亡国の歴史
食堂は今夜も常連さんで賑わっていた。
塩が遠慮無く使えると、マトゥーカさんもいつもより腕によりをかけて料理をしている。
おじさんたちよ、こんなに美味しい料理が食べられるのも私のおかげなんだぞ。心して食べるがよい。
などと、心の中の魔王がほくそ笑みつつも給仕に勤しむ私。
「いったい、いくつ砦を作りゃ気が済むのかねぇ」
聞こえてきたのは建設労働者のぼやきだった。
「ばーか、そのおかげで俺たちゃ食いっぱぐれねぇんだろ」
「それはそうだけどよぉ、いくらなんでも怖がりすぎじゃねぇか? 魔族、だっけ? そんなの本当にいるのかねぇ」
人間の国に来てわかったことだけど、普通の人たちは『魔族の脅威』と言われてもあまりピンとこないようだ。
なにせ、この百年以上に渡って私たち魔族はギヨッド河を越えていない。
見たことも無い、ただおとぎ話のように伝え聞く『魔族』。
一方で、『魔族』に対抗するためと軍事費を費やした結果、税金は上がるばかり。
酒の肴に文句の一つも出るのは当然と言えば当然だった。
「けっきょくよぉ、教会の連中に言いように使われてんだよ。砦が完成すると教会から司祭がやってきて聖別とかってのをしやがる。そんで司祭は懐にたんまり銀を抱えて帰っていくってわけさ」
「司祭がどんだけ拝もうが砦は大きくも固くもならねぇってのになぁ」
「大きくなるのは司祭の生っ白い腹ばかりってか」
「王都の娼館じゃ、司祭どもが入り浸ってあっちの方も固くしてるって話だぜ」
ギャハハハと笑う労働者のおじさんたち。
いつもより三割増しでお下品だ。
ていうか、ここにうら若き乙女がいることを忘れるんじゃないっての。
まあ、あんまり眼に余るようならマトゥーカさんが叩き出すだろう。
そう思いながら愛想良く酒のおかわりを注ぎに行こうとした時だった。
「魔族はいるぞ。ワシはこの目で見たんじゃ」
食堂の片隅で、一人酒を飲んでいたおじいさんが言った。
妙によく通り声だったので、お客たちが一瞬黙ってしまった。
「おいおい、スタルじいさん。嘘言っちゃいけねぇぜ。魔族なんてだーれも見たことねぇんだ」
「本当にいたとしても、橋の向こうから出てきやしねぇって」
「ワシは見たんじゃ!」
スタルおじいさんは、ダンッ! とテーブルに杯を叩きつける。
「獣のような耳と尻尾、それに恐ろしい牙……茂みの奧で光る金色の眼が今にもワシを食い殺そうと睨んでおった……」
スタルおじいさんの迫力に圧倒され、誰もが言葉を失っていた。
誰かがゴクリと唾を飲む音がやけにはっきりと聞こえた。
「はいはい。辛気くさいのはそのくらいにしておくれ。うちは楽しく飲み食いする場所だよ」
マトゥーカさんの威勢のいい声がそんな空気を断ち切った。
「仕方ねぇなぁ、スタルじいさんは」
「酔っ払っちまってんだよ」
そんな風にスタルおじいさんの話を一笑に付すおじさんたち。
その後、閉店の少し前にスタルおじいさんは迎えがやってきてふらつく足取りで帰っていった。
客がすべて帰った後、私は店の後片付けをしながらマトゥーカさんに聞いてみた。
「魔族って、いると思う?」
「なんだい急に。スタルじいさんの話を聞いたからかい?」
「うん。魔族が攻めてくるから砦を作って警戒してるのに、作ってる人たちは魔族を信じてないって変じゃない?」
「あっはっは。確かにあんたの言う通りだ」
マトゥーカさんは豪快に笑った。
「スタルじいさんやお客の話はともかく、あたしは『魔族』はいると思ってるよ」
「どうして? マトゥーカさんも見たことあるの?」
「見たことはないけどね。でも、子供の頃にばあさんからいろいろ話を聞いたからねぇ」
「どんな話? 興味ある」
「うーん、そうだね。どこから話したらいいか……この辺りがまだイルランドとは別の国だった頃のことだよ」
マトゥーカさんの話はちょっとしたおとぎ話のような話だった。
百年以上も前のこと、このフイディールが『砦の街』なんて呼ばれていない小さな村だった頃。
この辺りは『ポーリア』って国だった。
とくにこれといった産業も資源もない、大きな麦畑の中にたたずむ小さな国だったという。
そこの王様はなんと偶然出会った魔族の女性に恋に落ちてしまったのだという。
