魔王の力
魔王フリエオールがいる天幕はにわかに慌ただしくなっていた。
「何かが橋の上空に現れただと!?」
「ここからでは見えないが大きな魔力の反応がある!」
「先行した部隊に映像を送るように伝えろ!」
何かが起きている。
橋を渡ろうとしていた同盟軍の部隊も足を止め戦闘態勢に入ったともいう。
ついに彼らがこの地に戻ってきたのかもしれない。
そうなれば、人間と争っている場合ではない。
「陛下、お茶をお持ちしました」
ふいに、良い香りが魔王の鼻腔をくすぐった。
「あ、ああ……すまないなメリッサ」
こんな時に茶なんか……と一瞬、顔をしかめそうになったが、これが“魔王流”だと思い直す。
『魔王は決して配下の者たちの前で余裕のない態度を見せてはならない』
それは、先代の魔王からの最初のレクチャーだった。
常に玉座におわし、不敵な笑みをうかべているべし。
時々、意味もなく「クックック……」と含み笑いをするのもいい。
部下の報告の内容が難しくてもわかったような顔をして「そなたに任せる」と言えばだいたいOK。
たまーに小さな戦いの場に突然現れて強大な力を見せつけて去って行くのも効果的。……などなど。
すべてを実践できてはいないが、今は亡き先代の貴重なアドバイスをフリエオールはなるべく守るようにしていた。
フリエオールは緊張と不安を冷静な仮面の下に押し隠すようにしてお茶に口をつけた。
「映像、来ます!」
魔導具に光が入り、離れた場所の光景を映し出す。
一瞬の乱れた映像の後でスクリーンいっぱいに彼の地の映像が映し出され──
「ブーーーーーーッ!?」
次の瞬間、魔王は飲んでいたお茶を噴きだしていた。
「あ……あ……アリステエル!!!!!」
そこに映し出されていたのは、ズタ袋をかぶった少女。
だが、見覚えのありすぎる“ツノ”がそのズタ袋を突き破って生えていた。
それだけではない。
アリステルは宙に浮かんでいたのだ。
「愚かな人間ともよ! 誰の許可を得て魔界へと足を踏み入れようというのか! あまつさえ、我が慈悲を讒言と吐き捨て耳を傾けぬ始末! その愚行に相応しき報いと恐怖を与えてやろう!」
漆黒のマントをたなびかせながら、アリステルは堂々たる口調で言い放つ。
その姿はまごうことなき『魔王』だった。
* * *
「おのれ魔族め! 降りてワシと戦え!」
遥か上空に行ってしまったズタ袋の魔族に向かって、ジェイムソンは声を張りあげる。
到底、聞こえるはずもなかった。
「将軍、矢をいかけますか?」
「無駄だ。平地ならともかく、あの高さでは届く前に威力を失う。しかし、ヤツめ何をするつもりだ……?」
そう言って、ジェイムソンは目を凝らす。
その時だった。
──聞け! 死にたくなければ、橋から離れなさい!
突然、空気を震わせるほどの大音量で声が響いた。
紛れもなく、先ほどの魔族の声だった。
聞いた途端、全身が総毛立つような恐怖を感じた。
同時に、その命令に抗いがたい気持ちが沸きあがってくる。
「全軍撤退! すぐに対岸へ戻れ! いや、全速力で橋から離れろ! 荷駄は捨ててもかまわん!」
ジェイムソンはすぐに部隊に命じた。
この橋の近くにいてはならない。
長年、戦場にいた彼の直観が告げていた。
ジェイムソンの指示に従い、兵たちは物資も弩弓も捨てて全速で離脱をはじめる。
彼らにも抗いがたい何かがあったようだった。
やがて、ジェイムソンたちが充分に橋から離れたのを見計らったかのようにそれはおきた。
天から落ちる一条の光。
そして、世界を真白に染め上げるほどの閃光。
炎でも雷でもない無形の力が神が創りたもうた巨大な橋を飲み込み、跡形もなく消し去ってしまうのをジェイムソンたちは目の当たりにした。
目の前の光景がにわかに信じられず、ジェイムソンを含め平易たちは皆、呆然とその場に立ち尽くしていた。
そんな中、誰かが呟く。
「“魔王”だ……」
かつて、人間と魔族の間で一度だけ戦端が開かれたことがある。
戦はたった一日で終わった。
人間側の撤退という結果を残して。
敗軍の将は後に語ったという。
「人類の希望が『勇者』であるのなら『魔王』とは絶望の象徴である」
人類が長らく忘れていたその教訓を、ジェイムソンは今日この日ふたたび思い出していた。




