陰険眼鏡は何かを企む
「あいつがいなくなっただと?」
エドワードは予想もしなかった報告に思わず聞き返した。
「街の警備隊に捕縛を命じておいたのですが、まんまと逃げられてしまいました」
「待て。どうしてそんな命令を出した?」
「仕方ないでしょう。疑いは晴れたとはいえ、正式な手続きを踏む前に牢を抜け出したのですから」
脱獄。器物破損。看守への脅迫。
と、ルエイムはアリスの罪状を指折り数える。
最後のは少々疑わしいが、最初の二つに関しては物的証拠もある。
一時的にフイディールの街の領主代行をしているルエイムとしては対応せざるを得なかった。
「正直、彼女を侮っていました。まさかあの厳重な警備の目をかいくぐって街から抜け出すとは。意外とこういう状況に慣れているのでしょうか」
「言っている場合か。一応はあれも証人の一人だろう」
「そのことなら問題ありません。イルランド王と交渉し、今回の件は内々に処理することになりましたから」
代わりにたっぷりと外交的譲歩を引き出してきました。とルエイムは満足げだった。
イルランド王としても自国の人間が聖王国の王子であり勇者のエドワードを殺そうとしたなどという醜聞が広まるのはどうしても避けたかったのだろう。
国庫に眠る『聖遺物』のいくつかと、両国間の関税率の見直しという手痛い損失には目をつむらざるを得なかった。
「またなんの相談もなく……。殺されそうになったのは俺だぞ?」
「見事な演技でしたよ。おかげで我が国は多くの利益を得られました。さすがはエドワード殿下」
自分をだしにされたエドワードは朗らかに笑う従兄弟を胡乱な目で睨む。
聖王国の利のためならば王子の命すら利用する。頼もしも恐ろしい右腕だった。
「それで、あいつを捕らえてどうするつもりだった?」
「それは──」
ルエイムが答えようとした時、誰かが執務室の扉をノックした。
「ローガンでございます。件の料理屋の女将が参りました」
「入ってください」
ローガン家政婦長に促されるようにしてマトゥーカが入ってくる。
ずいぶんと緊張しているようだ。
「ケガの具合はいかがですか?」
「え……あ、はい。おかげさまでもうすっかり……」
「それは良かった。あまり身構えないでください。少し話を聞きたいだけですから」
そう言われて、マトゥーカは少しホッとしたようだった。
いくら貴族が相手とはいえ、少々萎縮が過ぎるように見える。
もしかすると、以前に貴族との間に何かあったのかもしれない。
あれこれ想像しそうになる頭をルエイムは軽く咳払いして切り替える。
つい目の前の人間を値踏みしてしまうのは悪い癖だ。
「聞きたいのはこの魔導具についてです」
ルエイムは部屋の片隅に置かれた『樽』を指す。
今回の件を片付けるにあたって、証拠品として一時的に店から押収されたものだ。
「聞けば、発酵を促す魔法がかかっているとか。聖王国でも似たような魔導具はありますが、これほど高度な源理文字が施された物は見たことがありません。はっきり言って、平民の店で使われるような代物でない。どこで手に入れたのか説明していただけますか?」
「そ、それは、あたしのひいひいばあさんがポーリアの王妃様からいただいたものだって聞いています」
「ポーリア?」
怪訝そうに口を挟んだのエドワードだった。
「ポーリアは、かつてこの辺りにあった国の名ですよ。百年近く前にイルランドによって併合されました。歴史の講義で教わりましたよ」
「ふん。他国の、しかも百年も前に滅んだ国のことなど覚えてられるか。だいたいアブサン教授の話は淡々としすぎていて眠気を堪えるだけで精一杯だった」
幼い頃より共に学んだ二人にしかわからない会話に、マトゥーカは困惑していた。
するとローガン家政婦長が軽く咳払いをした。
「よろしければ、私からお話しいたします」
「ローガンさんが?」
