魔法の樽
「これが魔法の樽だってのかい!?」
「うん。正面についてるこの“紋章”のプレート、よく見たらあちこちに源理文字が刻まれてるんだよね」
“成熟”や“育成”を意味する<母>の源理文字と“崩壊”や“変革”を意味する<種>の源理文字が主体になっていることから考えるとこれは──
「これはきっと“発酵樽”なんだよ」
「発酵……? パンやチーズを作る時のあれかい」
「うん。間違いないよ」
やたら日本の食事が再現されている魔界では、“発酵”を管理・促進する魔法も存在してる。
わざわざ覚えたりはしなかったけど、学院の書物でいくつか見たことがあった。
「だけど、あたしのばあさんはこれに河で獲れた魚を入れてたんだよ?」
「きっとマトゥーカさんのおばあさんが作ってたのは“魚醤”だったんだね」
魚醤は名前の通り魚を発酵させて作る醤油だ。
有名なのはタイのナンプラーとかベトナムのニョクマムだろうか。
大豆で作る醤油よりもわりあい簡単だし、それだけで出汁のような旨みが出るので世界的にはこっちの方がメジャーだった。前世の話だけど。
「源理文字は少し削れてるけど、ちょっと彫り直せば大丈夫。あとは魔力を注げば昔みたいに動き出すはずだよ。だからね、やってみようよ。魚醤作り」
「それで、ばあさんの味が再現できるのかい?」
「たぶん……ううん、きっと」
マトゥーカさんは少し考えた後、私に言った。
「ああ、やろうじゃないか。あんたと、あたしで」
* * *
そんなわけで魚醤作りがはじまった。
まずは何よりこの魔法の樽を修理するところからだ。
「……よし、と。これでメインの源理文字は修復できたわね」
鍛冶屋のおじさんから借りたタガネで正面のプレートを修繕した。
磨いてみるとやっぱり銀製だった。
中央の“紋章”がなんなのかはわからないけど、おそらく魔法とは関係ないはずだ。
その証拠にきちんと魔力も通ったし。
木板を止める鉄帯の方にもビッシリと源理文字が刻まれている。
こっちは軽く錆をとって磨くだけで大丈夫そうだ。
源理文字は木や皮のような生物由来の物質には定着しづらい。
だから金属──とくに銀や銅が用いられる。
だけど樽を作るのに銀や銅では強度に問題があるし、何より高い。
だから鉄帯の源理文字は補助で、正面についた飾りのような銀盤が全体を制御するCPUみたいな役目を果たしているのだろう。
「これ作った人はかなり腕の良い職人ね。魔界ならどこの工房も欲しがるくらいの腕だわ」
「ほう……それほどか」
「まあね。少なくとも、人間のそれも個人が所有できるような魔導具じゃないわよ」
もしかしたらマトゥーカさんのおばあさんって、もしかしたら貴族か王族の出だったのかもしれない。
それこそ滅亡したポーリアって国に関係するような……。
いや、詮索はよそう。
「言われた通り、樽に入るだけの魚を仕入れてきたよ」
そうこうしていると河近くの漁村に行っていたマトゥーカさんが帰ってきた。
「お帰りなさいマトゥーカさん。こっちも修理が終わったよ」
「そうかいそうかい。それで、こっからどうすんだい?」
「あとは簡単。魚の重さの四分の一くらいの塩を入れて、混ぜて、重しをのせて蓋をするだけ……って、樽に書いてある」
「それだけで良いのかい? ずいぶん簡単なんだねぇ」
「本当は半年とか一年とか熟成させなきゃいけないんだけどね。そこはこの“樽”が発酵を促進させてくれるみたい。だいたい一ヶ月くらいでできるかな。ガスが溜まるからたまに抜いて、発酵が進むように樽をゆすって中身を混ぜたりした方がいいとも書いてあるわ。でも、一番の問題は“匂い”だと思う」
動物性のタンパク質が腐る時の匂いはかなりキツい。
買って置いたお肉がダメになったりした時のことを思い出してほしい。
蓋を開ける度にあのなんとも言えないいやーな匂いが溢れるのだ。
「そいつは店の客から文句言われそうだねぇ」
「完成しちゃえばそれほど匂わないとは思うんだけど……あ、そうだ! いっそのこと地下室作っちゃう?」
「地下室って、穴を掘るってのかい?」
「ふっふっふ……任せてよ。魔法を使えば一発なんだから」
というわけで、魔法の樽はお店の裏に地下室を作って管理することにした。
私の穴掘りスキルがこんなところでも役に立ったわけである。
* * *
一ヶ月後。
「じゃあ、開けるよ?」
「ああ、やっとくれ」
魔法の樽の蓋を開けると、ぷーんと強烈な匂いが漂ってくる。
「うう……相変わらずすごい匂い……」
「あっはっは。あたしゃもう慣れたよ。それに、なんだか懐かしい気もする」
マトゥーカさんは豪快に笑う。
私はダメだ。納豆とかは平気なのになー。
樽にいっぱいだったかさはもう半分くらいになっている。
もう魚のかたちは微塵も残っていない。
茶色くてドロドロした液体が溜まっていた。
あとはこれを濾すと一応は完成のはずだ。
発酵を止めるために“火入れ”とかも必要なのかもしれないけど、まあそういうのは成功してからだ。
もう一つ樽を用意して、その上にできるだけ目の細かい布をかぶせる。
できればキッチンペーパーくらい目が詰まったものがほしかったのだけど、残念ながらそんなものはないので古い洋服を裂いて使うことにした。
魔法で<浄化>することも考えたけど、それをするとせっかく作った魚醤が水になっちゃう可能性が高かったので諦めた。
「じゃあ、いくよ」
マトゥーカさんが樽を傾けて中味を注いでいく。
ドロドロしたものが布の上にたまっていった。
しばらくして、たわんだ布からポタポタと琥珀色の液体が落ちはじめる。
これで、あとはひたすら待つだけだ。
「マトゥーカさん、少し味見してみない?」
「ああ、そうだね……」
ポタリと落ちる液体を指先で受け止めて口に運ぶ。
「うわっ、しょっぱ!」
たっぷり塩を使ったのでかなり塩味がついている。
だけど、その塩味の奧には魚出汁のような強烈な旨みがある。
うん。間違いない。この味だ。
確かに臭みもあるけど、これがクセになるのも確かだ。
でも、この世界の人に受け入れられるかどうかは未知数だ。
「マトゥーカさん……? どう?」
私はおそるおそる尋ねる。
「……これだ」
しばらくしてマトゥーカさんは、呆然と呟いた。
「ばあさんの料理にあって、あたしのに足りなかったのはこの味だよ!」
「ほんと!? やったー!」
私たちは抱き合って喜んだ。
お互いちょっぴりお醤油臭かった。
夕方にもう1話投稿予定です。




