、鋭い無数の牙が三人を目掛けて襲い掛かった。



 * * *



 シアは難なく木の上に着地し、ひくっと鼻をひくつかせた。

 

「腐臭がする。これは……インバル?」

 

(やはり別の群れが残っていたか……)

 

 クロヴィスがひときわ大きかったボスの頭を切り落とし、あの群れを壊滅させた後、シアは微かにどこかの茂みからこちらをじっと見つめる視線を感じていたのである。

 インバルは魔物の中でも特に知恵の回る個体だ。

 襲撃者の正体を見極め、森の中で息をひそめ、反撃の機会を窺っていても不思議はない。

 

(……それに)


「薬草と木香の入り交じった、ラギメスの移り香も……」

 

 シアは魔物の放つ腐臭に紛れてわずかに香る、ある独特な臭いも嗅ぎ取っていた。

 ラギメスとは、創世の女神アウラコデリスから生まれた神であり、シュエラ王国の民に魔法を授けた魔道の神である。

 そのラギメスによって()()()()()()()()魔力が、独特な臭いを放つことをシアは知っていた。

 臭いの発生源となっている場所を目で辿れば、おそらく、野営地がある方向であろう。

 

(ラギメスが召喚されたにしては魔力の揺らぎがない。だとすると黒魔法で穢された魔道具でもあるのか、それとも、黒魔法使い(あいつ)が紛れ込んでいるのか……)

 

 ――いや。

 黒魔法使いが、こんな場所にのこのことやってくるはずがない。


(と、なると……)

 

「魔道具か」

 

 王国では、ラギメスと何らかの取引を交わした魔法使いを「黒魔法使い」とそう呼ぶ。

 一説によると、ラギメスは魔法と同時に魔物をこの世に生み出した邪神であり、混沌と破壊を好む性質を持っているそうだ。

 当然、王国を守護する教会は黒魔法使いを異端の徒として糾弾し、王国法でも黒魔法は禁じられている。


 ラギメスを召喚することも、召還を試みることも。

 そして、黒魔法使いと取引することすらも。

 場合によっては極刑も免れない。

 なぜなら、黒魔法には魔物を狂わせ、操る力もあるからだ。


「でも、タリアはそんなものをどこで手に入れた?」

 

 シアはぽつりと呟くと眉を顰めた。

 

 穢れた魔力を込めた魔道具を忍び込ませ――あるいは、息のかかったものに持たせて――魔物をおびき寄せる。その目的がクロヴィスの殺害であるのは明白だ。

 けれど黒魔法使いは存在自体が稀なのである。

 教会と国が総力を挙げて排除している背景もあるが、そもそも、(ラギメス)の召喚自体が難しい。

 シアが知る中でも、黒魔法使いは一人きり……。


「テネブレ・セルウィー、あいつだけ」


 四年前、公爵家を襲撃したのは一人の魔法使いだった。

 レモラ・エヴァンズという名の、魔塔の魔法使い。その男は禁忌の魔法を用いて一人目の犠牲者を操ると、まるで伝染病のように、一門の魔法使いを狂わせた。

 しかし、レモラは最後の最後で因果律に捕まった。

『因果律から逃れる術を知っている』そう豪語していたというのに、だ。

 

(レモラはただの操り人形だった。最初に禁忌を犯させ、真の黒幕がラギメスと契約するための対価を、回収させるだけの駒)

 

 その証拠に、レモラが消えたその場には、胸の悪くなるような甘い香りが残った。

『薬草と木香の入り交じった、ラギメスの香り』

 ――いや。

 魔力が、魂が。ラギメスの手に堕ちた目印、ともいうべき香りだろうか。

 

 いまのように臭いの発生源を辿れば、そこには何者かの気配があった。

 そしてアッシュたち月狼と関わるうちに、魔塔から離反したとある魔法使いの名前を耳にするようになった。それからやや遅れて、魔塔から離反した魔法使い、テネブレ・セルウィーが黒魔法使いであるという情報が入ってきたのだ。


 結果、シアはこう結論付けたのである。


『テネブレこそが、公爵家をラギメスへの代償に捧げた、真の黒幕である』――と。

 

