10 消した記憶と消せない約束(3)
シアの魔法を破った老人、魔塔主マギステルを伴ったクロヴィスは、冷ややかな瞳で彼女を一瞥した。
その後で、騒ぎを起こした魔法使いたちを睥睨する。
「狩猟犬でさえも、これより躾が行き届いているものだというのに」
魔法使いたちはとっさに首を垂れたものの、クロヴィスの静かな怒りにあてられて、皆一様に顔を青ざめさせる。
だがその中でひとりだけ。無謀にもクロヴィスを直視し、かっと目を見開いた者がいた。
シアに啖呵を切ったあの男である。
意識を失ったリーヒは、魔塔主の背後にいた他の魔法使いたちによって、懸命に治療魔法が施されている。
「お言葉ですが、騒ぎを起こしたのはそこの――」
「ゲオルグ! この愚か者めっ!」
だがすかさず、魔塔主はその年齢に見合わぬ俊敏さでゲオルグの頭を掴むと、自身の横に平伏させた。
「お許しください殿下、わたくしめの教育が行き届かず……」
王族へ反論しようなど、身の程知らずにもほどがある。額を地面に擦りつけるまで沈められたゲオルグも、ようやくそのことに気付いたようだった。
が、憤懣やるかたないと言った様子は誰の目にも明らかだった。
そこでクロヴィスは、傍らに立ったリフへ静かに視線をくれた。
「詳細を」
「はっ」
――事の起こりは些細な侮辱。しかし、その内容は許しがたいものであるのは明確です。
詳細を話し終え、そう締めくくったリフの顔はもとより、事態を把握した魔塔主の表情もまた強張っていた。周囲で見守っていた騎士たちの表情も、同様である。
なぜなら、ゲオルグたちが考えもなしに発した台詞は、『流れの魔法使いへ対する侮辱』では、すまない内容だったからだ。
これでは庇いきれない。
魔塔主の表情はそう物語っていた。
やがてゲオルグの頭を押さえつけていた手が、力なく落ちる。
「どうか……どうか寛大なお心で慈悲を示されますよう……」
それでも、床に額を押し付けて懇願するのは、師の情というものなのか。
それまで騒がしかった大食堂が、しんと静まり返る。
その静寂を破ったのはクロヴィスの静かな問いかけだ。
「そなたらは、自身の犯した罪に自覚はあるか?」
それは魔塔主の求めた慈悲であった。
しかし思いもよらぬ問いに、ゲオルグたちはぽかんとした表情を浮かべ、それで贖罪の機会すらも失った。
「……そなたらの言う『おごり高ぶったフエゴ・ベルデ』は、一魔法使いである前に、王国の高潔なる貴族である」
「――っ!」
「つまりそなたらは、王室に准ずるアルトヴァイゼン公爵家を貶め、侮辱したということだ」
「あ……」
ここまではっきりと罪を突きつけられれば、どれ程の愚か者であろうと理解できぬはずがなかった。
王国で貴族への侮辱は大罪である。そして『公爵』は、貴族の中でも最上級の爵位。
そんなことは、貧民街の子供ですら知っている。
「お、お許しください。そんなつもりは毛頭なかったのです」
「公爵家を軽んじるつもりは、決して」
「……」
(は、そんなつもりじゃなかったですめば、こんなことにはなってないよ)
魔塔の魔法使いのなかには、貴族を顧客に持ち始めると、自分達がさも特別な人間であると勘違いする者が多かった。
だが元々の身分が平民がであれば、その事実は変わらない。
(口ではどれ程へりくだり褒め称えていても、腹のなかでは序列にこだわるのが貴族ってものだ)
特に地位が高く歴史のある家門ほど、爵位に対する矜持が高い。
貴族こそが弱き民を統率し、この国を支えているという誇りを持っているからだ。
貴族の矜持は山より高い。シアは貴族を相手にしてそれを学んだ。
彼らが誇りを傷付けられることを、何よりも嫌うということも。
過去には、序列を越えて無礼を働いた下級貴族に対し、決闘や領地戦を起こして命で償わせた事例もあった程である。
とは言え、ただ口を滑らせた程度で死罪は重い。
一方で、大勢の騎士たちを前に口を滑らせたのが運の尽きだった。
討伐隊の大部分は騎士が占めており、シュエラ王国の騎士団は、貴族出身者が殆どである。