「私の家は元々はポーリア王家に仕えておりました。両親よりいくらか聞き及んでおります」
「そうでしたか。では、王妃から魔導具が送られたという話もご存じですか?」
「はい。おそらくその王妃様は魔族から嫁いで来られたお方です」
「魔族の王妃だと……!?」
驚き声をあげたのはエドワードだった。
「有名な話ですよ。ポーリアの王が魔族の娘を妻に迎えたというのは。それを理由にイルランドはポーリアを攻め滅ぼしたのですから」
「ランフォード卿のおっしゃる通りです。王妃様はもともと魔導具を作る職人の娘だったそうです。嫁がれてからも生活に役立つ多くの魔導具を作り出して国中に広めたと聞いております」
「その中の一つがこの『魔法の樽』というわけですか。確かに、描かれているのはポーリア王家の紋章です。しかし紋章の描かれたプレート以外はずいぶんと新しく見えますが?」
ルエイムは疑うようにマトゥーカに視線を向けた。
「それは、一度壊れたのをアリスが直してくれたからです」
「あの娘が直したと? 魔導具を?」
「は、はい」
マトゥーカは『魔法の樽』を使うようになった経緯を最初から話した。
ただの樽だと思っていたものが、実は魔導具でありそれに気付いたのもアリスで修理したのもアリス。
そして途絶えていたポーリアの調味料を復活させた。
リンデン司祭に毒の疑いをかけられふたたび壊されてしまったが、それもまたアリスが新品同様にしていったと。
「彼女が使っていた変わった調味料はもともとポーリア王国のものだったわけですか。なるほど。この金貨にも納得がいきました」
「あっ、それはあの子の……!」
マトゥーカは思わず声をあげた。
ルエイムが机の上に出したのは今では珍しい金貨。
小さな袋に入っていたとはいえ、それだけでもひと財産にはなる。
「今では金を硬貨として使っている国はほとんどありません。ですが、これがポーリア公国のものだとすればいろいろと説明がつきます」
「どういうことだ?」
「彼女がポーリア王家に連なる者かもしれないということですよ」
エドワードの疑問にルエイムは答える。
珍しくローガン家政婦長が小さく息を飲んだのがわかった。
「高度な魔法を使い、おまけに複雑な魔導具を修復し、今では珍しい金貨を持っていた。証拠にはならずともそうとしか考えられないでしょう」
「あれが王家の血筋だと……?」
何かを思いだしたのか、エドワードがひどく嫌そうな顔になる。
「話はわかりました。もう帰っていただいてかまいませんよ」
「え……」
マトゥーカは困惑した様子だった。
まさか本当に話を聞くだけで終わるとは思わなかったのだろう。
すると、意を決したようにルエイムに尋ねた。
「あの子は、何か罪に問われるんでしょうか」
「彼女も今回の功労者の一人です。そんなことには私がさせません。安心してください」
安堵したマトゥーカは何度も「アリスのことよろしくお願いします」と頭を下げながら帰っていった。
よほど心配していたのだろう。
血も繋がらない見ず知らずの娘をどうしてそこまで気にかけるのかと思わないでもなかったが、考えてみればアリスという娘は自然と人の輪の中に入りこみ街の人間はもちろん、部隊の兵士たちともいつの間にか親しくなっていたのを思い出す。
「王家の血筋……これは使えそうですね」
「お前、また何か企んでいるな」
ルエイムの呟きをエドワードは聞きとがめた。
「エドは常々言っていたじゃないですか。『あの場所の空気を変えたい』と」
「まさか、あいつを『学園』に入れるつもりか?」
エドワードはふたたび驚きの声をあげた。
「絶対に騒ぎを起こすぞ。碌な事にならん」
「いいじゃないですか。いっそめちゃくちゃにしてもらいましょう」
ルエイムはとびきりの笑顔を見せる。
こういう顔をする時、この従兄弟はとかく腹黒いことを企んでいる。
エドワードは、どこかにいるであろうアリスに少しだけ同情した。