 テネブレは教会に捕まるのを恐れて行方をくらませたが、これまでに何度か、シアはこの臭いを嗅いでいる。

 彼女が認知している黒魔法使いがテネブレ以外に存在しないのであれば、間違いなくこれはやつの差し金だ。


「だから大人しく、私をそばに置いていれば、こんなことにはならなかったのに」


 シアが傍にいれば、危険が及ぶ前に対処できた。

 魔道具ないし、この臭いの元凶を突き止めて、クロヴィスの元から排除できたのだ。


 本来、黒魔法は神聖力によってでしか判別できないとされている。だからこそ黒魔法使い自身も、()()()()()()()()

 しかし、テネブレは知らない。

 シアには察知することが出来るということを。

 神の血を引く一門であるからか、フエゴ・ベルデにはラギメスによって穢された魔力を、嗅ぎ分けることが出来るのである。


(それを知るのは、いまはもう、私ひとりだけれど)

 

 シアが一門の血に流れる特殊な能力に気が付いたのは、皮肉にも、四年前の襲撃の夜だった。

 一門の誰も知らなかった力。いや、知る機会のなかった能力というべきか。

 黒魔法使いなど書物にしか記されていないのが普通なのだから、知らなかったのも無理はない。


「……ほんと。胸糞悪い、におい」

 

 甘ったるい臭いは記憶と強く結びつき、心の奥底にしまい込んだ忌々しい光景を呼び覚まそうとする。

 だからだろうか。

 殊更、神経に障るのは。

 

「は、魔物の放つ腐臭に穢れた魔力。そこへ人の血の臭いも加わっているなんて……最高」

 

 誰かが深手を負ったようだ。そう状況を察知し、よりインバルが集中している方向へと移動する。

 そして再び木の上に降りたシアは、負傷者の正体を見つけた。

 

「リフ卿……」

 

 地に倒れ、クロヴィスに庇われているのは、紛れもなくあの騎士だった。

 癖のない柔らかな金髪は泥と血に汚れ、あの屈託のない灰緑の瞳は瞼に固く閉ざされている。

 その姿がいつかの記憶と重なった。

 

『――お願いです! 女神アウラコデリスよ!』

 

 暗闇の森に満ちるのは、むせ返るほどの血臭と、薬草と木香のまとわりつくような不快な香り。

 冷たくなっていく腕の中で、一人の少女が泣いていた。

 

『このひとを連れて行かないで! 復讐なんてしないから、忘れるって約束するから……っ。だからお願いです、助けて、このひとを助けて……っ』

 

 だが、少女の懇願も虚しく、その体を守るように回された腕は力なくこぼれ落ちる。

 

『――ッ、セレン兄様!』

 

 喉を割くような慟哭に、シアは柄にもなく四肢をこわばらせた。が、それも一瞬のことでクロヴィスの声ではっと我に返る。

 

「—――リフ! 目を開けろ、獣の餌になりたくなかったら、起きるんだ!」

「は、ははっ……」

 

 ドクドクと脈打つ心臓の音を聞きながら、シアはこみ上げた笑いで喉を震わす。

 親指にはめた二連の指輪を、その指でなぞるのは無意識だ。

 

(落ち着け、あれはリフ卿だ)

 

 もう顔も朧げな、あのひとじゃない。

 

 深く息を吸って吐き、シアはそう自分に言い聞かせる。

 それから張り出した枝に腰をかけ、事の顛末を見守った。

 

(リフ卿のことは気に入っていたけど、それとこれとは別……)

 

「これは第一王子に懇願させる、いい機会なんだから」

 

 シアには、窮地に陥る前に、クロヴィスが自分の名前を呼ぶとわかっていた。

 

(誰だって他人の命よりも、自分の命のほうが大切でしょう?)

 

「だから私を呼んで……」

 

 シアがそう囁いた時だった。

 飛び掛かってきたインバルを追って、クロヴィスの視線が上を向いたその一瞬。彼の瞳はシアの存在を認識した。

 

「っ」

 

 だが、クロヴィスはシアの名前を呼ばなかった。

 

(こんなにも、簡単なことなのに……)

 

 そして次の瞬間、ジュノーの剣から逃れた一頭が、倒れ伏したリフへと向かう。けれどなによりもシアを焦らせたのは、その前に身を躍らせたクロヴィスの存在だった。

 

「――な!」

「クロヴィス様!」

 

 シアとジュノーが動いたのは同時だった。

 いや、魔法で移動した分シアのほうが一瞬早い。

 そして――。

 

「――シア! 高みの見物を決め込んでいないで、さっそとこいつらをせん滅しろ!」

 

 クロヴィスがそう叫んだのは、シアがすべてを薙ぎ払った後だった。


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