軽い罰では彼らが納得しないだろう。
――最低でも、魔法使いの資格を剥奪されなくては。
騎士たちは静かな怒りを湛えて沙汰を待つ。
平民出身の傭兵たちは、救いがたいと肩をすくめてこの場を離れていく。
ようやく自分たちの軽率さと周囲の冷ややかな反応に気づいたゲオルグたちは、固唾を飲んでクロヴィスを見上げた。
わずかに希望を宿した瞳が、冷淡な眼差しを捉えたとたん、絶望に翳る。この期に及んで救いなど、あるはずがない。
「細かい処罰は魔塔の判断に任せる。ただし彼らが魔法使いを名乗ることは二度とない」
(つまり、除籍処分は確定)
妥当と言えば妥当だ。
なによりも、二度と顔を拝まなくて済む。
淡々としたクロヴィスの発言を受けて、ゲオルグたちは拘束魔法を掛けられ、連行されていく。
きっとその末路は……。
(魔力を封じられて、このまま魔物の蔓延る西部の野に放逐されるかな? ああでも、合理的な魔塔のことだもの。魔塔の地下深くにあるっていう部屋で、魔力を宿したまま様々な『実験体』や『苗床』として、秘密裏に処理される運命もあるのかな)
彼らに待ち受ける悲劇を想像して、シアはため息を吐いた。
これで気が済んだかと言えば、どちらとも言えない。
たった一つの失言で、魔塔の魔法使いが落ちぶれる様を見て、胸がスッとはしたものの。本音を言うのならば、この手で息の根を止めてしまいたかったのかもしれない。
(なんだか、不完全燃焼……)
そう思ってシアが席を立つと、すかさずクロヴィスに呼び止められた。
「どこへ行く。そなたは俺についてこい」
「!」
なんとも意外な誘いだった。
(う~ん。怒っている……というわけではなさそうだけど……)
先ほどもそうだったが、シアに向ける眼差しは冷ややかでも、そこに軽蔑や蔑みはない。それだけでなく、珍しく警戒心も無いようだった。
「殿下、わたくしめもご一緒しましょう」
シアを警戒しそう申し出た魔塔主と自然に付き従おうとしたリフを、「必要ない」の一言でその場に残したのだから。
* * *
「殿下、私に内密な話がおありなのですね?」
人気のない庭園の中ほどまでくると、シアは前を行くクロヴィスの背に尋ねた。
「共に仲良く散歩でもという景色でもありませんし、天気も崩れて参りました」
季節は春の盛りとはいえ、相次ぐ魔物の襲撃で、広い庭園の維持に回す人手もないのだろう。
手入れのされていない庭園はその様相もみすぼらしく、薔薇の生垣らしきものには繁殖力の強い蔦が絡みつき、刈り取られていない枯れた花弁が赤い塵のように散らばっている。
空を仰げば、今にも振り出しそうな厚い灰色の雲が、青空を覆い隠し始めていた。
「……ああ」
「人払いまでされるとは、とうとう私と契約する気になりましたか?」
「いや」
短く応じると、クロヴィスは足を止め静かに振り返る。
「そなたはこのまま元居た場所へ帰るべきだ」
「……は?」
「おとなしく諦めて引き下がれと言っている」
「は、ははっ」
シアは不遜だとわかっていても、思わず声を上げて笑わずにはいられなかった。
「なにをおっしゃるのかと思えば……あなたはどうしてそこまで頑ななのか。『諦めろ』? 正直理解に苦しめられますね。おとなしく諦めるべきなのは、私ではなくあなたのほうではありませんか」
「その必要はない」
「なぜ?」
「俺にとって、そなたは必要でないからだ」
「……」
――ああ、なぜだろう。
(イライラ、する)
揺るぎない水色の瞳に。
一片の迷いもないその声音に。
感情がどうしようもなく揺さぶられる。
(どうして……)
シアの仮面を見抜けないタリア・モルゲナーダがそう言うのは理解できる。だが、実力をはっきりと見抜いているはずのクロヴィスが、シアを「必要ない」と言う理由が、彼女には理解できなかった。
だから思わず聞いていた。
(ここまでプライドをズタズタにされたのは初めて)
「理由をお聞かせ願えますか? 私は寄せられた好意をふることに慣れていても、ふられることには慣れていないので」
