11 賭けの結末は(1)
あの後降り出した雨は、一昼夜降りしきりやがて淀みも汚れをすべて洗い流すと、眩しいほどの晴天を西部の空にもたらした。
二日ほど道が固まるのを待って、一行は再び魔物の巣窟へと行進を再開した。
気力も体力も有り余るジェフリーはすぐにでも出発する勢いだったが、悪路ほど体力を削るものはない、とのクロヴィスの判断を受けてのことである。
おかげでしっかりと休息が取れ、一行の足並みも軽い。
道中「群れを成しているインバルのボスを討つ」という話を小耳にはさんだから、今度こそ最終局面となるだろう。
インバルとは狼型の魔物であり、群れのボスに従って行動する習性がある。
体は全長二メートルほどと大型。幼体ですら人ひとりを一噛みで噛み砕けるほどの顎力をもち、巨体からは想像もできないほどの俊敏さを誇る。
そのボスを、一軍を率いて見事討伐したとなれば、継ぐ王にふさわしい器だと誰もが認めるに十分。
(たとえ、それがどちらの王子であっても)
これまでの成果は、先頭を行く分クロヴィスに軍配が上がっている。
だが、ボスの討伐如何ではどちらにも転びかねないし、結果はこの旅が終わるまで分からない。
それに……と、シアは微笑む。
(タリアが仕掛けるのは、おそらく討伐が終了し、帰路に就くとき)
なんとも用意の良いことに、第四王子一行はあの辺境伯の待つ古城に戻り一泊した後、被害を受けた村々を訪ねて歩く手筈になっている。
慰問のため、と称しているが、それが本当の理由かは怪しいところだ。
(そもそも配給用の食料や物資を備えているのならまだしも、大所帯で貧困に喘ぐ寒村を回るなんて、彼らの食糧を奪うようなものなのに)
シアはそう思ったが、あえて忠告はしなかった。
一方のクロヴィスは、怪我人を引き連れてまっすぐ王都へ帰還する予定だ。
つまるところ、行軍の歩みを緩める足手まといを、体よく押し付けられるというところだろう。
(そんな中、殺しを生業とする奴らや、生き残った魔物に襲われたらどうなるか……)
一行の中には見覚えのある顔ぶれがちらほら。そして気になることも、いくつかある。
だがこれもまた、伝えるつもりもない、独白だった。
あの日から、シアは完全にクロヴィスたちを意識から追い出した。
シアの後方を馬に乗って進むリフが、なにか言いたげにこちらを見つめていたものの、シアはひらりと手を振って応じただけで、リフのもとに近づこうともしなかった。
クロヴィスへ言った通り、選ぶのは彼自身なのだ。
シアが必要ないと言い張るのなら好きにすればいい。
そうしてインバルの群れとの幾たびの攻防を繰り返し、追い詰めた山中でクロヴィスがボスの首を切り落とした頃には、猶予は残り四日に差し迫っていた。
* * *
契約満了まであと数分。
クロヴィスに残した猶予まであと十数時間。
南の空に月が到達しようとする夜半、シアは懐中時計を確認し、それから天幕に引き取ろうとするタリアを呼び止めた。
「最後にご挨拶をと思いまして」
シアが表面上はにこやかにそう告げると、タリアは伴っていた魔法使いを下がらせ、侮蔑も露わにこう呟いた。
「野良猫も、最後くらいは礼儀をわきまえるものなのですね」
「……」
(そっちの猫は最後こそ、立場をわきまえていないけれどね)
シアが魔法使いたちとひと悶着おこして以降、タリアはシアの前でだけ猫をかぶるのをやめた。
魔塔の魔法使いどもはシアの残虐さに警戒し大人しくなったものの、使える手駒を減らされた上にルヴォン侯爵から、
「あのような低俗な者たちしか従えられないとは、主の素質が疑われるな」
という嫌味を投げつけられたタリアとしては、制御しきれないシアの存在は、完全に厄介者でしかなくなったのだろうと推測する。
とはいえ、気まぐれを起こしてクロヴィスを手助けされても面倒だ。そう考えたタリアは、ジェフリーの正義感を刺激して、王都に向けて出発する予定のクロヴィス一行より、二日も早く古城を発ったのである。
すでに一行は辺境伯領を抜けていた。
クロヴィス一行も予定通りであれば今朝がた出立したであろうから、物理的な距離はかなり開いている。普通の移動魔法でも、一度ではたどり着けないほどに。
(でも、無駄な努力だったけどね)
シアは普通の魔法使いではない。もっと言えば、シアが独自に改良した転移魔法は、魔塔の使用する転移魔法よりはるかに移動距離が長く、かつ最小限の魔力消費で飛ぶことが出来るのだ。
つまり、王国ほどの広さであれば、どこへでも何度でも。
(どうせ最後にはネタ晴らしをするし、その前にゲッシュを誓わせないとね)
タリアが口約束を守るとは思えないし、今後王位争いが激化すれば、アッシュたち『月狼』を利用してシアに対抗させる可能性もある。打てる手は、先に打っておくべきだ。
(感謝してよ、アッシュ? あとでしっかり報酬はもらうけど)
「あの……お嬢様? いまさらこのようなことをお聞きするのは心苦しいのですが……」
シアは内心で意地の悪い笑みを浮かべると、タリアから言質を取ろうと柄にもなくおずおずと切り出した。
「お嬢様は以前、私と再契約するつもりはないと仰っていましたが、それは今もお心変わりはありませんか?」
「ええ、もちろんです」
「女神アウラコデリスに誓って?」
「ええ」
「では、私の代わりに『月狼』をお使いになることは……?」
「は、当然ございません。あなたの息がかかったギルドなど、いくら腕がたってもごめんです」
「では、女神に誓って……」
シアがもう一度同じ台詞を繰り返すと、タリアは野良犬を追い払うようにぞんざいに手を振った。
「ええ、いつになくしつこいですわね。あなたにも『月狼』にも、女神の名に誓って金輪際こちらから関わることはございませんわ。用がそれだけならわたくしはもう――」
そこでタリアはさっと青ざめた。
シアの体からふわりと立ち上った白い光が、己の身に吸い込まれるのを感じたからだ。
「あなた、いま……」
「ふふ、ゲッシュはしかと天に聞き届けられました。金輪際、あなたは私にも『月狼』にも自発的に関わることはない。これを破れば女神があなたに天罰を下されるでしょう」
「この――っ」
「ああ、それから……」
かっと怒りを上らせたタリアが振り上げた手を受け止め、シアはいつかのように彼女を見下ろす。
抑えられていた魔力は解放されたことを喜ぶように、シアの瞳に緑色の火を灯し、タリアが忘れかけていた『礼儀』を彼女に思い起こさせた。
「あ……」
「その恐怖をなぜ覚えていられなかったのだろうと不思議? それは私があなたより猫をかぶるのがうまかったから。お可愛らしいお嬢様、あなたに一つだけ忠告を――」
屈託なく微笑みながら、シアは自身の足元に移動用の魔法陣を描き出す。
「こ、これは――!」
そして驚愕するタリアをぐいっと引き寄せ、その耳に囁いた。
「王后もお前も変わらない。いずれその身で、幾多の報いを受けるだろう」
低く甘い囁きは、まるで予言のようにタリアを慄かせ、やがて恐怖だけをその場に残して、シアは完全にタリアの前から姿を消した。