当時はギヨッド協定もなく橋の行き来が自由だった代わりに、人間の間には魔族に対する偏見や脅威が強かった。
おまけに相手は行きずりの魔族。名前も素性も何もわからない相手だ。
当然、王様の恋が実るはずがなかった。
だが、それじゃ話が後世まで残るわけがない。
なんとこの王様、ありとあらゆる手段と権力を用いてたった一度、偶然に会っただけの魔族の女性を広い魔界から見つけ出して求婚してしまったのだ。
恋した相手を見つけるために魔族の国と交流の道筋を作り、自ら足しげく通うというはた迷惑な行動力と執念に魔族の娘も胸を打たれたのか求婚を受け入れ、晴れて王妃に迎えられたというわけだった。
「最初はいろいろ大変だったみたいだけどね、魔族の国との貿易が始まると国はどんどん豊かになってったし、なにせその魔族の王妃様ってのがそりゃあもう美しかった。王様とも仲睦まじくて子宝にも恵まれた。それだけ良いこと尽くめとなりゃ、誰も文句は言わなくなるさね。ところが……」
ところが、国の中は大歓迎でも周囲はそうとはいかなかった。
急激に発展する隣国への脅威と嫉妬。
魔族を毛嫌いする教会の存在。
それらの“悪意”が手を組み、ポーリアという国は隣国イルランドに攻め滅ぼされることになる。
燃えさかる城の中、愛し合う王と王妃は最後まで共にいたのだという。
「悲しいね。王様も王妃様もなんにも悪いことしてないのに」
「あたしもそう思うよ。幼い王子様や王女様が半分魔族だからってだけ処刑されちまったのもいたたまれないよ。命からがら魔族の国に逃れたって噂もあるけど、本当のところはわからない。でも、あんまり外じゃこの話はしちゃならないよ。教会の連中に聞かれたら厄介なことになるからね」
教会っていうのは、この世界を管理する『女神』様を崇める宗教だ。
ちなみに魔族の間にもほぼ同じような宗教があり、とくに竜人族の間で広く信仰されている。
魔族では厳しい戒律もなく、年中行事に神殿へお参りに行ったり国の祭事でちょっとした儀式があるくらいだ。
対して人間社会の中に広まる『ノルン教会』の方はもっと厳格で攻撃的だ。
女神に“黄金”を捧げろだとか、魔族は女神の敵だから排除しろだとか……とくにこのイルランドでは国家権力と強く結びついているので厄介だ。
魔族を敵視する宗教なんて、まさにファンタジーあるあるって感じ。
自分がその排斥される側の『魔族』になっちゃうと笑い事じゃないんだけど。
「魔族と交流があった頃はそりゃいろんなものが持ち込まれたって話だ。だけどイルランドになってからは魔族から教わったものはどんどん廃れちまってね。料理もそうさ。あたしがこの店をはじめたのは、ばあさんが作ってくれたポーリア料理をなんとか再現しようと思ってなんだ。あいにくとばあさんの味にはぜんぜん届かないんだけどねぇ」
「私、マトゥーカさんの料理大好きよ」
「そう言ってくれると嬉しいねぇ。でもね、やっぱりどうしてもあと“ひと味”足りないんだよ」
そう言って、マトゥーカさんは厨房の奥の塩漬け樽を見つめる。
あれは魚の塩漬けが入ってるやつだ。
香草の匂いと塩っ気が強くて私がちょっと苦手なやつ。
「ばあさんが、あの樽で魚を漬け込んでたんだ。その魚を焼くと、なんとも言えない香ばしい薫りがして旨かったのを覚えてるんだ。見よう見まねで同じ料理を作ろうとしてるんだけど、どうも上手くいかなかくてねぇ」
なるほど、あの塩漬け魚は試行錯誤の真っ最中だったわけだ。
うーん、魔族の味で魚を塩漬けにする料理かぁ。
あんまり聞かないな。
魔族の料理って妙に現代的っていうか、やたら日本人の大好きなものが再現されてるのよね。
もうほんと、何者かの執念を感じるくらいに。
カレーとかラーメンとか、あとは白いご飯に味噌や醤油なんかの調味料──
「調味料……もしかしたら……」
「どうかしたのかい?」
私の推測が正しければ、マトゥーカさんは大きな勘違いをしている。
あの樽はおそらく……
「私、マトゥーカさんのおばあさんがあの“樽”どう使ってたのかわかったかも」
「な、なんだって!? そりゃ本当かい!?」
「うん。だからね、しばらく貸してほしいの。あの魔法の樽を──」