「理由は明確だと思うが……俺はそなたを信用できない。その張り付けたような笑みの裏で――」
「何を考えているのかわからないから?」
クロヴィスの言葉を奪うと、シアは肩をすくめた。
「それならば前に言ったではありませんか。私はあなたに興味がある、だから力を貸しましょうと」
「そして俺は答えたはずだ、いったい何が狙いだと」
「あなたの――」
「笑顔が見たいから、なんてたわけた答えは必要ない」
今度はクロヴィスがシアの台詞を奪うと、彼は核心に切り込んだ。
「初めて庭園で会った時、あれがそなたの素顔だろう。俺への興味など後付けだ。そなたは害意がないと言いながら、その身の内に計り知れない恨みを飼っている」
王后への、という言葉は口にしなかった。
口にしなくとも、確かにシアには伝わる。
「……」
それまで、いつも通りにこやかな笑みを張り付けたまま話を聞いていたシアだった。
が、ふいに。クロヴィスから視線を逸らすと、手直に咲いていた赤い薔薇にその手を伸ばした。
「それで? たしかにあなたの母君を恨んでいると、私がそう告白すればあなたは満足なのですか? そして、この不条理な世界そのものも憎んでいると」
でも、と続けながら、シアは枯れかかった赤薔薇を一輪摘みとり、その鼻先に引き寄せる。
「『復讐なんて何も生み出さない。だから忘れて生きる』その選択はとても理性的で合理的ではありませんか?」
終わりかけの薔薇からは、なんの香りもしなかった。
それはそうだ。花の香りは『私はまだ生きている』という、命の証なのだから。
(死んだ花に価値はない。それは人も同じ)
くしゃりと握り潰したその後で、手を開き、シアは地に落ちていく花弁を無表情に眺める。
(まるで血ね……この手を染めた、あのひとの……)
「それだけの理由で本当に言葉が足りると思うか? 事件の後、公爵家の燃え痕からは何も回収できなかったと聞いている。遺品も、遺骨も……それほど無残に殺されて、合理的だから復讐しないなど、理解できるはずが、――っ!」
クロヴィスが途中で言葉を切ったのは、シアが音もなく彼に近寄り、その首に右手をかけたからだった。
「ただ、それだけの理由です」
シアは低い声で彼の耳に囁く。
「理由は、それだけ――……」
吐息と共に吐き出された思いは、風に吹かれて消えるほど、とても儚いものだった。
けれど。
けれどクロヴィスの耳には、確かに届いてしまった。
「そうでなければ、私は……最後の願いも叶えてあげられない」
その証拠に、見開かれたアイスブルーの瞳が微かに揺れる。
その目に映る自分が見たくなくて、シアはすっとクロヴィスから身を離した。
「これが、最後のチャンスです」
そのとき自分がどんな表情をしているかなんて、シアは考えたくもなかった。
「私は決して懇願しない」
(そう、懇願なんて『悪魔』と呼ばれる私には似合わない)
だから精一杯口角を引き上げ、笑みを作る。
「待って差し上げるのはあと二週間。それ以上でも以下でもない。ですからくれぐれも後悔しない選択を」
そう告げたシアの足元が突如、ふわりと淡い光を放つ。
「――!」
彼がもう一度目を瞠った理由は、シアが魔力だけで足元に魔法陣を描いたからだ。
実力のある魔法使いでも、移動には必ずと言っていいほど、移動魔法が込められた魔道具を使うものなのだ。
(はは、これくらい驚くことでもないでしょう?)
信じられないと言いたげな表情に、シアは今度こそ本物の笑みを浮かべてみせる。
(私を必要とすれば、これ以上の魔法だって、すべてあなたのもの。そう、だから――)
「気高くお優しい王子殿下。心が決まった暁には『シア』と、ただ一言私の名前を呼んでください。それだけで私はあなたのもの」
そして転移魔法が完成する寸前、シアはこう言い添える。
「あなたに私を捕まえる勇気があるならば」と。
だから白い燐光を残して消えた後、シアの挑戦にクロヴィスがなんと答えたのか、彼女が知ることはなかった。




